開けシャッター!相川考古館の挑戦 江戸時代からの商店が残る街の建物リノベーション

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

江戸時代から歴史を繋いできた伊勢崎の街並み、その一つに昭和時代に町のお肉屋さんとして愛されていた中沢肉店さんがありました。しかし、7年前にシャッターが下り、空き家に。商店街で残った町屋をリノベーションして、講演会やワークショップなど色々な人たちが使えるスペースをつくり、町を盛り上げたい。

現在の支援総額

5,587,828

111%

目標金額は5,000,000円

支援者数

221

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/02/18に募集を開始し、 221人の支援により 5,587,828円の資金を集め、 2025/05/08に募集を終了しました

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

開けシャッター!相川考古館の挑戦 江戸時代からの商店が残る街の建物リノベーション

現在の支援総額

5,587,828

111%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数221

このプロジェクトは、2025/02/18に募集を開始し、 221人の支援により 5,587,828円の資金を集め、 2025/05/08に募集を終了しました

江戸時代から歴史を繋いできた伊勢崎の街並み、その一つに昭和時代に町のお肉屋さんとして愛されていた中沢肉店さんがありました。しかし、7年前にシャッターが下り、空き家に。商店街で残った町屋をリノベーションして、講演会やワークショップなど色々な人たちが使えるスペースをつくり、町を盛り上げたい。

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

集まった支援金は100%受け取ることができます

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史蹟会の下見
2025/03/14 08:00

4月6日に行う史蹟会の下見に行ってきました。各地で大切にされている文化財。それを見に行くことが自分たちの勉強になり、また現地の方たちの誇りにも繋がる。そんな活動を続け80年を越えました。活動時代は800回ほどになると思います。毎年毎年、各地で様々な文化財が指定され、大事にされてますので、久しぶりに出向くと町の景色は変わり、大変興味深い活動と感じています。今回は千代田町・明和町・久喜市・幸手市の4つの自治体を回ってきました。トップの写真は、赤岩の渡し(千代田町)です。群馬県と埼玉県の間を流れる利根川を越えるため、唯一舟を使用した県道です(無料)。川俣宿の歴史:川俣宿(明和町)の明和町川俣宿保存研究会によって建てられた看板。平将門の首塚(幸手市):平将門の胴塚は昨年の史蹟会で廻ってきました。こういう活動を通してみると、各地で文化財に対する行政の姿勢というものが見えてきます。今回は、特に幸手市(市民)は文化財の活用に関して頑張っている地域だなと感じました。案内板の充実、NPO法人による歴史的な街並みの振興活動など、回ってみるだけで見えてくるその町の色。違いがあるから見えてくる町の個性は、実はそれがそのまま文化観光に繋がる必要な要素だと感じます。幸手宿まちなみマップ:NPO日光街道幸手を感じる会によって作成されております。幸手宿の中で唯一国登録有形文化財になっている旧醬油屋の建物。現在は、改装をして、土間の部分を喫茶室として開放しています。入口は行って一番始めに見える蔵に驚かされました。ちなみに、ここの店主にお願いしてチラシを置いて頂きました。このような内装ではないですが、このように改修していき、伊勢崎の街並みを楽しんでいけるようになればいいなと想像する次第です。


3月9日(日)、相川考古館では、石原富士雄さんを招き「雛人形の見方Ⅱ」の講演を行いました。なんら当たり前とみてしまっている雛人形でも、実は地域によってその作りは違います。今年は、「京都のお雛様」と「江戸のお雛様」について、その違いと見方を中心にお話をしてくださいました。参加者からは「違いがあることが知らなかった」「内裏雛の右と左が違うくらいだと思っていた」などの声を頂き好評の声を頂きました。雛人形展は、引き続き3月16日まで行われておりますので、宜しかったら遊びにいらして下さい。


どう見ても古墳です。当館の南側には、西へ延びる細い脇道があります。その突き当りには金蔵院というお寺があり、その奥には赤石稲荷神社があります。今回の写真は、地元で祀られている赤石稲荷のお祭りの時の写真です。・・・で、大体どこでもそうですが、小高くなっているところには寺社仏閣が建てられますが、大体そういう場所は決まって古墳の場合が多いです。そう、ここも古墳です。群馬県では、昭和11年に全国に先駆けて県内の古墳の一斉調査が行われました。その時、数えられた数は8423。当時、伊勢崎町で調査された最初の古墳がこの古墳で、「伊勢崎町第一号古墳」と名付けられていました。この場所からは実際に埴輪片も発見されています。月日が流れたせいか、看板が無いせいか、はたまた、しっかりした形が残っていないせいか、ここが古墳だということを地元の人も知りません。古墳が残る場所は大抵街から離れたところにあります。しかし、ここは、広瀬川沿いではありますが、まちなかに佇む古墳です。悠久の昔からこの地に人が暮らしていたことを教えてくれている大切な古墳です。


投扇興
2025/03/12 08:00

投扇興は、江戸時代中期頃から遊ばれるようになったと言われています。一説には、江戸時代中期、投薬散人其扇という人物が、枕の上に1羽の蝶がとまっているのを見つけ、遊び心で枕元の扇を投げたところ、蝶は逃げ、扇が枕の上に乗ったことから考えついた遊びといわれています。江戸時代では投扇興で賭博をする人がいたために禁止令が出されることもありました。ゆったりと飛ぶ扇子の姿は、「優雅」なイメージを持たせますが、いざ、試合となると「粋な」遊びなイメージを持たせます。扇子を投げるだけですが、ちょっとした力具合で飛び方が変わるため、自身のコントロール・集中力が試される案外奥の深い遊びです。3月14日(金)19:00~投扇興の例会を催します。改修工事が出来たら、町屋で投扇興を行いたい!!


シュークリーム!しかも、かみのやまシュー!!応援者からプレゼントが届きました。・・・恐縮です。とりあえず、ことはにくんの前で記念撮影。これからまた頑張っていきます!どうぞよろしくお願いいたします。


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