45年の灯を次の世代へ──tottoriカルマ戎町店の閉店を“新しい船出”に

2025年12月tottoriカルマは11年間の幕を閉じます。東京での34年間を足すと、45年。しかし運営者75歳の今、諦めて「全て仕舞う」町の明かりを消す選択は出来ません。次の航路へ舵を。市内拠点「トりんく まんまる」を、ブックカフェ✕私設図書✕小さなイベントスペースへ“新しいカルマ”始めます。

現在の支援総額

3,549,177

118%

目標金額は3,000,000円

支援者数

478

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/11/01に募集を開始し、 478人の支援により 3,549,177円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

45年の灯を次の世代へ──tottoriカルマ戎町店の閉店を“新しい船出”に

現在の支援総額

3,549,177

118%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数478

このプロジェクトは、2025/11/01に募集を開始し、 478人の支援により 3,549,177円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

2025年12月tottoriカルマは11年間の幕を閉じます。東京での34年間を足すと、45年。しかし運営者75歳の今、諦めて「全て仕舞う」町の明かりを消す選択は出来ません。次の航路へ舵を。市内拠点「トりんく まんまる」を、ブックカフェ✕私設図書✕小さなイベントスペースへ“新しいカルマ”始めます。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

小さな無国籍料理店カルマ中野時代乃終焉と鳥取時代2012年〜2025年START〜END(連載9回目)◆東京/中野→月1鳥取◆さて出店は盛況&楽しく終わり(素材の鮮度と豊富さ、安価な事には脱帽過多&( TДT)泣)そして生来の美味しい物好きなカルンの薫ちゃんが満を持して、翌日のお昼に北海道に連れて行ってくれました。「北海道…!!」海鮮やお寿司好きな方々、店名聞いて心臓がヨロコビdeぎゅっとしますかね…また詳しくアレするので多くは語りませんが。その他、鳥取的美味…各種様々教わりました。しかして、美味しいもの好きが同志的美味しいもの好きを素敵にもてなそうとすると何が起きるか。端的に言うと「その土地にお腹の底から惚れる事になる」のですよね。そして当時、オーナーチェンジによる閉店目前の中野カルマの開店候補地になりそうな場所を手当たり次第…香川や長野など…を探して旅する中で、人との繋がり方やその距離感、肌合いが1番合いそうだと思った所。それが鳥取だった。お腹の真意や大人の事情により鳥取に惚れた私は、東京に戻ってからお寿司を食べなくなり(鳥取で食べ貯めする)そして時折鳥取のアレコレを思い出してはポヤ〜とする事が増えた。人生初鳥取から1ヶ月後、再び長距離バスに乗りました。そう、鳥取が呼んでるから!!そのうち、月に1度は必ず通うように…。鳥取市。大きな空と、使い回してないまっさらの、水と緑の薫りがする甘美な空気。新鮮で安価なとれたて美味と安らかなる天然温泉、美味しいお水と静かな街。宝石のような海、そして、その頃知り合った興味深く、ジェントルな気質の人々。当時何だかみんな、場所作りに頑張っていた。ゲストハウスたみ、夜長茶廊、汽水空港始動前の森くん。そして森の生活者やタオカフェさん。その、キラキラした新鮮な始まりの空気感!UターンIターン、そうなんだ鳥取良いよね!楽しくやろう!そんな鮮烈な流れをビシビシ感じた。そんな街で、自分に何ができるのか…。物件見学に動き回り、色々な方々に話を聞く日々で耳寄りな情報が入って来ました。「丸さん、面白いビルの1部屋が空いたみたいだよ」その話には何だか、これは!!と思わせる煌めく光を感じました。そして年明けすぐに、そのビルに行く事に。◆鳥取のナイスなビル&図書室が見つかる◆そのビルは今、Tottoriカルマの目の前に建っている「上田ビル」でした。空いていたのは素材感剥き出しのカッコいい部屋。ピスタチオグリーンのザラッとした壁が素敵だった。早速手続きをして、鳥取生活のベースキャンプとするべく東京に置いていた全ての荷物を送り…そして、上田ビル2階に「うわの空」が誕生しました。まだ飲食できるお店は出来てないけど、うわの空を中心として鳥取でイベント参加等の活動を開始してみた。森の生活者✕カルン✕山二鳥の三者が中心となって始めた「鳥取春のパン祭り」。そして、商栄町の音楽フェスなど楽しい事が沢山あった。そんな折、何と食堂カルンをそのまま譲り受ける事に!でも当時は東京からの月1鳥取通いで鳥取定住ではなかった為、場所を維持しようと10人の共同オーナーを募っていっぱい助けて貰っていました。しかし如何にせん負担が大きい!ニッチもサッチモ…となってその後コロナ禍にも後押しされ拠点を鳥取に移そうか、となった。そしてご縁有って私設図書室カフェ兼自宅にする物件も見つかり…いよいよ本格的に鳥取県民に!薫ちゃんに呼ばれたあの日から、既に3年が経とうとしていました。中野市役所に出向き、生誕から還暦まで…長年親しんだ中野から移転する書類を貰う。その後、住民票を鳥取に移動。サァ。もうオレは!!正式に鳥取市民ですよ!そんな時。当時の人たちはだいぶ落ち着いて来ていて、ちょっと凪の日々。次の波はどんな…?となっていた頃。とあるお昼近くの時間、砂丘そばでも行っちゃおっかな、あと買物してコーヒーか…と思って駅前風紋広場を通り掛かると、広〜い広場の真ん中にポツリと1人の爽やか青年がテント立ててカレーを売っているのです。その空気に色濃く漂う中央線感…。アレ!?ここ中野…?!じゃないよな、鳥取駅だ。それが「せかいの真ん中カレー」浦林マサ君だった。ううっ。これは…なんだか楽しそうなビッグウェンズディの予感…!!めちゃくちゃ華麗な大波を感じる!!カレーだけに!!…凄く気になり、Tottoriカルマを運営しつつ時々顔を出していると彼の周りに、見る度に、ドンドコ人が集まって来たのだ。定期的に出店するお店も出てきて「ハレハレケケケ市場」と名付けられ随時開かれるミーティングを挟みつつ、強く逞しく且つ何とも楽しそうに波にノッていく。しかしこのジャックの豆の木的に伸び代ぐんぐん魅せるマルシェのフルサト&本拠地である駅前広場、どうしても必要な…アレが無いのだ。さて、今回はこの辺で。また続きをお楽しみに!!


小さな無国籍料理店カルマ中野時代の終わり、そして2012年〜一路、鳥取へ(連載8回目)◆次の扉を開ける2人/最前線の「ド真ん中」鳥取へ◆「丸さん、11月に『トットリノススメ』って言う2日間のイベントに出てパーティーでお料理出す出店、してくれませんか」2012年、夏の終り。ある日、終わりを目の前に控えた「中野の小さな無国籍料理店カルマ」の店内でベルが鳴り、鳥取出身の元カルマスタッフであるカルン(赤井薫)の声が電話口から響いてきた所…からのお話。実は同時期に、山崎亮さんの「ふるさと最前線」という講座に出席していたのでした。「鳥取は人口減少の問題に関しては超最前線ですよ」…そう聞いていた事もあって、興味深さと何より「パチン!!」とピースの嵌る音が響いてきそうなタイミングを感じたのです。2012年。その年の冬のはじまりに、ココスキーパンや愛用の調理器具をギッシリ詰めた巨大な蛍光イエローのトランクをゴロゴロ引っ張って新宿(バスタ新宿が出来る4年くらい前の話。当時は南口の路上から乗ってた)から長距離バスに乗り、長々と揺られた果てに辿り着いた鳥取駅。早朝、白い息を吐きながら荷物を抱えバスを降り立って初めて見る鳥取駅には雲間から眩しい光が幾筋も幾筋も降り注ぎ、駅なのに何故かイタリアの教会の天井画と祭壇のように神々しく光り輝いていた。(後から判明したけどコレは鳥取の気候としては至極普通の通常営業だった)「ここが約束の地だよ」…気の所為だとは思うんだけど、何だか顔のすぐ横に優しく囁かれている雰囲気。そんな鳥取駅前に広々とひらけた空、その空にノビ〜ンと飛んではクルリと奔放に舞うトンビ、駅前なのにキリリとした甘い空気、そして絵のようにドドンとした久松山に向かって真っ直ぐ伸びて行くアーケード、すんなりした商店街。そんな風景のド真ん中に初めて降り立ったのでした。「ウワー!!きれい!」暫くウロチョロと空を見上げたり駅周辺だの見て回っていたら太陽の光の筋はそのままに、アッと言う間にバラバラバラッ!!と雹が降ってきた。冷たい粒々が、面白がって狙ってくるように首スジにいくつも入って来る。震え上がって振り払いながら駅ナカに避難する事になったんだけど…それもまぁ冬の始まり鳥取の通常営業(つまり鳥取の冬装備はマフラー必須)だったのだ。イマデハモウ(.^_^)ナレッコヨ今思うと、この時既に鳥取が放つキューピッドの矢は、心臓ド真ん中に深々と刺さっていたのです。駅の中で風と雹を避けて暫く待っていたら、呼んでくれたカルンこと薫ちゃんが「丸さ〜ん!!」と迎えに来てくれた。そして荷物をお店に置いて、何と天然温泉のお銭湯(忘れもしない末広温泉町「元湯温泉」。でも鳥取のお銭湯が軒並み天然温泉だというのは、当時全く知らなかった)に連れてって「素早く芯まで温めコース」を仕立ててくれた。早、鳥取の地の恵みが放つ切っ先鋭い矢「ニノ矢︰天然温泉!!」が、心臓ド真ん中にHit The Spotな予感…?!血流がそんな活発でない派のわたくし伊太朗の血潮は、温泉成分と長旅の筋肉を緩ませる少し熱めの湯加減にカンタンに絆され、ぐるぐるせっせと活発に巡り始めた。「ふあぁ~…はわわわ…」温泉パワーを全身で感じ、緊張が解けると出てくる癖のあるアクビを連発しつつ、芯まで茹だって浴室を出ると…脱衣場の鏡に写った顔は旬ド真ん中の水蜜桃的萌えピンクに染まっていた。(当時62歳ですけど…)と、目の前に見慣れた瓶入り牛乳が。でもその商品名が…「白バラ牛乳…?!何だぁそのミェルヒェンな名前…絵本のタイトルなのかな!?」あんまりって言うか殆ど牛乳って飲まないんだけど、名前に惹かれて買って飲んでみると…お…美味しい…!何だこの乳脂肪の酸化を全く感じない、まるで集乳地が隣の家みたいな新鮮さは…?!なんと鳥取が放つ仕事人キューピッドの矢は、次々と簡単に心臓ド真ん中をキメてくる。とうに鳥取愛乃致命傷間違い無しのわたくし伊太朗は、美味しい白バラによって最上の茹で上がりに間髪入れず冷水で色留めされた神の絹さやのようにキリリと引き締まり、冴え冴えと桃の頬をして元湯を出た。と、すかさず迎えに来てくれた薫ちゃんは「じゃ、丸福開いたから行こ〜」と当時まだ営業していた喫茶店に向かってくれました。濃いブラウン基調の落ち着いたレトロな店内。薫ちゃんは店内に寛ぐ、新聞広げつつ朝の情報交換に勤しむ商店街のご店主方に目礼などしつつ奥の席に座る。街の朝だ。そしてわたくし伊太朗はこの店内の皆様に圧勝できる事が1つだけある事に気が付いた。「オレは今きっと、この店内で1番体温が高い!!」…さあ!!どっからでも掛かってきなさい!という温泉虎の威無敵モードでモーニングを戴く。コーヒーも旨い。出店打ち合わせをしつつ、バターを塗られたトーストを噛み締めました。美味しい。そしてまだ足先までぽかぽか幸せなこの温かさ。何だかもう、引き返せない魅惑の道に踏み込んだのかも…in鳥取。さて、今回はこの辺で。また続きをお楽しみに!!現在ご支援していただいた方251人。他にもたくさんの応援メッセージをいただいております。 残り31日、行けるとこまで行きます。引き続きクラファン応援よろしくお願いします。


今日はお店の話題tottoriカルマ今日11月30日 閉店戎町では残すところ23日となりました。11月中、店内、天井までいっぱいに貼られた 星のソムリエ  梶谷くんの展示も今日まで。これから搬出剥がしを旅の話、星の話を語ってもらいながらやる会に。300枚越えの写真。何時までかかるかなぁ……?12月は最終月★展示は元ここで「食堂カルン」をやっていた赤井かおるさんの作品です。★この月は「すっぱだカルマ」と銘打って、毎日違う人とカルマをやります。 [スケジュール]メモ7日 ぱんだ書店絵本読み聞かせ12日 をこめや&ヨーコ14日 ポエ鳥(白井&水田)20日   カルマラソン(閉店祭)             24時間営業21日  神山25日 niamai&キムカフェ28日 デザインの相談室★12月20日は「カルマラソン」朝9時ごろから24時間営業。3時間枠で交代でカルマの最後を盛り上げてくれる方、連絡ください。写真は中野カルマ時代から店頭に吊るされていたウインドベル。はじめは子供の枕元でなるメリーゴーランドのつもりで購入したのですが、そのうちお店のシンボルに。tottoriカルマのは3台目。今度は「トりんく まんまる」の店頭に移設されるかな?


(   カルマ壁ギャラリー       スズキコージ展/                 マーガレットズロース1st ヒライマサヤ)カルマの始まりの、はじまり1980年〜中野時代の終わり。そして鳥取のカルマへ(連載7回目)をお届けします。◆Always美味探求/人が漁網の目のように編み、組まれ、響き合う事◆前回まで中野の「小さな無国籍料理店カルマ」は、人を慈しむココロにキッチンが掛け合わされた温かな土壌に枝元なほみさんという旨々ゴハンの妖精だったような存在が魔法の杖を振り、音楽仲間が雨を降らせ、それが丸山伊太朗の頭の中に生まれた小さな種子を大きく育てる環境を作り上げてくれた、そして幾多の歴代腕っこきのスタッフの皆様に手を引いてもらい後ろから押してもらい時には楽しく一緒に踊って、何1つ欠けなかったからお店が成り立って来て今がある。というお話を綴ってきました。(そんな話だったかな…?!(*´∀`*;))やっぱり、引っ張り出して綴られてきた自分の記憶を改めて読み返すと、すごく面白いし嬉しい。充実してる。有難い。「そんな事あったな」「ああ、あの時はそうだった」って1つの記憶に、美味しく太ったツヤツヤの濃い紫色が美しいサツマイモの蔓みたいに、沢山実っていた記憶が繋がってポコポコ出てくる。そして「渦中に無い今だから大分忘れちゃって余裕なんじゃないの」って意見もあるかもしれないけど、そうかもしれないけど、色々あった当時「ううっ…ツライ!!どうすれば…」と思った事だってやっぱり、あって良かった。起きない方が良かった?!そうかもしれない。でも、永遠の名作である有名な香水だって、単体だとくっっっさい成分も入ってるからこそ沢山の人が魅せられる香りとして成立する、と言うしね。きっと、無くてはならなかった要素なんだろうって今はお腹の底からしみじみとして、お店の隅っこで荒く砕いたブラックペッパーとお砂糖をたっぷり入れた濃いコーヒー(Σ(;´Д`)ヒエエッ!!と思ったそこのアナタ!是非やってみて笑ブラックペッパーはあっっまい味に出会うと果実っぽく大化けするよ!)を啜ったりしています。「沢山の人が美味しい物を介しつつ化学変化的にパチパチとスパークしながら交差する場所の運営」ーーこれは本当に人生を掛けて凄く好きな事だったし、それを成立させる為に「色々な美味しい物」は絶対に多様な分野の物がいつも沢山必要だった。無国籍料理カフェであるカルマには、今まで関わってくれた数多のスタッフのみんなが一生懸命、そして時には片手間に、楽しんで、時には揉めたり泣いたり笑ったりしながら盛り立てて、頑張って色々な美しい花を咲かせては、充実した美味しい果実として次々と成果を成してきました。そしてそれぞれに大切な存在を得た元スタッフのみなさんは、今や大事にしたい街に根付きその街角を新たに照らす灯りとなったり、アーティストとして活躍していたりします。かつてそんな存在に支えられ、美しい様々な色糸が精緻に組み合わされるように出来上がってきたお店の雰囲気やメニューの数々。「ウッヒャアアアア今日は何だぁ近くでイベントでもやってるのか?!アッ!ハァーイ只今!あっコンニチワ!!いらっしゃいまっせえええ」そんな美味しい戦場みたいになってる時にはそんな事しみじみ考えられないけど「OPEN」の札を「Closed(u_u)ゴメンネ」にひっくり返して、灯りを落としてシンとしたお店の端っこ席で賄いの残りゴハンなんて食べていると「ここまで1日1日、重ねて来た事…お店が地上から無くなったら『え!?ココ何かお店やってなかったっけ。何だったっけここ?』…みたいに何1つ、無かった事になっちゃうのかな」とか思えてきちゃったりして、そうするともう内臓持ってかれそうになるほど何だかお腹がシーーーンとキューーーーンとしたりする。中央線の「国立駅」南口から歩いて5分と掛からないトコにあった、ロージナ茶房の後ろの「国立 邪宗門」。大好きなお店でオーナーの名和さんとも仲良しになりよく通っていたし、コーヒーもこってりと濃くて凄く美味しかった。カルマのスタッフもダブルワークしてどっちでも働いてくれていたし、名和さんもスタッフからとても慕われていた。でもある日、いつものようにコーヒーを飲みに行くとドアが固く閉ざされていた。「エッ」と思って中を覗くと、名和さんは暗い奥の席で遠い目をして煙草を吸ってた。「あっ名和さん休憩中か。邪魔したらいけないかな」…入る事を諦めてその日は帰ったんだけど、そのうち人づてに「名和さん亡くなったんだって」と聞こえてきた。そして、あれほど大きな存在だったお店は、掻き消すように、世間から無くなってしまった。あんなに大きな存在が無くなってしまう。でも、無くしたくない。大事な、こんなに愛おしい時間やかつての大切な存在の居てくれた証の場所なんだよ…!!お願いだよ、無くしたくはない…!!何とか、カケラでもいいんだよ。残せないか。お店の名前が残ればそりゃいいけど、そうでなくて「こんな感じの場所」「そこにいつもある笑顔や光」が残ればいい。噛み締めるように、残りの日数を歩んだ中野の「小さな無国籍料理店カルマ」は、言い渡されていたビルのオーナーチェンジの時にあっけなく地上から、無くなった。「オレが居ればそこがカルマだもん」そう言っていた。それは、そうかもしれないけどやっぱり、やっぱりそれは強がりなんだ。そりゃ、店主が居れば残るものは在るかもしれない。でも、失われる事は、手のひらで掬い上げようとして指の間から零れ落ちる水のように、確かにある。中野カルマはオープンしてからお客さんが1人も来ない日があった日々を経て、そのうち入ってくれたスタッフの頑張りや人の繋がり、お客さんになってくれた新宿駅東口の地下にお店があるビア&カフェBERGオーナーのお2人、創初期の頃にいち早く見出して通ってくれたデザイナーのヤギさんと仲間達、中野駅北口のサンプラザ近くにあった小鳥店の若い店主ご夫婦は結婚記念日には必ず来てくれていた、そして原くん(原マスミ)、大槻ケンヂさん、そしてめっちゃ通ってよくパーティーの時に使ってくれてお店の外まではみ出してズンドコどがじゃが(でも12時にはピタッと「ハイ!おしまい!」と切り上げて)飲んでくれた絵本作家のコージ(スズキコージ)さん、常連として公式認定されて、よく店主と間違われていた久島(久島宏)君、セツ生だったスガやん、ヒッピーでお父さんのモンちゃん、中野駅改札口で「お金下さい」と言ってたタンザニアの青年…沢山来てくれるようになっていった、みんなみんな、みんな…!!ダンサーの山田せつこさんは中野に練習場があって、練習の帰りに賑わい始めていたカルマに寄って「こんなお店作りたいわ!」と言ってくれた。そしてその時に芽吹いたタネは旦那さんの「吉祥寺まめ蔵」を経営していた南KuuKuuさんに作用して、長じては吉祥寺に「諸国空想料理KuuKuu」として花開く事になった。(その時、高山なおみをズボッと引き抜いていったけどそれはまぁそんな事もある(.^_^)弥栄!)初期の頃に通ってくれていたお客さんであるスガやん(わたなべすがこさん)は「丸さんはセツ・モードセミナーのモデルに向いてると思う。セツ先生好きそう」と言ってくれて、セツ先生に面接を取り付けてくれた。そんで面接行ったらセツ先生は上から下までジローリと眺めてから「ごーかく〜!」と言ってくれ、ナント40歳過ぎてから思わぬモデル活動もする事になった。そしてセツの生徒さん達が沢山カルマでアルバイトしてくれるようにもなり、俄にカルマはアーティスト満載の気配が満ち満ちるようになっていった。そこに大阪からめぐさん(やまぐちめぐみ)がフラリとやってきて働き始めた。そして周囲のアート濃度によって美味しいぬか床に漬かったお漬物のように美味しく漬かり始め、その内セツ・モードセミナーに通うようになり、なんとそのままドンドコ進んで行きとうとう作家になってしまった。人の関わり。交わり、響き合い、泣いて笑って怒って眠って微笑んで、太陽と月は幾度も巡る。年月と人の気配が祈りを込めて編まれた漁網のように美しいものを掬い上げ、途方も無く重なった薄いベールのようにその場所の大気を作り上げていく。あの確かに在った、触れそうなくらい濃かった愛おしい時間、無くなった場所を惜しむ気持ちは勿論ある。でも、涙が乾いたらその場所を作った記憶と、握り締めた志さえ心の中にずっと強く消えなければ…またこの地上のどこへ移動しても、同じようにパチパチと美しく光が輝き、重なり合う色彩がスパークする「居場所」が作れるのではないか。「丸さん、11月に『トットリノススメ』て言う2日間のイベントに出てパーティーでお料理作ってくれませんか」ビルのオーナーチェンジで中野カルマが無くなる、と予告されていた薄暗い夏の終りのある日、お店のベルが鳴り響いた。元カルマスタッフである鳥取出身のカルン(赤井薫)さんからの電話だった。「鳥取…!?  て…あの…。ああ!イイねぇ!行くよ。」何だかビックリするようなそのタイミングに、少しドキドキしていました(理由は後述)。それから色々調べて夜行バスを予約し、愛用の蛍光イエローのどデカいトランクをお店の上の階段から降ろして鳥取に向かう算段をぽつぽつと始めたのです。…毎度の事ながら長くなりました。では本日はこの辺で…この続きは、また(*^_^*)オタノシミニ!!


(写真は40年前のジャマイカ モンティゴベイ)カルマの始まり、の、はじまり1980年〜中野時代(連載6回目)◆美味探求の旅路の続きのお話◆前々回、アホになってジャマイカ行った話を書いたけど、その時見聞きしたり食べたり飲んだり熱心にした物も色々美味しかった。まずはビーチ、そして街の屋台みたいなお店などアチコチで必ず売られていたガラス瓶入りの「ジンジャービア」。生姜好きとしては放っておけずにすかさず買って飲んだ。どうもジャマイカでは輸入品のコーラより地元のジンジャービアがポピュラー(そして何よりお安い!)みたい。飲んでみて、大満足!美味しい!辛くなるほどジンジャー成分濃厚じゃなく飲みやすくて、でもしっかり生姜。サラッとした甘さ!これも日本に帰ってきてから、大鍋で生姜を大量に煮てそこにレモンとお砂糖(これは個人的な好みでメッチャ甘くしていた)を入れて丹精込めてぐつぐつして作ってみた。最近、カフェで自家製のジンジャーエール(ビアって言わないのよね)やクラフトコーラが当たり前になりましたが、その当時はこんな風に作るのはなかなか珍しかったと思う。そんなに頻繁に出るメニューにはならなかったけど、好きな人は頼んでくれるマニアックなメニューとなった。帰国後のカルマには「ジャマイカン海老の唐辛子炒め」と一緒に、タイムを効かせた夏野菜の炒め物(干し鱈とアボカド入り。ジャマイカのホテルのラウンジで夜ご飯に出てきた美味しいメニューだった)を添えた「ジャマイカン・スペシャル」というラスタマ〜ン♫なメニュー(よく出るメニューだったので随分長い間出していた)もあって、一時期はホントにジャマイカぽかった。そんな関連である時、中野サンプラザでジャマイカン・レゲエグループのコンサートがあった時、お店の電話が鳴った。コンサートのプロモーションをしている会社からの電話で「お店のキッチンを貸してもらえませんか!?」という連絡だった。面白い笑その時日本に呼ばれたラスタマンの皆様は「アイタルフード」と言う宗教的な料理のルールに忠実なので、お付きのコックさんにジャマイカから遥々一緒に来て貰っていると言う。「カルマのキッチンで、サード・ワールドというバンドのミュージシャンの、みんなの賄いを作らせて欲しい」という、とても面白い話だった。「それはもう是非どうぞ」という事になり、作るトコも見せて貰える事になった。そこでお連れのコックさんが作っていたのが「レッドビーンズ・スープ」だった。小豆にタイムとブラックペッパーたっぷり入れて煮るスープなんだけど、うーむ、これは、なかなか微妙だった。味的には、胡椒とタイム入れたまるっきり塩ぜんざい…。日本では「小豆=甘い」ってもうコレっきりみたいな感じだから何だかちょっと馴染めなかった。1回位、出してはみたんだけど、これはカルマのメニューとしては出なさそうで、そのまま御蔵入りとなった。でも来てくれたコックさんには「ココ!ココにサインしてって!」とカルマの壁にサインを貰い、みんなでキャッキャしてリアルなジャマイカの風を感じるとても楽しい機会となった。こんな風に、都度機会を取り込んでは自分達のしたいようにメニューを作ってみんなで吟味して行くので、沢山の中から超精鋭メニューしか残れない。あっちゃ行ってこっちゃ食べて、自分達が「アッ!コレだ!」みたいな料理をその場その場でばりばり取り入れ、そしてそれがまた混ざり合い「美味しいლ(´ڡ`ლ)!!けどもっとこうしてみたらもっとずっと美味しくなる?!」とかまた新たな独自メニューに発展していく。そうして、カルマのメニューは時々珍しい繊維が織り込まれた精緻な織物のようにミチミチと精製されてきたのでした。さて「美味しさを探求する旅路の話」本日はここまで。また、この後の話は後日お楽しみに…!tottoriカルマ 閉店まで残り 26日この場所でのカルマのファイナルを楽しみに来て下さいね。まだまだ、少しでも出来ることをやっていきたいです。クラファンは12月31日までですが、引き続きご支援のほど、何卒よろしくお願いします。


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!