(連絡事項:12月8日にご支援頂いた方向けに都内にて試写会を行います。(すみません・・・10000円以上のご支援頂いた方が対象です)リターンの欄に11月3日と書かれていますが、12月8日の会にもご参加いただけます。どうかご了承くださいませ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上の画像が今時点でのメインビジュアルです。この場所は、中之条の町から少し離れて沢渡温泉の方へ向かう途中にある、伊賀野のモミの木です。地元ではわりと知っている人は多いのですが、ロケハンの時にたまたま通りかかり、ここで撮りたいと思いました。今回のロケでは、低予算のためスチールカメラマンは入っていません。なので、この写真は私のiPhoneSEでリハーサルとの時に適当に撮った写真です。「山歌(サンカ)」では、というか私が作る映画では、人間が自然の中でどう生きていくかを問いたいのですが、この写真が撮れた時、一人で感動していました。「自然」という言葉を映画で追い求めたいと、私は常々思っています。自然という言葉は、現代ではネイチャーという意味を強く持っていますが、かつての日本では人間を含めたこの世の全てが自然と呼ばれていました。現代では、人間が自然をいかにコントロールするかということに躍起になっていますが、本来、自然と人間は対立するものではなくて、人間は自然に包まれたイチ動物でしかない、というのが古来のこの列島に生きた人々の考え方でした。東日本大震災、それに続く原発事故のあと、私は自然の理の中で生きる人間を撮りたいと考えるようになりました。経済主義の限界点を迎えた今、どうやって生きていくのか、私たちの世代が問い直さなければならないと、今もそう思っています。そんな思いでこのシナリオを書き、撮影に臨みました。などと言いつつ、パンクした車3台、脱輪した車1台、雨の中タイヤが滑って動かなくなりスタッフ全員でずぶ濡れで山道をおした車1台、連日の雨。ヒル問題。洗濯乾かない問題。なんという思っいっきり山にはねっ返されました。「小僧、まだまだ甘い」という感じでしょうか。。。
映画を作ることは「世界をつくること」だとつくづく思います。いや、思い知らされました。1965年が舞台、そしてモチーフがサンカという、2つの虚構を前提にシナリオを書いてしまったので、今回は特に・・・。しかし書くのは自由ですから!まず衣装。本当に悩みました。撮影前日まで悩みました。上の写真、省三の衣装は、藤布という靭皮繊維です。厳密には違うのですが、麻のようなゴワゴワした質感を想像していただければ分かりやすいと思います。私たちが普段着ているのは、ほぼ木綿です。なのでサンカのワイルドさと異質さがより出たのではないかと思っています。そしてハナさんの衣装。サンカを調べると、残っている写真において女性は絣(かすり)を着ている率が高いです。それを再現したわけではないのですが、色々試していくうちに、やはりこれが一番しっくりきました。薄い赤も入り、可愛らしさも残しつつ、格好良くワイルドに。撮影前日の都内でのテスト撮影。二着目の服と髪型がこの時に決まりました。この映りを見た時思わず「よし!!」と言いました。思惑通りの雰囲気が小向さんからにじみ出ていたからです。そして小道具です。サンカは「マキリ」という独特の両刃包丁を使っていたと言われています。やはり「マキリ」がないと説得力が出ません。しかしもちろん、売っていません。なので、沖縄の鍛冶屋さんに特注で作ってもらいました。本当に本当に素晴らしい鍛冶屋さんです。マキリのこともご存知で、こんなにもいいものを作ってくれました。もちろん、本当に切れます。こんな野趣に富んだ刃物を作れる人は、この方だけだと思っています。ぜひ見て欲しいです。すごいんです。(カニマン鍛治工房)これも劇中に少し登場します。しかし、これはほんのほんの一部です。美術、装飾、衣装、小道具そして人間。すべて説得力を持ち初めて映画の土台が成立するのだと、近頃になってつくづく思います。プロの技の結集です。私以外、凄かったなあと・・・。
そして満を持して、今日書くのは「伊参スタジオ映画祭」についてです。はじめて応募した年、最終選考まで残り映画祭に招待されました。シナリオハンティングでも行ったのですが、会場は使わなくなった小学校なんです。なんとこの学校を拠点に映画を作ることもあるらしく、校内には映画「月とキャベツ」や「眠る男」、「埋れ木」などの資料が展示されていて、ファンとしては嬉しい限り。映画祭の日、中之条駅からバスに乗り、小学校へ到着し、ある教室に通され、小学校なので低い椅子に座らされました。横には最終選考まで残った人たち10人ほどがいます。ライバルです。この中の誰かが大賞を取る。。。心中穏やかではありません。こういう時、反射的に窓の外のグラウンドとかを見たりするんですよね。。。。発表の瞬間まで気が気でありません。受賞者発表を同じ場所で3度経験しましたが、あれほど体に悪いものはないと思います。しかし、受賞の喜びを家族へ持ち帰れたことは、一生の思い出です。話は変わり、今回の映画です。このシナリオは賞を取ったものの、実現がかなりかなり難しいと、映画祭側も理解しててくれたのだと思いますが、今回はいさまスタジオ映画祭実行委員会のスタッフの方達に、かなりかなりかなりお世話になりました。しかも皆ボランティアスタッフなんです。なのに私は遠慮なく注文をしていきます。「ーーがあるロケ場所を教えてほしい」「協賛企業回りを一緒にして欲しい」「イワナが欲しい、ウナギが欲しい」「伝統神楽を撮りたい」「旧車をそろえて欲しい」「撮影許可をとってほしい」「ロケハンで泊まる場所を手配してほしい」「竹かごの編み方を教えてほしい」「美術を手伝ってほしい」「あれ持ってきて」「これ持ってきて」等、もっともっと、数限りなく要望を出しました。しかし、誰一人嫌な顔をしません。しかも(強調しますが)ボランティアです。そして、何より嬉しいことは、皆様がこの映画を愛してくれていることでした。東京でことを進める私達、そして現場でことを進めてくれる映画祭実行委員会。その二人三脚で、この映画は出来ました。この日本はほとんどが山です。山のロケーションはどこにでもあるかも知れません。しかし、現地を熟知していないと、映画の動線は成立しません。映画は「地の利」だと、今回つくづく思いました。実行委員会の土地勘がないと、このロケは出来なかったでしょう。上野さんが言いました。「映画は撮ることも大事だけれど人を運ぶことがもっと大事」だと。ロケが90%の今回の映画では、地図上でどのようにスケジュールを立てるかが重要になります。8台ほどの車でゾロゾロ移動するんです。そこで地元の方の感覚が本当に頼りになりました。しかも経験を積んでる人たちばかりなので、私なんかより全然映画の作り方を知っている。フィルムコミッションの域をとうに超え、もはや完全に共犯者です。実行委員長 岡安賢一さん六合に住む山女 諸角容子さん前実行委員長 福田公雄さん役場の唐澤陽平さん筆舌に尽くせぬ思いです。本当にありがとうございました。映画愛と郷土愛ですね。本当に、書ききれない感謝です。初めてのロケハン、3月でした。下の写真を撮った時、本番で上の絵を撮ろうと決めました。冬の方が抜けがいいですね。。。
本作品にて主演を務めてくれた杉田雷麟くんの新作が来年公開されます!映画「子どもたちをよろしく」来年2月29日ユーロスペースから公開はじまります!杉田くんからは過酷な撮影の話を様々聞きました。非常にボディブローの効いた内容で、本編がとても楽しみです。・・・・・・・・・・・・・・・・さてシナリオの話。2018年は正月からこの「山歌(サンカ)」旧題「黄金」のシナリオに取り掛かりました。しかし、難産の末の難産。本当に才が足りずに、シナリオを映画祭に提出する3日前までは「舞台は1965年、都会の少年がサンカの家族に出会い、仲良くなるが、やむなく別れ泣いて見送る」という内容でした。いやあ、そうしなくて良かった!!シナリオの世界では、「これ、もしかしてめちゃくちゃつまらないのではないか。。?」と思う瞬間こそが、シナリオが良くなるチャンスだと言います。「チャンス来たー!」と言いながら駅前のタリーズコーヒーで頭を抱え続けました。途中で諦めてプロレスの動画を見てたりはするのですが、6時間ほど経ち、「昭和の」シナリオの権現様が降り立ちました。それで「黄金」は完成しました。私はプロレスが大好きで、プロレスからは学ぶことが様々あります。プロレスラーは誰しも、常に自分を探しています。見られている存在としての自分が、今ここで何をするべきなのか、いつも考えているのです。観客の想像の範囲ではなく、観客の想像を超えた試合、パフォーマンスをするレスラーが名前を残していきます。止まらないので深くは書きませんが・・・そして私が思うプロレスの基本(もしかすると究極)は、「イデオロギーの対立」です。(よく言うのはプロレスは「最強」か「最高」か、という対立です。これも長くなるので割愛します・・・)私は、映画もそうだと思っています。例えば、ゴジラは必ず自分が人間の敵なのか、味方なのか、スタンスを明確にしてから人間、または外敵怪獣との戦いに入ります。じゃあシナリオ「黄金」のイデオロギーとはなんだろうか。やはり「自然対人間主義」なのでした。それはそのまま「サンカ対開発」のイデオロギー対立に移行します。書いてみると不思議で、1965年の舞台設定ながら、2019年の今も地続きだとヒシヒシと感じます。むしろ現代、来るところまで来てしまったと、どうしようもないところに来ていると、戦慄しながら書きました。そして無事、投函しました。
黄金に至るまでのシナリオについて。読みたい人が居るのかと頭をよぎりましたが、この映画のことを知ってもらう一助になれば、と思いここに記します。2015年、シナリオ作家協会の講座にて、私は今井雅子先生(近作は「嘘八百「京都ロワイヤル」 」!)、阿相クミコ先生(近作は連続ドラマ「ヤヌスの鏡」 )のもと受講者3.4人という贅沢な環境の中、シナリオを学びました。本当に親身かつ実りある講座の中、シナリオをやり始めると、その深淵に戦慄しました。こんな大変な仕事、生半可な気持ちでは出来ない!という気持ちと、技術が上がれば自分の書きたいことを自由に書けるというなんとなくの手応え、高揚感を持ったように思います。シナリオは深淵。キリがないが面白すぎる。その頃からサンカがモチーフのシナリオばかり書いていました。変な受講生だったと思います。2016年、初めて中之条町の六合地区に来た時、私はその深い自然や景色、音に吸い込まれそうになりました。なんとなく感じる人外の雰囲気にただただ圧倒されたのです。自然の中で人間が生きるとはどういうことなのか、この地を舞台に力強く突き詰めたシナリオを書きたいと思いました。そして私はサンカの中年男と、吃音の少女が出会う物語を書きました。これも舞台は1965年。初めての中編シナリオでした。題を「山人美観」と言います。そしてその年のいさまスタジオ映画祭に応募し、なんと最終選考まで残ってしまいました。賞を頂くことはありませんでしたが、審査員の酒井昌三先生から激励の言葉を頂きました。(「山人美観」を評し)「作者が持ち続けている自然と人間の歴史とドラマの問題意識の崇高さは独特であり称賛に値するものだと僕は思っています」(坂井昌三氏「伊参シナリオ大賞2016」冊子より抜粋)その言葉のお陰で今があります。自分はこの道を突き進もうと決めたのでした。それからも「馬ありて」を進めつつシナリオを書いていきました。当映画祭以外にもいくつか応募をしました。2017年は舞台を現代に移し、主人公の高校生の女の子の親友が、実はサンカの末裔で、その子が野生に戻っていくというシナリオを書きました。今こうして書いていても、「おおすごい話だな」と思ってしまいます。。。そのシナリオはいさまスタジオ映画祭2017にて、坂井先生から審査員奨励賞を頂きました。この時、生意気ながら、とても悔しかったことを記憶してます。そして2018年が来ました。