山との関わりを暮らしの中に取り戻す 「山の共同よろず小屋」建設プロジェクト

山と関わりながら楽しく暮らす仲間を増やすため、山菜採り、狩猟採集、保存食づくり、蕎麦打ち、石積みなどをともに学び実践する「山の共同よろず小屋」を早川町につくります。地域の人と訪れる人が手を動かし、知恵や技術を持ち寄りながら、山の暮らしを次へつなぐ拠点です。

現在の支援総額

8,612,000円

86%

目標金額は10,000,000円

支援者数

279人

24時間以内に6人からの支援がありました

募集終了まで残り

13日

山との関わりを暮らしの中に取り戻す 「山の共同よろず小屋」建設プロジェクト

現在の支援総額

8,612,000円

86%達成

あと 13日

目標金額10,000,000円

支援者数279人

山と関わりながら楽しく暮らす仲間を増やすため、山菜採り、狩猟採集、保存食づくり、蕎麦打ち、石積みなどをともに学び実践する「山の共同よろず小屋」を早川町につくります。地域の人と訪れる人が手を動かし、知恵や技術を持ち寄りながら、山の暮らしを次へつなぐ拠点です。

9月の初め、大学生の娘が一人で早川へ帰ってきました。卒業論文で狩猟について書きたいというので、私が罠を仕掛ける様子や、仲間に協力してもらって猟に出る様子を見てもらいました。猟は空振り。罠の方も、大雨の影響があったのか、なかなかかかりません。こちらが予定を決めても、自然はそれに合わせてくれない。獲物を待つ時間も含めて狩猟なのだということを、娘にも感じてもらいつつ、雨の合間を縫ってもう一度足跡を探し、罠を掛け直したりもしました。二週間の滞在の終盤に、娘の大学の友人三人も、早川へ遊びに来てくれました。三人は二泊し、娘も一緒に帰る予定でした。帰る前日、なかなか獲物が獲れない様子を見かねた仲間が、田んぼで飼っていた合鴨を一羽分けてくれました。皆で鴨を締め、毛をむしり、捌き、料理していただく。動物の命が食べ物になるまでの過程に、四人で向き合う時間になりました。そして、帰る日の朝。ようやく、一頭の鹿が罠にかかりました。さらに、集落の防護柵の内側へ迷い込んだ、もう一頭の鹿の捕獲も重なりました。帰ろうとしていた日に、二頭の鹿が獲れる。私には、四人が鴨を捌き、食べる様子を山の神様も見ていて、「これなら、鹿も見せてもいいかな」と思ってくれたように感じられました。山の神様の、なんとも憎い采配です。こちらは営業の合間を縫っての作業。料理は夜しかできない。結局四人は滞在を一日延ばし、鹿を捌き、料理し、食べるところまで付き合ってくれました。罠を見回りながら、獲れない時間も動物の行動を考え微調整する。命に向き合い、自分たちの手で捌き、料理して、皆でいただく。自然の動きに逆らわず、自分たちの予定を変える。仲間と助け合う。今回、娘と友達に体験してもらった一連の時間が、自然と呼応しながら生きる、山の営みそのものなのだと思います。そして、この光景は、私が山の共同よろず小屋で実現したい時間そのものでもありました。初めはお客様として訪れた方が、何度か一緒に山へ入り、一緒に手を動かし、食事の時間を共有し、話をし、心を開いていく。その積み重ねの中で、顔見知りになり、友達になり、やがて一緒に山と向かい合う仲間になっていく。そして改めて、一緒に手を動かし、食事の時間を共有し、話をする場所が必要だと感じました。お客様を超えて仲間へサービスを超えて日常へ体験を超えて共同作業へ山の共同よろず小屋は、山の暮らしへの理解とともに、出会った人たちの関係も深まっていく場所。今回の出来事を通じて、小屋で育てたい関係の姿が、また一つ、はっきりと見えてきました。【クラウドファンディングの現在地】支援総額:5,521,000円支援者数:176人達成率:55%募集終了まで:あと32日


集落と奥山との間には、「人の気配が続く、幅のある場所」がありました。その幅の中で、実際にどのようなやり取りがされていたのか。早川で見聞きした三つの話を紹介したいと思います。一つ目は、山の畑と鳥の話です。山の斜面を伐り拓いてつくった畑では、主に穀類や豆を育てていました。山の畑は人の目が届きにくく、雉や山鳥に作物を食べられることもあったと聞きます。そこで畑の片隅に、人が身を隠して鳥を待つための小屋をつくり、鳥が出てくると鉄砲で撃ち、その命をいただいたそうです。「作物を食べられても、出てきた鳥や獣を捕って食べれば、それでおあいこ」こんな言葉が印象に残っています。二つ目は、犬の話です。昔は、猟師も猟犬も今よりずっと多かったと聞きます。放して飼われていた犬たちは、獣の気配を感じると、何頭かで山へ入っていくことがあったそうです。二日も三日も帰ってこないことがあり、「きっと山で獲物を追い詰めて、その場で食べて、満足して寝てきたんだろう」そんなふうに話す人もいました。犬が獣の気配を感じ取って山へ入る。犬は人の力だけでは届かないところを補いながら、集落へ近づく獣との距離を取り直してくれていたのでしょう。三つ目は、蜂蜜と熊の話です。早川町では、今もニホンミツバチを飼っている人がいます。  集落と山との際に置かれた巣箱が、蜂蜜の匂いを嗅ぎつけた熊に襲われたという話を、毎年のように聞きます。集落付近に現れた熊が、有害鳥獣捕獲によって捕らえられたときには、その肉をいただくこともあります。一方で、蜂には気の毒ですが、巣箱が襲われたことで、それまで見えなかった熊の存在に人が気が付くことにつながってもいます。養蜂という営みが、結果として、山から集落へ近づく熊の動きを知らせる、一つのセンサーのような役割も果たしているのかもしれません。穀物と鳥。獣と犬。蜂蜜と熊。作物を作っても、全てが人間のものになるわけではない。ある程度、獣や鳥に食べられることは折り込みながらも、人の暮らしが成り立たなくなるところまでは明け渡さない。時には、捕らえた命も、恵みに変える。もちろん、実際の被害がいつも「おあいこ」で済んだわけではないでしょう。それでも、この感覚の中には、人も山から恵みをいただいて生きているという自覚と、自分たちも自然に働きかけていかなければ暮らす環境は維持できないという、覚悟のようなものが表れているように思います。山の恵みをいただきながら、獣や鳥の動きを見て、その都度、距離を取り直す。自然と共に生きるとは、自然への働きかけをやめることではなく、恵みと被害、感謝と緊張の間で、どこまで受け入れ、どこから守るのかを判断し続けることなのだと思います。


ここからは、山の暮らしが、実際にどのように人と自然の境界を守ってきたのかについて、考えてみたいと思います。かつて早川の多くの集落では、今では木に覆われている山の中腹まで、畑が広がっていました。人が畑へ通い、作物を育て、周囲の草を刈る。山の斜面に人の目と手が入り続けることで、獣が身を隠したまま集落の近くまで下りてこられる藪は、今よりずっと少なかったはずです。もちろん、それでも獣による被害はあったでしょう。作物を目当てに、鳥や獣がやって来ることも当然あったと思います。大切なのは、そこが人の手の入り続ける場所だったということです。畑を耕し、草を刈る。その向こうの山から薪を拾い、木を伐る。炭窯のある山へ通い、炭を焼く。山菜やきのこを探す。山道を歩き、水源を見回る。猟に出て、犬とともに山を歩く。どれも、人が生きるために必要だった営みです。しかし結果として、こうした営みは、三つの働きを果たしていたのではないかと思います。一つは、草や藪に覆われる場所を減らし、山と集落との間の見通しを保つこと。一つは、人が繰り返し山へ入り、そこが「人のいる場所」であることを示し続けること。そしてもう一つは、足跡や糞、食痕、気配や鳴き声などから、獣の存在に早く気づくことです。山の暮らしが守っていた人と自然の境界は、柵のように両者を隔てる一本の線ではなく、ある程度の幅を持った場所でした。人は山から資源を調達し、鳥や獣は人の作物を目当てに近づいてくる。人は追い払い、ときには捕らえ、獣もまた人の気配を感じて距離を取る。そうやって、その都度、互いの距離を取り直してきました。そうした営みの重なりが、集落と奥山との間に、「人の気配が続く、幅のある場所」をつくっていたのだと思います。それは、自然を人の暮らしから切り離すことではありません。人もまた自然の中で生きながら、山や獣との距離を絶えず調整してきたのでしょう。人と自然の境界は、そこに線を引けば守れるものではない。日々の暮らしのなかで、人が山に関わり続けることによって、保たれてきたものなのだと思います。


前回、「よろず」と「共同」の元となった二つの小屋について書きましたが、私の中で、どうしても書いておかなければならない、もう一つの小屋があります。それは、早川町の西山地区を拠点に活動する狩猟グループ「かのし会」の、通称「かのし小屋」のことです。(「かのし」は、西山の言葉でニホンジカのこと)私が初めてこの小屋を訪れたのは、早川と関わり始めたばかりの大学4年生の頃でした。地元の猟師さんが私を小屋へ招待してくださり、猟の現場を見せていただき、獲れた獲物をその場で解体し、猟師ならではの料理で食べさせてくれました。その一部始終が、当時の私には衝撃でした。猟の日の朝、猟師たちはまず小屋へ集まります。山の様子や獣の動きを考えながら、その日に入る山と、それぞれの持ち場(マグサ)を決めます。勢子(セコ)役の猟師が犬を連れて山へ入り、犬を放す。犬に追われた獲物が、マグサで待つ猟師の前に現れ、猟師が撃つ。猟が終われば、獲物を小屋へ運び、解体し、肉を分け、料理する。解体する人、肉を刻む人、鍋を煮る人、テーブルを整える人。自然に役割が分かれ、準備が整うと宴が始まります。途中、山の神に捧げていたお神酒を回し飲みするのも恒例の儀式です。そこで語られるのは、獲れた、獲れなかったという結果だけでなく、犬がどこから獲物を追ったのか。獲物はどのようなルートで逃げたのか。マグサにいた猟師はどこに座り、どこを見ていて、実際に獲物はどこから現れて、どう撃ったのか、など。その日、それぞれに起きた出来事を語る、通称「絵語り」を聞きながら、山の見方や獣の動き、さまざまな状況での人と犬の配置や動きが共有されていきます。もちろん、昔の武勇伝や失敗談も飛び出し、笑いが絶えません。真剣な猟の場でありながら、どこか少年たちの秘密基地のような楽しさもあります。そこには、狩猟の準備と実践、獲物の解体と料理、学びと反省、そして仲間との楽しい時間が同居していました。山で起きたことを小屋へ持ち帰り、食べ、語り、笑い、次の実践へつなげていく。それぞれが山と関わるなかで得た経験を共有し、みんなの知恵に変えていく。私はそこへ何度も招いてもらい、やがて自分でも狩猟を始め、今では「かのし会」の仲間に入れてもらっています。何の経験もなかった人間が、繰り返し通い、見聞きし、手を動かすなかで、少しずつ役割を持ち、仲間になっていく。かのし小屋は、ただ猟をするための場所ではなく、山と人との関わりを学び、関わりを考えていく場所でもあったのだと思います。この場所で自分に起きたことこそ、「山の共同よろず小屋」でつくりたい関係の原型です。山へ出る前に考え、相談し、実際に山へ入り、山を歩き、持ち帰ったものを処理し、調理し、みんなで食べ、今日あったこと、考えたことを語り合い共有し、また次の実践へ繋げていく。そして、かつての私のように、山の暮らしに初めてふれる人が、繰り返し関わるなかで、いつか自分なりの役割を持つ仲間になっていく。その入口をつくりたい。かのし小屋で過ごしてきた時間が、今回の小屋づくりへとつながっていることは間違いありません。


前回、よろず小屋を「山の暮らしにふれる入り口」にしたいと書きました。この小屋を考えるとき、私たちがイメージした、二つの場所があります。一つは、早川町内の多くの家に残る、小さな農作業小屋や納屋です。そこでは、農具や山仕事の道具を置き、壊れれば修理する。収穫した豆や穀類を広げ、山菜を塩漬けにして保存し、味噌を仕込む。作業の合間には、自家製のお漬物や煮物が並び、お茶飲みをする。作業もすれば、おしゃべりもある。季節が変われば仕事が変わり、小屋の使われ方もそれに合わせて変わっていく。一つの目的のためにつくられた場所ではなく、その時々の暮らしに必要な、よろずの仕事を受け止める、素朴で実用的な場所です。もう一つは、集落で共有していた場所です。水車小屋、豆腐小屋、共同水場、共同の釜場など、早川の集落には、それぞれの家では持つことが難しい設備を、集落で共有する場所がありました。いつも大勢が集まって共同作業をしていたわけではなく、必要な人が順番に使う場所でした。そこで顔を合わせ、使い方を教え合ったり、一緒に手入れをしたりすることもあったのだと思います。一軒の家では持てないものを集落で持ち、互いに使えるようにする。そこには、暮らしに必要なものを集落で共有し、支え合って使う「共同」の形がありました。家々の農作業小屋が持っていた、さまざまな仕事を受け止める「よろず」の性格。集落の小屋や作業場が持っていた、一軒では持てない設備を皆で持ち、使い合う「共同」の性格。私たちがつくろうとしている「山の共同よろず小屋」には、この二つの場所の姿を重ねています。山から採ってきたものを、選り分け、洗い、必要な処理をし、保存する。秋には干し柿を作り、冬になれば味噌や寒ざらし大根を仕込む。正月前には餅をつき、蕎麦を打つ。季節や、その日に集まった人たちに応じて、いろいろな仕事や学びを受け止める場所。そこにあった、暮らしのさまざまな営みを受け止める場所と、一軒では持てないものを共有する仕組みを、今の暮らしに合った形でつくり直したい。そして、一緒に手を動かし、知恵や技術を学び合う関係にもつなげていきたい。それが、私たちの考える「山の共同よろず小屋」です。次回は、このプロジェクトの原点ともいえる、とある小屋での体験について書きたいと思います。


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