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因州小鍛冶 刃物鍛冶の支援よろしくお願いします

日本には先人の遺した伝世品が文化財として多くのこされ目にする機会にも恵まれています。私は鍛冶屋ですから、鍛冶屋の視点で先人の遺してくれた物を見てみますと、現代の我々が真似し難い仕事をやってのけている事に気付きます。少しでも長く鍛冶屋の仕事に携わり、先人の技に近づきたいと願っています。

現在の支援総額

266,500

38%

目標金額は700,000円

支援者数

17

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/03/22に募集を開始し、 17人の支援により 266,500円の資金を集め、 2024/05/18に募集を終了しました

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因州小鍛冶 刃物鍛冶の支援よろしくお願いします

現在の支援総額

266,500

38%達成

終了

目標金額700,000

支援者数17

このプロジェクトは、2024/03/22に募集を開始し、 17人の支援により 266,500円の資金を集め、 2024/05/18に募集を終了しました

日本には先人の遺した伝世品が文化財として多くのこされ目にする機会にも恵まれています。私は鍛冶屋ですから、鍛冶屋の視点で先人の遺してくれた物を見てみますと、現代の我々が真似し難い仕事をやってのけている事に気付きます。少しでも長く鍛冶屋の仕事に携わり、先人の技に近づきたいと願っています。

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カナトコノコト
2024/04/11 09:44
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いつもご覧頂きありがとうございます。また支援頂いた方、ありがとうございました。因州小鍛冶です。今日は金床(かなとこ)の事です。金床(金敷)は焼いた鉄を叩く台の事です。これは古い日本式の金床です。これだけの鉄の塊をどうやって作ったのか。本に「昔は鉄の木端を溶かして作った」と伝承が載っていました。金床も例によって鋼が鍛接されています。 全部鋼ではないんですね。鋼(刃金)は貴重です。大部分は地金、大事な所は刃金を鍛接するという考え方です。そしてこれを焼き入れしているそうです。水につけるのも一苦労だった事でしょう。こんな大きな物はくべるだけで一苦労です。焼くのも大変です。ですから巣といって内部に空洞が出来やすいそうで欠けてしまっています。 別の金属を詰めています。 埋めて使うので問題なく使えます。鋼がとれています。熟練工が数人がかりで制作したのでしょう。大鍛冶の仕事です。 いつか直せればと思います。珍しい。鍛接が剥がれた金床。鍛接の証拠です。 横面 下部分が欠損しているので別の金属を詰めています。底面 詰め物をしています。重量物なので、それはそれは難しかったのでしょう。結構壊れた金床はあります。先の大戦でも鉄は貴重な資源だったと伝え聞いています。それを思うと残っているだけでありがたいです。


七支刀
2024/04/09 13:43
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鍛冶をしていると現代の我々が真似し難い仕事をやっている事に気づきます。 まず火縄銃。この筒の部分は鍛接と火造りで制作されました。 鍛冶屋にとって筒状のものをつくることは至難の業です。 昔、種子島の鍛冶屋さんが鍛造火縄銃の製法で筒を鍛造する映像が数秒ありました。実際やってみると和包丁より難しいと感じました。戦国時代、火縄銃の筒部分を造ろうとした刀工が一年掛かったそうです。(それでも一年励めばできた。)その後本州における鍛造火縄銃の保有量は世界一だったそうです。ちなみに本場ポルトガルでは鋳造だったそうです。江戸期、各国(藩)で製法が異なった銃の製法を、ひとつのものにして幕府がまとめた製法書が著されました。現代は、火縄銃の筒を作れる鍛冶屋さんはパッタリ消えてしまいました。堺の鉄砲鍛冶の子孫でも、失伝し実際にできるかどうか分からないそうです。 古墳時代。鉾(ほこ)技法の不明なのが筒の部分。筒は分からない事だらけです。出土する筒はつなぎ目が鍛接されています。 正倉院には大量に当時の鉾が現存しています。現代の鍛冶屋がつくる筒状の筒は開きっぱなしです。古代の国産の鉾の筒は完全に筒です。外国産は開きっぱなしです。日本の鍛冶屋さんなら鍛接で筒をつくらねばいけません。 。。。そして。筒と刀身の接合部分も謎です。七支刀。知っているところでは韓国の鍛冶屋さん、新潟、そして関西の刀工の方が制作されています。一振りはおそらく鍛造、一振りは鋳物だったような。 重要なのが七支刀が日本刀式で鍛造で制作されたものか大陸式の鋳造ものかという点です。韓国の鍛冶屋さんは鍛造で制作されていましたが、それでも焼きが入っているのかどうかまではわかりません。 巷では鍛造か鋳造かと議論されているようです。これは十文字槍です。現代ではこれもパッタリ消えてしまった。妙技です。先人(戦国期)は幾つもやってのけています。十文字槍が縦に三つ並べば“七支刀”です現代ではお手上げでも先人なら可能な事って“実に”多いです。鉾。金象嵌両添刃鉄鉾やすり。正倉院の時代にもやすりがありちゃんと収められていました。刀鍛冶が過去の刀剣を真似し制作することを“写す”といいます。現代の刀工が火縄銃や十文字槍を写したとは聞きません。出来そうだけど出来ないもの。ピラミッドとか奈良の大仏とかも同じです。因州小鍛冶は先達の技に少しでも近づきたいと願っております。どうぞ支援よろしくお願いします。


鉄、切る刃物!
2024/04/04 14:36
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焼きを入れると刃物は硬くなります。焼きがもどると刃物が柔らかくなります。我々は刃物に焼きが入ったかどうかを金床を削って確かめます。甘いと金床の上をすべるだけでまさに”刃がたたない”。刃が鉄に食い付いて削る事ができる強靭な刃物を制作しています。 最近特によく注文頂くのが”銑(セン)”でした。鉄を削る道具です。 造る鍛冶屋さんがおられないそうです。硬すぎると、刃が欠けて使い物になりません。よい塩梅にできた刃物は永く切れ、強靭になります。“日本刀で弾丸を斬る”という番組がありました。弾丸が鉛ならそれが可能というものです。房州鋸は鉄を切ることができたそうです。幕府の金庫がよく破られたため制作を禁止したそうです。明治時代、二〇三高地の戦いに於いては敵の鉄条網を切断しその名を挙げた、“久光の金切鋏 "君万歳久光"”などなど。鉄を切った刃物の逸話です。鍛冶屋さんでも実際に銘を切ったり彫りを自身でする所はないかも知れません。相手が野菜やナマモノならそこまで考えないでよいですが、因州鍛冶ではしばしば鉄を相手に仕事をします。鉄と喧嘩できる刃物を前提に製作しております。鉄を彫る道具もつくります。樋を掻いた包丁


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鍛冶屋って不足している物ばかりですがあまり悲観せずやっています。例えばこれは自身で炭を焼いている所です。・・・。日本昔話を見ていると鍛冶屋が炭を焼く話がありました。「なんだか言う木を使うとよい」と火力に悩む鍛冶屋に山の神様からお告げがあり、おかげで上手くいくという話でした。それを見ていてあぁ昔はこうして自ら炭を焼いてしていたのだなと、そして今、自分も焼いているのだと。「村正のなた」というお話では失業した刀鍛冶がさぁこれからどうしようかと天井を見ながらぼーっとする場面がお気に入りです。「木千把丸」は刀が欲しい少年が鍛冶屋に頼んで毎日薪を一把持ってくるのと引き換えに刀を打ってくれ!という話でした。千日目やっと手に入れた刀に自分でケースとか持ち手を作って大事にする少年を見ていると自分にも同じような経験があり恥ずかしいような照れるような。日本昔話いいですね。


小さな工房製
2024/03/28 09:22
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折り返し鍛錬 木っ端の鉄を集めてまとめて鍛えて。和鉄を以て之を鍛える鍛接を駆使しての蛙子丁字の和包丁彫金の腕試し切り出し小刀に象嵌 炎の形 令和を記念して。