45年の灯を次の世代へ──tottoriカルマ戎町店の閉店を“新しい船出”に

2025年12月tottoriカルマは11年間の幕を閉じます。東京での34年間を足すと、45年。しかし運営者75歳の今、諦めて「全て仕舞う」町の明かりを消す選択は出来ません。次の航路へ舵を。市内拠点「トりんく まんまる」を、ブックカフェ✕私設図書✕小さなイベントスペースへ“新しいカルマ”始めます。

現在の支援総額

3,549,177

118%

目標金額は3,000,000円

支援者数

478

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/11/01に募集を開始し、 478人の支援により 3,549,177円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

45年の灯を次の世代へ──tottoriカルマ戎町店の閉店を“新しい船出”に

現在の支援総額

3,549,177

118%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数478

このプロジェクトは、2025/11/01に募集を開始し、 478人の支援により 3,549,177円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

2025年12月tottoriカルマは11年間の幕を閉じます。東京での34年間を足すと、45年。しかし運営者75歳の今、諦めて「全て仕舞う」町の明かりを消す選択は出来ません。次の航路へ舵を。市内拠点「トりんく まんまる」を、ブックカフェ✕私設図書✕小さなイベントスペースへ“新しいカルマ”始めます。

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カルマの始まり、の、はじまり1980年〜中野時代(連載3回目)さて保育園のお仕事は、やりがいはあるし熱心に働いていたけど、も〜どーにも約束した時間に始動できない。上の人に「実はこんな感じで…」と打ち明け、相談の末に、やっぱり退職させてもらう事になった。今あの時お世話させて貰った小さな子達は、もう40歳過ぎの立派な大人に、きっとなってるはず…(ビックリ(@_@;)時の流れ)その後、だいぶ経ったある日、中央線に乗ってたら新宿で「あの、失礼ですが◯◯保育園の丸山先生でしょうか…!?」って1回だけ声を掛けて貰った。園児のお母様だった。その途端、ゴワッと当時の事を思い出して何だか小汗をかいてしまいました。懐かしいあのギリギリだった日々…みんなどーしてるのかな〜。そーいえば、保育園退職してすぐ「ウヒョ〜自由な時間がたぁくさんあるゥ〜!そーだ今しかナイ!行っちゃうぞお」とかってアホと化して(若かったのよ…)ジャマイカ行って音楽フェス参加したりしたな〜。「日本人が大挙してやってきた」って、現地では新聞ネタになったらしい。(ボブ・マーリーが亡くなった直後くらいだった)さてお店に戻って…最初に揃える道具によって、お店のその後の歩みも決まる!と、道具や設備はしっかり揃えることにしたのでした。それで厨房にはドカンとでっかいオーブンのついた三口ガスレンジを入れてもらった。そしてこの決断、その後すんごい大吉と出たのでした。あのバカでかいオーブンは、カルマが「喫茶店」の枠からビョ〜ンと飛び出て、様々な料理を生み出す言わば「料理の実験工房」となる為の大切な礎となった。それはカルマで働いた人の、その後の人生すらちょっこり変えたのではないだろうか。オーブンの活躍、ホントに凄かった。でも夏は暑かったな…モ〜アッヅ(;´Д`)アヅウさあ、お店がオープンして3ヶ月も経った頃。ランチと夜飲みが中心になったけど、まだ隙間時間は手持ち無沙汰…。「お茶の時間位とかにも、もっとお客さんに来て欲しいね」ということになって、ヨシそれではというので自宅でケーキを焼いていた枝元さんが「お店でケーキ焼こう!」と言い出した。それがね、最初はケーキ型が無かったんです。ので、枝元さんは「タルトタタン」りんごのケーキを本から見つけ出して一人黙々と挑戦してくれた。それならフライパンでできるから!って。一生懸命ごそごそと素敵な作業が行われ…そのうちに、おおなんと!素晴らしく甘酸っぱい香ばしい香りが店内いっぱいに立ち込め始めたのです。「さ、そろそろいけそうですよお〜」おおお。なんとワクワク。大皿を一度フライパンにかぶせ、ひっくり返して軽く底を焼いて出来上がり!だと言う。もうたまらない、りんごの甘酸っぱい香り!わたしも脇で固唾を飲んで、焼き立てを試食させてもらおうとフォークを握り締め(今更ですがとても食いしん坊なのです…)お茶の用意をして待つ。「もういいかな〜」と枝元さんがオーブンからケーキを取り出す…そして、そっと持ち上げて底をみると…焦げ…(TдT)しっかり黒焦げだった。ボエ(TдT)ボエエエ〜ン固唾を飲んで待っていたスタッフ(私も)と枝元さんは全員でガックリとしょげ返ったのでした。でもよく見ると、焦げてないりんごのトコはすごい美味しそう…!という事で、ファーストケーキのタルトタタンは時間をかけて丁寧に焦げを削り取り、お茶と一緒にみんなで美味しく戴いたのでした。焦げてもホントに美味しかった!まだ、大型の業務用ガスオーブンの扱いに慣れていなかった極初期の頃。失敗も多かったけどそれにめげずにどんどん試して試して、みんなで色々楽しく挑戦した時期でした。そして、この初期の頃に色々何でも試してみた事が、後々、大きく実を結ぶ事になったのです。今回の写真は、初期によく枝元さんが見ていたケーキの本 「マドモアゼルいくこ︰秘密のケーキづくり」です。手描きのイラストだけで写真は無かった。面白い名前のお菓子が並んでます。この続きはまた明日(*^^*)※この記事をご覧になった方の中でこの頃のカルマの様子がわかる写真、どなたかお持ちですか?是非ご連絡ください〜!(1980〜2000年のもの)本日までに、200名様からご支援とたくさんの応援メッセージを戴いております。引き続き頑張らせてください!みなさんからも少しでも多くの方に鳥取の魅力を伝えていただけたらと思います。何卒、拡散よろしくお願いします。#残り41日#達成率58パーセント #300万円まであと124万円#ケーキづくり


カルマの始まり1980年〜中野時代(連載第2回)クラウドファンディング活動報告、第2回です。現在、達成率56%、支援者の皆様の人数は183名様となりました。御支援募集終了日まで、あと43日。そしてtottoriカルマ…!戎町の店舗での営業も、あと31日となりました。さて本日は、前回までの続き。約45年前、tottoriカルマの前身である中野のカルマがどう始まったか、その“始まりの始まり”のお話。「中野カルマ」の場所が決まり、「さあ、やるぞ!」とモゴモゴお店が動き出します。私がお店をやりたかったのは、前回の枝元なほみさんの話でも出ましたが「人が集まり化学変化を起こして楽しさの生まれる場所」を自分で作りたかったから。ロック喫茶の「高円寺movin'」での経験や、保育士として子供達と過ごした日々から、人が集まる場所には面白い事が起こる。そのワクワク感、スパークする輝きを見ると「生きるのって、やっぱりスゴい事だな!」って思える。そこに美味しいゴハンや飲み物がいつもあれば、もうサイコーじゃない?「良いお店だな。やっててホントに楽しい。そんなお店に…!!」とココロの中で静かに拳を握り、今までは自分の頭の中にしか存在しなかった物を現実世界に出すべく行動を開始しました。まずは枝元さんに入ってもらうのは勿論、事前に根回ししていたネパールやチベットから帰ってきた知人、フリーの雑誌編集者、新宿のラウンジにお勤めの方など5、6人に声を掛けて協力してもらう事に。それでこれは、みなさんも何となく肌感として「そうだな」って思うかもですが「オーナーが店舗決めてメニュー決めてバイトさん募集して営業時間指定してマニュアル通りに働いて貰う」…って「わぁ楽しそう!!」ってこう…ワクワク!!みたいな感じ出て来にくいかなって。なのでそんな感じは、も〜すんごく避けたかった。何の為に今までアチャコチャ嗅ぎ回ってみんながスパークする為の場所になるようにって魅力的な人達に頼んで回ったのか。やっぱり、何とかその場所に集まった人達が醸すものが最大限に生かされる場所になるといい!メニュー決めてマニュアル作って「この通りに!はい万事守って働いて!ホラそこミリもはみ出さないで!」なんて…。それは何か、超絶良い酵母が沢山揃ってサァ美味しいパンやオサケができそうって脇から塩素の消毒タンク持って「消毒しま〜ス!」って辺り一面マッ白ケみたいになっちまう。ので、ですね。まずはみんなで集まってテンでに好きなものワシワシ飲みつつ食べつつ「どんなメニュー出したら自分達がやってて楽しいか?美味しいか?何が好き?」と、どんどんアイデアを出してもらいました。ネパール帰りの人からは「チベタンモモ」が出ました。これは皮を粉から作るので、後々カルマ内で様々な粉ものメニューへと広がっていく基盤となる、歴史的メニューとなりました。そしてやっぱりカレーは欲しいよね、どんなのがいいかな、と色々して「ナスとひき肉のキーマカレー」に決定。枝元さんは大型スーパーでその頃やっと出回り始めた輸入品、それも珍しい物を試しに使ってみる事が大好きだったのでスパイスについても詳細に調べ上げ、これまたカルマ内で長々と作られ大きく育ってゆくスパイス料理への流れを作ってくれました。美味しくなるなら何でも試して、色々な料理方法を混ぜ合わせていこう!そんな非常にオリジナルな料理作りへ広がっていくベースが、この「始まりの始まり」の時期に作られていきました。して私はトマト好きなので、当時の料理本を参考に「南仏風トマト焼き」も考案…お醤油と日本酒が決め手ってドコが南仏だよって感じですが、言われると「そうかな」って味になるのよ。トマトは焼くと、元々持ってる味わいがめちゃくちゃ強くなるし、ちょと時間は掛かるけど美味しいしね。こうして…みんなのアレコレなアイデアから、お店のメニューやその後お店の後々にまで長く続いていく「カルマの性格のベース」のようなものが少しづつ、着実に形作られていきました。そして店名。覚えやすさを重視した。のと、その頃読んだ藤原新也さんの「チベット放浪」に載っていた「カルマ」という言葉がやけに印象深かった。自分の「こんなのやりたい!」っていう「人生のナリワイ」と重ねたって部分もあります。仏教用語としてマイナスイメージもあるけれど、だからこそ誰もつけない唯一無二の店名となるかな〜と。今でもとても気に入っています。さて1980年当時「カフェ」という業態はまだ今ほど確立されておらず「カフェバー」が出始めたばかり。個人で気軽に開けるような業種ではなかったけれど、何しろ私のナリワイ。心強い仲間たちもいるしな!と1980年7月「中野カルマ」は世の中に漕ぎ出しました。オープン初期、こんな変わり種を珍しがってよく来てくれる、デザイナーのお客様にメニュー表作りも依頼。当時とても好きになって読み込んでいた、玉村豊男さんの『料理の四面体』のトレーシングペーパーを使った洒落た装丁ぽくして、表紙の次にメニューが透けて見える凝ったデザインにして貰った。仏教ぽい鹿のマークも作り、色々なお客様グルグル巻き込みながら、やりたいことヽ(=´▽`=)ノナンでもやったもん勝ち〜って感じのお店作りでした。までもそれはそれとして、現実のシビアなトコも見ないとです。開店当初から頻繁に飲みに来てくれる大グループのお客様がいてくれたのはめちゃくちゃ助かりましたが、お店のオープン時間は朝11時から夜12時まで必須!1人2人ではとてもできません。しかも、オープンしてるからって、必ず集客がある保証は無かった。今みたいなSNSも全て無い時代、資本力や人脈がある店と違って、膨大な数のお店の中からピョッコリ出てその存在を人に伝えるのは至難の業です。その点についてはホントに苦労しました…。何しろお店のストックは宝石や木材とかではない、生鮮食品。時間とも戦わないといけないのです。加えて毎日、夜12時まで営業し時にゲストに付き合ってから閉店すると自動的に帰宅はAlways深夜。開店初期は保育士を兼業していた私は遅刻が続き、当然大叱責!を受けました。さて始まりは始まったけど早速どうなったかというのは…また後日。どーぞオタノ♫ヽ(=´▽`=)ノ♪シミニ〜写真は今年亡くなってBIG ISSUEの表紙になった故枝元なほみとこれはカルマ時代かな?というものです。#枝元なほみ #BIG ISSUE#お店開店#クラウドファンディング#料理の四面体#キーマカレー#中野カルマ#tottoriカルマ#高山なおみ   #高円寺movin'#カルマ物語#アイデアどんぶり料理徳間書店#原点 #56パーセント達成#300万円まであと131万円続きはまた明日…


現在達成率54%!163万円のご支援をいただいています。 今日は…えーと、tottoriカルマの原点というかキッカケについてお話しさせてください。◆カルマを始めたキッカケ2つ◆45年前の東京。私は「丸山君は適任だと思う」と勧められて保育士(まだ現在のように呼び名が確定してなくて「保父さん」と呼ばれてました)の仕事に就いていました。自分が何をしたいのか、30歳近くになっているのに全然定まっていなくて、まぁでもとりあえず楽しくて(寝かし付けの時に一緒に寝ちゃったりして怒られたりしてたけど)やりがいもあったし、熱心に働いてた。そんな時に、東京国立の枝元さんの家で食べたゴハンが…これが何とも凄くて。その当時は枝元なほみさんは、まだ私の音楽好きの友達が「彼女です」って紹介してくれた通称「ねこちゃん」で、超無名の普通のお嬢さんだった。でその彼女が特別お買物なんかしないで、ササッとその時冷蔵庫の中に入っていた残りものやその他適当な材料だけで作ってくれたゴハンがね…。1つだけ灯る裸電球の下、丸いちゃぶ台を囲んで音楽仲間みんなで食べたそのゴハン…!もうなんとも美味しくて、もうもうアフアフしながら一生懸命食べてしまった。その後も何回も遊びに行く毎にササーと出てくる超絶うまうまゴハン。そのうち「ウウ〜ン…こんなゴハン出てくるお店をやりたい!」とお腹の底から思うようになってきたのです。人の集まる場所。様々な人が出たり入ったりしてその辺にテキトーに居る事で化学変化的に思わぬ発見やアイデアがパチパチとスパークして生まれてくる瞬間。美味しいゴハンや目新しいお茶がいつもあって、更にいつもワクワクする熱々の坩堝の中みたいな時間に立ち会える楽しさを体験する。自分が経験した、そんな場所を何処かに出現させたい!作りたい〜!と思うようになっていて、もしそんな場所できたら枝元さんにゼッタイにスタッフとして一緒にやって貰う!とココロに決めたのでした。もう1つの原点は「ほうれん草」でした。「ほうれん草?」って不思議に思われるかも…ですね。季節は寒い冬の事だったのですが、寒いサムイ〜ってガチガチ凍えて帰ってきたコドモ伊太朗少年に母親が「これで手を洗いなさい」って、ほうれん草を茹で終わった温か〜いお湯で、手を洗わせてくれたんです。外気温と同じくらいに凍えた指をフンワリ芯まで温めてくれたお湯は、優しいピンク色をしていました。当時は戦後、やっと10年たったぐらいの時。湯沸かし器も冷蔵庫も、まだ普通には無かった時代です。伊太朗少年はそれから、ほうれん草とキッチンがとても好きになりました。今でも、キッチンには人を癒す力があると固く信じています。火と水が同時に存在する場所ってのが良いよね!人の心とお腹を温める。そこで働く自分達も楽しい。そんなお店をやりたい!と、遂にキリの良いトコで保育園を辞めました。そして普通は「ドコか好きなお店で修行して…」となると思うのですが、ゴハンだけ美味けりゃいいってアレでも無かったのでそーゆー事は全くやらず、とにかく「食べる事がとにかく好き!」「人にゴハンを振る舞う、人と一緒にいることが好っきい〜!」という人達を手繰り寄せてひたすらメンバーになって貰って1980年。たまたまそんな潮目になった開業チャンスの波に乗っかって、中野駅北口から徒歩40秒のところに「中野カルマ」は、たまたま誕生したのでした。長くなりました。この続きはまた明日〜( ´∀`)本日の写真tottoriカルマを気に入って戴き、よく食べに来てくれるお客様が、大阪の友達を誘って来てくれましたヽ(=´▽`=)ノなんと!皆様お揃い!!カルマTシャツカワイイイイ(∩´∀`)∩ワーイ本日も沢山のお客様!感謝であります!もう一枚の写真はスタッフゆかりさんと今日のケーキ「コーヒーブラックペッパー」 美味しくふっくら焼けました。鳥取カルマ︰閉店まであと33日#カルマ物語 #アイデアどんぶり料理徳間書店#原点#人生を変えた一杯 #食事を作る事クラファン継続中!応援何卒よろしくお願い致しますhttps://camp-fire.jp/projects/884031/view


11月15日(土)支援してくださった皆様がΣ( ´∀`)bナント!!現在165名様&続々増加中…感謝感謝であります!土曜日の夜、いかがお過ごしですかこの1週間で、なるべく多くの方にこのクラファンを知って頂こうと、めちゃくちゃ沢山メールを送りました。私の各種SNSのフォロワーさん全てに伝えたく、日夜慣れないパソコン作業をしています。人によってはお知らせが重複していて「ええ〜何度も来るなぁ」と思われた方もあるかと思いますスンマセン…ゴメ(;´Д`)ンヌいやそれがね…そうすることで、もう随分と会っていない方と話せたりやり取りできたり「お店には行った事がありませんが応援してます!」とメッセージ(TдT)いただいたり。クラファンの達成を目指してやっている事、なんだけど、その道はただ単に乾いたビジネスみたいな道じゃなくて、とても美しく薫り高い花を見たり美味しく実った艶々の果物をドッシリ貰ったり…的な事が起きるんだなと感じています。そうだったな…と改めて気付いたのですがカルマはずーっと、そして並行してやってきた「シェアカフェ」(こんな単語も無い頃からやってたから普通に通じるようになった現在、今昔の感しきり…)も、単なる「経済活動の為の一手段としての飲食店」としてやってきたんじゃなかったな〜…としみじみ。色々な人が、何らかのフィルターで選別されずに自由に楽しくフラッと集い、面白い事がいつも何かしらパチパチと起こる。毎日が静かに輝き出すような、そんな場所を作っていたかったのだ。そんな事を考えたり休憩してポケーとしたりしながら、それでも毎日コツコツ作っていったカルマというお店を介して出会った人達との、改めて再会って感じの最近。子供が生まれ、その成長を一緒に見ながらお店を立ち上げてやってきたんだった。よくお店の休憩時間に、並べた椅子の上でギチギチ寝転がって子供達をお腹に乗せてシアワセなんだけど結構な圧迫寝したりしてた。台湾の昔の映画ぽい笑そんな、家族が集う場所だったり、はたまた遥々海外からやって来て中野でシェアスペースに住んでた方々の毎日の交流の場所であったり。ありとあらゆる人の交わりが濃密に連綿と続いて45年…そして今ココ。何か1つ欠けても、今は無かった。仕事帰りに絶対必ず寄ってくれてゴハンを食べていくというお客さんが居たり、いつもお腹空かしてる若い学生さんのスタッフはアルバイトに入ってくれた時にはフトコロにどれくらい入ってるか、なんて気にしないでお腹いっぱい賄いを食べられた。そういう、どんな人にもそれぞれ居心地が良い、世界に時々冷たく吹く風をひとときでも凌げる場所であって欲しかった。だって自分もそういう場所あると圧倒的に世界を好きになれるし心が助かるんだもの。そんでそーゆー居心地の場所って何でだか「会いたいなーどうしてるっカナ〜」みたいな友達と偶然の再会の場所になったりするんだよね。カルマでも時々そんな光景をよく見てた。人ごとでも嬉しいんだよね。沢山…!!こころ一杯応援してくれた165名の皆様、全員に色々な色合いのストーリーがあって、その物語の1ページに私もちょこっとでも関われてきたんだなて事を思い出す、改めて知る幸せ。この投稿を読まれた方の中にも元スタッフやシェアカフェで関わってくれた方、またお客さんとして来てくれていた方、或いは何だか詳しくは知らないけど実はよくお店に行ってたなぁ、こんなことあったあんなことあったな〜等々、もしエピソードお持ちでしたら是非、お送りください。丸山のメールmarunage@me.comもしくはインスタフォローしていただいている方はDMでも!良かったらメッセージ書いて送ってね!よろしくお願いします。現在の達成率:52% 残り日数:46日来週からは、今までのカルマのアーカイブ的ストーリーとこんな感じのスペースを今後どうやって続けたいのか、そして今までの場所に関わってくれた人のエピソードご紹介等、お伝えしていければな〜と思います。 週末も変わらず営業しますよ! 今日は浜坂蟹祭り開催の魚市場に出店してきました。カルマ店舗では☆星のソムリエ カジタニ君☆が、彼の撮った写真を空間いっぱい展示されてカルマに夜空が出現中!星に関する楽しい話も沢山聞けますよ〜。それでは皆様、素敵な週末を。 そして、重ねて!!本当にありがと〜ございます!!日数いっぱいまでまだまだ頑張るよ〜!#鳥取カルマ #カルマ日和 #クラウドファンディングhttps://camp-fire.jp/projects/884031/view


応援者さん@canowcanacoからの投稿を載せさせていただきます。阿佐ヶ谷 canow突然ですが、丸さんの応援投稿です〜わたしがキャナウにたどり着くまで。2002年くらいから2008年までの間に、10個の出会いがあって。導かれるように、わたしはキャナウにたどり着いた。その3番目に出会った人物が丸さんこと、丸山伊太郎氏だ。(何かにまとめたいと思って挑戦してるけど、うまく書けない。)丸さんはわたしが生まれる前から既に東京中野に無国籍料理カルマをはじめていて、今は鳥取でtottoriカルマをしてる。今では当たり前になってるシェアカフェを既にはじめていて。私は学生の頃に丸さんに出会い、2002年か3年頃、シェアカフェの一員にさせてもらった。丸さんからは、繋げること、場作りの楽しさを教わってしまった(でも、私には難しくて。改めて尊敬している。)それから2008年までに10個の出会いを通して、わたしも場、店を持つことになった。この20年でも世情はいろいろ変わるし、周りも変わるし、変化する環境の中でも同じように店を維持するのはとても困難なこと。それでも、一度きりの人生、キャナウをやれてることは有り難いことで。困難も多いけど、楽しくやり甲斐もあって…わたしならではの繋ぎの場作りができていたら良いと思ってる。そんなわたしならではの生き方ができているのは…この10個の出会いのおかげであり、この10個に出会ったせいでもある続けるのは大変だけど…ギリギリまでやり遂げたいわたしも、どう終わりを迎えるのか気になるところでもあって。終わらせるつもりはないけど、いつかの未来には…絶対くるであろう…キャナウの末路はどうなるのか…途中、どんな事ができるのか…を見届けるため、そんなことも楽しみに…今を精一杯生きているような気もする。できればやり切りたいなぁ〜わたしをキャナウに導いた10個のうち。ずっとそのままでいるのは3つかもしれない。ずっと同じでいてくれるって貴重なんだ。そして、続けるために、形を変えるって変えられるって大事なこと!そんな丸さんが。つい最近…年内で店を閉めると知って、ついにそうか、そう決断したのか。そして、丸さんの出向く場所がカルマになるんだな…それいいな!きっとわたしもそうなるな…って場を手放すことにちょっとホッとした気持ちもあったんだけど…また決断したんだ。クラウドファンディングを立ち上げて、次の場作りを…試みているらしい75歳にもなって、まだまだやるなんて…目眩がする想いだけれど…わたしだってまだまだ弱音を吐いてる場合じゃないよなと背筋が伸びる思いだ。(てか、丸さん75歳なのか!あの頃より若くなってないか!???)まだまだ続けるんだないや、繋げるんだね。そんな未来なんだなすごいなわたしにも出来るかな?いつもそう思わせてくれる。わたしも常に崖っぷちで(クラファンの文章読んでてこの歳でも分かり見が深い)手助けできる立場にないので…気持ちが動いた方は見てみて下さいそして、年内の閉店までにtottoriカルマ是非行ってみて下さい。わくわく新しい風を吹かせてくれるはずそして…わたしも鳥取のお店に行きたいけど店があるから行けないんだよね〜 (ってことばっかり言ってる。もっと動けるようになりたい。)だから行けた方はレポもしておくれ〜。と、言いつつ、いつかわたしも行く日を作りたい。いつかの未来に!だからこそ、繋いで欲しい。行きたい行きたいばかり。早くなんとかしなくちゃ人生終わっちゃうよね突然ですが。キャナウができるまでの10個の出会いの中の1つ。丸さんの応援投稿でしたキャナウもどうぞ、宜しくお願い致します


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