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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

現在の支援総額

160,000

32%

目標金額は490,000円

支援者数

24

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

現在の支援総額

160,000

32%達成

終了

目標金額490,000

支援者数24

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

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2016年 4月30日~5月7日 参加のF様より 今回は支援いただき本当にありがとうございました。 夫はもちろん、周りの誰からも賛成してもらえなかった自主避難、自分で決めて母子で来ましたが知っている人(特に夫や両親)がいない場所で生活は思っていた以上に大変でした。どんなに具合が悪くなっても娘のことを全て自分でやらないといけない、万が一倒れたりしたら汚染地に戻らなくてはならなくなるというプレッシャーもあります。夫の反対を押し切って来たので、大変さや辛さを一番分かってもらいたい夫に辛い、苦しいなど話せません。時々、なぜここにいるのだろう、何で父不在で一人で子育てしているんだろう、娘は祖父母、従姉妹などにも会えず、私は両親、兄弟、甥や姪にも会えない、原発事故さえなかったらこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思うことが多くなりました。夫が来てくれて娘を少しの間だけでも見てもらえたことが私の心を軽くしてくれました。 パパが会いに来てくれる飛行機代、避難移住に必要な費用などのお金もかかり経済的にも苦しいです。 今回、「パパに会いたいプロジェクト」のような取り組みをしていただき、飛行機代が高いGWの交通費を出していただき本当に感謝しています。みんなで体調を崩してしまい、予定していた旅行には行けず残念でしたが、最後の2日で外出でき娘は大喜びでした。本当に有難く感謝の気持ちでいっぱいです。 これからもこのような取り組みをしていただけることが心細く苦しい母子避難している私にとっては大きな励みです。私も支援をして頂くだけでなく、自分に出来ることで恩返しさせていただきたいと思っています。 本当にありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・このプロジェクトには皆様のご支援が必要です。 子どもたちにパパを届けたい・・・ 夏休みに子どもらしくパパと遊ぶことができるよう、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


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2016年パパに会いたいプロジェクト~ゴールデンウィーク~ 4/29~5/9参加のT様より寄せられたメッセージ 「東日本大震災から早5年。当時関東に住んでいた私たち家族は、放射能からなるべく離れたい一心で、すぐに北海道に避難しました。 ただし、お父さん一人を関東に残して、子ども3人を連れての母子避難。 子どもの健康を第一に考えると避難はしたいけど、お金がないと生活できないから、苦渋の決断で、お父さんには関東で仕事を続けてもらうことにしたのです。 あの日から、今日まで、家族全員がそろった日は何日あったでしょう。 子どもと電話で話すと、必ず最後は「お父さんもそっちでみんなと暮らしたいな…」と言ってしまうお父さん。 なんて言ったらよいかわからず、黙ってしまう子どもたち。台所で、涙を拭いてから、「ごはんだよー」って言う私です。 せめて月に一度はお父さんと子どもを会わせてあげたいけれど、毎月数万円の飛行機代を出せる余裕はなく、2~3か月に一度でがまんしています。 いつもは4~5日間しかいられないのであっという間に関東に帰らなければならないお父さんですが、今回のゴールデンウィークでは、4/29~5/9までの長い期間を北海道で家族全員で過ごすことができて幸せでした。 日数に余裕があったため、初めての家族旅行で函館に行きました。 函館はちょうど桜が満開でした。写真はそのときのものです。 お父さんは久しぶりの家族旅行がとても嬉しかったようで「楽しい、楽しい」と言ってましたが、その言葉を聞くたびに「普段どれだけ寂しいのだろう」と私は逆に悲しくなるのでした。 パパに会いたいプロジェクトには本当に感謝しています。 プロジェクトを考えてくださった方、プロジェクトを支援してくださっている方、いろいろ手配してくださる方々にいつか恩返しをしたいです。 避難して以来、家計が苦しくて今は余裕がないので、まだまだ先のことになりそうですが。。。本当にありがとうございました。」   ・・・・・・・・・・・・・・ このプロジェクトには皆様のご支援が必要です。 子どもたちにパパを届けたい・・・ 夏休みに子どもらしくパパと遊ぶことができるよう、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。  


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2014年7月21日~23日 T様より 一ヶ月に一回、パパが子供たちと会える日、21日になりました 子供たちはいつもワクワクしながら待っています。 そして、今回は会ってそのまま、移動して海へ、、 久しぶりの海に子供たちは大喜び。 パパも子供のようにはしゃいでいます! 遊んでいる姿を見て、やっぱり家族そろうといいな! と改めて思いました。 パパがきて2日目、、昨日は海に行った後、以前からお世話になっている宿に泊まりに行きました。 天気もよく、朝早くから子供たちはパパを起こし、遊びたい遊びたいと、はしゃいでいます! 何にもないひろーい野原ですが、子供たちはパパと遊べて嬉しそうな顔。 パパもヘトヘトになりながらもニコニコ顔。。 1日、外でパパと遊んでもまた遊び足りないみたい。。 こんな風に毎日、一緒に遊べる日が早くきてもらいたいです。 宿から帰宅し、今日、もうパパが東京に帰ってしまう、、 子供たちはどことなくテンションが朝から低いです。 毎回ですが、やはり 帰ってしまうのが悲しいと言っています。 楽しかった3日間、、 空港まで送って着いたとたん、子供たちは寝てしまい、、 バイバイを言えずに東京に帰って行きました。 こんな離れ離れの生活、いつまで続くのか、、、 1日でも早く親子で一緒に暮らしたいです。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 寄せられた声・・・パパに会いたいプロジェクト。パパに会う事が出来ない子どもたちが大勢います。離れ離れの家族がいます。ご賛同、ご参加お願いします。  


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2014年7月18日~2014年7月21日 Kさん 札幌に母子避難をして、もうすぐ3年になります。当時2才だった息子は、幼稚園の年長組になりました。 主人は仕事のために福島で働いています。 毎回、千歳空港まで見送りに行きますが、泣くのは主人でも子どもでもなく、母子避難を決めた私自身です。 子どもを被爆させることなく、家族一緒に暮らしたい。こんな事故前は当たり前の普通の事が、原発事故後はこんなにも普通生活が遠く、遠く、願っても願い続けても実現しない、今では夢になってしまいました。 理不尽な原発事故、家族一緒に暮らせない現実、いろんな思いが込み上げて、見送りながら泣いてしまう私の涙を、息子はいつも両手で力いっぱい拭いてくれます。 今回は18日の夜に主人が札幌にきて、21日の朝に福島に戻りました。3泊の間札幌市内の川で川遊びをして、西区にある三角山に登りました。 写真は三角山に登る、父と子の後ろ姿です。息子は父親がくると、朝起きてから夜寝るまで片時も側を離れません。いつも短い間しか一緒にいられないことを知っているので、精一杯父親の側にいたいのです。 息子は気管支が弱く、福島に帰省すると、痰がからむ咳が始まり発熱を繰り返します。放射能の影響はわからないことが多く、何も症状がなく平穏に福島で暮らしている人が多いのが現実です。でも、すべての人が大丈夫ではないのです。100パーセント大丈夫なのではなく、ごく少数でも持病が悪化したり、何らかの症状がでたりして、帰りたくても帰れない子ども達がいること、母子避難の生活の中で会いたくてもお父さんに会えない子ども達がいることを、多くの人に知っていただきたいです。 二重生活の上に、会うためだけにかかる交通費は家計に重くのしかかり続けています。このようなプロジェクトの存在は、大変心強く思います。この度はありがとうございました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これまでにプロジェクトに参加されたご家族からのメッセージです。 子どもたちにパパを届けたい・・・ どうかご支援のほどお願いいたします。


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2014年6月12日~2014年6月15日 Tさん 6/12~15にパパが札幌に来ました。こども3人はひそかに嬉しそうです。全員男の子だから、そんなに顔には出さないけれど(笑)。 震災直後からパパ以外の家族は関東から北海道に避難しました。当時は末っ子が小学1年生。放射能による健康への影響が怖かったのです。 残ったパパは関東で仕事があるため、会社近くの小さな部屋に引っ越し、一人で暮らしています。携帯電話の家族通話無料のおかげで、毎日時間の許す限りパパと話すことはできるけれど、どれだけ声を聞いても埋まらない寂しさは、家族全員が感じていると思います。 パパも電話の最後にはいつも「また会いたい」「一緒に暮らしたい」と言います…(涙)パパは12日に仕事が終わってから羽田空港に向かい、夜遅くのフライトで札幌に着いたのは夜中。帰りの15日は朝早く出発して、午後には自宅で翌日の仕事の準備。いつもそんな感じの日程で帰省します。 中2日しかありませんが、それでも会いたい。たった2日…なんて短いのでしょう(泣)飛行機代は高いけれど、どうしてもパパとこどもを、時々は会わせたいのです。 この2日間、上の子二人は部活があり、残念ながら今回はみんなでおでかけなどはできませんでしたが…ちょうど北海道神宮祭の真っ最中だったので、パパと末っ子は中島公園へ。パパとお祭りを歩けるなんて何年ぶり?出不精の末っ子なのに、この日は嬉しそうに出かけました♪ 写真は、電車を待っている末っ子。こんななんでもないシーンなのに写真を撮ってしまうパパ。そんなふうに、息子に会う一時一時を大事に過ごす2日間でした。交通費支援、ありがとうございました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この活動には皆様からのご支援が必要です。 どうかお力をお貸しくださいますようお願いします。