45年の灯を次の世代へ──tottoriカルマ戎町店の閉店を“新しい船出”に

2025年12月tottoriカルマは11年間の幕を閉じます。東京での34年間を足すと、45年。しかし運営者75歳の今、諦めて「全て仕舞う」町の明かりを消す選択は出来ません。次の航路へ舵を。市内拠点「トりんく まんまる」を、ブックカフェ✕私設図書✕小さなイベントスペースへ“新しいカルマ”始めます。

現在の支援総額

3,549,177

118%

目標金額は3,000,000円

支援者数

478

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/11/01に募集を開始し、 478人の支援により 3,549,177円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

45年の灯を次の世代へ──tottoriカルマ戎町店の閉店を“新しい船出”に

現在の支援総額

3,549,177

118%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数478

このプロジェクトは、2025/11/01に募集を開始し、 478人の支援により 3,549,177円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

2025年12月tottoriカルマは11年間の幕を閉じます。東京での34年間を足すと、45年。しかし運営者75歳の今、諦めて「全て仕舞う」町の明かりを消す選択は出来ません。次の航路へ舵を。市内拠点「トりんく まんまる」を、ブックカフェ✕私設図書✕小さなイベントスペースへ“新しいカルマ”始めます。

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今日はお店の話題tottoriカルマ今日11月30日 閉店戎町では残すところ23日となりました。11月中、店内、天井までいっぱいに貼られた 星のソムリエ  梶谷くんの展示も今日まで。これから搬出剥がしを旅の話、星の話を語ってもらいながらやる会に。300枚越えの写真。何時までかかるかなぁ……?12月は最終月★展示は元ここで「食堂カルン」をやっていた赤井かおるさんの作品です。★この月は「すっぱだカルマ」と銘打って、毎日違う人とカルマをやります。 [スケジュール]メモ7日 ぱんだ書店絵本読み聞かせ12日 をこめや&ヨーコ14日 ポエ鳥(白井&水田)20日   カルマラソン(閉店祭)             24時間営業21日  神山25日 niamai&キムカフェ28日 デザインの相談室★12月20日は「カルマラソン」朝9時ごろから24時間営業。3時間枠で交代でカルマの最後を盛り上げてくれる方、連絡ください。写真は中野カルマ時代から店頭に吊るされていたウインドベル。はじめは子供の枕元でなるメリーゴーランドのつもりで購入したのですが、そのうちお店のシンボルに。tottoriカルマのは3台目。今度は「トりんく まんまる」の店頭に移設されるかな?


(   カルマ壁ギャラリー       スズキコージ展/                 マーガレットズロース1st ヒライマサヤ)カルマの始まりの、はじまり1980年〜中野時代の終わり。そして鳥取のカルマへ(連載7回目)をお届けします。◆Always美味探求/人が漁網の目のように編み、組まれ、響き合う事◆前回まで中野の「小さな無国籍料理店カルマ」は、人を慈しむココロにキッチンが掛け合わされた温かな土壌に枝元なほみさんという旨々ゴハンの妖精だったような存在が魔法の杖を振り、音楽仲間が雨を降らせ、それが丸山伊太朗の頭の中に生まれた小さな種子を大きく育てる環境を作り上げてくれた、そして幾多の歴代腕っこきのスタッフの皆様に手を引いてもらい後ろから押してもらい時には楽しく一緒に踊って、何1つ欠けなかったからお店が成り立って来て今がある。というお話を綴ってきました。(そんな話だったかな…?!(*´∀`*;))やっぱり、引っ張り出して綴られてきた自分の記憶を改めて読み返すと、すごく面白いし嬉しい。充実してる。有難い。「そんな事あったな」「ああ、あの時はそうだった」って1つの記憶に、美味しく太ったツヤツヤの濃い紫色が美しいサツマイモの蔓みたいに、沢山実っていた記憶が繋がってポコポコ出てくる。そして「渦中に無い今だから大分忘れちゃって余裕なんじゃないの」って意見もあるかもしれないけど、そうかもしれないけど、色々あった当時「ううっ…ツライ!!どうすれば…」と思った事だってやっぱり、あって良かった。起きない方が良かった?!そうかもしれない。でも、永遠の名作である有名な香水だって、単体だとくっっっさい成分も入ってるからこそ沢山の人が魅せられる香りとして成立する、と言うしね。きっと、無くてはならなかった要素なんだろうって今はお腹の底からしみじみとして、お店の隅っこで荒く砕いたブラックペッパーとお砂糖をたっぷり入れた濃いコーヒー(Σ(;´Д`)ヒエエッ!!と思ったそこのアナタ!是非やってみて笑ブラックペッパーはあっっまい味に出会うと果実っぽく大化けするよ!)を啜ったりしています。「沢山の人が美味しい物を介しつつ化学変化的にパチパチとスパークしながら交差する場所の運営」ーーこれは本当に人生を掛けて凄く好きな事だったし、それを成立させる為に「色々な美味しい物」は絶対に多様な分野の物がいつも沢山必要だった。無国籍料理カフェであるカルマには、今まで関わってくれた数多のスタッフのみんなが一生懸命、そして時には片手間に、楽しんで、時には揉めたり泣いたり笑ったりしながら盛り立てて、頑張って色々な美しい花を咲かせては、充実した美味しい果実として次々と成果を成してきました。そしてそれぞれに大切な存在を得た元スタッフのみなさんは、今や大事にしたい街に根付きその街角を新たに照らす灯りとなったり、アーティストとして活躍していたりします。かつてそんな存在に支えられ、美しい様々な色糸が精緻に組み合わされるように出来上がってきたお店の雰囲気やメニューの数々。「ウッヒャアアアア今日は何だぁ近くでイベントでもやってるのか?!アッ!ハァーイ只今!あっコンニチワ!!いらっしゃいまっせえええ」そんな美味しい戦場みたいになってる時にはそんな事しみじみ考えられないけど「OPEN」の札を「Closed(u_u)ゴメンネ」にひっくり返して、灯りを落としてシンとしたお店の端っこ席で賄いの残りゴハンなんて食べていると「ここまで1日1日、重ねて来た事…お店が地上から無くなったら『え!?ココ何かお店やってなかったっけ。何だったっけここ?』…みたいに何1つ、無かった事になっちゃうのかな」とか思えてきちゃったりして、そうするともう内臓持ってかれそうになるほど何だかお腹がシーーーンとキューーーーンとしたりする。中央線の「国立駅」南口から歩いて5分と掛からないトコにあった、ロージナ茶房の後ろの「国立 邪宗門」。大好きなお店でオーナーの名和さんとも仲良しになりよく通っていたし、コーヒーもこってりと濃くて凄く美味しかった。カルマのスタッフもダブルワークしてどっちでも働いてくれていたし、名和さんもスタッフからとても慕われていた。でもある日、いつものようにコーヒーを飲みに行くとドアが固く閉ざされていた。「エッ」と思って中を覗くと、名和さんは暗い奥の席で遠い目をして煙草を吸ってた。「あっ名和さん休憩中か。邪魔したらいけないかな」…入る事を諦めてその日は帰ったんだけど、そのうち人づてに「名和さん亡くなったんだって」と聞こえてきた。そして、あれほど大きな存在だったお店は、掻き消すように、世間から無くなってしまった。あんなに大きな存在が無くなってしまう。でも、無くしたくない。大事な、こんなに愛おしい時間やかつての大切な存在の居てくれた証の場所なんだよ…!!お願いだよ、無くしたくはない…!!何とか、カケラでもいいんだよ。残せないか。お店の名前が残ればそりゃいいけど、そうでなくて「こんな感じの場所」「そこにいつもある笑顔や光」が残ればいい。噛み締めるように、残りの日数を歩んだ中野の「小さな無国籍料理店カルマ」は、言い渡されていたビルのオーナーチェンジの時にあっけなく地上から、無くなった。「オレが居ればそこがカルマだもん」そう言っていた。それは、そうかもしれないけどやっぱり、やっぱりそれは強がりなんだ。そりゃ、店主が居れば残るものは在るかもしれない。でも、失われる事は、手のひらで掬い上げようとして指の間から零れ落ちる水のように、確かにある。中野カルマはオープンしてからお客さんが1人も来ない日があった日々を経て、そのうち入ってくれたスタッフの頑張りや人の繋がり、お客さんになってくれた新宿駅東口の地下にお店があるビア&カフェBERGオーナーのお2人、創初期の頃にいち早く見出して通ってくれたデザイナーのヤギさんと仲間達、中野駅北口のサンプラザ近くにあった小鳥店の若い店主ご夫婦は結婚記念日には必ず来てくれていた、そして原くん(原マスミ)、大槻ケンヂさん、そしてめっちゃ通ってよくパーティーの時に使ってくれてお店の外まではみ出してズンドコどがじゃが(でも12時にはピタッと「ハイ!おしまい!」と切り上げて)飲んでくれた絵本作家のコージ(スズキコージ)さん、常連として公式認定されて、よく店主と間違われていた久島(久島宏)君、セツ生だったスガやん、ヒッピーでお父さんのモンちゃん、中野駅改札口で「お金下さい」と言ってたタンザニアの青年…沢山来てくれるようになっていった、みんなみんな、みんな…!!ダンサーの山田せつこさんは中野に練習場があって、練習の帰りに賑わい始めていたカルマに寄って「こんなお店作りたいわ!」と言ってくれた。そしてその時に芽吹いたタネは旦那さんの「吉祥寺まめ蔵」を経営していた南KuuKuuさんに作用して、長じては吉祥寺に「諸国空想料理KuuKuu」として花開く事になった。(その時、高山なおみをズボッと引き抜いていったけどそれはまぁそんな事もある(.^_^)弥栄!)初期の頃に通ってくれていたお客さんであるスガやん(わたなべすがこさん)は「丸さんはセツ・モードセミナーのモデルに向いてると思う。セツ先生好きそう」と言ってくれて、セツ先生に面接を取り付けてくれた。そんで面接行ったらセツ先生は上から下までジローリと眺めてから「ごーかく〜!」と言ってくれ、ナント40歳過ぎてから思わぬモデル活動もする事になった。そしてセツの生徒さん達が沢山カルマでアルバイトしてくれるようにもなり、俄にカルマはアーティスト満載の気配が満ち満ちるようになっていった。そこに大阪からめぐさん(やまぐちめぐみ)がフラリとやってきて働き始めた。そして周囲のアート濃度によって美味しいぬか床に漬かったお漬物のように美味しく漬かり始め、その内セツ・モードセミナーに通うようになり、なんとそのままドンドコ進んで行きとうとう作家になってしまった。人の関わり。交わり、響き合い、泣いて笑って怒って眠って微笑んで、太陽と月は幾度も巡る。年月と人の気配が祈りを込めて編まれた漁網のように美しいものを掬い上げ、途方も無く重なった薄いベールのようにその場所の大気を作り上げていく。あの確かに在った、触れそうなくらい濃かった愛おしい時間、無くなった場所を惜しむ気持ちは勿論ある。でも、涙が乾いたらその場所を作った記憶と、握り締めた志さえ心の中にずっと強く消えなければ…またこの地上のどこへ移動しても、同じようにパチパチと美しく光が輝き、重なり合う色彩がスパークする「居場所」が作れるのではないか。「丸さん、11月に『トットリノススメ』て言う2日間のイベントに出てパーティーでお料理作ってくれませんか」ビルのオーナーチェンジで中野カルマが無くなる、と予告されていた薄暗い夏の終りのある日、お店のベルが鳴り響いた。元カルマスタッフである鳥取出身のカルン(赤井薫)さんからの電話だった。「鳥取…!?  て…あの…。ああ!イイねぇ!行くよ。」何だかビックリするようなそのタイミングに、少しドキドキしていました(理由は後述)。それから色々調べて夜行バスを予約し、愛用の蛍光イエローのどデカいトランクをお店の上の階段から降ろして鳥取に向かう算段をぽつぽつと始めたのです。…毎度の事ながら長くなりました。では本日はこの辺で…この続きは、また(*^_^*)オタノシミニ!!


(写真は40年前のジャマイカ モンティゴベイ)カルマの始まり、の、はじまり1980年〜中野時代(連載6回目)◆美味探求の旅路の続きのお話◆前々回、アホになってジャマイカ行った話を書いたけど、その時見聞きしたり食べたり飲んだり熱心にした物も色々美味しかった。まずはビーチ、そして街の屋台みたいなお店などアチコチで必ず売られていたガラス瓶入りの「ジンジャービア」。生姜好きとしては放っておけずにすかさず買って飲んだ。どうもジャマイカでは輸入品のコーラより地元のジンジャービアがポピュラー(そして何よりお安い!)みたい。飲んでみて、大満足!美味しい!辛くなるほどジンジャー成分濃厚じゃなく飲みやすくて、でもしっかり生姜。サラッとした甘さ!これも日本に帰ってきてから、大鍋で生姜を大量に煮てそこにレモンとお砂糖(これは個人的な好みでメッチャ甘くしていた)を入れて丹精込めてぐつぐつして作ってみた。最近、カフェで自家製のジンジャーエール(ビアって言わないのよね)やクラフトコーラが当たり前になりましたが、その当時はこんな風に作るのはなかなか珍しかったと思う。そんなに頻繁に出るメニューにはならなかったけど、好きな人は頼んでくれるマニアックなメニューとなった。帰国後のカルマには「ジャマイカン海老の唐辛子炒め」と一緒に、タイムを効かせた夏野菜の炒め物(干し鱈とアボカド入り。ジャマイカのホテルのラウンジで夜ご飯に出てきた美味しいメニューだった)を添えた「ジャマイカン・スペシャル」というラスタマ〜ン♫なメニュー(よく出るメニューだったので随分長い間出していた)もあって、一時期はホントにジャマイカぽかった。そんな関連である時、中野サンプラザでジャマイカン・レゲエグループのコンサートがあった時、お店の電話が鳴った。コンサートのプロモーションをしている会社からの電話で「お店のキッチンを貸してもらえませんか!?」という連絡だった。面白い笑その時日本に呼ばれたラスタマンの皆様は「アイタルフード」と言う宗教的な料理のルールに忠実なので、お付きのコックさんにジャマイカから遥々一緒に来て貰っていると言う。「カルマのキッチンで、サード・ワールドというバンドのミュージシャンの、みんなの賄いを作らせて欲しい」という、とても面白い話だった。「それはもう是非どうぞ」という事になり、作るトコも見せて貰える事になった。そこでお連れのコックさんが作っていたのが「レッドビーンズ・スープ」だった。小豆にタイムとブラックペッパーたっぷり入れて煮るスープなんだけど、うーむ、これは、なかなか微妙だった。味的には、胡椒とタイム入れたまるっきり塩ぜんざい…。日本では「小豆=甘い」ってもうコレっきりみたいな感じだから何だかちょっと馴染めなかった。1回位、出してはみたんだけど、これはカルマのメニューとしては出なさそうで、そのまま御蔵入りとなった。でも来てくれたコックさんには「ココ!ココにサインしてって!」とカルマの壁にサインを貰い、みんなでキャッキャしてリアルなジャマイカの風を感じるとても楽しい機会となった。こんな風に、都度機会を取り込んでは自分達のしたいようにメニューを作ってみんなで吟味して行くので、沢山の中から超精鋭メニューしか残れない。あっちゃ行ってこっちゃ食べて、自分達が「アッ!コレだ!」みたいな料理をその場その場でばりばり取り入れ、そしてそれがまた混ざり合い「美味しいლ(´ڡ`ლ)!!けどもっとこうしてみたらもっとずっと美味しくなる?!」とかまた新たな独自メニューに発展していく。そうして、カルマのメニューは時々珍しい繊維が織り込まれた精緻な織物のようにミチミチと精製されてきたのでした。さて「美味しさを探求する旅路の話」本日はここまで。また、この後の話は後日お楽しみに…!tottoriカルマ 閉店まで残り 26日この場所でのカルマのファイナルを楽しみに来て下さいね。まだまだ、少しでも出来ることをやっていきたいです。クラファンは12月31日までですが、引き続きご支援のほど、何卒よろしくお願いします。


カルマのクラファンに本日までに222名様からのご支援、そしてたくさんの応援メッセージ戴いております。引き続き頑張らせてください〜!さて、以下からそのtottoriカルマの前身である中野カルマのはじまりの話。カルマの始まり、の、はじまりむかしむかしその昔1980年〜中野時代(連載5回目)◆お店を知ってもらう事/「美味しい物」行脚◆さて連載5回目は「オープンしたてのお店を知ってもらう為にしてきた事」そして生来、食いしん坊だった自分が「食のヨロコビ」を感じられる美味しい物を求める旅路について。「美味しい物を求める旅路ってお店関係無くない?」って思われるかもしれませんが「うわあ〜何てウマいんだぁ〜!!」って思える物って、やはり「美味しさを作り出している原因」がある。食を愛する人間が、愛情を持って生み出してきたその「公式」に、もし自分の数字を上手く当てはめる事ができれば。新しくスパークするメニューが出来るのかもしれないと、とにかくジャンルを限定せず色々沢山!食べて来ました。さてそれでは中野時代のカルマのオープンして間もない初期の頃。当時、まだまだ「sns」なんて無い時代です。まずは、知って貰えないと来店もしてもらえない。どうしたらお店を知って貰えるか、散々考え色々トライしていました。当時、流行りのお店情報はみんなその頃盛んになり出した情報誌で知るようになってきていました。「angle」そして女性誌のクロワッサンなどが有名でしたね。そして取材した記事とは別に読者からの投稿ページもあった。取材して貰えればそりゃすっごく有り難かったけど、そんなツテもないし流行ってもいない。なので頑張って「こんな素敵な店見つけましたよ!」って自分で投稿(ナミダぐましい努力…?!)したりして。もちろんそんなの無(TдT)反(TдT)応だった。でもね…。これは後でスタッフから聞いた話なんだけど、どうもクロワッサンからの取材依頼電話!が1度あった!らしい。「え。なんで『らしい』って。取材受けたんでしょ!?」って思うじゃないですか。それがね…丁度忙しい時間帯に掛かってきた取材依頼電話に出たスタッフ「今忙しいんで〜!」と断っちゃったんですって。ガックリ(TдT)クロウシタノニイ!情報共有は、大切にしないとね…って話です。その後も「知って貰うための試行錯誤」はずっと続いたのですが、何故かその試行錯誤はアフリカンドラム演奏やアートスクール「セツ・モードセミナー」でのモデル活動なんかの違う道を示してくれて、全く予期していなかった扉がパカパカ拓いていったのには驚きました。お店を何とか存続させる為にやっていた事が、何故か自分の人生の道を大きく好転させる。最初からお客さんがドンドコ来てくれていたら、きっとこんな面白い道程を歩めなかったなぁ。お店閉めた後に1人賄いゴハンを食べている時、しみじみそう思ったりします。さて知って貰ったら次は「お店自体が持つ美味しさ」も大切です。そしていつも目新しい美味しさの持ち駒はあって困るものでは無い、ので沢山あるほど有難い。大人になって、自由に大好きな外食ができるようになったヨロコビに打ち震えつつ「これは勉強だから!」と業務っぽい言い訳も準備しつつ(誰も聞いてないけど!)情報誌と口コミを頼りに、そしていつも通らない道を歩く時にはもう目一杯アンテナを張り巡らして気になるお店見つけたりして、あちこちのお店に食べに行きました。今は超絶老舗となったロシア料理屋さんのロゴスキー(当時もう既に立派な老舗だった)も大好きでした。嗚呼最近食べてないウズベク焼飯〜!美味ლ(´ڡ`ლ)しいよね!その頃、雨後のタケノコ的に出来始めたアジア料理屋さん、タイ・ベトナム・カンボジア・インドネシア…知らない国の料理店が開店したという情報が入れば即座に行っていました。食べつつ湧き出すアイデアを(忘れちゃうからね…)お皿の横にメモを置いてせっせと書き込んでたりして、お店からしたら「何メモしてるの…!?」って感じの嫌なお客さんだったかなぁ((;´Д`)ゴメンネ…)そう言えば高円寺にあった仲屋むげん堂。レストランが出来たと聞いてすぐ行ってみたんだった。そこのメニュー「バイセロリ」セロリの葉っぱって意味らしんだけど現地にそんなメニューあった訳では無いみたい。これが美味しかった!実は、中野オムライスの原点はそのメニューにあったりします。原点って言っても随分違うんだけど…ウーン、子孫から見た立派な先祖みたいな原点です。茎が主役のセロリ。それの葉っぱだけが、ひき肉の中にたっぷり入っていたのが衝撃だったなぁ。さて本日のお話はここまで。次回も美味探求のお話、続きます!お楽しみに(*´∀`*)#中野の小さな無国籍食堂カルマ#セツモードセミナー#オムライス#アフリカンドラム#仲屋むげん堂#銀座ロゴスキー#ウズベク焼飯#残り37日#達成率65パーセント https://camp-fire.jp/projects/884031/view


高山なおみがよく参考にしていた料理本カルマの始まり、の、はじまり1980年〜中野時代(連載4回目)◆声に出して言いたい事…( ̄ー ̄)ニヤリ「無国籍料理!!って初めて言ったのは私で〜す!」◆イキナリ何言ってんだ…って始まった連載4回目。でもホントにそうだったのです。だってそれ以前にそんな単語、無かったから。だいたい◯◯国料理の専門店、というのはあっても、色々取り混ぜて出してるお店も無かった。だから、言葉も作るしかなかったのです。でもそれには「キッカケ」は、やっぱりあって。ある日、NTTから「電話帳にお店を掲載するのですが、あの、どの料理のジャンルに載せれば良いですか…?」と電話があった。「ムムッ?!」と思ったんだけど、その頃すでに自分達が手当たり次第出したいメニュー、とにかく国決めずに美味しけりゃいいってんで自分達の都合やアイデアを混ぜ倒してメニュー作って出すようになっていたので…咄嗟に「あ、無国籍ですね!」と答えたのでした。その頃、勿論そんなジャンルは皆無。なので実際何に分類されたかは、その後追跡してないし今となってはホントに藪の中…皆目分からない。でも、咄嗟に出た単語とは言えそれが口から出て耳に届いた途端、自分で言っててナンだけど「おおおお!そうだコレだこれだ!」と何だか深々と納得してしまったのだった。その後、中野カルマは「小さな無国籍料理店 カルマ」と名乗るようになったのです。でもしみじみ思い出すに開店当初、そしてそれからも暫くは思ったようにお客さんは来てくれなかったんだったナァ。よく知ってる「洋食」はたまた「中華」「フランス料理」…馴染みの単語じゃないものね。「無国籍料理…ハァ?何が出てくるの?!」みたいな感じだったと思う。でも店内ではお構い無し(ホントは構わなくちゃいけないけど!)に、みんなで「アレ作ってみよ!こんなのは?」って日々その場を楽しんでいた。そんな、料理の実験工房のようなお店を面白がって通ってくれるようになったお客さん、そしてスタッフになんとか支えられつつ、のスタートだったと思う。そしてその頃「喫茶店でケーキを焼いてます」という人に入って貰った。それが、高山なおみさんだった。彼女はちょこちょこっとしたつまみを作るのが上手く、飲み客にとてもウケた。愉快な仲間が頼もしく増え、スタッフみんなであんまり楽しげにやっているので「…何だナンだ?楽しそうだな」って来てくれるお客さんがまたお客さんを呼び、そして段々とあんなに狭いところに面白がってギュウギュウ来てくれるようになってきたのだ。時々、ランチやお夕食分が残ってもソコはスタッフの多さと食の好奇心旺盛なカルマの事、アッという間にみんなで美味しく食べてしまって美味しさも共有できるのでもう全然無問題!その頃、スタッフが熱心に参考にしていた膨大な料理本は、鳥取で「私設図書カフェ トりんくまんまる」のまるまる棚1つ分を今、静かに占有しています。キッチンにギッシリ置かれていて、いつも手に取られていた料理本たち。トマトの染みや油の飛んだの等で彩りも賑やか(*^_^*)に添えられている。鳥取に定住を始めた頃、本棚に並べるために表紙に染み付いた油汚れを拭き取る時、何だかあの頃の時間を一緒に取ってしまうような気がして、だいぶセンチメンタルな気持ちになってしまった。色々あったけど、あの時間はなんとも愛おしいのです。なんか青春ぽい笑さて本日の写真は、前々回紹介した「料理の四面体」開店時にたまたま出会って、その後の料理人生の軌跡がガチャコンと変わった本。もう文庫本でしか手に入らないようですが、料理本としても面白いけど考え方が変わる、そんな読み物として面白い!あったかくして寝床でトロトロ読んで欲しい1冊です。もう一冊は特に高山なおみがよくみていたエスニック料理本。一度も食べたことも見たこともないのになまえが面白いので作った「アドボ」枝元さんが大根を入れようとなって肉汁の染みたすっぱい大根がまた格別。それからカルマの定番料理となりました。お客さんに現地で食べた料理と同じ味!懐かしい!と言われたなぁ。さ。続きはまた後日…(*^_^*)あ。重ねてのお願いですがこの頃のカルマの様子がわかる写真どなたかお持ちの方〜!画像(&エピソードも!)欲しいです。どうか是非ご連絡ください〜。(1980〜2000年位の間)カルマ常連お客認定された久島宏君から送られてきた中野カルマの貴重なキッチンの写真をお見せします!本日まで203人の皆様からご支援と、有難い応援メッセージを頂いております。読み物としても楽しめるよう、引き続きカルマのアーカイブ文章綴ったり等も頑張ります!どうか、皆様も1人でも多くの方に鳥取の魅力の拡散お願いできればと思います。そして本を読んだり人と会ったり散歩したりする鳥取の場所を作るためにTottoriカルマのクラウドファンディングの拡散&御支援を!何卒よろしくお願いします。#残り40日#開店物語 #地域の絆#達成率59パーセント#何より楽しく#料理の四面体#高山なおみ#中野無国籍カルマ#Tottoriカルマ


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