アンソロジーに参加してくださる詩人の方々のご紹介の中にたびたびお名前が登場する桑原滝弥さん。私は桑原さんを通して知り合った方も多く、またポエトリーリーディングのすごさ、深さを感じさせてくれる方でもあります。そんな桑原さんが、いつも丁寧に綴っているブログで、このアンソロジーのことをご紹介くださいました!桑原さん、ありがとうございます!感謝です!https://shijinrui.blogspot.com/2025/07/blog-post_30.htmlあの日、桑原さんもなにか決意されたことがあるようで。それがわかる日が来るのも、楽しみです。
(写真:深堀瑞穂)高瀬“makoring”麻里子さん(まこりん)96年より谷川賢作(P)率いる、現代詩をうたうバンドDiVaのボーカルに(写真中央)。谷川俊太郎をして「まこりんの歌で聴くと、詩が活字で読むよりもずっと深く心に届くのに驚く」と言わしめた、日本語のうたの表現には定評がある。自ら率いる、ハモり女子三歌楽坊"トランスパランス"、伴奏者なしの"まこソロ"など、ライブスタイル多数。ドラマや映画音楽への参加、子供向けアルバムへの参加、舞台の歌唱指導なども。野口観光リゾートホテルCM風シリーズでもお馴染み。 * * *まこりんとの出会いは1999年。私が雑誌編集者時代に、DiVaのプロモーションで札幌を訪れたまこりんを取材したところまで遡ります。その後、1年ほどまこりんが札幌に在住し、その間に急速に親しくなりました。まこりんは谷川俊太郎さんと一緒のステージに立つことも多く、私は会話の中で、俊太郎さんの素顔(とは言っても本当に触りだけ。おまんじゅうは粒あんが好きとか、そういうこと)を聞くことになります。私が初対面から「谷川さん」ではなく「俊太郎さん」と、自然とお呼びするようになったのも、まこりんの影響です。2014年頃から、私は「俊太郎さんのものばかりを集めた場を作りたい」と思うようになり、一番初めにその話をしたのもまこりんでした。「東京ではブックカフェがすごく増えてきている。もしやるのであれば、早いほうがいいかもしれないね」と言ってくれました。(しかし実際は、かなり心配をかけていたことと思います…)2015年、友人のギャラリーで「とても個人的な谷川俊太郎展」を開催。延べ1000人以上のお客様がきてくださり、さらにはまこりんが、オール谷川俊太郎のソロライブを開催してくれました(サポートには、札幌で活躍するミュージシャンの扇柳トールさんがついてくださいました)。会場いっぱいに集まったお客様に、素晴らしい歌声を披露してくれ、俊太郎さんの詩を歌で聴く喜びも届けてくれました。その後、2017年5月3日に無事俊カフェをオープン。その日は別の地域でDiVaと俊太郎さんのライブがあったので、まこりんは俊太郎さん、賢作さんと一緒におめでとうの動画を送ってくれたのでした!それまで私は、まこりんソロライブを陰ながらサポートしていたのですが(とは言ってもチラシを作ったり受付をする程度)、俊カフェができてからは、まこりんソロライブ、DiVaライブ、トランスパランスライブなど、北海道に来るたびに趣向を凝らしたライブを開催。あっという間に俊カフェのお客様にもファンが増えました。2018年1月には俊太郎さんとDiVaで札幌へ。200席の六花亭ふきのとうホールをいっぱいにした翌日は、俊カフェでミニライブを開催。熱い視線を集めました。さらに2019年5月の俊読にも、私のたっての希望で出演をしていただきました!まこりんらしい、バリエーションに富んだ内容で会場を沸かせました。 *そして昨年。11月に賢作さんから、俊太郎さんの訃報が届いた後の数日間。誰が知っているかわからないまま、じっと悲しみと喪失感を抱えていたとき、まこりんからぽつりとメッセージが来ました。言葉を失った私たちは、ただただ悲しみを、静かに共有しました。その後、私からだったか記憶が曖昧なのですが、覚和歌子さん、まこりん、私の3人で、俊カフェで私たちだけが話せる俊太郎さんのお話をしませんか?という流れになり、5月29日(木)夜に、3人で俊太郎さんのことを徒然なるままに話しました。この日は俊太郎さんや覚さん、まこりんと一緒に仕事をしたことのある方々が遠方から足を運んでくださり、たぶんそこには俊太郎さんの魂もきていたのでは…と感じる濃密な時間となりました。(時計回りに覚和歌子さん、小松からの榊原千秋さん、フルート奏者の坂上領さん、まこりん、古川。写真は坂上さん)*この会は、9月23日(火祝)、そして俊太郎さんのお誕生日12月15日(月)にも開催予定です。まこりんのことは、本当に書けばキリがないのです。それだけ私たちはたくさんの時間を共有してきましたし、まこりんも俊太郎さんと多くの時間を過ごしました。俊太郎さんはまこりんに、「まこりんの鈴(りん)」という美しい詩を贈りました。魂に沁み込む歌を届けるまこりん、作詞もするまこりんがどんな詩を届けてくれるのか。とても楽しみです。
(撮影:宇壽山貴久子)向坂くじら(さきさかくじら)さん詩人。「国語教室ことぱ舎」代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」でアーティストとしても活動。2022年第一詩集『とても小さな理解のための』を刊行、近刊に詩集『アイムホーム』小説『踊れ、愛より痛いほうへ』など。1994年名古屋生まれ。慶應義塾大学文学部卒。 * * *『いなくなくならなくならないで』『踊れ、愛より痛いほうへ』の2作連続で芥川賞にノミネートされた向坂くじらさん。飛ぶ鳥を落とす勢いです。でも、ご本人は全然変わらないのが嬉しい存在です。くじらさんを初めて「観た」のは、2018年の俊読。少し掠れた声と、声に寄り添うギター。「Anti-Trench」で聴く俊太郎さんの詩は、文字だけで読んでいた作品の世界に色をつけてくれたような気がしました。声フェチ(!)の私にとって、くじらさんの声は本当にツボで、お会いするたびに「声がいい」と言い続けてきました。次に「お会い」したのは、2019年10月でした。昨日は書きませんでしたが、桑原滝弥さんは、俊読をはじめとするご自身のイベントでいつも「被災地への支援金」を集めており、それを被災地に届けパフォーマンスをする活動もしています。俊読2019も同様に支援金を集め、「その支援金をもって、胆振東部地震の被災地に行く」と約束してくださいました。(俊読2019は来場者数は100名超。本当に多くの支援金が集まりお渡しすることができました)。実はその俊読2019の時に、スタッフとして助けてくれた詩人の故永しほるさん(当時の筆名は大江那果さん)の出身地が、胆振東部地震で被災したむかわ町だったこともあり、2019年10月、桑原さんは東京から向坂くじらさん、URAOCBさんを、北海道からは故永しほるさんと、俊読2019に出演したハルちゃんと共に、むかわ町の「法城寺」さんでイベントを開催してくださったのでした。(私は行けなかったのですが、友人が車を出してくれ、有志のご夫婦がお手伝いをしてくださいました)そしてその日の夜には俊カフェで、三角みづ紀さんとレンコンズも加わり、(ハルちゃんは小学生だったのでむかわ町でお別れし)、『ただ命がけで詩を詠む夜』を開催。あの「Anti-Trench」で聴いたくじらさんの声を、生で聴いて感動したのでした。後に、俊カフェ常連である町田すみさんのご縁で、くじらさんが所属する「胎動レーベル」のikomaさんとつながったのですが、ikomaさんの活動の中にも、必ずと言っていいほどくじらさんの存在はありました。2017年に開催された『ウエノ・ポエトリカン・ジャム』でも、俊太郎さんとくじらさんは同じステージに立っていました(三角みづ紀さん、文月悠光さんも!)。(2017 UPJにて。写真:山崎奏太郎)2021年には「Anti-Trench」のアルバムを2枚同時発売。俊カフェでもお取り扱いをさせていただいてます。2022年には第一詩集『とても小さな理解のための』を刊行。その発売日に向けて毎週、Xのスペースでゲストを招いてくじらさんがお話ししていたのですが、私も僭越ながらその1人に加わっちゃいました。そして昨年の夏。芥川賞候補となって取材が殺到したくじらさんは、ふらりと北海道へ。俊カフェにも顔を出してくださり、しばしのんびり過ごしてくださいました。昨年12月には桑原滝弥さんのYouTubeチャンネル「詩人類/桑原滝弥」にくじらさんがゲスト出演。私もお題を出す人として名前だけ参加しました。https://youtu.be/HYltXl7Qa_k?si=FrkoLiPuOaLdMNB3俊太郎さんとは、俊読やUPJなど同じステージに立ったことのあるくじらさん。ことばととことん向き合うくじらさんが、どんな詩を書いてくださるのかとても楽しみです。
桑原 滝弥(くわはら たきや)さん詩人。1971年、三重生まれ。現山口在住。演劇・音楽・パフォーマンス活動を経て、1994年、詩作を開始。 以降、「あらゆる時空を"詩"つづける」をモットーに、様々な媒体で作品を発表。谷川俊太郎トリビュートLIVE『俊読』を、16年間に渡ってプロデュース。著書に、自伝詩集『詩人失格』(私誌東京)など。https://shijinrui.blogspot.comhttps://x.com/takiyakuwaharahttps://www.youtube.com/channel/UCBbIptDqzfYkNO_cqWzKOCw * * *桑原さんと初めてお会いしたのは、俊カフェを開いてすぐの2017年6月。生まれたばかりの息子のあっくんを抱っこしてのご来店でした。「どんな人がこう言う店をやっているのか」。様子見もあったようですが、俊カフェの本棚を見て気に入ってくださり、その場で「俊読」と言うイベントをやっていることを教えてくださいました。その年の秋、「俊読を札幌でやりませんか?」と嬉しい打診のお電話をいただきました(断る理由がないのでその場でお受けして2019年開催が決定)。翌2018年、東京で開催された俊読を見に上京。俊太郎さんと桑原さんのトーク場面でステージに呼ばれ、札幌開催を告知。その後の1年弱は、桑原さんの俊太郎さん作品への深い理解と、朗読にかけるストイックな姿勢を目の当たりにし続けました。そして2019年5月、札幌にて「俊読2019」を開催。桑原滝弥さん(詩人類)と俊カフェの共催と言う形をとらせていただきました。(俊読前夜の食事会。手前から時計回りに覚和歌子さん、谷川俊太郎さん、桑原滝弥さん、川口恵子さん、大島健夫さん、古川)(俊読2019@Fiesta。今回のアンソロジーにご参加くださる覚和歌子さん、三角みづ紀さん、文月悠光さん、高瀬“makoring”麻里子さんも出演)(俊読2019翌日の俊カフェにて。後列左から大島健夫さん、故永しほるさん、谷川俊太郎さん、覚和歌子さん、桑原滝弥さん、川口恵子さん、古川)その後も、1〜2年に一度は俊カフェを訪れて、ポエトリーリーディングや、ご自身の詩集&エッセイ集『詩人失格』出版記念、俊カフェ超常連の町田すみさんのイベントゲストなど、多彩な表現を見せてくださっています。 *俊太郎さん宅にも2回、ご一緒しました。初回は2022年。俊太郎さんが外出を控えるようになったことで、「俊読2022」はオンライン配信に。その収録の翌日にお邪魔しました。*俊読2022はこちらhttps://youtu.be/uVF_2IzBeXA?si=az0wO2Cs2SjUlc4D2023年のある日、桑原さんから着信。「次、いつ俊太郎さんのところに行きますか?」。会いたい人には会いに行こう、ということで、その場で2024年10月末に伺うことを決めました。すぐに桑原さんが段取りをしてくださったことで、俊太郎さんが旅立たれる二週間前にお会いすることが叶ったのでした。桑原さんと俊太郎さんとの出会いのエピソードはとても素敵です。それは『詩人失格』第8話に詳しく書かれているので、ぜひご一読を。『詩人失格』(2022 私誌東京刊 解説:三角みづ紀)(たぶん俊読@クロコダイルの外での2ショット)
(写真:深堀瑞穂)覚 和歌子(かく わかこ)さん作詞家・詩人平原綾香、ムーンライダーズ、沢田研二ほか多数アーティストへの楽曲提供のほか、Nコン課題曲、校歌などの作詞も多く手がける。92年より自作詩朗読ライブを展開し評価を受ける。01年『千と千尋の神隠し』主題歌『いつも何度でも』作詞でレコ大金賞。08年映画『ヤーチャイカ』では原作・脚本・監督(共同脚本監督・谷川俊太郎)。著書に『ゼ口になるからだ』『覚 和歌子詩集』、谷川俊太郎共著の『かっぱ語録』など多数。https://kaku-wakako.com/ * * *初めて覚さんとお会いしたのは、2016年9月24日、代官山にあるイベント会場「晴れたら空に豆まいて」で開催された、谷川俊太郎さんとの「対詩ライブ」会場でした。対詩とは、連詩の2人バージョンで、詩を外に開くレーベル「obla(a)t」主催により、俊太郎さんと覚さんが不定期で開催していたもの。(昨日の御徒町さんを連れてきてくださった)松崎義行さんが晴れ豆さんにセッティングの時間から連れて行ってくださいました。本番は高瀬“makoring”麻里子さんと2人で、小上がり席のすみをお借りして、お二人による静かな言葉のやりとりと、それを見守る会場の熱気をひしひしと感じていたのでした。(打ち上げにも参加させていただきました)なんと言っても俊太郎さんが全幅の信頼を寄せている方ですから、初対面の時は相当に緊張したのですが、話し方も、纏う空気感も柔らかく、すぐにファンになりました^^その後、2019年に札幌で開催した「俊読2019」(桑原滝弥さんと俊カフェ共催)にも俊太郎さんと一緒に来てくださり、『対詩 2馬力』(ナナロク社 刊)をお二人で朗読してくださいました。さらにコロナ禍には、俊カフェと晴れ豆応援のため、俊太郎さんと対詩を書き下ろし、谷川賢作さんが朗読音源を録音して送ってくださいました。(俊太郎さんが私のラジオに出られた時の音源も追加して、 俊カフェオリジナルのCDを作りました。現在も販売中)さらに2021年5月3日には俊カフェでトークをしてくださいました。この日は俊カフェの開店記念日で、朗読をしてくださったのが本当に嬉しかったのでした。(新聞は一部)このようにして、じわじわありがたい交流を重ねていったのでした。とにかくいつも俊カフェを応援してくださっているのを肌で感じ、ありがたいやら、何かお返しできたらいいのに…と思っていたところ、覚さんが書かれたオラクルカード『ポエタロ』の第二弾を作るということで、(このクラファンを始める数ヶ月前に)『ポエタロⅡ』のクラファンのお仕事をさせていただいたのでした。昨年10月28日、私が最後に俊太郎さんとお会いした時は、覚さんと、桑原滝弥さん、谷川賢作さん、秘書で編集者の川口恵子さんが一緒でした。それまでも覚さんから俊太郎さんのご様子を聞くことはあって、私の中ではもう俊太郎さんといえば覚さん、覚さんといえば俊太郎さん、なのでした。俊太郎さん遺作は、『新潮』に掲載された覚さんとの対詩でした。このあとがきを読んだ時は胸が詰まりました…。今年の5月には、覚さん、高瀬“makoring”麻里子さんと私で、「ここだけの谷川俊太郎さんのお話 vol.1」を俊カフェで開催。9月23日には第二弾を予定しています。とにかく俊太郎さんに関する話題は付きないのです。まだまだ書きたいことはありますが、ものすごく長くなってしまうので、このへんで。明日は1日お休みいただき、水曜日にまた更新しますね!





