ファッションの街・神戸は、海の上でも健在です。神戸元町商店街の5丁目に店を構える「アリマ」は、日本唯一の船員ユニフォーム専門メーカーで、その創業は1961年。ミナト神戸ならではの独特な雰囲気とともに、長きにわたり全国の船会社や船員たちの生活を支えてきました。船員の制服に込められた伝統と誇りアリマが手がける船員服は、冬は紺や黒、夏は白やベージュの布地を基調に、金ボタンや金の肩章、袖章が施された格式あるデザイン。その細部に宿る職人技は世界中の船員の間で知られていて、海に生きる人々の誇りそのものです。創業以来、制服の新調や袖章の金モール替えなどを通じて、船員たちの生活を陰から支え続けています。神戸で出会うおしゃれなオリジナルグッズ2004年に元町商店街へ移転して以降、アリマは一般のお客様向けの商品展開もスタート。トレーナーやエコバッグ、ストラップなどのオリジナルグッズは、船員の制服をモチーフにしたおしゃれなデザインが特徴で、観光客や地元の人々の間でも話題を呼んでいます。中でも一番人気は、船員服をイメージしたトレーナー。洗練されたデザインで日常のファッションに取り入れやすいと評判で、口コミでその人気が広がり続けています。他では手に入らないレアなアイテムとして、自分用やお土産に選ぶ方も多いそうですよ。港町・神戸の魅力を体感する場所アリマのショーウィンドウには、美しく整った船員服が並び、店内は歴史と伝統の重みを感じさせる空間が広がります。創業者が海軍出身だったという背景もあり、アリマの一着一着には、海と港町・神戸への深い愛情が込められています。神戸を訪れた際には、ぜひ元町商店街5丁目の「アリマ」へ足を運んでみてくださいね。船員服の格調高いデザインから、ミナト神戸の誇り感じられますよ。会員制副専門メーカー 株式会社アリマ http://www.kobe-arima.jp/
神戸と映画:日本映画史の幕開け神戸は、日本映画史の重要な出発点となった地です。その映画との深い関わりを振り返ると、この街が日本の映画文化に果たした役割の大きさを再認識できます。日本初の活動写真公開:神港倶楽部明治29年(1896年)、エジソンが発明した活動写真装置「キネトスコープ」が日本に初上陸しました。その公開場所となったのが神戸・花隈にあった神港倶楽部です。この新しい娯楽は、同年11月25日から12月1日まで一般公開され、大きな注目を集めました。キネトスコープは現在の映画とは異なり、箱の中の映像をのぞき窓から見る装置でしたが、その革新性は当時の人々を魅了しました。さらに、スクリーンに映像を投影する「シネマトグラフ」も翌年の明治30年(1897年)に神戸の相生座で初公開され、これが本格的な映画の幕開けとなりました。このように、神戸はまさに日本における映画文化の扉を開いた場所と言えるのです。チャップリンお気に入りの街、神戸喜劇王が愛した街神戸と映画を語る上で欠かせない存在が、喜劇王チャップリンです。親日家として知られる彼は、戦前に3度日本を訪れました。その中で特に有名なのが、2度目の来日となる1936年(昭和11年)の訪問です。チャップリンは京都や奈良の観光をキャンセルしてまで神戸を散策したことで知られ、神戸の街と人々に深い印象を残しました。当時の報道や記録から、彼の神戸滞在を紐解いてみましょう。チャップリンの神戸散策1936年3月7日、チャップリンは新婚旅行中の妻ポーレット・ゴダードとともに横浜港に到着しました。当初の予定では京都・奈良を観光し、8日に神戸から出帆するスケジュールが組まれていましたが、彼は東京発の夜行列車で直接三ノ宮駅へ向かいました。3月8日の神戸新聞夕刊には、「気まぐれ喜劇王 円タクで神戸をぐるぐる回り」と題した記事が掲載されています。記事によると、チャップリンのタクシーは加納町から湊川公園、栄町通、トアロード、神戸税関、第三突堤と、神戸の主要地をまるで気まぐれに巡ったとされています。その中でも特に印象的だったのが、湊川公園での楠木正成像の見学と、湊川神社への参拝です。チャップリンは妻に楠木正成を「日本の英雄だよ」と説明していたという記録が残っており、日本文化や歴史に対する深い興味を感じさせます。湊川神社の記録には彼の参拝が残っていないものの、前年に挙行された「大楠公600年祭」への関心もあったのではないかと推測されています。チャップリンの神戸滞在のハイライトのひとつは、料亭「菊水」での食事です。神戸ビーフを使用した名物すき焼きを堪能したというエピソードは有名で、彼が4年前の初来日時にも菊水で昼食をとったことから、特にお気に入りだったことがうかがえます。この訪問でチャップリンは、神戸出身の映画評論家、淀川長治氏(故人)との対面を果たしました。当時、新開地周辺で育った淀川氏にとって、チャップリンは憧れの存在でした。その対面は午後4時ごろ、チャップリンが船に戻る直前に実現したとされています。神戸と映画の絆「桜の頃またやって来る」と残して去ったチャップリン。しかし、3度目の来日は5月で、桜はすでに散っていました。それでも彼の神戸滞在は、多くの人々の記憶に深く刻まれ、神戸と映画の結びつきを象徴する出来事となりました。マリリンモンローも実は神戸を訪れているのです。1954(昭和29)年2月に2番目の夫で米大リーガーのスター選手だった、ジョー・ディマジオとの新婚旅行で来日した時、元町の花隈を訪問しています。当時はまだ花街が残る花隈で、芸子遊びをした様子が当時の新聞に取材されたのだそう。神戸には素敵なミニシアターがあちらこちらにあります。折しも1月17日には阪神淡路大震災をテーマにした「港に灯がともる」が公開されました。ぜひ劇場で映画の中の神戸の街も楽しんでくださいね。
神戸の東遊園地三宮や旧居留地といった中心エリアからほど近い場所に位置する「東遊園地」。この緑豊かな公園は、芝生や木々に囲まれた憩いの場として親しまれるだけでなく、「神戸ルミナリエ」や「阪神淡路大震災1.17のつどい」といった重要なイベントの開催地としても知られています。しかし、その名前にある“遊園地”という言葉には、不思議な響きを感じる方も多いのではないでしょうか?一般的に“遊園地”といえば、メリーゴーランドやジェットコースターといったアトラクションを思い浮かべますが、東遊園地はどう見ても普通の公園です。一体なぜ“遊園地”という名前がついているのでしょうか?東遊園地の誕生と外国人居留地の関係東遊園地の歴史をたどると、鍵となるのは1866年に締結された「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」という条約です。この条約には、「外国人と日本人が共有する遊園を設けること」という一文が含まれていました。これは、当時日本に滞在する外国人が散歩やスポーツを楽しめる公園の設置を求めた内容です。この条約を受けて、神戸港の開港に伴い誕生した神戸外国人居留地内に、1875年に「外国人居留遊園」と呼ばれる公園が設けられました。これが現在の東遊園地の原型です。日本初の西洋式運動公園「外国人居留遊園」は、日本で初となる「西洋式運動公園」として知られています。開園当時は外国人専用で、多くの外国人がここで野球やサッカーといったスポーツを楽しんでいました。この場所で行われた活動が、日本における西洋スポーツ普及のきっかけとなったと言われています。やがて時代が進むにつれ、東遊園地は外国人専用から一般開放されるようになり、地域住民にとっても重要な憩いの場へと変化していきました。今は公園と呼ぶ方がしっくりしますよね。これは、「公園」という日本語訳が後から登場したためです。遊園に「地」を足した遊園地の呼び名の方が、実は歴史があるのです。現代の東遊園地現在の東遊園地は、都会の喧騒の中で自然を感じられる貴重な空間です。歴史的な背景を持ちながらも、現代の神戸市民にとってはイベントや日常のリフレッシュの場として親しまれています。特に毎年冬に行われる「神戸ルミナリエ」では、無数のイルミネーションが輝き、多くの人々が訪れる象徴的なスポットとなっています。
阪神淡路大震災から30年:神戸の未来を見据えて1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生し、神戸は甚大な被害を受けました。あれから30年。復興への道のりは決して平坦ではありませんでしたが、その過程で私たちは、互いに助け合い、全国のみなさんからの支えに助けられながら、困難を乗り越えてきました。あの時の団結力は、今でも多くの人々の心に深く刻まれていることでしょう。しかし、時代と共にその絆も少しずつ変化しています。震災直後に見られた強い連帯感は、年月の流れと共に薄れてきたように感じられることがあります。特に、神戸北野の異人館街を歩くと、かつて観光客や地元の人々で賑わっていた場所に、空き家が目立つようになりました。この光景は、地域コミュニティの結びつきの変化を象徴しているように思えます。北野の魅力と神戸エレガンスのビジョン北野の異人館街は、西洋と日本の文化が融合した独自の雰囲気を持つ特別な場所です。その歴史的価値や美しい街並みを、神戸の文化遺産として大切に守り続けたいのです。しかし、訪れる人々が減少する中で、このエリアの魅力をどのように未来へ繋いでいくかが、私たちの課題となっています。私は、この北野を拠点に、新たな形で地域と日本全国、そして世界をつなげる場所を作りたいと考えています。それが"神戸エレガンス"というプロジェクトです。このプロジェクトでは、北野の文化遺産を背景に、西洋と日本の文化が調和したファッションやライフスタイルを提案します。そして、この場所を通じて、多くの人々が神戸の魅力を再発見し、交流を深める場を提供したいのです。北野を未来へ繋ぐために震災の経験が教えてくれたこと、それは困難な時こそ、私たちは手を取り合い、共に未来を切り開いていけるということです。北野の異人館街を再び活気あふれる場所にするためには、私たち一人ひとりができることから行動を始めることが大切だと感じています。今回の大正ロマンのお茶会イベントをきっかけに、地域の歴史や文化を大切にしながら、新しい価値を加えることで、次世代へと受け継がれる場所にしたいのです。震災から30年が経った今、もう一度人びとの団結力を取り戻し、未来への新たな一歩を踏み出せれば嬉しいです。そして、北野の美しい異人館街が、これからも多くの人々に愛される場所であり続けることを願っています。神戸エレガンスを通じて、皆さんと一緒にこの夢を実現していきたいと思っています。
神戸のパンの歴史とおすすめベーカリー神戸のパンの歴史は1869年(明治2年)に始まります。前年の1868年、神戸港の開港によって外国文化が一気に流入し、外国人向けのベーカリーが登場しました。当時、日本人にはまだ馴染みが薄いパン文化でしたが、珍しいもの・新しいもの好きのこうべっこの間に次第に広まっていきました。パン製造の発展明治後期からはパンの需要が高まり、パン製造が活発化しました。栄養価の高さから、パンは般市民にも広がっていきました。大正時代にはベーカリーが増えていきます。そして、1914年の第一次世界大戦では、神戸にやってきた外国人がベーカリーを開業しました。この時代に創業した老舗ベーカリーは今もなお神戸の街を彩っています。神戸のおすすめベーカリー神戸には多くの魅力的なベーカリーがあります。その中から私の独断と偏見で3店舗をご紹介しますね。フロインドリーブ1924年、ハインリッヒ・フロインドリーブが神戸でベーカリー「フロインドリーブ」を開業し、日本にドイツパンを広めるきっかけを作りました。旧神戸ユニオン教会をリノベーションした店舗にはカフェが併設されており、ドイツパンを使ったサンドウィッチが楽しめます。映画「阪急電車」のロケにも使われています。ウェディングの会場としても人気。イスズベーカリー1946年創業の老舗ベーカリーで、「神戸マイスター」に認定されたパン職人が手がけるこだわりのパンが人気です。ドンク1905年創業。「藤井パン」として始まり、現在では全国に展開する有名ベーカリーです。「スクラッチ製法」にこだわり、一つひとつ丁寧にパンを焼き上げています。神戸のパン文化はその豊かな歴史と異文化の融合が生み出した魅力の一つです。ぜひ神戸を訪れた際は、地元のベーカリーでその味わいを楽しんでみてくださいね。




