本日、映画関係者、支援して頂いた方々に向けての試写会を行いました。ご来場下さった皆様、心より御礼申し上げます。人に見られる事で映画が成立すると、改めて実感しました。完成!とホッとしたのは一瞬で、ここからが本当のスタートだと、気を引き締めています。この映画とどこまで行けるか、楽しみでなりません。プロレス的なセリフで言うと、「この最高のベルト、俺がより輝かせます」という感じです。本当に、感謝しかありません。そしてあらゆる人の支えがあって完成した映画です。ありがとうございました。最後に、自転車で帰っていく蘭妖子さん。
写真は雨を降らしている場面です。東京から専門家を呼びました。これは雨を人工的に降らしていますが、皮肉なことに、先日も書いた通り、撮影の期間は雨ばかりでした。今年は梅雨明けが異常に遅かったのです。毎日毎日雨の連続。カンカン照りのつもりでシナリオを書いたのに。。。天を呪っても仕方ないのですが、毎日恨めしく空を見上げました。撮影は遅れる一方です。「人間が自然の中でいかに生きていくか」という、映画のテーマを嫌というほど体感しました。人は無力。自然をコントロールすることは、絶対に出来ない。雨は、毎日ずっと降っているわけではありません。朝は曇り空で、ところどころ青空すら散見できます。「よし、今日こそは!」と意気込みます。しかし、大切なところで必ず雨が降ります。「本番はいりまーす!」と言った瞬間に雨がザーッと来ます。山の天気は移り変わりが激しいのです。基本的なロケ地は、車が停められる林道から少し下った川原です。下るといってもこんな感じでロープを伝って下りて行きます。この坂を機材等、全て持って運ぶのですから、大変です。ある日、川原で小向さんが、天を見て「あ、雨」と言う場面を撮影しました。そしたら本当に雨が降ってきました。ゲリラ暴風雨です。しかもゲリラなのになかなか立ち去りません。スタッフ、キャスト、全員テントの下に避難します。川は増水し、命の危険すら感じます。この日の撮影は中止、退去という答えを出すしかありません。私は林道へ登る、あのロープの張った登り口を見に行くと、見事に雨水が滝になっていました。流石にこの場面を写真に撮っているスタッフは居ませんでしたが、すごい光景でした。止まらない雨、増水し続ける川、足止めを食らう私たち。撮影スケジュールの事は忘れていました。とにかく、ここから生還せねばなりません。大袈裟でなく、本当にそれが一番の問題でした。やがて日は暮れ、段々暗くなって来ました。雨が降り始めて約40分後です。意を決して、車がある林道まで登ろうということになりました。人間が登るだけならまだいいです。機材、備品、小道具など、2トントラック程の量になります。全員がドロドロになったというか、泥の塊になりました。雨の中バケツリレーです。なんて最悪な状況か。。。私は頭を抱えました。叫びたい気持ちでした。しかし、嫌な顔のスタッフは誰一人としていませんでした。むしろ、この悲惨な状況を楽しんでいるスタッフもいるくらいです。「いやー非日常すぎて逆に燃えるよねー!」なんていう会話が聞こえます。スタッフ全員、私よりも何段も強いメンタルの持ち主でした。弱音や文句を言っても何も状況が良くならないと、全員が知っていました。自分のするべき事を即座に判断し、一丸となり避難しました。林道にテントを建て、その下に道具類をすべて入れて行きます。そして順に車に積み終わった時には、完全に夜でした。問題の川原からは車で5分のところにある、待機場所に着いた時、なんと手作りご飯が用意されていたのです。食事スタッフが作って待っていてくれました。泣きそうになりました。映画は一人では絶対に作れない、という言葉を嫌というほど噛み締めた日でした。もちろん、この雨のおかげで、数シーンがカットされました。全て必要なシーンなので、本当は凄く悔しいはずなのですが、そんな風にして映画が導かれていくのかと、心のどこかで納得しました。映画は「作る」というより人と環境により「導かれ、作られる」ものなのだと。仏教における「他力」の片鱗を味わいました。得難い経験です。雨は不運などは問題ではなく、偉大なスタッフたちと現場にいる事が何よりの幸運だったと今になって思います。
今回、スタッフとキャストの一部は同じ宿舎にて合宿です。大部屋で個々が布団を敷いて寝るスタッフがほとんどでした。雑魚寝のような感じです。私は大部屋でテントを建てました。完全な集団生活です。そして、撮影現場の朝は早いです。大体朝は4時30分に始動します。これが毎日だから結構大変です。ちなみに、俳優部メイク部は4時前後から稼働します。撮影は延々と続き(とは言っても常に一分一秒を争いつつ、あっという間に)夜10時くらいに終わります。それからスタッフは後片付けをします。就寝は1時〜2時くらいです。なんてブラックなのでしょう。。。ゾッとします。私はとても楽しんでいましたが。。。私や制作スタッフが毎日欠かさずすることは、朝のおむすび作りです。経費削減のためになるべく自炊を心がけました。楽にお米を炊けるように無洗米を大量に、おむすびの型、のり、数キロのウィンナーを用意しました。毎日の朝ごはんです。初めの方は意気揚々と握っていましたが、撮影も後の方になると私も制作スタッフもヘロヘロです。スタッフ皆は寝るのが早くても午前1時です。睡眠時間は実に3時間。ほぼ全てのスタッフが、全期間、そうでした。そんな中フラフラになっておむすびを握るのですから、撮影前のひと山です。ある日私が寝坊をしました。そして、台所に行くと、おむすびが出来上がっていました。私を起こさずに、制作スタッフが既に握っていてくれました。申し訳ない気持ちで一杯になりました。予算が少ないために握る訳ですから。その日も次の日の撮影の打ち合わせは深夜までに及びました。私と撮影監督・上野さんとでカンカンガクガクの議論です。寝る前、ヘロヘロになった私はあるスタッフ(友人)にお願いしました。「明日の朝、とにかく起こして欲しい」と。朝になり、スタッフが私のテントの前て言いました。「笹谷くん!!上野さんが怒って帰るって!!」私は全身にビリビリと電撃を浴びたように飛び起きました。その様子に驚いたスタッフ「ごめん嘘嘘」。我に帰る私。安堵のため息とともに、おむすびを握りました。そんな過酷で楽しい毎日でした。
「山歌(サンカ)」ではいさまスタジオ映画祭実行委員会のよびかけで中之条町のエキストラの皆様にご協力を頂き、あるシーンを撮りました。足元のみ、山人になってもらいました。これはほんの一例ですが、いさまスタジオ映画祭実行委員会の方々、町役場の方々の力強いバックアップのもと、本作品での99%は群馬県中之条町にて撮影しました。地元パワー全開でのロケハンと撮影でした。そして中之条町はとにかくロケ地が豊富でした。「こんな場所ないかしら?」の声に、実行委員会、町役場の方々が全力で応えてくれました。それだけでなく、中之条町は自然の懐がとても深いところでもあります。四万温泉付近の自然の豊かさ(谷っぽい湿度のある緑)と、六合(くに)という山にぐいぐい入ったところ(草津のすぐ東に位置します)の自然の表情(高山の緑)は全く違っていました。数あるロケ候補地を巡るのが本当に楽しかったです。ロケハンは画面を想像しながら歩きます。例えば、こちらは1965年の民家を探して行き着いたかやぶき屋根の民家。「ねどふみの里」といい、きれいに保存されています。よく見ると雪が降っているのがわかります。3月です。さすがの低気圧男の私も自分の力に驚きました。ここが夏にはこうなりました。そして私たちはサンカのいそうな川原をもとめてひたすら練り歩きました。そこで出会ったのかここです。晩冬なので殺風景ですが、この川原がこうなりました。私が驚いたのは、こうした季節の移ろい方も熟知している地元の方々の肌感覚でした。中之条町でのロケハンに関わってくださった方々皆が、どこに行けば何があるか、どのような絵が取れるのか、どのように変化していくのかを知っていました。ただ住むだけではなく、よく見、観察されているからこそ、このようなロケ地に出会うことが出来ました。この場所で映画を作れて本当に良かったと思っています。そして何より、いさまスタジオ映画祭実行委員、町役場の方々はもちろんのこと、道を聞いたおじいちゃんおばあちゃんまで、皆映画に熱い町です。11月10日はいさまスタジオ映画祭です。本作品も上映されます。ご来場お待ちしております。https://isama-cinema.jp/isama2019/main2019.html
伊参(いさま)スタジオ映画祭ゲストについてのご連絡。 本作品は昨年の伊参スタジオ映画祭にてシナリオ大賞を頂き、映画祭から賞金として製作費の一部を頂きました。 そして今年の伊参スタジオ映画祭にて本作品「山歌(サンカ)」は初上映されます。 そして上映後に出演者と共に舞台挨拶を行います。 渋川清彦さん杉田雷麟(らいる)さん小向なるさん内田春菊さん 増田敦さん にご登壇頂きます。 自分でいうのもなんですが。。。豪華な顔ぶれ。 11月10日(日)14:55〜 伊参スタジオにて上映開始。 https://isama-cinema.jp/isama2019/main2019.html 電車でお越しの方は中之条駅から送迎車が出ています。 山の中の小さくて大きい映画祭。是非是非お越し下さい! 映画祭の帰りに四万温泉、沢渡温泉へ寄るのもいいですね。(注意:伊参スタジオ映画祭は当ファンディングにおける試写会ではありません。ご招待できる試写会は11月3日です。ご留意くださいませ)