【活動報告18日目】昨日は朝から、保健室登校に付き添い。9時の開店に向けて、ダッシュで帰宅。事務仕事をこなしながら店番をし、3時間目が始まる時間にまた学校へ。給食の時間には妻とバトンタッチして、再び店番。15時からはスタッフにお店を任せ、飲食店の資金集めのため某銀行へ。三歩進んで二歩下がるような歩みですが、少しずつ視界が開けていくような、そんな感覚があります。その後は、遅れてしまった母の日のお花を買いに、友人の花農家さんのもとへ。帰社後は、厨房機器メーカーの方と打ち合わせを行いました。――と、ここまで書きながら、「なんだかただの箇条書き日記みたいだなぁ」と、ふと物足りなさを感じてしまいまして。今日は少し趣向を変えて、信州に移住して10年目の節目として、私がこの10年間で大きく影響を受けた人やコンテンツをご紹介したいと思います。というのも、そうした出会いや学びこそが、いまのケケケ商店のあり方をかたちづくっていると思うからです。まずは、トップバッター。① 小泉信一さん当時83歳だった、凍み豆腐の師匠。どんなときも動じず、淡々と凍み豆腐と向き合うその姿は、東京で生まれ育ち、サラリーマンとして生きてきた私にとって、とても衝撃的でした。生まれたときから農家であり、凍み豆腐屋であり、自然とともに日々を重ねてきた。その強さとしなやかさ、そしてタフさ。そのどれにも、ただただ痺れました。師匠と一緒に凍み豆腐製造に取り組んだのは、わずか1ヶ月半という短い期間でしたが、佐久市での地域おこし協力隊の3年間は、「師匠に出会うためにあった」と思うほど。それくらい、私の人生にとって大きな意味を持つ出会いでした。先日、祖母が亡くなったときには涙も出なかった私(※詳細は活動報告13日目)が、師匠のときは、本当によく泣きました。「もっと一緒にいたかったなぁ」と思う気持ちもありましたが、そういう言葉以前に、ただ自然と涙があふれました。悲しいけれど、受け入れる。それが自然の摂理であり、当たり前のことなのだと。そんな風に感じられたのは、師匠の生き方と向き合い方を知っていたからこそだと思います。「もういつ死んでも後悔はない」と、あるとき話されていた師匠の姿も、とても印象的でした。だからこそ、その人生に後悔がなかったのなら、傍から私が嘆きすぎてもいけないよな、と当時感じたことも覚えています。そして何より、娘が生まれたのと同じ年・同じ日に師匠が亡くなられたということ。それは、私の人生のなかでも深く刻まれた出来事のひとつです。「もう娘が〇〇歳か……ってことは、師匠が亡くなってから〇〇年か」そんなふうに、節目節目でふとした瞬間に思い出すことがあります。今でも、私の生き方に静かに指針を与えてくれる、そんな存在です。






