応援ありがとうございます!「伊達 和輝がどんな人物なのか」紹介する活動報告です。今回は運動に関するエピソードをご紹介。多くの発達障害者は運動が嫌いです。私も例にもれず30歳頃まで運動の習慣はほとんどありませんでした。それでは、苦難のエピソードをご紹介します。《12歳頃》①徒競走で本気で走れない:脳から身体に指令がうまく届かないため本気で走れず、適当な走り方になっていました。②「剣道」を習っていた:すでに対人トラブルが多かった。礼儀を大切に稽古する・試合の場で相手と競う、どちらも苦痛だった。《22歳頃》①球技は大嫌い:大学の体育の授業でソフトボールかテニスをやったと思いますが・・・全く記憶が無いんですよ。チームで競う球技はあまりに辛く、当時の記憶が脳内に封印されているかもしれません。②外出するのが困難:アパートの近くの自販機でペプシを買うのも一苦労。服薬の影響だけでなく、夜更かしや対人関係のストレスなども影響していたでしょう。《32歳頃》①夜のスポーツジムにて:仕事の後はジムに行って21時頃までスタジオレッスンを受けていました。対人トラブルもありましたが、何よりも体力の限界。大浴場で虚な目で天井を眺めていたのを思い出します。②朝のランニングに挑戦:脳内の血流が高まるのは仕事にもプラスのはず。しかし、身体に負荷をかけすぎたことで「回復モード」になってしまい、激しい空腹が続いたり眠くなったり、仕事にマイナスの影響がありました。《現在》①朝か夕方に散歩:15分〜25分くらいスマホで時間を測って、散歩をしています。②室内でエアロビクス:ほぼ毎日、動画を見ながら有酸素運動や筋トレの時間も。③寝る前にヨガ:少し身体が温まった状態で寝ると、本当によく眠れます。運動は発達障害の改善に有効だと思っています。しかし、やり方を間違えると、ほとんど効果を見込めません。他人と一緒にやる運動・他人と競争する運動は、トラブルの原因になりがち。まずは「一人で軽めの運動を続ける」ことが大事でしょう。
ご支援ありがとうございます!今回は過去の自分の姿を振り返り、X(旧Twitter)上の《青年の発達障害者の投稿》を見て思ったことをシェアします。実は私は30歳になってから、自分が発達障害だと知らされました。それまでは「うつ病と誤診」されていたのです。発達障害がなかなか改善しない要因として、私は以下のものを挙げます。・右脳と左脳のアンバランス(会話が困難、フラッシュバックの原因)・閉鎖的な環境での生活(家庭、学校、医療と福祉、職場、交友)・悪い生活習慣と食習慣、服薬の影響でいつも体調不良・今の状況と過去の記憶などから、常にストレスがかかる・やっていて楽しいこと(趣味)が見つかっていない以下の要因は、障害の克服期に出てきそうです。・金銭的に苦難を抱え、行動の選択肢を増やせない発達障害克服の3ステップ「右脳を刺激して、環境を変えて、そして夢を持つ」これは上記の要因を、無理なく改善する力があると信じています。具体例を挙げて、わかりやすい形で多くの人に伝えたいです。応援よろしくお願いいたします!
みなさま、ご支援ありがとうございます。このクラウドファンディングが始まって、15日が経過しました。終了まであと30日。どんなことをすればご支援が伸びるのか、試行錯誤しております。最近は生活がより規則正しくなり、睡眠の質も良く仕事をしながら学ぶ時間も取れております。何かに熱意を持って取り組むというのは人生を一変させる力があると感じました。今月も精一杯取り組んでいきます!元自閉症が送る『発達障害克服の3ステップ』医療・福祉に頼らずに幸せに自立する道このプロジェクトの拡散にご協力いただけたら、とても嬉しいです。よろしくお願いいたします。
ご支援ありがとうございます!10月30日にいくつかのリターンを追加させていただきました。紙の書籍を3冊・5冊・10冊・20冊セットにしたものです。まとめ買いしたい方にオススメのリターンになります。最近、書籍の原料になる「用紙の価格が約4割値上がりしている」と聞いたことがあります。本書の価格は「1500円くらい」を予定していました。もしかしたら「2000円くらい」に値上げになるかもしれません。本当はもう少しお得な価格にしたかったのですが、追加したリターンの値下げ率を縮小させていただきました。1冊:3000円 3冊:8000円 5冊:12500円10冊:24000円 20冊:45000円※本体価格+寄付+送料込の価格です。
「伊達 和輝がどんな人物なのか」紹介する活動報告です。今回は私の声の変化について。声を出すためには脳を使います。右脳と左脳のバランスに加え、日頃の体調もダイレクトに影響していました。《28歳頃》カラオケは好きで、同じ歌を何度も何度も歌っていました。他の歌に興味がわかないのは、自閉症特有の症状かもしれません。音程やリズムに意識を向けられない。潰れた低い声で抑揚のつけ方が変。カラオケオフ会では同室した人が逃げ出してしまうことも。《32歳頃》あるボーカルスクールに通っていた時期。歌唱で大切な音程・リズム・滑舌は意識できるようになってきました。一方で、日常生活では大きな声になりがち。ストレスと過去の辛い経験が脳内をまわり、怒りに任せて声を出しました。《42歳頃》月に1度、ボーカルジャズのレッスン。歌詞の内容を意識して、感情を込めて歌うようになりました。楽しいところは楽しく歌い、悲しいところは悲しく歌う。とはいえ、一人暮らしなので会話する機会が少ないです。毎日の発声と滑舌の練習は欠かせません。【結び】約15年間で自分の声は見違えるほど変化しました。その変化の第一歩はボイストレーニングという「右脳を刺激する習慣」を始めたことです。