時を超え、新たな誕生を迎える『100歳ピアノ』とこれからの物語をつむいでいきたい

100年前に町民の寄付を募り、ドイツはドレスデンからやってきたローゼンクランツ製のグランドピアノ。兵庫県竹野町の小学校、公民館で町民に愛され、この度、奥城崎シーサイドホテルに寄贈されました。これを機に『100歳ピアノ誕生プロジェクト』として本来の音色を取り戻すべくクラウドファンディングに挑戦します。

現在の支援総額

3,120,805

312%

目標金額は1,000,000円

支援者数

223

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/04/01に募集を開始し、 223人の支援により 3,120,805円の資金を集め、 2024/05/20に募集を終了しました

時を超え、新たな誕生を迎える『100歳ピアノ』とこれからの物語をつむいでいきたい

現在の支援総額

3,120,805

312%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数223

このプロジェクトは、2024/04/01に募集を開始し、 223人の支援により 3,120,805円の資金を集め、 2024/05/20に募集を終了しました

100年前に町民の寄付を募り、ドイツはドレスデンからやってきたローゼンクランツ製のグランドピアノ。兵庫県竹野町の小学校、公民館で町民に愛され、この度、奥城崎シーサイドホテルに寄贈されました。これを機に『100歳ピアノ誕生プロジェクト』として本来の音色を取り戻すべくクラウドファンディングに挑戦します。

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こんにちわ〜!【100歳ピアノ誕生プロジェクト】メンバーのbozzoです。GWも終わり、プロジェクトも残すところあと13日、なんと二週間切りました!なんとかネクストゴール200万円を突破していきたいところ。岩井社長の志の高さが、前回の活動報告でも上がってました。何卒みなさんのご支援、ひとえによろしくお願いします!さて、昨日は豊岡とど兵にて【縁宴HAKASE-SUN SoloLive】が開かれました〜!42名もの来場者が、HAKASE-SUNの繰り出すGrooveにゾッコン乗せられて、90分間、カラダ揺すりっぱなし。いやぁ〜素晴らしいLIVEでした。HAKASE-SUNと言えば、昨年の『北前レゲエ』で、青空&海バックに、ナイスリリースなレゲエミュージックを解き放ち、奥城崎をトロピカルに染めてしまったアーティスト。【縁宴@とど兵】では、密な空間だけに内的エネルギーを充溢させ、グルグルとシェイクするような熱い熱い波動をひとりひとりに注入するような、生命力にあふれた時間でした。とど兵トシさんのテキーラの振る舞いも後押しした感じ笑。応援メッセージ、あらためて掲載します。「昨夏、縁あって訪れた風光明媚な海辺のホテル。瀟洒なロビーにたたずむその姿を写真で拝見いたしました。『100年ピアノ』その姿はまさに、いにしえのドイツの貴婦人ですね。近いうちに彼女が新しい“誕生”を迎える姿にお目にかかれることを願いつつ、この度、再生プロジェクトに関わっておられる方々の高い志に心よりエールを送ります。どうか、皆さまのお力をお借りして、竹野の浜、但馬地域そして、日本国にとっても、キラリと輝けるひとつの星として、このピアノを是非、後世に伝えようではありませんか。令和6年4月7日 ミュージシャン・レゲエキーボーディストHAKASE-SUN Bass&Love」昨日のステージと同じく、熱く真摯なメッセージ。なんとか、後世に伝えるべく、あと13日間ふんばって参りたいと思います!HAKASE-SUN、ありがとうございました!そして、その『北前レゲエ』の9月23日(祝)開催が、決定いたしました!山陰ツアー主催の明里笑店明里正毅さんとHAKASE-SUN、そして岩井社長。詳細は後日、あらためて。あのスペシャルリリースを体感しに、豊岡演劇祭と絡めての来竹、お待ちしております!HAKASE-SUNに、“誕生”したドイツの貴婦人、弾いてもらいます!


去る4月28日、100歳ピアノ・ローゼンクランツを最後の最後まで愛し続けた、清水義春先生の葬儀に参列してまいりました。前日の通夜にのみ参列する予定でしたが、帰路のなかで、どうしても伝えきれない想いがあり、ご遺族にご無理申し上げ、翌日の葬儀にも参列させていただきました。先生のお顔を眺めながら、気持ち新たに決意と覚悟をお伝えしてきたところです。義春先生は、プロジェクトメンバーであるbozzoさんが撮影されたピアノの写真や、清水先生ご夫妻を恩師として尊敬する宇川先生の書(僭越ながら私のメッセージも)に囲まれながら、思い残すことは何もないと仰っているような、清々しくも穏やかな優しいお顔をされていました。冒頭には「100歳ピアノ誕生プロジェクトの起点をつくり、ピアノを守り抜いた」とのアナウンスがなされ、また、ご子息のご挨拶のなかでは先生とピアノにまつわる話を涙を流しながら話されておられました。喪主で奥様である清水美代子先生のご挨拶では、ピアノとの再会を生前の義春先生に報告できたことへの感謝を涙ながらに述べられ、ピアノにまた触れられるように気を落とさずに頑張って生きていく、と心を込めてお話しされていました。このピアノには多くの物語、多くの方の想い・優しさや真心・愛が詰まっています。そのような大切なピアノをホテルでお預かりしているということ、その音を、想いを、次の時代へ伝えていかなければいけない・伝えていきたいということ、清水義春先生とのお別れ、先生のご遺志と改めて向き合うことにより、これまで以上にこのピアノを守っていく覚悟と決意が生まれました。受け継いだ襷は重いのではなく温かいあと14日となりました。故郷の音をいつまでも愛しい竹野の海に響かせたい。皆様のあたたかな応援、そしてご支援を、どうかよろしくお願い申し上げます。株式会社奥城崎シーサイドホテル代表取締役 岩井祐介


こんにちわ〜!【100歳ピアノ誕生プロジェクト】メンバーのbozzoです。24日のとても素晴らしい出来事の翌日、『100歳ピアノ』を救った清水義春・美代子ご夫妻、その義春先生さんが25日、天に召されました。享年94歳。清水美代子先生が24日に『100歳ピアノ』とご対面した報告を、父もベッドの上で聞いていた…と息子さん。『100歳ピアノ』のことを何より気に掛けていたので、きっと安心して眠りについたのでしょう…と。まさに美代子先生と『100歳ピアノ』の再会が、義春先生を解き放った…と言っても過言ではないでしょう。訃報を伺って、その余りの命の交感に、言葉がありませんでした。岩井社長と、元竹野小学校の村尾先生が、それぞれ「竹野小学校校歌」を捧げました。竹野小学校校歌竹野の小川は ゆるやかに海にそそげば 波ゆれて賀島山かげ ただよわす浜のけしきの うるわしきのぞむに海の さとしあり仰ぐに山の しめしあり遊びてきたえ 身をつよく学びてはげめ ひとのみち聴けば聴くほど、その旋律と詩に先人の叡智を感じます。清水美代子先生との再会、清水義春先生のご逝去…と、『100歳ピアノ』をめぐる人々の悲喜交々が劇的過ぎて、今さらながらこのピアノが持つパワーに、震撼します。清水ご夫妻から襷を受け取った…と言うことでしょう。しっかりとオーバーホールして、『100歳ピアノ』の魂を、清水ご夫妻の分まで引き継いでいきたく思います。本日、ベルコシティホール豊岡にて18時から通夜、明日、10時から葬儀です。義春先生、有難うございました。


こんにちわ〜!【100歳ピアノ誕生プロジェクト】メンバーのbozzoです。残り25日となりました!5月20日まで走り続けます!みなさん、何卒のご支援よろしくお願いします!昨日、とても素晴らしい出来事がありました!『100歳ピアノ』を2009年の廃棄から救った清水義春・美代子ご夫妻、その美代子さんが施設の許可を得て15分間だけ、ピアノとご対面しました!御年95歳。大正15年に町役場と掛け合い、竹野の名士たちにピアノ購入の寄付を募った竹野小学校校長、長岡直孝さんとも直接つながりのあるお方です。100歳ピアノの歩み清水義春先生と共に竹野小学校に長年勤め、長岡校長の当時のご尽力を知る故に、2009年ピアノ廃棄の通告が出たとき、保存に奔走されたのです。2月11日の『100歳ピアノ誕生祭』で宇川先生が代読されたメッセージは語り草となっております。由緒ある誕生の地、竹野浜が一望できる自慢の地に、ピアノを迎えていただき、私たちは感謝の念でいっぱいでございます。奥城崎シーサイドホテルの皆さまをはじめ、ご尽力くださいました方々に厚く御礼申し上げます。元気な2人でしたら、会場に足を運び、ピアノと抱き合って喜びを分かち合ったのに…。老いた身ゆえ、それは叶いません。振り返れば、このピアノも時代の波で大しけ・嵐の如く運命に翻弄されましたが、消えることなく、竹野から離れることもなく、晴れて今日、舞台で光輝いている姿を思い浮かべると夢のようです。皆さま方のお力添え、ご尽力は勿論ですが、不思議にもこのピアノは、七転八起、起ち上がるのです。『運がええなぁ、ええ運もっとるわい』私たちは幾度となく、こんな言葉を交わし、幸運の良さに感じ入ること度々でした。誕生、スタート。ピアノ、あなたもこのホテルの一メンバー。ドレスデン生まれの優雅さと百年の貫禄を醸し出して、おもてなし、おもてなし。ピアノが来客の眼に止まり、『わぁ、竹野には古き品も大事にする文化が根付いているわ』『わぁ、小学校のとき、このピアノで歌ったわ、なつかしいわ。順番に弾こうな』ロビー内に、ピアノの響きわたる音と弾んだ声が舞い上がる光景が、心に描かれてきて、最後にこんな日の訪れを願い、夢見て、お祝いと御礼の言葉にさせて頂きます。令和6年2月吉日 清水義春・美代子『これは私の町ドイツドレスデンからやってきたピアノだわ、あ〜驚いた、感動!!』その言葉通り、美代子先生はピアノとご対面されました。『よぉがんばった、よぉがんばった』と労いのお言葉をかけ、渾身の演奏を捧げた岩井社長の姿を、拍手と涙で讃えておりました。『100歳ピアノ』もこれ以上ない歓びに溢れた音色を奏で、プロジェクトメンバー一同、ただただ涙。このような百年の思いが引き継がれることの貴さを、じっと噛みしめる15分間でした。社長、座右の銘『不易流行』…不易は詩の基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。共に風雅の誠から出るものであるから、根元においては一つであるという…根本の大事なモノを鑑みて、如何に新風を巻き起こすか。『100歳ピアノ』は、まさに竹野においての大事なモノを体現する「風雅な誠」であり、【100歳ピアノ誕生プロジェクト】は、その誠を礎として、新風を巻き起こすこのホテルの気概そのものである…と、感入った次第。清水美代子先生を囲んで。岩井社長、宇川先生、bozzo。ずっしりと丹田に落ちました。清水美代子先生、誠に誠に、有難うございました。m(_ _)m


こんにちわ〜!【100歳ピアノ誕生プロジェクト】メンバーのbozzoです。本日は、『100歳ピアノ誕生祭』で、『誕生』を書き下ろしてくださった書家の小林琴水先生から、真心こもったYELLをご紹介。本プロジェクトのサムネイルにある【誕生】も先生の書です!!『誕生』と本プロジェクトメンバー。小林琴水先生は、父・小林市造さん、母・鷹野やゑさんの四女として大阪市で1946年にお生まれになりました。父母共に竹野生まれ竹野育ちで、父方の小林家は、bozzo家の隣りにあったとか。母方の鷹野家は、いま民宿「久兵衛」さんを経営されてます。小林琴水先生は、土佐の川崎白雲先生、恩地春洋先生を師とする型にはまらない豪快な書の世界観をもつ方で、「誕生のうら」に建つホテルの新たな「誕生」、そして『100歳ピアノ』の新たな「誕生」、過去からの流れをみつめ、新たな世界観を生む「誕生」……にふさわしい力強さで『誕生』を書き下ろしてくださいました。館内には『愚徹』と『妙』の書も飾られています。奥城崎シーサイドホテルに100歳ピアノ・誕生のきっかけで、ロビー正面に「誕生」と書いて欲しいとの依頼、宇川充美さんからの連絡があり、年末岩井社長とお会いし書くことが決まった。そしてホテルロビーにピアノが設置され、その奥正面に「誕生」が飾られ、今までとは打って変わって、すばらしい景色が生まれました。これもまさに、若社長のインスピレーションと申しますか、感性がすばらしく感動いたしました。私達も海外でデモンストレーションを行います。白と黒の美の追求で日本の書も大変よろこんでいただけます。私達は大字書・一字書・二字書に挑戦しています。たくさんの漢字を並べても上手・下手もわかりません。やはり迫力のある大字が人気です。絵画の感覚で部屋の装飾にも人気です。日本の芸術文化にもこうした新しい感覚の世界は必要だと思います。それをとり入れて頂けることは夢のようです。消えかかっている日本の伝統をどこかで守って頂きたい。生きた書を!音楽と書のコラボによって、これも社長はじめ、若人結成ですばらしくまさにシーサイドホテルが今まで以上に発展されると思います。私達も一員として応援したいです。今は父母のふるさと竹野にひかれる思いでいっぱいです。令和6年4月20日小林琴水小林琴水1946年大阪市生まれ。現在、(一財)毎日書道会評議員・毎日書道展大字書部審査会員、(公財)書道芸術院理事・書道芸術院展常任総務、燕京書道交流協会副会長、玄遠社会長、春洋会会長、琴水会主宰。琴水先生の真心、しかと受け取りました。先生の『誕生』の書にふさわしいホテルとなるよう、『100歳ピアノ』のあらたな『誕生』と共に、育んでいきたいと思います。今回はお忙しい中、お手紙をいただきまして、誠にありがとうございました!あと27日、精進いたします。


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