3月に入り、ちょうどクラファン期間の半分まで来ました。今月末まであと30日間です。キャンプファイヤーさんと並行して行っている直接メノキの口座にご支援いただいているものと合わせると、現在1/4ほど集まっている感じです。なかなか厳しい状況ではありますが、これからリターンの追加などもあり、ぜひみなさんにご協力いただきたいところです。明日は群馬県立館林美術館では、「さわっておしゃべり鑑賞タイム」が開催されます。みんなとつながる上毛かるたも体験できますので、ぜひいらしてください。どうぞ、みなさま、このプロジェクトにお力をお貸しください!特に群馬県民のみなさま、私たちの郷土の誇りでもある「上毛かるた」のこのバージョンアップを成功させ、郷土の文化資産の素晴らしさ、そして群馬県の意識の高さを、全国に示そうではありませんか。どうぞよろしくお願いいたします!
映画「手でふれてみる世界」の岡野晃子監督からご支援と応援メッセージをいただきました!岡野監督には、先日の群馬県立館林美術館のヒューマンビーイング展の「手でふれてみる世界」上映にも来ていただき、三輪代表と楽しいトークもしていただき、さらにご支援と応援メッセージまで!本当に感謝の言葉が見つからないほど、ありがたく、勇気づけられます。2月11日の活動報告にも書きましたが、映画「手でふれてみる世界」は、われわれにとって、深い学びに満ちた映画で、見えない人・見えにくい人たちと芸術を通じて世界を共有するヒントに満ちていました。またトークでも、岡野監督と三輪代表によって語られる触察についてや、ユニバーサル・ツーリズムなどについても今後のメノキの活動に刺激になることばかりでした。その岡野晃子監督からのメッセージです。どうぞお読みください。------------------------群馬県民にとって身近な文化である「上毛かるた」。見える人、見えない人、すべての人がともに楽しめる改良版の制作と普及活動を行うというプロジェクトは、子どもの頃から、障害のある人もない人も共存するユニバーサルな社会に触れる、大切な活動です。群馬県民であり、自身も幼少期から「上毛かるた」に親しんできた彫刻家・三輪途道さんが土地の記憶と愛を込めて、改良版を制作しています。日々の暮らしのなかでその土地の文化に触れることを可能とする「上毛かるた」の普及が、社会の未来である子どもたちの健やかなアイデンティティを育むと信じ、応援します。岡野晃子(キュレーター・映画監督)-------------------------
今日も三輪代表からのメッセージです。先日大阪の国立民族博物館を訪問、全盲の文化人類学者の広瀬浩二郎さんとお話をしてきたことを書いています。2月28日「あなたが琵琶法師なら、私は瞽女になります」 先週の土曜日、国立民族博物館の広瀬浩二郎さんにお会いしてきました。 我々メノキが取り組んでいる文化庁障害者等による文化芸術活動推進事業で「障害とアートを繋ぐ人材育成」としてインクルシブアート研究会を今年の春から本格的に講座を開くにあたり、講師として民博(国立民族博物館)の広瀬さんをお招きしたいと思っていたのです。 今回たまたまNPO法人弱視の子供たちに絵本をを運営している田中加津代さんのご紹介でお会いすることができました。 広瀬さんのご本は、ほぼ点字図書館のデイジー(DAISY)図書で読んでいましたので、私なりに広瀬さんのイメージは出来上がっていたのですが、びっくりするほど予想通りの声質でした。 広瀬さんも私も全盲なのでお互いの容姿は見ることが出来ませんので声の印象で相手の人柄を推測することになります。予想通り知的で八方に目が行く方で、その上、人に対して上下感を作らない人だとすぐにわかりました。 見えていたころは第一印象は当然お顔立ちや身体かにじみ出る空気感で判断していましたが、意識したわけでもなく相手の声の間合いを含め、声で人柄を自然に判断するようになりました。人間の脳ってすごいですね。 広瀬さんは説明するまでもなくユニバーサルミュージアムを牽引している方で、そのあたりの著書はたくさん出されています。私はこれらの著作の中で何よりも私の心をわしづかみしたのは「障害者の宗教民俗学」でした。琵琶法師や瞽女(ごぜ)、青森のイタコから始まり、オウム真理教の麻原彰晃まで論じたのには目からうろこでした。 私自身長く木彫作家として生きてきましたが、美術館やギャラリーの仕事に比べたらわずかですが、文化財の仕事もしてきたので、日本の歴史の中の仏教文化や民間信仰などにも関心も持ってきました。そんなわけで、障害者目線で宗教を読み解く広瀬さんのご著書に正面から一本取られた気持ちでした。このご著書に近いものは最近書かれているようには思いませんでしたので、ついご本人にその話もしてしましました。広瀬さんがおっしゃるには今年瞽女の展覧会を民博で開くとのことです。瞽女の映画も上映するそうです。今が平安時代だったらインクルシブアートと言っても誰も知りません。ユニバーサルミュージアムと言っても誰も見向きもしてくれません。広瀬さんは琵琶法師、私は瞽女だったでしょう。いい時代になりました。
今日も三輪代表からメッセージが届いています。2月27日「大阪に行ってきました。」 2月24日、25日にかけてメノキの富澤さんと立木さんとで大阪に行ってきました。 「NPO法人弱視の子供たちに絵本を」という団体から依頼があり、2年前出版した「みえなくなったちょうこくか」の本と谷川俊太郎さんと私とで去年作った詩画集「かべとじめん」の制作の話をしてきました。 会場には「かべとじめん」の詩画集の原画を展示しました。25日のワークショップでは実際に私が作品を作るパフォーマンスもしました。見えなくなってからどうやって作品を作るかを皆さん聞きたいというご要望でしたのでてんこ盛りの荷物になりましたが、作品と道具を大阪に送り現在このクラファンで取り組んでいる「みんなとつながる上毛かるた」も見ていただきました。 群馬県人は誰でも群馬県の形は鶴だと信じています。他県の人も群馬の形は鶴だと思って下さっているとも思っています。ところが、当たり前ですが今回お邪魔した会場にいらした方、群馬の形が鶴だと誰も思ってはいませんでした。上毛かるたによる洗脳って怖いです。 考えてみれば、漫画や映画やテレビドラマとかでもいろんな先入観が無意識のうちに刷り込まれているものです。私も大阪のおばちゃんは皆ヒョウ柄の服を着ているイメージがぬぐえません。アクセサリーもジャラジャラつけていると思っていましたが、そういう人はいませんでした。 さて、本題ですが我々は触察の分野を研究したうえで触察絵本に取り組みたいとおもっています。そういう意味で「NPO法人弱視の子供たちに絵本を」を運営している田中加津代さん達の取り組みの情報は貴重です。UV印刷、立体コピーを使って汎用性のある絵本を作っている所は全国にポツリポツリと出てきておりますが、まだまだ予算とのせめぎあいが難しくアート性の強い汎用性のある絵本までにはもう少し時間がかかるように感じます。 かといって今回我々が取り組んでいる5ミリ厚のレリーフではアート性は担保できますが、とにかく経費が掛かります。また、これら触察絵本は説明するテキストが相当大事です。説明しすぎてもうるさいですし、かといってある程度画面に描かれている事物の情報を手渡さないと触る者にとってイメージが沸き上がりません。 これは昨日書いた、対話型鑑賞の底なし沼に近いものが眠っています。昨年板橋区立美術館でボローニャ国際絵本展でイタリアの触察絵本を触りましたがテキストが的確でツボにはまっていると感じました。 またもやローマは1日にしてならずや、です。大阪の話は明日も書きます。
久しぶりに、三輪代表からのメッセージが届きました。2月26日「対話型鑑賞は底なし沼」 こんにちは三輪です。群馬県立館林美術館の2月17日バスツアーが決行されました。本当は少人数でワークショップを開催すべきとは思うのですが、視覚障害者を美術館に招くにあたり1日を楽しく過ごすためにバスツアーなるものを企画した分、大勢の参加者とあいなりました。 見えない人/見えにくい人(視覚障害者)にとっては、どんなに技を尽くしても、結局本物を見ることは出来ません。それでも介助者を伴って美術館に行きたい、と思ってもらうまでに至るのはそうたやすいものではありません。 その為今回は午前中には、私が見えなくなってから作るようになった触れる彫刻を、見える人と見えない人が一緒に触りながら、語り合うワークショップを開き、午後には、視覚障害者を中心にして、ボランティアの対話型鑑賞サポーターの人たちとガチンコの対話型鑑賞のワークショップを開きました。 この対話型鑑賞をワークショップの肝にしたいと考えていたのですが、実際にやってみると、そうそうたやすいものではないと実感した次第です。一朝一夕でボランティアは養成できないとつくづく実感しています。この対話型鑑賞が終わってから見えない人たちに感想を聞いたところ、見えない人が求めている所とボランティアが大事にしているツボがずれていると感じました。少し具体的に説明してみます。〇私の場合からですがボランティアが作品の内容を出来るだけ易しく解説して下さったのですが、ところで私の目の前の作品は絵ですか?彫刻ですか?その辺から伝えて頂けないとイメージがわきませんでした。〇作品を作った作家の人生はどのようなものであったかを少し聞きたかったです。作品が出来上がったころの時代背景も知りたかったです。そのあたりの説明があるとイメージがわきやすいです。〇フランソア・ポンポンはそもそも男性でしょうか、女性でしょうか、という疑問も出たようです。〇対話型鑑賞ではなく触れるワークショップの方ですが、ボランティアの方はまず情報を与えず触ってどう思うかということを重んじる傾向にありますが、始めからたくさんの情報を欲しいと思う人もたくさんいらっしゃいますのでそのあたりはゆるく各々の希望に沿った対応が必要なようです。〇私自身の話ですが見えないものは毎日触るワークショップのような日々なので作品を触って鑑賞しているときには最低限の情報がないと想像力が働かないです。そこに作者の人生の説明が加わると一層想像力を働かせて作品を味わえると感じました。このあたりの掛け合いが難しいです。インクルシブアート研究会で学びの場を作って障害芸術の基礎を学んでいただいても現場ですぐ実践できるものではありません。学びの底なし沼が広がっています。 その後おまけとして群馬大学の共同教育学部の林耕史先生と菅生千穂先生の演奏会を開きました。私の作品も含め、作品の印象をその場で即興の掛け合いで音楽にしていくコンサートでとても楽しめました。正直にいうと視覚障害者の人はおまけの演奏会を何よりも楽しみにしていました。結局、生の音は見えない者にとって一番の癒しになります。以前から私は、美術館の鑑賞サポーターは、ホスト・ホステスのように、鑑賞者を楽しませる存在になるべきと考えているのですが、美術館のホスト、ホステスは1日にしてならず・・・学びの道は遠いです。以前の三輪代表からのメッセージはこちらから→三輪代表からのメッセージ(1)→三輪代表からのメッセージ(2)→三輪代表からのメッセージ(3)→三輪代表からのメッセージ(4)→三輪代表からのメッセージ(5)