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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

現在の支援総額

160,000

32%

目標金額は490,000円

支援者数

24

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

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「パパに会いたいプロジェクト」原発事故自主避難の子どもたちに家族の時間を届けたい

現在の支援総額

160,000

32%達成

終了

目標金額490,000

支援者数24

このプロジェクトは、2016/05/20に募集を開始し、 24人の支援により 160,000円の資金を集め、 2016/07/19に募集を終了しました

原発事故自主避難の多くは母子避難です。父親は福島県に残り家族の生活を支え続けています。母親は一人我が子を育て、子どもたちは年に数回しかパパに甘えることが出来ません。そんな子どもたちにパパを届けたいのです。

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パパに会いたいプロジェクト2016~ゴールデンウィーク~へ参加されたご家族より、メッセージが届きましたのでご報告申し上げます。 5月1日~5月5日参加のO様より 母子で避難して5年目を迎えました。娘も5年生になりました。この年頃の女の子はもう、父親を歓迎してくれないのかなと思っていました。平成28年5月1日日曜日5ヶ月ぶりに札幌市のバス停に降りました。いつも通り電話をしました。半分冗談で半分本気で娘に「自転車で迎えに来て。」と言って電話を切りました。家に向かう途中コンビに寄り、家に着くと、妻に「一人なの?自転車で迎えに行ったのに。」といわれ 急いでバス停に向かいました。そこに娘がいました。初めてのお迎えでした。一生の思い出を頂きました。  5月5日木曜日帰りの時間が来ました。娘は泣いてくれました。娘に「お父さんは悲しくないの?」 と聞かれました。妻はニコニコしながら急かすように自動車でバス停まで送ってくれました。おかげで心を抉られるような思いをせずに岐路につけました。プラスマイナス0。もし、妻にまで娘と同じことを言われたら「私は、どうなってしまうのだろう。」と考えましたが、すぐに思考を止めました。いろいろなことに感謝した楽しい日を送ることができました。 ありがとうございました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このプロジェクトは皆様の殻のご支援により、自主避難されたご家族に家族の時間を届けることが出来ます。 応援のほどよろしくお願いします。  


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2015年4月4日〜4月6日 Aさん   今回娘の入学式に出席の為、札幌に行ってきました。早いものでこの春から小学生です。震災後の夏休み、当時2年生だった息子と3人で母子避難をし、その後幼稚園に入ったのですが、結局私は1度も幼稚園での生活を見ることのできないまま卒園になってしまいました。  それだけに私自身入学式を楽しみにしていましたし、娘にも以前から「入学式絶対行くよ」と言っていたので、電話のたびに「パパ来るんでしょ」と言っていました。今年家族が揃うのは1月以来になります。 入学式は月曜日ですが私は仕事終わりの土曜日の夜に札幌に行きました。日曜日はみんなで出かける事にしていたので、ラーメンを食べたり札幌の街を歩いて楽しい時間を過ごしました。 そして月曜日いよいよ入学式当日です。6年生になった息子は娘たち1年生を迎える準備があるとの事で、一足先に学校にいきました。娘も真新しいランドセルとこの日の為に買ってもらった洋服を着てとてもうれしそうです。 そして妻と3人で通学路を歩いて学校に向かいました。息子も通う小学校ですが、私が行くのは初めてです。思えば息子は福島の小学校に入学し、その後運動会、学習発表会は行ったのですが、1年生の3月に震災があった為、2年生の始業も遅れ、運動会も中止になりました。 それからは行事だけではなく、私が小学校に行く機会もなくなっていました。つまり娘の幼稚園生活だけではなく、息子の札幌での小学校生活も見たことが無かったのです。その為学校に着いたときは内心しみじみしてしまいました。 玄関で6年生が出迎えてくれました。娘は自分の下駄箱を見つけてうれしそうです。その後父兄は先に体育館へ、しばらくすると器楽クラブの演奏に合わせて1年生の入場です。娘は笑顔でうれしそうに歩いてきました。 式も進んで行き最後に6年生から小学校での楽しい生活を劇で紹介するコーナーがありました。生徒達は妖怪ウオッチのキャラクターに扮しているのですが、なんと息子は主役?のケータ役です。音楽に合わせて踊ったり、歌ったり、大きい声でのびのび演じている姿を見ることができて嬉しかったです。またそれを見ている娘もとても楽しそうで、二人ともこの学校に入って本当に良かったなと思いました。 教室に戻り明日からのお話と返事の練習をして今日は終わりです。帰り道娘は「今日から学校だといいのに」と小学校生活が楽しみでしかたがない様子でした。今回入学式に出席して、とても嬉しそうな娘の姿を見る事ができてとても良かったです。 子供の成長はとても早くあっという間ですが、これからはできるだけ行事などに参加して同じ時間を過ごせればいいなと思います。その為にもこのような支援をしていただける事をとても感謝しております。この度は本当にありがとうございました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ パパに会いたいプロジェクトへ数多く寄せられるメッセージの中でも、特に印象に残るメッセージです。 何故離れ離れになったのか・・・その原因である原発事故の事には一切触れていません。 ただ、これからを見つめた父親の気持ちが込められたこのメッセージに胸が苦しくなるのです。 自主避難の多くは母子避難です。 放射能に対する考えは人それぞれです。 しかし、こうした「現実」があることを知って下さい。 そして、自分の身に置き換えた時、賛同頂けるのでしたらお力をお貸しください。  


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2014年12月29日~2015年1月14日 Fさん 私達母娘3人は、2011年5月松戸市より実家のある上川郡鷹栖町に避難しております。2011年3月11日は、娘の学校の為と、義妹のお産扱いの為(義母が他界している為)、旦那の祖国スリランカにて住まいしておりました。 2010年11月に義妹は無事元気な男の子を出産し、娘の学校も学期の切りがいい 3月頃まではいて、見てあげる予定でおりました。 その3月に、震災が起こりました。旦那の住む松戸市が局地的放射線量の高い地域だという事が分かり、日本に帰りたくても帰るに帰られないまま毎日ニュースをインターネットで見るだけの日々を過ごし、何も出来ない事も不甲斐なく、そして帰る事が出来なくなり愕然としていました。 2005年12月、スマトラ島沖地震の際、スリランカにいて大津波を経験した私達。当時は私は、臨月で精神的にも不安定な中の震災、日本からのエールや送り物に心を助けられました。今回は日本での震災をスリランカにいて歯痒い思いをすると思ってもみませんでした。 親戚知り合いは無事でしたが、目に見えない被害がある松戸市に旦那がいる事はとても不安でした。色々家族とも話合い、実家で母がよんでくれたので、ありがたく北海道に身を寄せる事となりました。主人は、仕事があるため松戸市に残る事にしました。 仕事の休みを連日で取ることは出来無い為、娘の学校の夏休みや冬休みに帰り、年に2回程父親と会う生活を送りながら、今日にいたります。 今年初めて学芸会を見に北海道に来てくれる事が出来ました。単身生活での嵩む出費、離れている私達への学費や生活費など、他やっと支払いをこなすだけで、貯金など出来ない状況の中、交通費を捻出するのはとても難しい状態です。そにため、松戸に帰ると私の以前の仕事をし、(和太鼓の指導など)なんとか交通費を捻出しながら、行き来するという状態です。 仕事をしてもプラスにはならず交通費の工面だけというのが毎回悲しいものです。飛行機の利用など到底出来る訳もなく、毎回片道20時間のフェリー、前後9時間のバスに乗り自宅までは、往復60時間余りの道のりです。 ご飯も手弁当やライスパックなど船内で調理出来る物を持込み、節約節約の移動をしています。(大分節約の旅も慣れて子ども達は不便がりはしません。) 3才だった次女は1年生に、1年生だった長女は、4年生になり、北海道からの野菜などの重たい荷物も嫌な顔せず手分けして運んでくれます。頼もしい限りです。 北海道に戻って来た途端、次はいつお父さんに会いに行けるの?と聞きます。お金貯めて行こうね。と答えるのです。今回はこのような機会を与えてくださり、大変ありがたく思っております。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ パパに会う事が出来ない子どもたちが大勢います。 皆さまの力をお貸しください。


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これまでに寄せられたメッセージです。 2014年12月26日~2015年1月4日 Kさん 2015年、札幌にきて4回目のお正月を迎えました。福島で働く主人が札幌にきて、9泊も一緒に過ごすことができるのは息子にとって一年に一度だけの特別なことです。 元日には北海道神宮にお参りをして絵馬に願い事を書きました。「今年こそ家族一緒に暮らせますように」志望大学合格、就職できますように、結婚できますようにと周りで若い人達が次々に絵馬に願いを書く中、私の願い事は何か次元が違う願い事のような、そんな気がしながらも、4年目の母子避難の私にとっては切実な「祈り」でした。 息子が3才の時です。「お父さんと暮らしたいよね?」と福島に帰る主人を見送った後で、息子に尋ねたことがありました。「あきらめた」ときっぱり息子は答えました。物心がつく前から父親とは離れて暮らしているので、母子避難が日常の息子にとっては家族一緒に暮らせないのは特別なことではないのかもしれません。 しかし、まだ3才の子どもが家族一緒に暮らすことを諦めさせる原発事故っていったい何なんだろうと胸が潰れる思いでした。 家族で過ごす9泊のうち、息子の6才の誕生日がありました。ケーキを焼いて、息子の好きな生春巻きとカレーを準備して、主人と私でお祝いをした後、息子は「お父さん、お母さん、お祝いしてくれてありがとう」と言いました。家族一緒。9泊は本当につかの間の家族で過ごす時間でした。 9泊の間、息子はお父さんとおふろも一緒、寝るのも一緒、タバコ吸う時間以外は一瞬一秒を惜しむかのように、片時も離れずにいました。主人が福島に帰った後で、息子が「お母さん小さくなったね」と言いました。息子はお父さんだけを見つめていた9日間だったので、しばらくぶりに見た私の体が小さく見えたのでしょう。 すぐに別れがくるのでいつも一生懸命、全力で父親と遊びます。今回は主人が福島に戻った後で、疲れからか熱をだしました。もうお父さんと全力で遊ばなくてもいいんだよ、ずっと一緒だよと言ってあげれたらと思います。 原発事故さえなければと、そんな思いが何度も頭をよぎります。そんな思いを全部飲み込んで、2015年の新しい年も母子避難の日常を続けます。 放射能の感受性は人それぞれで、普通に福島で暮らしている人が多く、家族バラバラという心理的負担を子どもに負わせ、さらに経済的補償もなく二重生活の上に面会のためにかかり続ける交通費をかけてまで、そこまでして自主避難をする必要があるのか?と思われる方もいるかもしれません。 アレルギー体質で気管支が弱い息子は、福島に帰省をすると気管支を患います。同じく母子避難の子どもの中にはアトピーが悪化する子もいます。よくわかっていない放射能の影響ですが、ごく少数でも事実として持病が悪化する子ども達がいます。父親と暮らしたくても暮らせない、大好きな人に会えないまま暮らしている沢山の小さな子ども達。その存在をどうか知ってください。 パパに会いたいプロジェクトに参加させて頂き、このプロジェクトを運営して頂いているみんな地球のこどもじゃんの木村様、スタッフの皆様、プロジェクトに賛同してくださった皆様、すべての方々にに深く感謝致します。 原発事故からもうすぐ4年。日に日に原発事故や自主避難者の存在が風化しつつありますが、父親に会いたい子ども達の気持ちに寄り添ったこのプロジェクトの存在が心強く思います。ありがとうございました。


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これまでに「パパに会いたいプロジェクト」へ参加されたご家族から寄せられたメッセージです。   2013年12月23日~2013年12月25日 Hさん 震災後から母子避難を始めて、札幌で3回目のXmasを迎えました。 仕事でこれないパパに代わり、ばぁばが孫に会いに遊びにきてくれました。 秋に帰省したので2ヶ月ぶりでしたが、それでも目を見張る子どもの成長に驚き、やっと会えた嬉しさで涙が溢れます。 大雪の影響で行きの便が欠航になり、滞在日数が1日減ってしまいましたが、いつも抱っこをガマンしている上の子はここぞとばかりに甘えて、ずっと抱っこしてもらいました。口には出さないけど、子どもながらにたくさんの我慢や寂しさがあるんだなぁと思うことが多々あります。 パパがいない札幌では、家族連れで賑わうXmasシーズンは、何となく外出を控えていました。でも今年はばぁばと一緒にお買い物や食事に行って、札幌のXmasムードを楽しく満喫できました。 母子避難は行ったり来たりの往復がどうしても多くて、とても経済面では厳しいです。あきらめそうになります。でもこういった支援があると、本当に本当に助かります。今回利用させて頂けたこと、心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このプロジェクトは皆様からのご支援により実行されています。 子どもたちへパパを届けるため、ご協力をお願いします。