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若者が自分として「生きる」「働く」を模索できる「学びの場」をつくりたい!

現在115万人以上とされるひきこもりの人は〈自己否定感〉の苦しさ故に働くこと・生きることも難しくなっています。そうした人々が「自分であること」を諦めずに生きられるように、人と共に自分の関心から学び、自分にあった「働き方」「生き方」を模索できる場として、新しいオルタナティブ大学を設立します。

現在の支援総額

1,560,469

195%

目標金額は800,000円

支援者数

126

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/10/01に募集を開始し、 126人の支援により 1,560,469円の資金を集め、 2020/11/30に募集を終了しました

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若者が自分として「生きる」「働く」を模索できる「学びの場」をつくりたい!

現在の支援総額

1,560,469

195%達成

終了

目標金額800,000

支援者数126

このプロジェクトは、2020/10/01に募集を開始し、 126人の支援により 1,560,469円の資金を集め、 2020/11/30に募集を終了しました

現在115万人以上とされるひきこもりの人は〈自己否定感〉の苦しさ故に働くこと・生きることも難しくなっています。そうした人々が「自分であること」を諦めずに生きられるように、人と共に自分の関心から学び、自分にあった「働き方」「生き方」を模索できる場として、新しいオルタナティブ大学を設立します。

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こんばんは! クラウドファンディング学生サポートチームです。今日は、文化人類学者でゲイ・アクティビストの砂川秀樹さんが、私たちのクラウドファンディングへお寄せくださった応援のメッセージをご紹介します。暖かい、素敵なメッセージをいただきました。ありがとうございます!砂川秀樹さんには、リターンにも設定している特別オンラインシンポジウム(2020年12月頃開催)に講師として登壇していただきます!【砂川秀樹さんからのメッセージ】雫穿大学として新しいスタートを切った、彼らと私のつきあいは2008年6月、講演に招かれたことに始まる。それをきっかけに、私は、学生たちが企画運営する映画祭や演劇などに顔を出すようになり、また、何度か話をする機会もいただいた。そうする中で、私は力づけられてきた。苦しさや寂しさを抱えているときも、足を運び、ひたむきな学生たちの顔を見ると、ほっとする私がいた。そこにいつも温かい光を感じたからだ。ほとんどが不登校の経験を持つ学生たちは、それぞれに、生きづらさを感じることも少なくないようだ。しかし、その場には光がある。それは、生きづらさに向き合い、生を充実させる模索と実践を仲間と繰り返していることから生まれているのだろう。そうした場が、そして、そこから発せられる光=希望が、今の社会にどれだけ必要かいうまでもない。ひとりひとりの応援で、その光=希望はさざなみのようにひろがっていくことだろう。


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こんばんは! クラウドファンディング学生サポートチームです!クラウドファンディングの開始から4日が経過し、現在、60%を突破し、513,000円に達しました!ありがとうございます!まだ目標金額にはさらにひとがんばりが必要ですが、改めて私たちTDU – 雫穿大学(てきせん大学)が今の日本社会でなぜ必要なのかを、TDU代表の朝倉景樹が語りました!ぜひご一読、そして、応援の方をよろしくお願いします!【TDU – 雫穿大学はなぜ今必要なのか】・ 朝倉景樹 今の日本の社会は認められた生き方から一歩外に出ると途端に生き難くなります。そのことは、社会を学校とか職場と置き換えても言えることです。「こうあるべき」という範囲から出てしまったり、もはやその中に収まる努力を続けられない、ということが不登校であり、ひきこもりであったりします。不登校が70年代半ばから急速に増え、現在は小中学校の義務教育年齢の子どもだけでも16万人を超えています。かつては、不登校は子ども本人や親に問題があるとされました。子どもと親に問題を求め、学校の変化には目が向けられませんでした。70年代からの学校では校内暴力が吹き荒れ、体罰・校則で抑え込むと、いじめが激増したても、学校そのものの変化は関心の対象とならなかったのです。 全国各地の学校で同じ内容を同じ教具を使い、同じペースで学ぶことが徹底されていく中でこのような子どもたちの姿が見られるようになっていったことは注目されませんでした。しかし、十人十色、無くて七癖、人はどうしても多様な存在です。さらに、規則正しく、守らなくてはいけない行動のルールが強まり、子どもたちの負担・ストレスが増えると子ども同士での緊張が高まっていくことは不可避でした。同様のことが職場についても言えます。 この数十年、学校でも職場でも、子どもや大人は「この範囲で生きなさい」という枠組みを強められ、さらにその枠組みは狭まっていったのです。しかし、「この範囲で生きなさい」という枠に合いにくい人もあれば、転校とか家族の変化などそのタイミングでは合わせにくいということもあります。さらに、この枠組みというものはいわば「恣意的」なもので、今の時代、社会だからこの枠組みになっているということに過ぎないのです。 しかし、ひとたびこの枠組みから外れると社会からの風当たりは強く、あたかもこの枠組みに合わなかった自分が人間として劣った存在下のように思わざるを得ない、振舞わざるを得ないという状況に置かれるのです。これが「自己否定感」です。自分をダメな人間だと自分自身で思えば、人の目に晒されることは怖いことです。 残念ながら今の日本にある多くの取り組みは、ある場ではハードに、ある場ではソフトに、けれど詰まるところは社会が認める枠に収まるような指導をするものです。人によってはこの「支援」がうまくいくこともあります。しかし、そもそも合わない枠にハードでもソフトでも合わせるしかないだけならば、絶望的な気持ちにならざるを得ない人も少なくありません。 人は社会の枠に当てはまるために生まれてくるのではありません。どんなに合わなさを感じていても、何とかして社会の枠に自分を合わせようとできない努力をして身を削るように生きている人が少なくありません。自死に追い詰められた仲間も何人もいました。一体、自分を虐げるようにしてまで社会の枠に当てはまらなければいけないのでしょうか。■枠ありきではなく、人ありきの生き方を模索する 「今の自分が在る」というところから始めてはいけないのでしょうか?「私は今、何を感じ、考えているのか」「私は何を望んでいるのか」そこから始める場所がTDU・雫穿大学です。様々な人が暮らしあう社会で、自分を尊重してもらうには他者を尊重することは必要なことです。今の社会では、お互いに理由も問わずに「こうあるべき」という枠に縛りあい、外れていると批判したりします。自分がこれだけできない我慢をしているのに、その我慢をしていない他者を許せないということかもしれません。では、お互いにその人が感じていること、望んでいることから始めてはどうでしょうか。 今の社会では、組織が組織として守らなければいけないことが、時として人の命より優先されることがあります。「組織は人のためにあるのか」「人は組織のためにあるのか」そのことが問われなければいけません。私たちは、「人の今」から始めたいのです。■「今の自分から始まる」ということはどうすればできるのか 今の日本社会で生きていくには小学1年生ですら、さらに言えば幼稚園生であっても「こうあらねば」という枠から逃れることは難しい日常があります。物心がつく前から、日本の子どもたちは、自分に向けられている期待を感じ、それに応えるべく日々暮らしています。  フリースクールに来た子どもは「ここではあなたが好きに過ごしていいんだよ」と言われると何をしていいのかわからないということが起きることがあります。常に自分に向けられた課題を感じ取り、それにこたえることに追われれば、自分が何をしたいのか、自分はいったい何を好きなのかということも分かりにくくなることはおかしなことではありません。それは、大人でも同じです。 TDU・雫穿大学の学生たちは「自分は何者かを知りたい」と言います。自分として生きていこうという時、自分が何を好きで、何を大事にしたいのかがわからないと途方に暮れるように感じることがあります。「枠」に従って生きるのは楽に感じられることもあります。次に何をなすべきなのかは明確で、自分で考える必要はないからです。しかし、自分から始まる生き方をしようとすると自分とは何者かを問うことは必然です。それは楽な道のりではありませんが、楽しくもあり、納得も行くものでもあります。■自分の時間を生きる そして、自分とは何者かを見つけていくのには決められた時間で結果を出さなくてはいけないという在り方は向いていません。TDU・雫穿大学は4年制とか、2年制とかいう枠はありません。自分に必要な時間を自分や人と対話しながら確認していくのです。また、18歳で入学のようなきまりはありません。いかに生きるべきかということに集中して考えたい時に、そのような時間を持てることが大切だと考えます。自分にとってのタイミングで取り組めるということが重要です。■自分の特別な関心を見つける 自分が何を好きなのか、関心があるのかを見つけることはそんなに簡単ではありません。好きだったら自然に目に入ってくるとばかりは言えません。いろんな機会があって、何より気持ちに負担がかからずに触れられることはありがたいことです。不登校やひきこもりをしている時に、「ゲームが好き」と言ったら、「プロゲーマーは難しいでしょうけれど、プログラムを作ったり、バグを見つける仕事にならつけるかもしれない。ゲームの専門学校に行ってみない?」というような水のむけられ方はよくあります。それでは、長きにわたって、場合によっては生涯にわたって携わっていきたいと思うような自分にとっての特別な関心には出合いにくくなります。ちょっと関心があったら「それを仕事にすべきでは?」とプレッシャーをかけるのではなく、まずはそのことにその時の自分として触れてみるということができることが肝心です。それは、自分でやりたくなったことでも、ひとがやっていて魅力的に見えたことでも構わないのです。気持ちに負荷をかけず、触れてみたいことに触れられるそんな機会と時間が必要です。■働くことは望みだけど、焦りたくない 自分にとっての特別な関心が見つかって、たっぷりそのこと三昧の日々を送りたいくなる、そして、そのことでお金を得てみたいそんなことをTDU・雫穿大学ではたいせつにしています。TDU・雫穿大学の学生に好意を持って受け入れたり、機会を提供して下さる会社やNPO、個人のプロフェッショナルの方たちのお力を借りながら、自分に合った働き方を探していきます。そのような時間を過ごしている時に、あるいは、自分にとっての特別な関心を探している時に「働かざる者、食うべからず」は基本だぞ、とばかりに働くべしというプレッシャーをかけられることは少なくありません。このプレッシャーは逆らい難い強さがあります。なぜならば、ほかならぬ本人が自分で稼いで生きていきたいと感じており、そうしなければいけないというような言葉になるくらいそのことを望んでもいるし、当然とも考えているので、このプレッシャーには押しつぶされかねないような重圧を感じます。あまりの重圧に取り組んでいることが手につきにくくなることもしばしば起きます。■希望としてのワーカーズコープとの有機的連携 ワーカーズコープという雇用・被雇用という関係でなく、お互いに力を合わせて職場を作りあうという方たちに出会って3年余が経ちました。ワーカーズの方たちはご多忙の中、私たちのイベントに来て下さっただけでなく、私たちの講座で自分たちの人生経験を含め、ワーカーズで働くということを語って下さったり、関係を積み重ねてきて下さいました。 今回、私たちはワーカーズの方たちと有機的な連携をしていくという選択をしました。その時に、時間を設定し、ゴールを定めての連携ではなく、お互いに模索していく有機的連携が受け入れられたのです。枠を設定してその目的を達するということをすべて否定するものではありませんが、そのことにしんどい思いをしている人が多いとき、このような連携は希望ともいえるものでした。 東京の片隅の小さな場ではありますが、つながって下さる方々のお力を借りながら、枠に自分を無理やりはめ込もうと消耗するのではなく、「今の自分」から始める生き方をつくる(それをここでは学びと呼んでいます)という試み・実践をご支援いただければ幸いです。志と思いはいっぱいの私たちではありますが、先立つものが足りていません。さらに、私たちのこの実践を同じ思い持つ国内外の人たちにも共有していきたいとも思っています。今までもつながってきた国内外の同じような思いを持つ人たちと手をつなぎながら、自分から始める生き方を必要としている人たちの輪を広げていきたいのです。ご支援の程、よろしくお願いします。


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こんばんは!クラウドファンディング学生サポートチームです!現在、開始から3日経過時点で、59%に達しました!!ありがとうございます!皆さまからの熱い応援をいただいて、予想以上の勢いです。これからもこの勢いを活かし、目標達成に向けてさらに進んでいきます!若者たちが「自分である」ことを諦めずに、「生きる」「働く」を創っていける学びの場の設立のため、皆さまのますますのご注目・ご支援・拡散をぜひよろしくお願いいたします!


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こんにちは!TDUの学生広報チームです!本日はTDUの学びの一つ「デザイン講座」の活動を少しご紹介します。デザイン講座では平面構成や色彩構成など、主にグラフィックデザインの基礎理論をワークショップで実際に手を動かしながら体験的に身に着けています。デザイン講座に参加すると、少しだけ世界の見え方が変わるかもしれません。今までそれと気づかず何気なく見ていた色んなものが何かしらの意図をもってデザインされていた物である事を発見するからです。使いやすいように、見やすいように、分かりやすいように例えばそんな風に作られている物が街中に溢れています。色の組み合わせや配置の仕方など改めてそういう目で色んなものを見てみるとそこにある物がなぜそういう風に作られているのかが理解出来てデザインというものがとても身近なものに感じられるのではないでしょうか。そうして触れていく内、自分にとって心地の良いデザインが見つかるかもしれません。こういう物が作りたいという意欲も出てくるかもしれません。デザイン講座では、エディトリアル・デザイナーの方やOB/OGのデザイナーのアドバイスを受けながらカレンダーやデザイン名刺、グリーティングカードなどを製作しています。こんな物があったらいいなと思う物を、丁寧に基礎を身に付けながら自分で試行錯誤しながら作ってみる事が出来る講座です。


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こんばんは!TDUの学生広報チームです!今日は、TDUの学びの一つ、「演劇プロジェクト」の活動をちょっとだけご紹介します。■誰でも「表現」ができる場所人は誰しも、自分の切実なことを表現したいと思うことがあります。自分の胸の中で渦巻いている感情・想い・考え、あるいは自分が出会って強く心を動かされた何がしかの物・事・人。それを形にしたい、表したい。人に伝えたい、楽しんでもらいたい。表現することで人と繋がりたい。TDUでは、直接生活費を稼ぐ仕事にしたいかどうかにかかわらず、自分の生き方を創る時、「表現」を大事に、自分なりに深めていこうとする学生が多くいます。■自分なりの演劇表現を模索する「演劇プロジェクト」映像、美術、音楽、小説...TDUでは、数多くの表現に関わる講座・プロジェクトがあります。演劇もTDUで盛んな表現活動の一つで、前身のオルタナティブ大学の頃から、毎年12月のクリスマス前後に外部に公開する大きな公演を開催しています。演劇プロジェクトのメインの活動は、12月の公演に向けた様々な準備と、演劇をつくる上で重要な役割の技術を学ぶワークショップです。公演に向けては、上演する演目選びから、配役・役割分担の相談、台本の読み込み、公演広報の相談、稽古まで、たくさんのことを進めます。ワークショップでは、演技、演出、舞台メイク、照明、音響など、「総合芸術」ともいわれる演劇に相応しく、多岐にわたる技術・知識を学び合い、手に入れていきます。■プロの劇団で活躍する現役の演劇人たちが、アドバイスTDUのアドバイザーには、演出家平田オリザさんなど、プロとして演劇に関わる方も名を連ねてくださり、それ以外でもつながりのある多様な劇団の俳優さん、スタッフさんにワークショップをしていただいたり、冬公演へのアドバイス、上演後のトークにもご登壇いただいています。最近は言葉、セリフの豊かさを大事にすることを軸にワークショップをしながら、冬公演ではオリジナル脚本や古典作品を上演し、自分たちなりのスタイルで演劇表現を深めていっています。演劇/表現と共に生きていきたい人も、実際に演劇/表現の技を磨きながら、自分なりの表現、自分なりの表現と共にある生き方を模索できるのが、TDU-雫穿大学です。