じぇじぇじぇー!ファミコンソフトだったの!! この画像はプロジェクトチームが書いたものではなくて、とあるイラストレーター?の方の二次創作です。 開発メンバーもこのイラストを見てビックリ!そして大変喜んでいます。 うまく伝わっているか不安ですが、 「モンケン」プロジェクトは、新しい著作権ルールの普及を目指すCCクリエイティブコモンズに賛同し、一定の条件を守れば自由に使っていただきたいと思っています。 その条件とは「表示」「非営利」「継承」です。 ちょっとわかりにくいですね。 詳しいことはCCのページを見ていただいて、 簡単に言うとモンケンのキャラクターや音楽を、営利目的でなければ自由に使ってください。但しどこかに「モンケン」と書いてね。というものです。 使い方に迷った時は直接私に聞いてもらっても構いません。 じゃんじゃんモンケンを描いたり歌ったりして、ネットで応援してもらえると、最高にうれしいです。 以上、「モンケン」プロジェクトのセンター 中村隆之でした。
水無田気流『黒山もこもこ、抜けたら荒野』(光文社親書)より 「なんか不謹慎な気がする」。出たよ。ある日のtwitterでの『モンケン』に対するつぶやきだ。「不謹慎」。使い勝手のよい便利な言葉だ。自分の立場はあいまいにし、そうを言うことで、ある事象に対しもっともらしい意見を述べているような気分になれる。「不謹慎な気がする」オーケィ。で、その先に続く言葉は何? それを言わないと、どうにも転がっていかない。オレは件のつぶやいた人物に対してそれを訪ねた? 「私は事件のことはよく知りませんが、犠牲者もいるようですから、それがゲーム(=おふざけ)の題材になることは不謹慎だと思います」と返って来た。また逃げられた。 「不謹慎」と指摘することは「世の中にあってはいけない」と繋がっていく。GTA3は神奈川県で有害図書指定を受けた。湘南あたりのサーファーたちは傑作ゲームを県内では調達することが出来なかった。そしてゲームメーカーは過剰な自粛をしていく。君子危うきに近づくな。そりゃそうなる。 でも待ってくれ。現実の出来事をゲームとして遊ぶことがイカンとしたら……。それはゲームが持つ可能性のひとつを奪ってしまうだろう。 『映像の世紀』というドキュメント番組がある。例えば戦争を取り上げた回では、対立する国家のそれぞれのカメラマンが撮影したフィルムが交互にモンタージュされる。ある国家の元首がいる。自国のカメラマンが記録したフィルムと対立国のフィルムに残っているのは同一人物だが、記録者の立場によりその像はものすごく異なる。『映像の世紀』にはそうした「差異」がなんども現れ、僕たちは記録がかならずしも真実ではないことを知る。あるいはそれぞれの真実がある。 ゲームのような体験的なメディアで、不謹慎かもしれない出来事をモチーフにする理由はここだ。『モンケン』は治安する立場でプレイのだが、それと並行して敗走するテロリストとその足取りが描かれる。あるコミニュティから孤立し、凶行に至る若者たちの姿が間接的に描かれる。ゲームとしてそれを体験することは、これまでの記録や記憶を再点検する意味を持つ。それは、あたらしい歴史記述の方法だろう。 問題を「不謹慎な気がする」という言葉であいまいに遠ざけることはもはや罪だ。そのひとことが積重ねられ、ゲームではロック出来なくなってしまった。もちろんオレたちも悪い。でも、「ゲーミフィケーション」はシャバいマーケティングの言葉ではない。「ゲームがあたらしい歴史の記述法になり得る」のだ。この重要なポイントにうなずける方は『モンケン』をぜひ支援してほしい。 連合赤軍からは犯罪者が生まれたが、その発端は20代の若者たちの「世の中をよくしたい」という思いだった。歴史は繰り返す。「オウム心理教事件」の信者たちもそうだった。彼らもやはり「世界をよくしたい」と思う若者だった。それがなぜ活動を続ける中で反社会的な行動へと逸脱し、あげくおそろしい事件を起こしてしまうのか。彼らは例外的な存在なのか? ぼくはそうは思わない。 「ゲーム感覚で人を殺す」というのんきな事がいまだに言われ続けている。人を殺すのは人間で、ゲームにそれは出来ない。問題のすりかえもういい。もっと先に進めよう。現実と創作の関係性の中に何らかの違和感が生じて「不謹慎」という感情が生じる。その本質的な問題は僕たちの日常の中にある。ゲームの力でそれを浮き彫りにすることが事が出来る。それを丁寧に扱っていくことは世界をよりよく変えるということだ。 Power to the Game.Power to the People. もっと支援を。 (報告者:飯田和敏)
*本文で触れている「モンケン自由帳」が公開されおよそ1時間後のスクリーンショットです 昨夜から「インディゲーム『モンケン』プロジェクト緊急生放送!! どうしてこうなった!!」という番組を始めた。出来るだけ丁寧に『モンケン』やクラウドファンディングを説明しようと心がけたが、僕が大幅に遅刻、モジャモジャ頭の人がパーマに失敗、黒川さんの咳が治らないなどのバタバタで、段取りはぶっ飛び、脱線するわするわ、まぁするわー。ニコ生だし。なにかこう悲壮感すら漂っているかもしれないここでの報告とは違った、ガヤガヤわいわいニコニコもじゃもじゃな楽しい放送だった。運命を決するその日まで毎週水曜夜8時から行なう予定なので、次もよろしくデストロイ! 昨夜の番組はこちら→http://live.nicovideo.jp/watch/lv136917429 【次回放送予定】 【第2回】2013年 5月15日 (水) 20時 開演 http://live.nicovideo.jp/watch/lv137061603 昨年、ドミニク•チェンさんの『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』を読んでカーッとアツくなったことが『モンケン』をつくるきっかけのひとつだった。創作とそれを享受することが混ざり合ってある体験が作られる。それがゲームの特徴だ。あるゲームをクリア、またはスーパープレイをすると「オレ、すげぇ!」っていう気持ちになるよね。それを感じているの他でもない「オレ」自身。それがすごい。あるゲームをそれぞれの「オレ」が遊び、固有の体験が生まれる。すでにこれが2次創作と言えなくもない。そうしたことを以前から漠然と思っていたのだが、ドミニクさんの本を読んでスッキリした。で、そうしたゲームの特徴をもっと加速し、より多くの可能性を引き出すための方法がこの本で詳しく紹介されている。それがCCだ。CCでの運用を実践するために、僕たちはあたらしいゲームを自分たちで作る必要がある。『モンケン』ではもう始まっている。「100年前から続くインターネット上の秘密結社」IDPWが先日行なったテキストパーティに刺激されて、「モンケン自由帳」をはじめた。はじめたと言っても僕はファイルをひとつ作っただけ。ぜひ覗いてみてほしい。冒頭の強烈なイラストはまだ知らぬ誰かが(勝手に)描いてくれたものだ(ありがとう!!!! いつか一杯おごらせてほしい!!!)。アドレスを公開した直後にババーンと貼られ、その速度とクオリティーにびっくりした! また、(勝手に)マップの設計が始まっている。それにしても「みつこ♡」って誰だよw こうしたことにも「自由文化」のパワーの一端を感じている。もやっとしていたものがドミニクさんの本で焦点が合い、一連の行為の中で確信へと変わりつつある。 「モンケン自由帳」には制限をかけていないので誰が何をしてもいい。砂場で一生懸命作ったお城を乱暴な子どもがやって来てぶっ壊すみたいな事があるかもしれない。それもよしとしている(壊れたら悲しいが)。つねに「いま」は「いま」しかないという事が遊びを通して認識出来る。僕たちは遊びと現実、現実と遊びを反復しながら「オレ、すげぇ!」を「オマエ、すげぇ!」に、そして「みんな、すげぇ!」に拡張していきたいのだ。それは、なぜか? ……なぜだろう。 (報告者:飯田和敏)
*『大東京トイボックス 5巻』(著者うめ/バーズコミックス)より。過労で倒れたゲームクリエイターを分析する医者。これを読んだ時、心を読まれたと思ってビックリしました。 いまゲームは誰でも作ることが出来る。フリーのツールを組み合わせることで開発環境は整う。ちょっと前ならゲンナマ1本用意しろ、って話だった。もし、テクニカルな部分で詰まったら、ゲーム開発者が集まっているコミュニティに働きかけるといい。マナーを守れば親切な人が助けてくれるだろう。いい文献も増えた。グラフィックスやサウンドも必要だがなんとかなる。ゲームに特化したハッカソンイベントに参加して仲間を作るのはかなりいいやり方だ。 「モンケンクラブ」は『モンケン』を作り育てることを目的とする(この作品のゲーム文化史における重要性は次の機会に)。自力+αでゲームを作りたいのであれば上に述べた方法がオススメなので、このクラブには近づくな(でも支援はして!)。「モンケンクラブ」の具体的な活動は集まった人々の個性により自然に定まると、指揮者役をつとめる僕は思っている。現在のコアメンバーは「ネタ出し」「データ作成」「実装」を行なっている。「モンケンクラブ」メンバーはその全てにコミットすること出来るが、何をしてもいい。見ているだけでもいい。ピラミッドのような巨大な建築物を大勢で築いていくのではなく、蟻の巣のように秩序を保ちながらも縦横無尽に拡がっていくイメージだ。モンケンのテーマ曲をクラブメンバー全員で輪唱するのもおもしろいかもしれない。ただ『モンケン』はCCで運用されるので2次創作は自由だ。「モンケンクラブ」への加入は必須ではない(でも支援はして!)。 肝はここからだ。僕たちはひとつのゲームを作るために、思いついたアイディアの9割を葬っている。まったくヒドイ。もしアイディア人権団体があったら、僕たちはまっさきに糾弾されるだろう。「モンケンクラブ」はそれを回避出来る可能性がある。例えば、現状ではモンケンの操作方法としてA案「クレーンを動かし物理演算でモンケンを操作する」とB案「モンケンに直接タッチして操作する」があり、それぞれに長所短所がある。僕はある理由でA案を推しているが、B案もわるくない(というか、そのよさは『Angry bird』によって立証されている)。僕はB案を退ける決断をし、今後はA案をベースに別のアイディアを重ねて行く事になるだろう。完成してから、もしあの時、B案を採用したらどういうゲームになったんだろう、と思う。そしてB案ごめんよ、と頭を垂れる。決断が正しければ正しいほど罪悪感は疼く。ゲームクリエイターはそうやって死んだ子の年を数える思いをしてきた。そろそろその苦悩から解放されたいんだ! 全てのアイディアは実を結ぶべきである。たとえそれがいまはイマイチなものであってもだ。手をかけていけばいつかはイケる。つまり「しくじるなよ、ルーディ」(二木信評論集のタイトルより)ってわけ。『モンケン』は「みんなで作る」とうたっているが、本当は「みんなが作る」んだ。オレもみんなもオマエモナー。支援を頼む! (報告者:飯田和敏)
昨夜、『モンケン』オーガナイザー黒川文雄が話題のイベントスペース、ゲンロンカフェに登壇した。IDGA代表の小野憲史さんと一緒にサンフランシスコで先月開催されたGDC(ゲームディベロッパーズカンファレンス)の報告会である。黒川文雄はゲーム業界の重要人物だが、現在所属している組織はない。そうした立場でGDCに参加すること自体が異例だが、さらに黒川はiPhoneに開発中の『モンケン』をぶちこみ、世界各国から集まったゲーム開発者たちひとりひとりにアピールしてきた。1日100人というノルマを自らに課していたと言う。これをするための費用はもちろんジバラだ。どう? このハラキリ。最高にアホっぽい! が、その成果はあった。なんと『モンケン』は憧れのゲーム雑誌「EDGE」に掲載されちゃったんだ! スゲー! デタラメに崩れていく世界で、信用出来るのは有言実行のアホだけだ。後先考えずとにかくいまを動かす。間違えたら軌道修正すればいい。かの『バーチャファイター』ブームの仕掛け人だった黒川がこうした境地に至るには様々な出来事があったのだと推察する。いいこと、わるいこと、くやしいこと、たのしいこと、いろいろ。 『モンケン』チームはそれぞれ異なる道のりを歩みながらここに集結している。各々の価値観は違う。ただ、アとホの二文字を合体させると誰も見た事がない素敵な出来事が生まれる、それを信じている。ぜひ支援を。 (報告者:飯田和敏) *** 【緊急ニュース】 明日、ニコ生で「モンケン放送」があります。見てね。 http://live.nicovideo.jp/watch/lv136917429