見捨てられた?元地域おこし協力隊が日常に寄り添う商店・食堂・下宿を開業します!

2025年4月〜、長野県佐久市岩村田に売店、下宿、飲食店のお店「ケケケ」を順次始動予定。生きやすい地域を目指して、今ここを大切に、ひとつひとつ紡いでいく場所を作っていきます。

現在の支援総額

1,215,390

101%

目標金額は1,200,000円

支援者数

115

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/04/25に募集を開始し、 115人の支援により 1,215,390円の資金を集め、 2025/05/25に募集を終了しました

見捨てられた?元地域おこし協力隊が日常に寄り添う商店・食堂・下宿を開業します!

現在の支援総額

1,215,390

101%達成

終了

目標金額1,200,000

支援者数115

このプロジェクトは、2025/04/25に募集を開始し、 115人の支援により 1,215,390円の資金を集め、 2025/05/25に募集を終了しました

2025年4月〜、長野県佐久市岩村田に売店、下宿、飲食店のお店「ケケケ」を順次始動予定。生きやすい地域を目指して、今ここを大切に、ひとつひとつ紡いでいく場所を作っていきます。

地域おこし協力隊のためのクラファンで、あなたもプロジェクトに挑戦してみませんか?

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

【活動報告28日目】一昨日の活動報告では、班長失格の話ばかりしてしまったので、今日は少しだけ一昨日と昨日の振り返りを。一昨日:日野とのご縁がいくつも一昨日は、出身地・東京都日野市とのご縁をたくさん感じた一日でした。まず、叔母が訪ねてきてくれました。東京ではなく長野で会えたのは、お店をこの地で再スタートさせたからこそのご縁かもしれません。叔母の娘、つまり私の従姉妹はグルテンフリー生活を送っていて、健康に気を使っているそうで、お土産にとたくさん商品を買ってくれました。次は従姉妹と一緒に来てくれるそうで、こちらも約5年ぶりの再会になりそうです。気長に待ちたいと思います。また、知る人ぞ知る私の母校・日野市立大坂上中学校の隣にあった都立日野台高校の先輩が、「クラウドファンディングを応援したよ」とお店に来てくれました!その方も10年ほど前に佐久地域に移住されたそうで、これはクラファンがつないでくれたご縁だなぁと感じています。昨日:冷凍庫のバトンタッチと田んぼ仕事昨日は朝から、「凍み豆腐づくり」をやめて使わなくなった冷凍庫を、佐久の肉まんおじさん宅に届けに行きました!長らく美味しい凍み豆腐を保管していた冷凍庫が、これからは美味しい肉まんを保管することに!捨てられずに第二の人生(?)を歩めることになって、冷凍庫もきっと喜んでいることでしょう。その「肉まんおじさん」ことグランチーノさんは、市内外のイベントに多数出店している有名店。ぜひ、肉まん食べてみてください。 https://www.instagram.com/granchino.asashina/その後は朝8時から田んぼの手伝いへ。2ヶ月近くほぼ休み無しで田んぼ仕事を続けている人たちの前ではとても言えないのですが…、断続的に続く肉体労働の疲れが、そろそろ出てきました!でも、この疲労を乗り越えれば、きっと肉体がパワーアップしているはず…。「60歳を過ぎても凍み豆腐を作りたい」田んぼ仕事の頻度を増やした理由のひとつは、お米をケケケ商店で販売したいという想いもありますが、もう一つの理由は、「60歳を過ぎても凍み豆腐を作りたい」という目標があるからです。30代後半に入り、少しずつ肉体の衰えを感じるようになってきた中で、今の70代・80代の方たちの体力やタフさに圧倒されることがあります。戦中・戦後を生き抜き、農作業や凍み豆腐づくりに人生を捧げてきた世代の方たちは、本当にすごい。でも、そんな方々と比べても、同じようにはなれないと実感しています。事務仕事や接客だけを続けていたら、50歳を前にして凍み豆腐作りが体力的にできなくなるかもしれない——そんな危機感もあります。「ずくなし」な自分なりの健康法とはいえ、「ずくなし」(=長野弁で“根気がない”・“活力がない”)な私は、ジムに通う元気はありません(笑)だからこそ、稼ぎながら体を動かせる農作業に、これからも積極的に関わっていきたいと思っています。幸いなことに、周囲には農作業の手を求めている方がたくさんいます。30代後半の今は、その方たちの力になりつつ、未来の体づくりをしていく期間として過ごしていきます。


【活動報告27日目】いよいよ、残り3日となりました。ここ2〜3日で寄付があれよあれよと増え、ついに80万円を超えるご支援をいただきました。本当にありがたい限りです。「応援してるよ」と声をかけてくださる方も増え、プレッシャーと同時に、大きな励ましを感じています。ただ、そんなふうに応援していただくと、自分がなんだか立派な人間のように思えて天狗になりそうになったり、クラウドファンディングの記事を読んだ方に「80万円も集めるなんて、すごい人なんだろうな」と思われてしまうこともあるかもしれません。でも、それはお互いにとってあまり良くないことかもしれない。そこでこのタイミングですが、今日はあえて、私のちょっと情けない“失敗談”をひとつ、お話させてください。長野県には、生活していくうえで避けて通れない「区」という仕組みがあります。東京にいた頃はほとんど意識しませんでしたが、こちらでは色濃く存在していて、しかも隣の「区」でも運営の仕方がまったく違っていたりします。その「区」には、住民になると半自動的に加入することになり、色々な役割が回ってきます。区長をはじめ、副区長、青少年育成委員、班長などなど。私も何度かその役を経験しました。私が班長だったときには、「班員の方から集金する」という役目がありました。当時の班員は6名ほど。集金内容は、区費や赤い羽根募金、その他もろもろ…。たしか、2か月に1回くらいは集金に回っていた記憶があります。しかも、班員の方が不在の場合は、再訪しなくてはならない。だんだんと「これ、いつまで通い続けるの…?paypayは無理にしても、私の家のポストにお金入れといてくれれば良いのに」と嫌になってきて、社会福祉協議会に電話をして「赤い羽根募金と寄付金募集、同時にやってくれませんか?」と相談したこともあります。小さな抵抗です。でも、そんなことをしても回ってくる、回覧板と集金依頼…。そして私はとうとう、“禁じ手”を使うことにしました。「集金せずに、自腹でまとめて払ってしまおう!」という作戦です。「全員が寄付してくれた」ことにして、あとからもらえばいいや…と思ったんです。が、バレました。当時の区長から、保育園に娘を送った帰り道に電話がかかってきて、こう言われました。「集金、行ってないよな?でもお金は来てる。不思議だな〜。もしかして…お前が払ったのか?」「もし班員の方が本当に払わなかったらどうするんだ?連絡があったぞ」と。完敗でした。今でも冗談を言い合う仲の区長さんですが、きっと私の性格を見抜いていて、気づいていたんでしょうね。「たかが集金、されど集金」。この地域に長年住んでいる人たちは、どの時期にどんな集金が来るかをちゃんと把握しているんです。私の作戦は、あっさりと崩れ去りました。自分が納得しないと動けない私は、こうして少しずつ地域の人たちが大事にしている「慣わし」との妥協点を探ってきました。移住したての頃は、納得できないことには全力で抵抗していましたが、あるとき「何を大事にしているかが文化である」という話を聞いて、腑に落ちました。それ以来、無理のない範囲で「調整して歩み寄る」ことを実践しながら、暮らしています。


【活動報告26日目】今日は朝から田んぼの手伝いへ。お世話になっている米農家さんは、ようやく折り返し地点が見えるかなーって感じでまだまだ先は長い。地域の個人農家さんたちは、全体の半分くらいは田植えを終えたようです。今週末を過ぎれば、作業もだいぶ落ち着いてくるかもしれません。そんな中、農家さんのスタッフの方がふと「午後は葬式だから抜けるねー」とひと言。まるで日常の一コマのように、さらっと。そういえば先週も、似たような会話を耳にした気がします。佐久市の年間死亡者数はおおよそ1300人。単純計算で、1日に約3人が亡くなっていることになります。それほど珍しいことではなく、地方都市では、ドラッグストアや飲食店が閉店すると葬儀屋や福祉施設に生まれ変わる──そんな光景もよく見かけます。この何気ないやり取りから、ふと思い出したのが、ポッドキャスト『働くことの人類学』で語られていた「仕事よりも私生活が優先される文化」の話です。東京で働いていた頃は、友人の結婚式や親族の葬式ですら、仕事を休むのはどこか気が引けるものでした。でも長野に移ってからは、そうした“お休み”もごく自然に受け入れられる空気があります。そして、パプアニューギニアのある部族では、仕事は“人生のおまけ”のようなもの。一方で、日本の都市部では“仕事”が人生の中心に位置づけられることが多い。「東京の“仕事第一主義”と、パプアニューギニアの“私生活第一主義”は、対照的」と語られていたのが印象的でした。そう考えると、長野はそのちょうど中間、両方の“いいとこ取り”をしているような土地なのかもしれません。“せわしなさの中にもユルさがある”ような、そんなバランスの地。もちろんコロナ禍を経た社会の変化もありますけど。▶ 気になる方はこちら:https://open.spotify.com/episode/4WjpUAfpiDpmjiPyzCChuJ?si=9f816c282d8f4854そんなことを思いながら、今日も農家さんにお昼をご馳走になり、午後イチでリサイクルセンターへ。飲食店で使うテーブルやシンクなど、少しずつ備品の調達も進めています。夕方からは店番と事務作業。消費税は「分割納付も可能」とのことで税務署に相談し、70万円超を3回に分けて納めることに。少し安堵。そのあとは売上データを眺めつつ、ふと一つ思案。最近の傾向からすると、営業時間を「朝9時→10時スタート」「夕方18時→19時終了」にした方が、お客さまの生活リズムに合うのでは?まずは夏休みに、試験的に延長営業してみようか…と考えています。


【活動報告25日目】今日も娘は登校できませんでした。朝から妻と少し揉めたようで、10時頃に2人で出かけていきました。夕方17時になって、車で1時間ちょっとかかる動物園まで行っていたことが分かりました。20時頃に笑顔で帰ってきた2人の様子を見て、「まあ、そんな日もあっていいよね」と思えました。私はというと、開店前に草刈りをしたりしながら、15時頃までは店番。昨日はお客さまが少なかったですが、「まあ、こういう日もあるよね」と受け止めています。急に30℃を超える暑さが続いているので、外出しづらいのかもしれません。その代わりと言ってはなんですが、クラウドファンディングの寄付額が70万円を超え、支援者の方も50人を突破しました!宣伝に協力してくださった皆さま、本当にありがとうございます。残り5日間、引き続き全力で頑張ります!15時半からは、税理士さんと前期決算の打合せ。3年間お世話になりましたが、今回の決算をもってしばしのお別れです。道の駅から離れたことで、しばらくは売上も利益も落ち込む見込み。また創業当初のように、独学で帳簿をこなすことになりそうなので、そのコツを教えていただきながら、決算の報告も共有していただきました。2020年からの5年間、なんとか売上は右肩上がりで成長を続けてきました。この「ケケケ商店」でも、そんなふうに必要とされる場所になれるよう、これからも努力していきたいと思います。写真は、先日散歩した近所のお寺で撮ったもの。ケケケ商店からほど近い龍雲寺さんにある、武田信玄公のお墓にお参りしてきました。ケケケ商店のロゴは、私が凍み豆腐屋を始めたときに作ってもらったもので、3つの凍み豆腐の連なりには意味があります。それは、武田信玄公の時代、小泉信一さんの時代、そして私の時代——この地域で続いてきた3つの時代の凍み豆腐づくりを表しています。500年の歴史を持つこの地域の凍み豆腐。いずれはまた、自分の手で作りたいという夢を抱きながら、日々の仕事に励んでいきたいと思います。


【活動報告24日目】今日は朝から登校がうまくいかず、学校に着いた途端、娘が「学校にいたくない。一緒に帰る」と繰り返しました。仕事のことを少し忘れて、1時間目は図書室で付き添いましたが、状況は変わらず、一緒に帰宅することに。5月上旬には、一人で保健室にいられる日も増えていたのに、先週からまた半年前のような状態に戻っています。昨晩、大町市からの帰り道、娘がぽつりとつぶやきました。「なんで一人で学校行けなくなっちゃったんだろう。前は行けてたのに。」学校に行けないのは仕方のないことだし、本人に悪意があるわけではありません。彼女自身、私の余裕がなくなることにも気づいているようです。無理に通わせるつもりはありませんが——それでも、まだ小学2年生。親の付き添いが必要な状況で、「4人に1人の親が休職・離職している」というデータも、もはや他人事ではなくなってきました。妻は3月で離職しましたが、食堂の準備は大幅に遅れています。5月オープン予定だったものが、今は8月を目指す状態に。資金的にも余裕がなく、メニュー案の作成、銀行や保健所との相談、食堂の工事調整など、気づけばすべて私のタスクリストに加わっていました。そんな今朝。心に余裕のないところに追い打ちがかかり、思わず娘にきつく当たってしまいました。すると彼女の不安はさらに強まり、妻への依存も増していきます。私が妻に準備の遅れを責めると、二人はますます閉じこもってしまう——負のループです。この悪循環を断ち切る鍵が、実は下宿事業にあります。売店はスタッフに任せられるため、たとえ食堂の準備が止まっても、下宿が安定すれば私にも少し余裕が生まれ、再び食堂に手が回るようになるはずです。もともとは、部活やバイトが難しい通学困難な高校生のために始めた構想でした。でも今では、資金繰り、家族の特性、自分たちの暮らしの安定——あらゆる現実がこの事業を突き動かしています。……でも、それって案外、どこでも同じかもしれません。「地域のため」と言いつつ、実は虚栄心や野心で事業に挑む人。自分だけ得をしようと、光熱費をごまかす人。やりたいことがあって地域おこし協力隊になる人もいれば、逃げ場として選ぶ人もいる。人は誰しも矛盾を抱えながら、それでも「どう在りたいか」を模索しながら生きています。そんなことを考えていたら、ふとコテンラジオの「オスカー・シンドラー編」が思い浮かびました。人の選択は、「どう見られたいか」だけでなく、「どう在りたいか」にも左右される。そして、いつその選択をするか——つまり「時間」も大きな要素になる。余裕があるときか、ないときか。善意を見た直後か、悪意にさらされた直後か。その時々の文脈や流れを汲み取り、多様なあり方を認める姿勢が必要なのだと、あらためて感じました。だからこそ、クラウドファンディングで寄付をしてくれる人は、本当にカッコいいと思うんです。誰かを応援するという選択ができる、そんな自分になってみませんか?応援される立場の人間が言うのは、ちょっとこそばゆいのですが……本当に、そう思うんです。妻と娘が寝たあとのこの時間に書く活動報告は、仕事なのか、迷いの記録なのか、自分でもよく分かりません。でも、たしかなことがひとつあります。——この営みも、きっと未来につながっていると信じています。


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!