2016年1月2日〜1月5日 Kさんより寄せられたメッセージ この度は、「パパに会いたいプロジェクト」に参加させていただきありがとうございました。我が家は、当初子ども3人を連れての母子避難でしたが、避難後1年9カ月後に長男(当時中3)が、「どうしても帰郷したい、そうでなければ学校へは行かない」と不登校になり、長男のみ帰郷し、地元で父親と2人暮らすようになりました。弟と妹がいますから、その面倒をみてくれたり、かなり気を張って頑張ってくれていたのだと思います。私は、避難後少し暮らしが落ち着いてからパートに出始めましたが、子ども達は、避難直後から、言葉も環境も全く異なる友達のいない学校に通わなければならなかったのです。その生活が、いかに大変であったのか、、、長男が帰郷した途端に笑顔が戻り登校できるようになったことで、思い知らされました。放射能汚染から身を守ることが、家族や気心のしれた友達との別れを意味するという、この悲しさ、悔しさ、苦しさは、ずっとずっと抱えていかなければならない葛藤です。その葛藤は、家族皆が会うことのできた大型連休最終日、より一層強くなります。子ども達は、「お父さん、次はいつくるの?何泊できるの?」と必ず聞きます。その答えをかみしめて、その日に希望をたくすことで、自身の心を支え、頑張っているのだと思います。私には、それを見守ることしかできません。無力感でいっぱいになります。長男は、今回は来ませんでした。私としては、数日でも家族揃って共に過ごしたいのですが、私に、こちらに来るよううるさく言われることもいやなのでしょう。もう、高校生ですから自分の意思というものがあります。本来ならば、成長したものだと微笑ましく思えるようなことなのでしょうが、放射能の影響を考えると、なんとも苦しく、悔しくなります。家族が安心して日々を暮らせる社会が来ることを願ってやみません。私が家族にできることは、それぞれの生き方を否定することなく支え合いながら、そのときそのときの最善を考え行動し続けるということしかないのだと思っています。政策に対しては悔しいことばかりですが、支援してくださっている皆様の存在に心あたたまり、この日々を乗り越えていく力をいただいております。心より感謝申し上げます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ この活動には皆様からのご支援が必要です。 子どもたちにパパを届けたい・・・ ご支援のほどお願い申し上げます。
2016年1月16日~1月18日 Yさんより この度は、「パパに会いたいプロジェクト」をご利用させていただきまして、ありがとうございました。今回は、お正月に帰省できなかった事もあり、こどもたちのおじいちゃんとおばあちゃんに避難先の北海道に来ていただきました。避難前は、車で20分のところに住んでおり、月に1~2度お互いの実家を行き来しながらこどもの成長をともに楽しんでおりました。震災後は、自主避難北海道定住を決意しましたので、主人は10年以上勤務した会社を辞めました。年収が半分以下に激減してしまい1~2年に1度帰省がやっとでした。今回はおじいちゃんおばあちゃんが北海道に来るということで、カレンダーを見てはあと何回寝たら来るの?と楽しみにしていた子供たち。JRの改札口から祖父母の姿が見えると、「じーちゃーん!ばーちゃーん!」と嬉しそうに走り寄っておりました。祖父母も会えなかった時間を取り戻すかのように孫たちを愛おしそうに抱きしめておりました。北海道滞在は3日間。せっかく北海道に来るのだから、いろんなところに観光へ連れていってあげたいと計画をしておりました。ところが、「孫の顔を見にきただけだから、観光なんていいよ。孫たちとゆっくり過ごしたいな。」と祖父母が言いました。その一言で、純粋に孫に会いたい。そんな思いが伝わり、切なくなりました。同時に少し落ち着いていた怒りや悲しみがこみ上げてきて、なんとも言えない感情が再び沸き上がりました。事故直後の2ヶ月間の関西での集団自主避難生活。高校の同窓会館をお借りし、総勢30名の不安や疲労のたまる避難生活。北海道への自主避難を決意し、主人が無職からの再スタート。頼る人がいない中で、行き場のない怒りや悲しみを抱えながらの生活と子育て。最初の2年は、現実を受け入れることができずに、半ノイローゼになりながらの生活でした。自分を殺すことなく、なんとか持ちこたえさせてくれた存在が「こども」。私たちは、「こども」を守るために、親である私たちいろいろな事に我慢をし、耐え、それぞれの考え、方法でこどもたちを守っています。3.11からもうすぐ5年になろうとしている今でも、国や東電の煮え切らない対応に憤りを感じます。たくさんの人が、それぞれに置かれた状況の中、まだまだ精神的にも経済的にも心身ともに苦しんでいるのが現状です。まだ原発も収束の兆しも1ミリもなく、むしろ現状は日に日に悪化している中、自己を風化させ忘れさせようという流れが見え隠れしております。まだ全然終わってないのに・・。 そんな中、私たちをわすれないでくださってありがとうございます。一番大切な家族との繋がりを守ってくださる活動をしていただいており、ありがとうございます。この場をお借りし、感謝申し上げます。
2015年5月1日~5月6日 Nさんよりメッセージです。 今回、パパに会いたいプロジェクトに参加させて頂き、ありがとうございます。初めて参加させて頂きますが、このようなご支援は本当にありがたいです。 大阪に母子避難をして4年目になります。今回はゴールデンウィーク中の企画でしたので、とても助かりました。なぜなら、今までゴールデンウィーク中に主人が来阪したことはないからです。理由は交通費が高いからです。お陰様で、家族4人で外出することができ、子供達も大喜びでした。 3ヶ月に一度くらいは主人は来阪しますが、平日も含まれているため、母親である私が仕事だったり子供達が学校だったりで、思うように出掛けられないのが現実でした。ですが、ゴールデンウィークは私も子供も休みのため、家族4人で過ごす時間が多かったので有意義な時間を過ごすことができました。 主人はいつも言います。「一番かわいい時期を見逃して悔しい。」慰める言葉もなく、二人で黙ってしまいます。今、小学4年の息子は数年で反抗期がきます。その時に「私一人で対応できるのか…」先の見えない生活なので、不満不安も沢山あります。それでも家族の結束を強めるために、少しでも多く家族4人揃って、話したり笑ったりすることは大事だと思います。 今回、このようなご支援があることを知って「なんてありがたい支援なんだろう!」と衝撃的でした。本当に感謝しています。ありがとうございます。 ・・・・・・・・・・・・・ 夏休みに一人でも多くの子どもたちへパパを届けるには、皆様の応援が必要です。 どうかお力をお貸しくださいますようお願い申し上げます。
【残り10日!皆様のご支援が必要です!】 07月20日まで 原発事故の被害によって離れて暮らす父親が家族に会いに行くための交通費を支援するクラウドファンディングを行っています。 福島県内外の自主避難者は7,000世帯を超え、約18,000人にもなると言われています。 その中には、家族を支えるために被災地に残らなければならない父親と、離れて暮らさなければならないその家族がいます。 2つの場所での生活のため、経済的に厳しく、なかなか会いに行くことも出来ない状況です。 クラウドファンディングは、内容に賛同していただいて、応援してくださる方から支援をしていただく、仕組みです。 現在9人の方から支援をしていただいています。 しかし、まだ達成は厳しい状況です。 原発の影響で離れて暮らさなければならなくなってしまった家族のため、 どうかご支援をお願い致します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これまでにプロジェクトに参加されたご家族からのメッセージです。 2015年7月25日~7月29日 Nさんより 7月末用事が出来、札幌に行きました。雇用促進住宅の1号棟から4号棟それぞれに減って全体で90軒程の事驚きました。それぞれの生活に向かって、動いているのかなと思いました。展望なき回帰でない事を祈りたいものです! 今、世相では、安保法案、地方統一選挙、終戦70年、オリンピックの新国立競技場等々、次から次へと、世の中が動いている様相であります。3.11東北大震災後の流れは、今どうなのかが、まったく話題にない状態のように見えます。 特に、問題なのは、放射能だと思います。ここ一年程、大気については、一定の数値ようですが、市の行政の放射能数値の提示が見えない様子これぞ風化の一種です!東電福島第一原発では、デブリの処理が終わるまで、放射能放出が続き高濃度汚染水漏れの発生、都合が悪い事は隠しています。 家の除洗も家の表と裏とでは、数値が違う家が多いと聞きます。海の放射能数値は、宮城県の金華山沖より栃木県北部の間が高いとの事です!災害復興住宅については、ミスマッチある様子。所に寄っては、他県被災者も入居出来るように取り組んでいる様です。問題なのは、家賃払えず入居出来ない人もいる様です。 復興は、静かな前進かなと思います。尚、船中では、気仙沼の子供達の団体と会い元気な様子を見て安心をしました。北海道は、食べ物も美味しいし空気も綺麗で気持ち良かったと喜んでおりました。 今回のパパに会いたいプロジェクト企画参加出来大変喜んでおります。本当に助かりありがとうございます!
2015年7月18日~7月25日 Tさんよりメッセージ 7月18日から約1週間、少し早い夏休みをとって妹が会いにきてくれました。私と娘1人、仕事をしながらの生活のため、こちらから家族に会いにいくことが難しく、離れて暮らす母や弟妹もそれぞれ仕事をしており、こちらへ来てくれることも難しいため、北海道へ避難してからはほんの数回しか会えずに過ごしておりました。 そんな中、今回のプロジェクトを利用して妹が会いに来てくれました。 普段の我が家は私が仕事をしているため、娘との時間も夕方から寝るまでの数時間。その数時間の中でも、夕飯の支度中などはきちんと向き合ってあげることができないことが多く、淋しい想いをさせてしまっていることを、いつも心苦しく、申し訳なく思っていました。 妹が滞在していた約1週間、私の家事中は妹と楽しく遊んでいる娘の様子を見て、遊んでくれる、話してくれる家族が同じ屋根の下にいることが、どれだけ幸せなことかと痛感しました。 近くにいれば、もっと頻繁に会う事ができた家族。本当であれば、毎日同じ屋根の下で過ごしていた家族。子供や孫、甥や姪の成長を一緒に見て、一緒に喜んだり泣いたりすることができないのが避難生活です。今まではずっと普通だと思っていた生活が当たり前ではなくなっている状況で、このようなプロジェクトがあることに心から感謝いたします。 健康への影響は人それぞれだと思います。放射能被害に対する不安も人それぞれです。自主避難の支援の打ち切りなどが発表され、様々な意見が多方面から聞こえてきますが、正解などない状況の中で、みんな必死に子供を守ることだけを考えています。子供を守りたい想いだけで避難生活をしている方たちみんなが、それぞれいろんな負担を抱えています。そのような状況の中で、このようなプロジェクトによる支援があることを、本当にありがたく思います。 パパに会いたいプロジェクト関係者の皆様、賛同して寄付をしてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 妹さんに会うための交通費支援を行いました。 離れて暮らすご家族の再会を支援しています。 クラウドファンディングも残りわずかとなりました。 夏休みに、ひとりでも多くの子どもたちへパパを届けたいのです。 皆様からのご支援をお願いします。