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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

現在の支援総額

160,000

32%

目標金額は490,000円

支援者数

24

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

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現在の支援総額

160,000

32%達成

終了

目標金額490,000

支援者数24

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

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2015年5月29日~6月1日 Tさんより届いたメッセージ   5月29日から6月1日まで、札幌へ避難している家族(妻、娘2人)に会いに行ってきました。5月30日は、長女の11歳の誕生日でもあり、小学校の運動会でもありました。長女は、札幌で小学校に入学してから早5年生となり、次女は今年から小学校に入学しました。あっという間の4年間だったと、考えさせられます。 長女、次女ともに、真剣に運動会に臨み、それぞれに楽しんでいる風景が目に焼き付いています。姿を見ていると、なぜか涙が出そうになり、堪えるのに必死だったことを覚えています。子どもの成長に、そしてそれを見守ることの出来ない父親としての無念に。これは日が経つにつれて、ますます感じる事でしょう。 夜は長女の誕生日のためケーキとささやかなプレゼントを準備し、普通の家庭のようにお祝いをしました。普通なことが今できないでいます。当たり前ですが、家族といるときがいちばん幸せを感じます。たった数日間ですが、この限られた時間でどれだけ普通の父親としてのコミュニケーションができるか、子どもたちをずっと笑顔でいさせられるか、それだけに全身全霊をかけているような気がします。   これから家族がどうなっていくかわかりませんが、どのようなかたちになったとしても、子どもたちが幸せになってくれることだけを考えて、日々生きています。 風評被害は、県内と県外ではますます温度差が出来ているような気がします。良いイメージより悪いイメージが受け入れやすく、それを逆手にネット上で根拠のないマイナスイメージを好き勝手言ってることが問題であり、しょせんは他人ごと、自分には関係ないと、風化する傾向が感じられるのは非常に残念です。 しかし、少数ではありますが、このような団体があり、支援して下さる方々のおかげで、少しでも多く家族に会えることができることに、本当に感謝しております。   ・・・・・・・・・・・・・ この活動には皆様からのご支援が必要です。 夏休みにひとりでも多くの子どもたちにパパを届けることができるよう、ご協力をお願いします。


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2015年5月19日~5月23日 Wさんより   震災から5年…わたし達親子は震災があった月の3月20日新潟〜小樽のフェリーで小さなカバンに3日分の衣類とパソコンのみで元旦那と3人で土地勘もない北海道へ自主避難をしてきました。ホテル暮らしを転々としているうちに食費やホテル代がかさみ、慣れない生活の疲れなども含め元旦那は「友達は誰も避難していない、仕事をしたい」と福島へ1人帰り帰っていきました。 それから母子避難という形をとり、いろんな情報をかき集め沢山の方々からの支援により生活をしてきましたが、知らない土地での就職先を探すもなかなか決まらず、貯金を切り崩し生活をしていました。 二重生活や金銭面での苦痛もあり、私は余震の続く中での避難中に見たムスコの血の池のような鼻血を見て、もしこの子に何かがあったら謝っても何しても足りない、でもこの子から父親がいなくなるなるのは可哀想だから福島へ帰ろうかと散々悩み色々考え、話し合いの結果「息子を守る」その意思を固め別れを選択し、パパのいない生活が始まりました。 同じ避難者の皆様や支援者の皆様のおかげで何とか最低限の生活を取り戻すことはできました。ですが体調を崩す度に私に何かがあったらこの子はどうなるのだろうか、「福島に帰って来なさい!」という母の一言が心に刺さったり、私の腎臓に腫瘍の影があると聞かされた時には絶望さえ感じ、福島に帰ろうかと思った時期もありました。 福島に残してきた家族に会えない寂しさや、ニュースから流れる福島のテレビ番組、故郷を思わせる音楽が流れる度に家族を思っては涙が止まる日はありませんでした。 やっと北海道という土地に慣れてきて仕事先が決まっても車のない生活で、往復約1時間半の通勤。いくら働いても通勤、託児料、病院代とかさむ費用に悩まされ家族に会いに行くことすらできず、やっと細々と貯めた貯金で避難から2年後福島へ1度帰省し家族と会えた時がありましたが、やはり外部被曝、内部被曝が気になり楽しみつつも不安が募りそれ以来3年会うことができずにいました。 そんな中私の両祖母が心筋梗塞、脳梗塞、原因不明の血液の病気で入院生活を繰り返すうち、祖父を脳梗塞で亡くしお葬式すらでられず、体調も崩れていきどんどん生活が苦しくなっていきました。 そんな時[パパに会いたいプロジェクト]を見つけうちにはパパがいない…我が家には叶わないことだけれども、でもクリック1つで誰かしら一人でも家族に会えるならばと1日1度クリックで応援をしていました。 ある日たまたまつけていたテレビで福島の特集が組まれた番組を見て「バァバに会いたいなぁ」その息子の一言が胸に刺さりダメ元でもと思いきって息子を祖母に合わせたいのですがと相談をしたところ、有難いことにこちらのプロジェクトにより私の母が北海道に来れることになりました。 そして18日の昼フェリーで母が来札することができました。今までは電話やスカイプなどで話したりしていましたが、震災前は毎週のようにあっていた家族とあえなくなり、笑ったり、泣いたり、時には叱られたりもしますが、顔を見て話せる事がどれだけ大切か触れ合う事の大切さを身に染みて実感しています。 母は1週間と言う期間の滞在ですが私達親子の生活や北海道の良さを知ってもらうためレンタカーを借りたり、友達のご好意で母と息子と私3人の楽しい時間を過ごせている事にとても感謝しています。 特に息子が母に甘え今まで見せた事のないような笑顔を見てとてもうれしくおもいます。初めて北海道に来た母も北海道の良さを知り、また家族みんなで北海道へ会いに来ると今からとても楽しみにしています。 それもこれもこのプロジェクトを立ちあげてくれた皆様、そして賛同しご協力いただいた皆様のおかげと、感謝してもしきれない思いでいっぱいです。 このプロジェクトのおかげで不安定になっていた私の精神も安定し、食欲さえなくなっていた私が食欲も出てきて、子供に戻ったような気持ちで安らげています。 そんな親子がいる事を少しの人でも知っていただけたら…母子家庭の母子避難で不安や、悲しみ、辛さを抱えている人は私だけではないはずです。このような機会で救われる思い、助かる命がある事を知っていただけたらと思います。この度は本当に有難うございました。感謝してもしきれないです。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ご事情によりお母さんとの再会支援をさせて頂きました。 パパだけではありません。 家族がなぜ離れて暮らすこととなったのか。 どうかその気持ちをご理解ください。 安心だ、危険だということ以前に、この現実を見てください。 そしてご理解いただけたなら、力をお貸しください。


2015年8月9日~8月11日 Wさんより   8月9日から8月11日まで、福島県から福島第一原発事故により北海道札幌市に避難した息子に会いに行きました。 私達夫婦は避難後、原発への意見の食い違いや、仕事の都合上、妻が息子と札幌へ残り私は福島へ帰るという選択をし別々に暮らすことになりました。 行きの道中、私の顔を覚えているだろうか?顔つきはどちらに似ているのだろうか?身長は?性格は?など考え、諸事情により私の記憶の中での息子は3歳児の頃までの記憶のみでした。   実際に会ってみると、背丈は私の肩に近づき、体格もがっちりし男の子らしくぐっと大きくなっている事、5年の月日を忘れるくらいに沢山話してくれた事、そしてとても優しい子に育っていた事をとても嬉しく思う反面、その成長の過程を見届け、そばにいる事が出来なかったことが悔しくてなりません。 札幌には仕事の都合上2泊3日ととても少ない時間でしたが、旭山動物園や共通の趣味だとわかった映画を見に行ったりと、その道中も話が尽きることがなく、とても楽しい時間をすごすことができました。   パパに会いたいプロジェクトにより息子に合うことができ、そして、成長が見れた事にとても感謝しています。このプロジェクトを立ち上げてくださった皆様、そして、賛同しご寄付をしてくださった皆様、ありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ パパに会うことが出来ない子どもたちがいます。 ひとり子どもを育てる母親がいます。 わが子の成長を見守ることのできない父親がいます。 子どもたちにパパを届けたい。 家族の時間を届けたい。 皆様からのご協力をお待ちしています。  


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2015年8月12日~8月16日 Aさんより 私のお盆休みに合わせて5月の連休以来約3ヶ月ぶりに家族に会いに札幌に行ってきました。今回私の休みが13日から4日間で実質3日だったので12日の夜、仕事が終わってから行きました。 翌日は久しぶりに家族で温泉に泊まりに行きました。到着するなり子供たちが楽しみにしていたプールで遊びました。そこのプールはすべり台のような遊具は無いところなのですが、娘は最近水泳教室で覚えた泳ぎ方を見せてくれました。息子もあまり泳ぎが得意ではないので二人に私が教えられる範囲で泳ぎ方を教えました。ちょっとした事で止まらないで泳げるようになったので子供は吸収するのが早いなぁと思いました。 翌日は息子が以前から行きたがっていたスターウォーズ展を芸術の森美術館に見に行きました。実物大の登場人物に喜んで見入っていました。その後ラーメンを食べに行ったり買い物をしたりして2日目は過ごしました。 翌日は娘が見たいと言うトリックアートを見に札幌市青少年科学館に行きました。アリスのふしぎ体験ツアーとゆう企画展なのですが、そのほかにも宇宙や雪、科学に関する展示がたくさんあって長い時間楽しく過ごしてきました。 4日目はみんなで空港まで送ってくれるというので、ラジオ体操が終わってすぐドライブがてら出発しました。Uターンラッシュもピークで空港はとても混雑していましたが、食事をしたりみやげ店をのぞいたりして過ごしました。 あっと言う間の休日でしたが随所で子供たちの成長を感じられる事ができました。 今私が思うことは、子供たちと公園に行くとそこには友達がたくさん集まっています。同じ福島から避難している子、地元で生まれた子、つまりは子供達にはそんなことは関係なく子供達の世界や友情が確実に出来上がっていて、今の生活がとても大切なんだという事が見ていてとてもよくわかります。自主避難者の住宅支援は子供達のためのものなのに、今回の打ち切り決定はそういう子供達が築きあげている大事なものをまるで無視しているとしかいえず、とても遺憾に思います。国や県はなぜこういった状況になったのか、今一度考え、責任を果たすべきだと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何気ない日常は原発事故により奪われました。 ほんのひと時でも家族の時間を取り戻したい。 それには皆様のご支援が必要です。 どうかご協力のほど、お願い申し上げます。


2015年8月12日~8月15日 Sさんより 普段はお盆も仕事が入りがちな主人ですが、今年は西日本に母子避難し、初めての夏、なんとか休みをとり8月12日から15日会いに来てくれました! 12日は夜遅くに到着。ガチャンとドアがあいた瞬間、TVを見ていた小3次男は「お父さーん!」と有名人に遭遇したかのように興奮してました。 13日は主人と小6長男、小3次男で近くにあるプールに行きました。私はその間バイトへ出勤。3人でウォータースライダーや流れるプールを楽しんだようです。その夜はなんと次男が麻婆豆腐を作ってくれました。一人暮らしとなり、なかなか手作り料理を味わえない主人が美味しい!と喜んでました。 14日は映画『ミニオンズ』を家族で見に出掛けました。長男は来年中学生。家族で映画はこれが最後かもしれないなーとふと思いました。 15日はお父さんを駅に送りがてらウインドーショッピングし、3日間の家族の時間を終えました。 次男が13日の夕食時「こうやって家族四人でご飯食べるのが一番だね!」と嬉しそうに言った言葉を別れ際に思い出し、せつなくなりましたが、家族で再会し、楽しい時間を過ごせたのは私たち4人にとって明日への活力となりました。 我々は東京からの避難でもともと住宅支援は受けてません。子供に謎の健康被害が多々出て、避難後嘘のように改善されたことを考えると東京に戻るのは不安です。ただ避難生活も想定外の人生ため経済的に不安です。そんな中入ってきたのは住宅支援を受けていた人への支援打ち切りニュース。住宅支援を受けてる方はよほど汚染された地にいたか、健康被害を受けた方と想像できます。そうでなければ住みなれた地をわざわざ離れるわけがないでしょう。そういった苦しんでいる人への支援の打ち切りはイジメに似たものを感じます。 一方でオリンピックの施設建設に数百億。日本でオリンピックが開催されることに日本人が疑問ややるせなさを感じる…この構図、本当に虚しいです。ただ、不透明な未来の中、このような支援で不安な気持ちを少しでも支えていただけたことに希望を感じられます。 今回の支援がなければこの夏主人を移住先に呼ぶのは経済面を考慮し控えていたかもしれません。関わっている皆様に感謝いたします。本当にどうもありがとうございました。   ・・・・・・・・・・・・・・・ 子どもたちにパパを届けたい。 皆様からのご支援をお待ちしております。