Check our Terms and Privacy Policy.

千葉県で美術展を開催したい!関東大震災朝鮮人虐殺101年目を迎えて

現在の支援総額

733,000

146%

目標金額は500,000円

支援者数

163

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/05/29に募集を開始し、 163人の支援により 733,000円の資金を集め、 2024/06/30に募集を終了しました

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

集まった支援金は100%受け取ることができます

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

千葉県で美術展を開催したい!関東大震災朝鮮人虐殺101年目を迎えて

現在の支援総額

733,000

146%達成

終了

目標金額500,000

支援者数163

このプロジェクトは、2024/05/29に募集を開始し、 163人の支援により 733,000円の資金を集め、 2024/06/30に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

アンニョンハセヨ!早いもので会期終了から2週間が立ちました。本日は、<101・人>及び百美+プロジェクトの記事が掲載されたメディアをご紹介いたします。展示会場やプロジェクトの雰囲気が伝われば幸いです。 ーーー【WEB】●朝鮮新報https://chosonsinbo.com/jp/2024/06/20-150/https://chosonsinbo.com/jp/2024/07/10-186/https://chosonsinbo.com/jp/2024/09/05-129/●朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASS8D3J1TS8DTIPE002M.html●共同通信https://nordot.app/1200549611146199246●毎日新聞(動画あり)https://mainichi.jp/articles/20240827/k00/00m/040/228000c●東京新聞https://www.tokyo-np.co.jp/article/350206?fbclid=PAZXh0bgNhZW0CMTEAAaZPHCmmYUPvz6AjfjcUbANlwT6f7lPSh5rkHaOf27-CWjiEpJa3m0Xi03M_aem_QnFKrykj4_yIzJUkbYAHIQ●生活ニュースコモンズhttps://s-newscommons.com/article/4021●TyokyoArtBeathttps://www.tokyoartbeat.com/events/-/101-People-Years-After-the-Great-Kanto-Earthquake-Memories-to-Pass-On/B41-FF-3-AF/2024-08-27?fbclid=PAZXh0bgNhZW0CMTEAAaaa8QUkKY_XHeM_sEv6NruK82EJrGiNRIXxKBjUPglES_zYqG5bc9QLEH0_aem_yuz8l0iVNC7_Q8usaeOEmA【新聞紙面】●朝鮮新報(7/10、9/13)●朝日新聞全国版(8/19)●東京新聞(8/28)●千葉日報(8/28)●しんぶん赤旗(8/31)●読売新聞千葉県版(8/31)他【テレビ】●チバテレ情報番組「モーニングこんぱす」内で紹介(8/28朝)【ブログ】●日刊イオブログhttps://www.io-web.net/ioblog/2024/06/13/94579/https://www.io-web.net/ioblog/2024/08/20/95161/【雑誌】●「月刊イオ」10月号見開きカラーで紹介してくださってます!!(一部読みはこちら)https://www.io-web.net/2024/10/sinsaigyakusatu101-hyakubi/ぜひお手に取っていただけると幸いです。ーーー今後活動報告でも、会場の様子やイベントの様子もシェアして行きます!ではまた次の更新でお会いしましょう〜


〈101・人〉関東大震災から101年-人災の記憶を未来に伝える- 9月1日に、無事会期終了しました。 会期中は600名を超える皆さまに来場いただきました。 クラウドファンディングを通じて応援してくださったみなさまのおかげで、会場を拡張することができ、実行委員の想像以上の素敵な場にすることがかないました。 みなさま、この度はご支援くださり誠にありがとうございました。また、出品やお手伝い、応援や関心の形で関わってくれた皆さまにも心からお礼申し上げます。 ご来場いただいたみなさまとお話しをしたり、アンケートをいただいたり。また、会場内ではモンリョンの花を咲かせたり抗議のはがきを書いたりできるスペースがあったりと、会期中通していろんな形のコミュニケーションが生まれた場になったかと思っています。 そして展示を通してモンリョンの木の次の展示場所が決まったり、次のイベントにつながるようなご提案もあったりと、「101年以降」を具体的に考える場にもなりました。モンリョンと実行委員モンリョンに花を手向ける姿レタースペース 搬出の際は、その場にいる方々から「やりまーす!」と声が聞こえたり、運営や出品者だけでなく、自然な形でいろんな人が参加してくださり、1時間というタイトな持ち時間でどうにか終了できました!! 運営と来場者に明確な線引きがないその光景に心が震えました。百美+がこれまで試みてきた「問題と生活を乖離(かいり)させずフラットに」捉えることや、「表現に優劣をつけない」ことをはじめとしたいろんな面での「線引きの解消」の、自然な形だったようにも思えて…。 また、会期中は、誰もが場にいやすいように、実行委員内で話し合いを重ねできる限りの準備をしました。 トリガーワーニングや休憩室、音声読み上げ対応テキストデータQRコードや筆談、UDトークの対応、子どもが元気に過ごせる空間づくりや、無料の託児デーなど至らぬ点もあったかと思いますが、百美+が大切にしていた部分です。休憩スペースに飾っていた小物たち無料託児のようす はたまた、ヘイトや妨害にも細心の注意をはらい、注意事項や入場時のチェック欄など設けました。 メディアにも多数とりあげていただき、ネット上ではヘイトコメントも見受けられました。しかし実際に妨害の意図を持った来場者はおらず、無事何事もなく会期を終えることができました。本来ならば、ヘイトコメントを残す人たちに見てほしい展示でもあり複雑ではありますが、何よりも来場者のみなさんと運営のみんなの安全を守れたことに胸をなでおろしています。 このように人々との関わり合いの中でたどり着いた展示でした。「歴史を知り追悼する」ことは大前提として、そこにだけとどまらず、朝鮮人虐殺の根源を問い、現代に続く差別や社会問題について声を上げることに重点を置いたプロジェクトが百美+です。そのために美術が出来ることをこれからも模索しながら揺れながら、続けていきます。 今回の展示はプロジェクトのほんの一場面です。 今後ともよろしくお願いします♡「関東大震災朝鮮人虐殺から100年を迎えて千葉県の美術シーンを再考しそのあり方を模索するプロジェクト」(百美+)実行委員一同(会期中のイベントやワークショップについては別途ご報告いたします!)


アンニョンハシムニカ!百美+(ヒャクビ)です。前回のFW報告の続きです。3.萱田の長福寺~八千代市市民会館(WS会場)高津観音寺から最後の訪問先である萱田の長福寺へ向かいました。事前に長福寺の住職へは訪問する旨をお伝えしていましたが、協力的な姿勢でお話ししてくれました。訪れた長福寺には「至心供養塔」があり、3人の虐殺された朝鮮人の骨が収められています。長福寺でもメンバーが証言を読み、そして献花を捧げました。証言を読み上げるメンバー他の供養塔に並んで至心供養塔がある震災異国人と彫られており朝鮮人であることがわかりにくい献花の様子殺害当時、加害側にいた君塚国治さんは殺害の様子を近くで目撃していました。君塚さんの証言により萱田での虐殺があったことがわかったのです。敷地内には君塚国治さんも納骨された墓もありました。(至心供養塔すぐ横)今回のFWの参加者たち4.FWのまとめのWS長福寺から八千代市市民会館へ向かいました。途中、大和田新田にある「無縁仏之墓」を通過しました。交通量の多い道路脇にあるため停まることは今回はできませんでした。1972年に建てられたこの墓の下には骨はなく、古い地域の住民たちにより虐殺の記憶と弔いのために建てられたお墓です。お墓の周辺地域で朝鮮人3人が虐殺されてそのまま埋められたとのことですが正確な場所は伝わっていません。車窓からのぞむ無縁仏之墓八千代市市民会館ではWSを行いました。今回のWSは、FWの感想を誰かに宛てた手紙として書こうというものでした。宛先になる人は実行委員会の方でカードを用意して、ランダムに参加者に引いてもらいました。例えば「次の休日に会う人」「最近一緒に酒を飲んだ人」など自分の日常で出会う人です。参加者それぞれ手紙を書いたら封筒に入れて、実行委員会で用意した緑色の郵便ポストへ投函してもらいました。展示会場でもポストが設置されます。アイスブレイクにFW初参加の方々の感想を共有してもらった便箋と配布資料と宛先カード熱い思いが綴られる便箋自作のポストへ投函したWS後は解散しましたが、まだまわれるメンバーは市民会館横手にある中台墓地を訪問しました。中台墓地でも虐殺があったという目撃証言がありますが、墓地内のどの場所であったのかは不明です。1995年に無縁供養塔が建てられました。船橋市の虐殺現場と比較すると八千代市内にはいくつも碑が建立されており、記録されていることが印象的です。ただ、多くは無縁塔とされており、直接朝鮮人の虐殺があったことを確認できないことは残念に思います。実際に巡った参加者たちがどのような思いを綴ったのか、展示会場でご覧になってみてください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー展示会情報は以下SNSでも発信中です!(^^)★インスタグラム:https://www.instagram.com/hyakubi.chiba/★Facebook:https://www.facebook.com/groups/775747741234338


thumbnail

アンニョンハシムニカ!百美+(ヒャクビ)です。現在、8月27日(火)から始まる展示会に向けて準備しております!!展示会では百美+のこれまでの活動アーカイブも展示します。それに先駆けて、2024年4月14日に行った習志野・八千代エリアのFW報告を2回に分けてお届けします。是非ご覧ください!(^^)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー百美+ではこれまで2回のフィールドワーク(FW)を実施してきました。場所は船橋と、習志野・八千代の2エリアです。FWの一番の意義は、実際の虐殺が行われた(あるいは関連する)現場を自分たちの目で見て足で歩いてみることで、文字で読んできた歴史的事実を実体験として体感することだと思います。百美+ではさらに、各FWごとのアートの要素を加えたFWを展開しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎巡ったスポットプラッツ習志野に集合→徒歩で①プラッツ習志野南館ポーチ前の坂→②京成大久保駅前の踏切→③高津観音寺→④なぎの原→⑤(途中で大和田新田の無縁仏之墓通過して)長福寺→八千代市市民会館にてWS◎各スポット①プラッツ習志野南館ポーチ前の坂・・・朝鮮人虐殺現場②京成大久保駅前の踏切・・・朝鮮人虐殺現場③高津観音寺・・・朝鮮人遺骨、慰霊碑、鐘楼 ④なぎの原・・・朝鮮人殺害現場⑤萱田の長福寺・・・遺骨、追悼碑ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1.プラッツ習志野に集合→徒歩でプラッツ習志野南館ポーチ前の坂→京成大久保駅前の踏切最初にプラッツ習志野に集合しました。グラウンドルールの確認と資料配布、自己紹介などを経て同じ敷地内にある虐殺現場まで歩いて行きました。プラッツ習志野は市民活動の施設であり、敷地内の公園には家族連れも多く穏やかな場所でした。最初の集いグラウンドルールを説明するメンバーそのまま京成大久保駅前の踏切へ移動しました。人の通りが多い踏切でした。証言の朗読をしました。踏切側の惣菜屋さんでお昼を購入して再びプラッツ習志野へ戻りました。美味しそうなものがたくさん並ぶ昔ながらのお店2.習志野~高津観音寺~なぎの原数台の車に乗り分けて八千代市高津観音寺へ移動しました。習志野から八千代市への移動の際中に、かつての陸軍関連施設があったエリアや旧陸軍習志野病院(現済生会習志野病院)前を通過して見学して行きました。高津観音寺に到着したら、最初の学習会で作成した地図を用いて位置の確認をしました。それから関東地震韓国人犠牲者慰霊詩塔(1990年韓日仏教関東地震殉国慰霊協議会より建立)、朝鮮人慰霊碑(1999年「関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」と地域住民により建立された)そして1985年に韓国からの素材で建立された普化鐘楼を訪れました。ここで百美+のメンバーが、この地で行われた虐殺と遺骨発掘の歴史の証言を読み上げました。なぎの原で虐殺された人々の遺骨の掘り起こしには大変な時間がかかったそうです。(1998年9月24日発掘)しかし最終的には発掘され、この高津観音寺朝鮮人慰霊碑のもとへ納骨されています。無名のまま亡くなられた朝鮮人のお一人お一人を偲ぶお線香をささげ、また敷地内にある韓国からの資金や材料で建立された鐘楼の鐘をつくなどしながら、しばし思いを馳せる時間をここで持ちました。地図を見せるメンバーたち用意した資料を用いて確認する参加者たちメンバーが慰霊碑の前で資料を読み上げる普化鐘楼の鐘は自由につくことができる 平和への思いを託す高津観音寺に納骨された人々が虐殺された現場、なぎの原は寺から歩いて移動しました。5〜6分程度の距離です。到着したなぎの原は、住宅街の中にある空き地でした。200坪くらいの旧住民の共有地だったそうです。以前は出入りができたようですが、今は立札が立っており部外者の立ち入り禁止の警告がされていました。特に、慰霊訪問者も名指しされており、どういった経緯でこのようなことになっているのか疑問に思うところです。虐殺された6人の朝鮮人は、発掘時の様子からすると丁寧に埋葬されていたそうです。こぶしの木が、場所の目印として、あったそうですが今はすでに木の姿はありません。百美+ではこのこぶしの木を展示会場に作品として再現することにしました。皆さんの哀悼の意を表す場になればと願っています。なぎの原は住宅街の中の空き地でした警告を記した立札は少なくても2本立っていましたなぎの原は長く滞在はできず高津観音寺へ引き返しました鐘楼と桜が美しい時期でした今回はここまで。萱田の長福寺〜八千代市市民会館でのWSについては、次回報告します!


【展示まで残り1ヶ月切りました!】みなさま、更新がだいぶ遅くなってしまいましたが改めて展示のご案内です。ぜひご一読ください。シェア歓迎です!また、チラシを配っていただける方、置ける場所がある方、もしよろしければ【希望部数(10部〜)・送り先住所・宛名】ご連絡ください。・・・・・・・・・・・関東大震災朝鮮人虐殺から去年、100年の節目を迎えました。千葉県では、官憲や軍人、一般民衆からなる自警団によって虐殺された6千名以上の朝鮮人のうち、約360名が犠牲になったと推定されています。また震災直後には、県内の「海軍無線電信所船橋送信所」を通じて流言飛語を拡散したことで各地の朝鮮人虐殺を後押し、他にも陸軍の主要施設もありました。このように、千葉県は関東大震災朝鮮人虐殺と関わりが深い地域だといえます。今回の展示タイトル『101・人』は、2023年8・9月に県立中央博物館で開催された企画展「関東大震災から100年—災害の記憶を未来に伝える—」へのアンチテーゼです。この県立施設の展示では朝鮮人虐殺については一言も言及されていませんでした。そこで「百美+」は、あえて千葉県の公的施設において美術展を行うこととしました。 展示では、これまで百美+として開催してきたプロジェクトの軌跡・アーティストやプロジェクト参加者が活動をもとに制作した作品を展示し、犠牲となった人々を追悼します。過去から一貫してその歴史と責任に向き合おうとしない日本政府の姿勢は、朝鮮高校の無償化制度からの排除やヘイトスピーチなど、現代の植民地主義やレイシズムなどの課題とも地続きになっています。このような背景を認識しつつ、社会と人々に広く訴えかけ、より良い未来の創造に寄与することが芸術家たちの役割だとした上で、「百美+」は美術の力でこの課題と向き合っていきます。 ◆*:◇*:◆*:◇*:◆*:『101・人』関東大震災から101年—人災の記憶を未来に伝える—●期間:2024年8月27日(火)〜9月1日(日)●時間:10:00 – 18:00 (金・土曜日は20:00まで/最終日は17:00まで) ※入場受付は閉館の30分前まで●場所:千葉市立美術館市民ギャラリー1、2◆*:◇*:◆*:◇*:◆*:主催:百美+【関東大震災朝鮮人虐殺から100年を迎えて千葉県の美術シーンを再考しそのあり方を模索するプロジェクト】インスタグラムhttps://www.instagram.com/p/C-CxEawSl-x/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==