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このプロジェクトは、2021/04/05に募集を開始し、 4人の支援により 18,000円の資金を集め、 2021/06/04に募集を終了しました

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目標金額1,000,000円

支援者数4人

このプロジェクトは、2021/04/05に募集を開始し、 4人の支援により 18,000円の資金を集め、 2021/06/04に募集を終了しました

お届けする作品は『未来探検隊』の他三つです。四作品とも未発表。何れもワープロ原稿をワードの添付メールで送信。僕に送り先のメルアドが届き次第、直ちに送ります。スマホや他の携帯には送れても容量が大き過ぎて開けません。パソコンは大丈夫。ワードで圧縮せずに送るので今までの経験では問題なしでした。

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 仲美子からのメールが届いていた。—『カサブランカ』を返却しておいた。ゆめと同じく「君の瞳に乾杯」は私もダメ。もし私が大好きな彼に言われたら、嬉しいよりも「あの~。それって。なに~」と聞き返してしまう。聞き返したら映画のクライマックスが壊れてしまう。「君の瞳に乾杯」は当時の流行語になったみたい。でも私もゆめも受け入れられない。心を寄せ合った男と女の別れの場面で男が言う台詞が「君の瞳に乾杯」。                                                   他に気の利いた台詞があるのでは…。「君の瞳は僕の永遠」…。「パリでの想い出が僕のすべて」…。「新しい想い出を作る時が必ずくる。その時には…」とか。 なぜ当時の日本人のハートをキックしたのかが分からない。これが時代の違いって云うヤツ…⁉…。ハンフリーボガードは私のタイプではないから更にグッと来なかった。反してイングリットバーグマンは超美人。知性的な輝きと憂いと美しさ。今の時代であってもそうは居ない。本当に衣装が素敵。現代でも彼女が現れたら男たちは一秒で虜になってしまい、群れをなして後を追う。素敵な衣装はアメリカの豊かさの象徴に思えてしまった。 サムのピアノの弾き語りが良い。『As time goes by』。聴かせる。リックと共にパリから逃げたサム。引き抜きで倍の給料を提示されても「ここが気に入っている」とサム。どこか昔の侍のよう。リックは逃げる為に『カサブランカ』を売る。その時に「契約書は要らない」とリック。買主への絶大な信頼感。現代では無謀。混乱が続く現地では更に無謀なはず。「利益の二〇%をサムに渡して欲しい」とリック。頷くブラックマーケットを執り仕切る買主。リックは白人。サムは黒人。買主はアラブ人。この辺りにナチに対抗する自由社会の矜持が在った。映画の創り手の表現の細やかさに感心。 三回も観てしまった。                          イルザは夫とポルトガルに飛んだ。その先はアメリカ。戦争が終わるまでナチと戦う地下活動を続ける。戦争が終わった。イルザはリックを探す旅に出る。イルザはリックと再会しなければならない。『自由の女神』の展望台での再会。これが私の望み。 GoGo…‼…頑張るぞ…‼…ゆめは大丈夫…⁉…私は頭がパフパフ…‼…読むと只者ではないと分かる…七人の侍人は何者なんだろう…。アップされている写真には怪しさが漂っている。けれど文と文章はピュア。落差が激しい。会うのが楽しみだね—■ 三億円事件(角野匠) この事件から現金輸送を専門とする警備会社が次々と作られた。 多くの会社が給料の銀行振り込みを始めた。 たった一人で誰も傷つけずに三億円を奪った。三億円は東京芝浦電気(現『東芝』)の社員のボーナス。一九六八年十二月一〇日。ジュラルミンのトランク三個に入れられた三億円は日本信託銀行国分寺支店の銀行員三名が自社のセドリックで運んだ。運転手は支店のお抱え。計四名が東京芝浦電気に向かった。伏線があった。四日                          前に国分寺支店に脅迫状が送りつけられていた。「三百万円を指定場所に女性行員に持って来させないと支店長宅を爆破する」。 人通りが少ない府中刑務所裏にセドリックがさしかかった時に一台の白バイに停められた。「この車にダイナマイトが仕掛けられている」と警察官は直ちに車から降りるように指示。警察官は仕掛けられているに違いない車の下に潜り込んで発煙筒を焚いた。脅迫文の記憶と発煙筒の煙でダイナマイトが仕掛けれていると確信した四名は車外から事態の推移を茫然と見守っていた。セドリックが発進。運転していたのは白バイの警察官。                          四名は発煙筒が自然鎮火するまで騙し取られたと気づかなかった。①単独犯②白バイ警官の変装が見事③白バイもひと眼では偽物と見破られない。④伏線も有効に作用し「ダイナマイトが仕掛けれている」に臨場感 があった。発煙筒を車の下で焚いたのが決め処 ルパン三世のような手口。現在では無理。携帯電話と監視カメラで逃げるセドリックは追いつめられる。一九七五年十二月一〇日に刑法の時効を迎える。この事件には強盗罪が適用されない。窃盗罪。それで時効までが七年と短い。数多くの遺留品が在り、それでも犯人まで辿り着けなかった。警察は延べ十一万人を捜査したが犯人を特定できなかった。時効が完了した時に、僕なら「実はやったのは僕」と言ってしまいそう。しかし犯人の沈黙は四九年後の現在まで続いている。複数犯なら何処かで亀裂が入りそうなものだ。 当時の三億円は今では五倍の十五億円の価値。                     僕が二十歳の時の事件だった。僕は東京で学生。劇団に所属していた。大学には通わず劇団が大学だった。チェーホフと格闘していた。ロシア文学が好きだったのではない。座長の好み。 ある日、刑事が訪ねて来た。「芝居をやっているのなら変装はお手のものだろ。それに君はバイクに乗っている」と十二月一〇日のアリバイを尋ねてきた。僕は国分寺に住んでいた。府中刑務所から近かった。その時、僕は十二月の定期公演の最中だった。刑事は舌打ちしながら去って行った。とても失礼な態度だった。僕はバイクが好きだった。空気を切り裂いて走ると風になった。公演中でなければ何時の間にか犯人に仕立てられそうな気配があった。この時から警察への警戒感は強まった。嫌いになった。それは今も続く。警察は僕に何ひとつ利益をもたらさなかった。 僕は二回ドロボーに盗まれた。一度目は郡山駅前のホテルの部屋で財布を盗まれた。ベットに財布を置いたままラウンジで朝飯を食                          べた。戻ると財布が消えていた。慌ててホテルに事態を告げた。部屋はオートロック。鍵を持っている者しか入れない。これを訴えた                                   時のホテルマンの対応に驚いた。                          「警察に被害届を出した方が宜しいと思います」 自分が勤めるホテル内の不祥事を恥じる様子は無い。「僕の部屋の鍵を持つ、持てる者は特定できるでしょう。先ずはその人たちに事情を聞いてくれませんか」と言うと、「それは警察にお願いする他ありません」。致し方なく駅前の交番に被害届を出した。内部犯行説を力説しても動き出す気配なし。「何かあったら連絡します」と事務的に言うだけ。それから半年後に「財布が見つかったので着払いで送って良いか」と電話が入った。「犯人を捕まえたのか」の問いには無言だった。財布は浪江町市街地の側溝に落ちていたとのこと。落ちていたのではなく捨てられていたのだ。 二度目はサッポロ桑園のジャスコ二階のゲームコーナーでセカンドバックを盗まれた。中には財布が入っていた。バックをゲームの上に置いて、二十秒ほど、席を離れた。自販機で飲み物を買った。戻って来た時にはバックが消えていた。店長に盗難を告げた。直ぐに二名の警官が来た。僕は二名に事の次第を伝えた。二名は従業員控室に入って行った。此処には監視カメラのモニターが備えられていると云う。僕は犯人の特定に繋がると期待した。 三〇分ほどして警官が出て来た。「監視カメラは店内のすべてをカバー出来ていないのと盗まれたバックの処には人が重なっていてバックを確認できませんでした」「ならば重なっていた人へ事情聴取して下さい」。すると年配の警官が「その四人は既に店内に居ない」と捕まえようとする意志がない。「どうしてバックをゲーム機の上に置いて席を離れたのですか」と若い警官が、たとえ短時間であったとしても放置した貴方が悪いと、言わんばかりだった。 僕は忌々しい気分を変えられず数日を過ごした。財布には現金・クレジットカード・キャッシュカード・免許証。バックには車と部屋の鍵を入れていた。途方に暮れた。 警察は僕に最悪な気分をもたらす。コソ泥を捕まえようとしない。捜査もしない。交通違反の取り締まりに熱中している。それも天気の良い日ばかり。雨や風が強いと、そして雪が降りアイスバーンになるとパトカーは街から姿を消す。さっさと引き上げる。 警察官とはこんな水準。多くを望むほうが可笑しいのかも知れない。それに口臭が酷い。職務質問も頭にくるが又の機会にする。警察の抑止力とは、コソ泥を捕まえてこそ、有効に作用する。それを初めから放棄している。コソ泥を捕まえられない警察官に用意周到な三億円の犯人を捕まえられないのは道理。                        三億円事件発生から五〇年を機に『三億円事件ツアー』が地元で企画されていると聞いた。ツアーガイドを募集するならば応募する。事件発生後に事情聴取を受けた者はそう沢山居ない。その一人がガイドとなれば客の関心が高まるに違ない。僕の客へのホスピタリティは決まっている。「なぜ警察官は社会から尊敬されないのか。無礼。尚且つ注意が必要なのが警察官。このような人間は尊敬されない」と、僕は積年の憂さを晴らすつもりだ。        ・・・・・・・・・・・・・・                                    角野匠さんは頭のてっぺんが禿げている。それだからなのだろう。横髪を左から右へと横断させている。写真の表情は温和。六九歳。何処にでも居る人柄の良いお爺さんって云う感じ。ひとつだけ違いがあった。瞳の奥が鋭い。見えないものを見届けてしまう瞳だった。 プロの雀士。日本プロ麻雀協会所属とのこと。プロの雀士は初めて聞く怪しい職業。ススキノと狸小路に麻雀荘を開いている。通称は『僕ちゃん』。文章を読むと由来が分かった。子供っぽい処が在る。警察への憤りは根が深い。「職務質問は又の機会」では根がより深まるのは間違いがない。                                 テレビか映画の脇役で観たことがあるようなお爺さん。ハッキリしない。趣味はバイクとスキューバダイビング。今もバイクに乗っている。写真とバイクとスキューバダイビングが結び付かない。海に潜って「ギョギョ。お魚さんになってしまったギョ」と言ってしまいそうな角野匠さん。人柄が良さそうな博打打ち。 氷空ゆめには、すべてが結びつかない角野匠さんに、ひとつ不満があった。『三億円』の犯人は俺だとか、犯人を知っているとかが、何処かに書かれていると期待して読んだ。書かれていると警察への鬱憤が際立つと思った。それが違った。鬱憤だけだった。これも違うかも知れない。角野さんは警察に気を許してはイケナイと力説したかったのだ。多分そうだ。


■ 福居良(泉澤繁) 君はやりたいことをすべてやり切ったのだと想っている。六七年のシアワセな人生を送った。きっとピアノを持って天空の彼方に旅立った。惜しむらくは些か早い永眠。「俺は畳の上で死ぬことはない」と言っていた君は愛妻に見届けられて天上人になった。 旅芸人の家に生まれ三歳で舞台に立ち三味線を弾いた。飛んで来るおひねりが嬉しかったと…。北海高校野球部。ピッチャー。野球への情熱が冷めやらず朝野球のチームを率いて投げ続けた。君はランニングが嫌いだ。それを補っていたのだ股関節の柔らかさ。開脚片足交互屈伸が得意。元ロッテの成田文雄投手もこれが得意。成田はシュートが武器だった。福居良もシュートが決め球。卓越したアコーデオンは客を喜ばす技のひとつ。彼のエンターティメントは幼い頃からの舞台で育まれていた。 バリーハリスとの出逢いからピアノが変わった。和音が複雑になった。セヴンス、ナインスコードが増えた。複雑になっても聴く者にスッキリとした陰影を残した。早弾きを控えるようになった。その訳を尋ねると「早く弾いてしまうと客から情緒が喪われる」 坊主頭で丸顔。無精髭。丸メガネの奥に人なつっこい子供の瞳。                         Jazzで喰えない時代を迎えてもサッポロに暮らしピアノを弾いた。東京には収入が多い仕事もあったろうに。サッポロを愛していたからだと他に理由を見つけられない。 自分はまだ死ねない。やりたいことをやり切っていない。やり切った時にはそっちで芸術とは何かを語り合い、飲んで騒ごう。その時には『キースジャレット』を弾いて欲しい。「Jazzは庶民の娯楽。Jazzを伴奏にしてみんな踊っていた」と俺は意地悪した。                            君は悲しそうな、見たことのない表情で黙り込んだ。「自分の音楽は、子供から年寄りまでを笑わせ、楽しませる一人楽団。ボードビリアン。それを知っているから君は反論しなかったのだと思っている。自分にも弱みが在る。マィルスディビスの『Round About Midnight』や『So What』は踊れない。コルトレーンもだいたい踊れない。踊れない曲は他にも沢山在る。踊れない曲ではみんな静かに聴き入ってしまう」 芸術とは神秘の力によって感動をもたらす作品。何によって忘れられないほど心に刻まれたのか。心を突き動かしたのは何か。これらの何を言葉にできるようでは神秘とは云えない。何が何だか分からない、言語化できない得体の知れない力が神秘。解析しても、しても辿り着けない闇の奥深い処に神秘が潜んでいる。心に刻まれ、心を震わせ、心が動き、時には生き様を決めてしまうのが芸術。芸術には心を鷲掴む魔力が在る。だから人は常に感動を求めて作品と向き合うと、言おうとしたら「俺は『芸術とは何か』なんて考えない。だいたい『芸術』を振りかざして語る連中にロクなのが居ない。俺はピアノを聴いている人たちに感銘を届けたいだけ。芸術とは、それぞれの、心の奥に、しまわれている感動への憧れ。それが時おり顔を覗かせる。その呼び水が感銘」と先を越されてしまった。        ・・・・・・・・・・・・・・    『福居良』は短かった。助かり。分かり易かった。 氷空ゆめはチチの帰りを待った。チチは大のJazz好き。レコードは書斎の壁に据え付けられた棚に隙間なく。ピアノが多かった。チチのJazzと云えばピアノだった。『バリーハリス』を探した。一枚だけあった。『I am Old Fashiond』。福居良は無かった。「勝手に触ってはいけない」と言われてきた再生機。幼い頃はプレーヤーの円盤が回転するのが面白かった。アンプとプレーヤーに電源を入れた。ターンテーブルにバリーハリスを置き、慎重に針を落とした。チチの愛用は高価なオルトフォン。 その時チチが帰って来た。                           「おっ。珍しいな。バリーハリスがピアノを弾いている」「お父さん。福居良って言うピアノ弾きを知っている」「あぁ。亡くなってしまった」「やっぱ。知っているんだ」「Jazz Pianoが好きな奴で知らない者は居ない」 氷空ゆめはプリントした泉澤繁さんの『福居良』を差し出した。「おっ。泉澤さんの哀悼の文面だな。チチは泉澤さんも知っている。                          何度か会社のイヴェントに来てもらった。泉澤さんが舞台に立つと会場が一気に盛り上がるんだ」「有名なんだ。わたし。チンドン屋さんかなと思っていたんだ」「エンターテイナーとしては一流だ」「……芸術とは何かを振りかざす者にロクな奴はいない。まったく同感。芸術の言い廻しも的を得ている。さり気なく的確だ。ゆめはチチに何を聞きたかったんだ」「別に。お父さんが知っているなら安心」 泉澤繁さんだけが動画。六九歳。太鼓を背負っている。頭にはハイハットが取り付けられていた。アコースティックギターを抱え、口元にはハーモニカも。ギターを弾き、唄う時には小刻みに動く。右足を踏み込むと太鼓が叩かれ、両足を閉じるとハイハットが鳴る。伊達メガネをかけ、衣装はカーネルサンダース仕立て。ひとり楽団は忙しい。曲名は『チェムチェムチェリー』。                                    趣味はサッカー。サイドバック。何時も脚を動かしているから俊敏なのかも。小柄の泉澤さんはサッカー日本代表の長友を絶対意識している。帽子を取ると髪型が同じ。それにしても、楽しそうに、嬉しそうに、唄い、演奏している。 氷空ゆめには文と文章が短かった分だけ余裕が在った。 けれども芸術が難しかった。 ひと言で言い表せない。 ウィキペディアの解説では『表現者(表現物)と鑑賞者が相互に作用し合い、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動』。他に、もうひとつ在った。『美を追及、表現しようとする営み」。 氷空ゆめは…『美の追及』が芸術の根幹では…と想った。『精神的・感覚的な変動を得る』には美が欠かせないからだ。 美しくない表現には人は心を動かされない。 神秘の力によって感動をもたらすのが芸術。 感銘は心の静かな動き。得体が分からなくとも魅せられてしまう。 人知を超えた美しさは神秘と呼ぶのにふさわしい。 この神秘を言葉にできるようでは芸術とは言えないみたい。 言語化できない得体の知れない力が神秘。…芥川龍之介さんは言葉で美を追及し、言葉で言語化できない神秘を築こうとした。その営みを時代が許さなかった。独りで立ち向かう体力は無かった。絶望感が襲った。決して『漠然とした不安』による絶命では無い。わたしは『敗北の文学』と絶対に言わない… 感銘は感動の一歩手前の静かな心の動き 日常を跳び超え、覚醒した心を、鷲掴みにするのが芸術。                          心を鷲掴みされた者は感動で打ち震える。  氷空ゆめには一度だけ衝撃と感動で打ち震えた体験が在った。 地下街を美子と歩いて大型書店に向かう高二の夏だった。 美子が壁に貼られたポスターを指差して「観てごらん。あの娘。ゆめにそっくり」。氷空ゆめは美子の指の先を追った。『ターバンを巻いた少女』が大判のポスターに描かれていた。近代美術館のフェルメール展の案内がポスターの下に小さく。 少女が眸を見開いて斜め後ろを見ていた。 青いターバンが少女の頭に巻かれている。 少女の視線と眼が合った。 その時氷空ゆめは金縛りに。 身動きできなくなった。鳥肌が立った。歩もうとしても足が動かない。鳥肌を見ようとしても手を持ち上げられなかった。…少女は振り向きざまに何を見たんだろう… これだけが浮かんだ。 美子も足を止めて少女に魅入っていた。「同じ年頃のオランダの少女。フェルメールは一七世紀の画家。顔の輪郭は違うけれど憂いの在る眸と目元はゆめ」 少女は色白。オランダの少女だから白人だ。肌の色が白いのは当たり前。眉毛が薄い。長距離ランナーの日本人のわたしは色黒。でも、眸と眼元は、わたし、そのもの。『貴女を見ていた。私に似た貴女が気になって見てしまった』 話しかけられた。 その途端に金縛りが解けた。 氷空ゆめはポスターの前に立った。 美子に向けて少女と同じポーズ。「どう。少女になっている…」「ターバンが無くてもゆめは少女のよう。日本の少女。でも眼線が下向き。オランダの少女はやや上向き」 以来氷空ゆめは、やや上向きの、眼線を心がけた。…わたしに似た少女が一七世紀のオランダに居た。少女はわたしを見つめて話しかけてきた。わたしも少女にご挨拶…「貴女と出逢った瞬間に言葉を喪った。おまけに金縛りに。ポスターの中にわたしが居た。氷空ゆめです。一七歳。ヨロシクね」『私も一七歳。しばらくは近代美術館に居ます。逢いに来てね』 次の日。氷空ゆめは本物の少女と再会した。 少女の前に人が群がっていた。 ポスターと違って背景の黒色が濃かった。                          少女が浮き出ていた。 今にも動きそうだった。見つめていると瞬きしそうな気配。憂いの中に一瞬、見たものに驚いている。それで眸が大きく見開いていた。何を見たのだろう。…謎…。人が多くてお話しは無理。…まぁイイか。昨日少しお話しできたから… 少女は見えないものを見たのだ。何を見たのかを尋ねたい。昨日は何を見ようとして見たのだろう。違うような気がする。意図して見たのでは無い。表情に驚きが在る。偶然見てしまったのだ。それは見てはイケナイものだったのかも知れない。これも違うな。多分わたしに驚いたんだ。似ているから。微かな笑みが在る。何を見たのか分からないから神秘的なんだ。 少女の瞳に映っていたのは何なんだろう。初対面の時はわたしだった。そう伝えられた。お話しできたならそれが分かるのに。それにしても本物の少女は美しい。透きとおり静かに輝いている。青色のターバンが似合っている。そして眸と目元がわたし似。…これが言葉にできない芸術なんだ… 氷空ゆめは身震い。 もう一度少女に魅入った。 そして一礼して離れた。『ゴメンナサイ。多くの人に見つめられてお話しできなかった。また逢いましょう。私は故郷のデン・ハーグで暮らしています』 氷空ゆめは振り返った。 眼線が合った。 少女が微笑んだ。そう想った。 この時からバンダナはフェルメールブルーに決めた。 少女は芸術の力で永遠の命を授かったのだ。


 氷空ゆめは芥川龍之介と小林秀雄を知っていた。 中学の国語の教科書に『鼻』が載っていた。長い鼻を温め、踏みつけると毛穴から脂が滲み出てくる描写が気持ち悪かった。先生が「芥川は短編の神さまだ」。高校の現国には『様々な意匠』が載っていた。「何年か前の東大入試に出た。文章の手本」と先生。 それだけが『様々な意匠』の記憶だった。『敗北の文学』は学校の図書館に在った。図書カードに記載が無かった。誰も借りていない本。初めて表紙が開かれた本。紙とインクの微かな匂い。黴の臭いも僅かに。勢い込んでページを開いた。 文章から伝わって来る気迫が凄い。けれどもいち文いち文を形成している背景と意味がまったく掴めない。でも最後まで一気に読んだ。意味が分からない文章を最後まで読んだのは初めて。読んだのではなかった。眼を通しただけ。石丸明さんが描いた、宮本顕治さんの情熱からの気迫に押され、文字から眼を外せなかった。 理解できたのは芥川龍之介を題材として書かれた評論が『敗北の文学』。それだけ。それを石丸明さんは批判的に論じている。これだけ。評論とは題材を批判的に論じる文学と考えてみた。題材を批判的に論じるとは自分を語らなければならない。                          評論も文学のひとつ。                  では文学とはナニ…。 二十二歳の宮本顕治さんの気迫は火山の爆発だった。「私も奮闘しなければならぬ」が石丸明さんの最後。革命的リアリズムを擁護し、批判して、成長のリアリズムに辿り着いた。「成長のリアリズムがオルタナティヴとして成立したとして主人公は何処に向かうのか」。主人公とは小説の主人公。主人公が向かう先を石丸明さんは見ようとしている。向かう先とは石丸明さんが歩む先。 オルタナティブとは『今までと違う新しく主流になる考え』。わたしは、調べに調べて、この理解に達した。革命的リアリズムは歴史的必然に裏打ちされ、革命後の新社会への信頼に繋がる。しかし芥川龍之介さんは新社会へ漠然とした不安を抱えていた。ブルジュア文学の限界と言われようが、プチブルの芥川龍之介さんは小説を芸術に据えたかったのでは無いだろうか。そう思えてならない。 人は「漠然とした不安」で自らの命を絶てるのだろうか。わたしなら絶対に無理。わたしのことはどうでもイイ。芥川龍之介さんには絶つだけの理由が在ったと思う。「透徹した眼力」が芥川龍之介さんの特徴。違う。才能だ。この才能なくして小説を芸術に昇華できない。据えられない。「透徹した眼力」は「漠然とした不安」を見抜いていたと思う。芥川龍之介さんは漠然とした不安の時間を過ごさない。見抜いて決着をつけるはず。「新社会」を実現するには社会、それも戦争へとひた走る社会と闘わなければならない。それは芥川龍之介さんには出来ない。芥川龍之介さんは小説を芸術に押し上げたいのだ。「透徹な眼力」は何を見つめていたのだろうか。人間を見つめていたはず。革命的リアリズムは美しい。感動的でさえ在る。そこで鍛え抜かれた戦士たちが起こす革命が成就する。これが歴史的必然。これも芥川龍之介さんは否定しない。戦争の無い幸福な新社会が実現。この新社会には革命戦士の指導者たちが強いた権力が在る。権力を握った指導者たちを「透徹な眼力」は見つめる。権力を握った人間を見つめる。それを遠慮がちに「漠然とした不安」と言い表した。 わたしにはそう思えてならない。 偉そうに言えば「これは小林秀雄さんが描がくべき」。わたしは石丸明さんに導かれ、ふらついて、やっと此処まで来たのだから。 評論とは題材を措定し、題材を多角的に咀嚼して、自分に引き付け、自分を語ることなんだ。題材を措定するのも自分を語る切り口に違いない。石丸明さんが「私も奮闘しなければならぬ」と結んだのは自分を「奮い立たせる」のと同時に読者にも「奮い立つ」を求めている。わたしの今は「奮い立つ」前に読むに奮闘している。精一杯の奮闘。でもこの奮闘は読み、理解すると終了する。それでも                           初めて仮説を建てた。その次が「奮い立つ」。 わたしは何を目指すのだろうか。それが分からないまま時を過ごしては石丸明さんに顔を遭わせられない。眼を見られない。美子も同じ読後感を持つ。でも、そう遠くないうちに、わたしは見つけて、石丸明さんの眼を見る。美子も石丸明さんの眼を見つめる。 氷空ゆめは石丸明さんの写真を見つめた。知的で穏やか。お父さんと何処か似ている。お父さんは何時もわたしだけを見つめている。石丸明さんにもわたしは何時も見つめられているのだ。 石丸明さんの生業はフリーのカメラマンとアパート経営。趣味は登山とスキー。特技はピアノの弾き語り。多才な人だ。 アキラと呼ばれている。


※本日から『スパニッシュダンス』の「ホタテと瓢箪」の抜粋を掲載 する予定でした。そうこの活動報告で予告しました。しかし考えま した。4/12のリターンの見直しと同様に考えました。このプロジェ クトの終了まで後僅か。「ホタテと瓢箪」を載せても回数が一〇回 未満。満足に伝えられないとの懸念で考えました。 結論は『未来探検隊』の抜粋で載せなかった七人の侍たちの評論の 五つを載せるのと仲美子の宿題二つ。僕の持ち味は「小説内評論」 と書いておきながら持ち味の未掲載では何とも中途半端。未掲載は ひとつひとつの評論の枚数が長く読者を困惑させるとの遠慮でした。 プロジェクトの終わりに差し掛かり…やはり持ち味を載せなければ と思い直し、決断しました。※予告と違う内容となり申し訳ありません。ご容赦下さい。■ 宮本顕治(石丸明) 一二年前の七月十八日。宮本顕治が死んだ。訃報に接した時に、これで戦後が終わったと思った。この時に思った私の戦後とは敗戦直後の混乱と混沌に広がった闇であった。  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       顕治は芥川の文学を『敗北』と規定したが杓子定規ではなかった。『敗北』を導く中で面白いことを書いていた。自分とは遠い世界に住んでいると捉えていた芥川。自殺を知った時に顕治は「意外にも私は我々に近く立っている氏を発見したのである。私は厳粛に氏を見直さずにはいられなかった」。「…だが、感傷のためではない。氏は、一生脱ぐことの出来なかった重い鎧を力一杯支えながら、不安に閉ざされた必死の闘いを見せていたのであった。その数種の遺稿と共に、最後に、我々に肉薄して来ているのであった」。 次いで顕治は芥川の鎧を作品を通して解析する。鎧とは芥川の冷徹な眼と自我。その解析の胆は、資本主義の悪を認め、その中に安住する自分を恥じる、プチブル知識人の姿。これらの引用だけでも私が想い描いた教条性はない。あちこちに芥川への敬愛が在る。 顕治が述べる「最後に、我々に肉薄」は芥川も共産主義を意識していたからであった。時代を透徹した眼で見つめたプチブル知識人の苦悩と限界にまで到達したのが芥川。―娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは                      コンミュニストの棍棒をふりまわせ。                             娑婆苦をすっかり失いたいものは ピストルで頭を撃ち抜いてしまへ。   『信条』―  顕治は語る。「史的な必然として到来する新社会が今日の社会よりも幸福ではあるがそこにもまだ(芥川に)不安が残っている」と。                          ―「芥川龍之介!芥川龍之介。お前は根をしっかりとおろせ。お前は風に吹かれている葦だ。(中略)これからお前はやり直すのだ」                                           『闇中問答』― 芥川はやり直せなかった。死を選んだ。「肉体的にももはや不可能であった。後悔が自嘲がそして絶望が余りにも氏をとりまいていた。敗北の文学を。そして階級的土壌を我々は踏み込えて往かなければならない」 これが顕治の結びであった。顕治は要所では私と書かずに「我々」を用いた。顕治は歴史的必然を信じていた。顕治は歴史的必然によって導かれる「新社会」に不安を持っていなかった。 私を刺激したのが「歴史的必然」と「新社会への信頼」。 私は歴史的必然を神話と捉えている。歴史の大きなうねりを後世から俯瞰し、革命に勝利した側からの歴史観と考えている。歴史的必然が真理として成立するならばソヴィエトの崩壊、そして現況のロシア・中国・北朝鮮の姿も歴史的必然になろう。「新社会」に一抹の不安もないのは、そして「今日の社会よりも幸福」と語るのは革命家として立つ顕治の意気込み。そう思わなければ覆い被さって来る時代の困難の中を突き進んでゆけなかったであろう。顕治を取り巻く闇には自分を殺しかねない権力が在った。 芥川の「漠然とした不安」が正しかった。芥川は「漠然とした不安」を透徹した眼力でつまびらかにしていない。それが惜しまれる。芥川は「漠然とした不安」を主題にした長編小説を書くべきであった。いずれにせよ芥川は「やり直し」に気づきつつも遠くへ逝ってしまった。「我々」の傍らに接近するも、逝ってしまった芥川への惜別が顕治の『敗北の文学』であった。 こう云う私は後年から当時を鑑みているに過ぎない。 小林秀雄は『様々なる意匠』で私小説への批判である「社会化された私」に辿り着いている。私自身が感知する「私」と周辺。「私」の自我と、それを取り巻く周辺が織りなし、ぶつかり合う私小説には社会性がない。「私」の自我は周辺しか見つめていない。だから面白くないのだ。「私」とは紛れもなく社会の一員なのだと。 顕治はその社会と格闘していた。 顕治は「社会化された私」よりも一段の高みに居た。                                    読み終えて、なるほど、と思った。やがてプロレタリア文学は全                         盛期を迎えるであろう。その理論的支柱になるであろう『敗北の文学』への支持が集まり見事一位に。納得した。 私も『革命的リアリズム』に酔った時期が在った。しかしソヴィエトや中国、北朝鮮の動向が酔いを醒ました。多様性を認めない国家は自我を認めない。しかしゴーリキの『母』から受けた感銘は私から消えなかった。感銘を受けた者には責任がある。感銘への責任。その責任を繋ぐのが精神のリレーと思った。繋ぎ方は多種多様。やはり人間は社会を意識し社会矛盾や課題と向き合い正してゆかなければ自らが閉塞する。正確な意味における単独者は成立しない。生きてゆけない。人間は社会が在って生存できる生き者なのだ。『革命的リアリズム』は色あせてしまった。しかし主人公が社会と向き合い、格闘し、葛藤しつつ、成長しなければ小説にダイナミズムが生まれない。このダイナミズムこそが小説の生命線。読者をドキドキさせ、思わず次のページを捲ってしまう力を、私は『成長のリアリズム』と名付けた。『成長のリアリズム』が小説に命を吹き込むのだ。『成長のリアリズム』がオルタナティヴとして成立するのか。成立したとして主人公は何処に向かうのか。  私は主人公の向かう先を確かめなければならない。 私も奮闘しなければならぬ。


 中間テストが終わった日曜日の朝。寝坊していると海彦は志乃に起こされた。「お父さんが待っている。起きて。顔を洗って。歯を磨いて」 海彦は、逆立った寝癖を直そうと、湯タオルを頭に載せ、海太郎の書斎をノックした。「まあ座れ」 海太郎は椅子を回転させ海彦と向き合った。「明日から海へ出る。予定では二〇日。今度も北だ。根室海峡でロシアによる漁船拿捕が起きた。北海道の海は広い。それで応援。日本人相手と訳が違う。外国船は漁船であっても銃火器で武装している。北からの風と潮も厄介だ。それでも必ず無事に戻る」「根室海峡って知床半島の東側…」「そうだ。国後島との間。拿捕海域は幅二〇キロの海峡から北へ一〇キロの海域。此処はスケソウダラの水揚げが多い。シャチのお見合い場所でも在る」「海に落ちたら助からないね」 「一分も海に浸かっていたら蘇生は無理だ。流氷はまだ処々に残っている。今は三度くらいかな。しかし流氷は恵みをもたらす。世界でも類まれな漁場。オジロワシやゴマフアザラシ。イルカ、シャチ、ザトウクジラも集まる」「父さんの仕事は大自然相手でもあるんだ。海は大自然そのもの」「問題が発生しなければ幸せな仕事だと何時も思う。拿捕されると身柄を拘束される。船も取り上げられる。返してもらうのに幾らの金が必要か知らないだろう」「ロシアに拿捕されると保釈金でカタがつく。金額は分からない。拿捕されても保釈金を払えば無罪放免みたいだ。日本の法律と違う。裁判がない。何か変だ」「ここは微妙な海域なんだ。北方領土返還は日本の国是と言っても良い。ロシアは応じな                                    い。拿捕は返さないとのメッセージでもあるんだ。ひと昔前は保釈金を充て込んだ拿捕と思える事例が多かった。ロシアの経済が立ち直ると拿捕の件数は減った。船の大きさにもよるが一千万円が最低の水準。拿捕される者にとっては死活問題になる」「となるとハッキリした違反でなくても拿捕される。船に積んである魚はどうなるの」「ロシアが証拠品として押収する」                                                            「往復ビンタにゲンコツだ。だから父さんが行くんだ。でも拿捕の現実を俺に教えたくて叩き起こしたんじゃないよね」「そりゃそうだ。俺は海彦に歴史を学べと言った。学ばなければならぬ歴史とは拿捕件数の年度別推移では無い。拿捕する側、される側の実情が歴史だ。それを伝えたかった」「な~だ。父さん。俺を見くびり過ぎ。歴史には表と裏、光と影、の両面が潜んでいる。勝者の歴史が古代から近代までの教科書。敗者にも歴史がある。支倉常長は表。嘉蔵が裏。スペインとの通商は政宗の野心。これが光。家康の魂胆は影。通商が実現しなかった結果                                    に勝者もなければ敗者もない。政宗の野心は頓挫。家康の魂胆も泡となり国を閉ざした」「それだけ分かっていれば充分だ。私は言わなくて良いことを言ってしまったようだ。伝                               えたかったもうひとつは歴史を学ぶとは平和を築く人間になる…ことだと」「分かった。マリアの政治家に繋がるね」「これからが本題だ。昨日ハポンの会から正式な招待状が届いた」       海太郎は封書を海彦に渡した。開けると招待状が日本語で印字されていた。それと有効期限が半年間のイベリア航空の往復チケット。マドリットとセビリアの往復も。                             — 瀧上海太郎さま 前略。過日コリア・デル・リオのハポンの会は臨時総会を開催しました。そこで正式決定したのは瀧上海太郎氏長男海彦君の招待です。勝手ながら来西は海彦君の夏休みが良いかと思っております。宿泊先はトーレス・ロドリゲス・ハポン宅になります。 年末年始には孫娘のマリアが大変お世話になりました。                                    その御礼が遅れてしまいました。失礼をお詫び致します。 私どもは末永い交流を貴家並びに仙台の日西友好協会、そして日本の方々と続けたいと念願しております。平和の架け橋を世界中に示したいと考えています。 我が街のハポンを名乗るスペイン人は六百人ほどです。百世帯と少し。スペイン全土では八百人は下らないと推測しております。その大半の方々がハポンの会に所属し、僅かですか会費を納めています。それを資金としての招待です。 御子息海彦君が我々の四百年を埋めてくれると。そして我々の新しい歴史が始まると胸が膨らみます。御予定が決まり次第、連絡をお待ちしております。かしこ。                                                                         コリア・デル・リオ ハポンの会                     会長 トーレス・ロドリゲス・ハポン —「立派な招待状だね。父さん。これはマリアが書いた文章だよ」「本当か。本当だったらエライことだ。日本人でもこうはなかなか書けない。正式文書にありがちな常套慣用句が排除されている。海彦。どうしてマリアが書いたと分かるんだ」「何か所かあるんだ。先ず書体。『HG丸ゴシックMーPRO』。これは俺が気に入って使っている。マリアもこれを気に入った。次に『前略』と『かしこ』。これは手紙を書く時の巻頭句と結び。マリアから日本語で手紙を書く時の書き方を教えてと頼まれ教えた。『来西』もそう。漢字ではスペインを西と書く。こう言うとマリアは眼を丸くした。たった一文字でスペインを表わす漢字の表意『西』に驚いていた。スペイン人で『来西』を使えるのはマリアくらいと思っている。日本人にもあまり居ない」                                   「マリアには驚かされるばかりだ。挨拶も、政治家も、歌も。今度は招待状だ」「父さん。俺も同じだよ。ぼやぼや、うかうか、していられないと尻を叩かれっぱなし。俺は驚くのに慣れてしまった。あんな女子高生は日本には居ない」                                 「居ないだろうな。それは私にも分かる。海彦。何時行くつもりだ」「五日前にマリアからのメールで正式招待を知らされその時から考え始めた。八月一日から一〇日はどう…。お盆に間に合う」「では私はその予定と御礼を日本語で書く。お前がスペイン語に翻訳してくれ」「えっ。俺がスペイン語で書くの。父さん。ズルイ」            「ズルイか。親とは身勝手でもある。お前は近々スペインに行く。スペイン語の勉強になるだろう。マリアは立派な日本語で書いた。お前も負けられないはずだ」 海太郎は本当にズルそうに海彦を見て哄笑。「海彦。良かったな。マリアの家にホームステイできて」 海太郎はこう言い残して書斎から出て行った。親父もズルするんだ。俺には初めてだ。ズルと云うよりもこれは意地悪だ。親父は俺がスペイン語で書けないのを知っている。俺が自分と同じ水準と知っている。二人とも百の単語を覚えるのが精一杯。それなのに命じた。何か変だ。父親が息子に意地悪する。それもパパ海太郎がだ。何かある。会話の勢いで意地悪するほどパパ海太郎は単純ではない。何故だろう…。俺への物足りなさかも…。 意地悪するには何かしらの理由がある。人に言わない。言えない根深さが必要だ。                                 海彦はふ~っと長く息を吐いた。明らかに何時もと違うパパ海太郎。ズルそうな顔を俺に初めて見せた。それが可笑しかった。ひょっとしたらヤキモチ…。俺はマリアと仲良し                                    になった。マリアとバンドを組み音楽をやりたいと言った。墓を守れに納得した。懊悩呻吟して一曲創った。送ったカラオケにマリアが歌を入れた。それを聴いたみんなは顔色を喪った。彩だけが得意気。俺は嬉しいよりホッとした。それは一刻。今はたったの一曲。音楽の路に進むと云っても駆け出しただけ。路は長くて遠い。路上ライヴでも三曲は要る。まだまだ孵化したばかりの稚魚の俺。まだまだの俺。焦ってもどうにもならない。プレッシャーの下でも一曲創った。とりあえず一曲できた。それをユニットとして鍛え上げなければならない。編曲を工夫する。時間は沢山ある。 やはりパパ海太郎のヤキモチだ。俺が巣立とうとしている。親父はまだまだ子供と思っていたんだ。俺には秘策がある。意地悪への対抗策がある。経緯をマリアに包み隠さず伝え、スペイン語に翻訳してもらい、それを書き写す。マリアには親父の意地悪を一部始終書こう。俺をもう直ぐの一人前と認めてくれたと添えて。 海彦の携帯が振動した。メールの着信。授業中はマナーモードに切り変え、左の胸の内ポケットに入れている。それが震えていた。 授業中に連絡してくる奴は居ない。そいつらも授業中。授業中と知ってメールするのは余程の急な連絡。悦ばしい知らせなら急がなくともよい。ゆっくりと昼休みにでもメールすればよい。何かしらの異常事態発生…⁉…。海彦に悪い知らせの嫌な予感が過った。 教師を窺い見つからないようにメールを開いた。志乃からだった。—お父さんが撃たれた。ヘリコプターで旭川に搬送中。キトク。今はこれしか分からない。直ぐに家に戻って来て— 海彦は二回読んだ。血の気が引いた。 海彦は黙したまま相対性理論の時間のゆがみを熱く語っている物理の教師に向かった。「どうしたんだ。海彦。何も言わず近づいて来て」 海彦は志乃からのメールを指し示した。「先生。俺。帰る。授業中にゴメンナサイ」 海彦は小走りに校門を出た。遠くの右に一台のタクシーが見えた。そのタクシーに向けて両手を大きく振った。タクシーが停まってくれた。「一番町一丁目」                                  運転手は海彦のただならぬ気配を察してくれたのか、急ぎの運転に切り変えてくれた。 親父が撃たれた。キトク。ヘリで旭川に搬送中。これだけが海彦を駆け巡っていた。                                 海彦は志乃に『もう直ぐ到着。今はタクシーの中』と返信。咄嗟に橘南にもメール。—親父が撃たれた。危篤。オホーツク海の現場からヘリコプターで旭川に搬送中。今は家に戻る途中のタクシー。今日の夕食会は延期して。またメールする— 家に着くと門の前に黒塗りのプレジデントが停まっていた。海上保安庁の制服二人が乗っていた。海彦がタクシーから降りると、二人は揃って車から降り敬礼。海彦は直立不動。深く正しいお辞儀で応えた。「ご苦労様です」。通用門をくぐった。 玄関を開けると志乃が上がり框(がまち)に両膝を載せて正座していた。 黒のスーツ姿。その後ろに海之進と静が座って居た。「海彦。これから迎えの車に私と乗ります。必要と思えるものはバックに詰めました。パソコンとルーターも入れました。携帯の充電器も入っています。さあ行きましょう」 海彦は着替えたかった。スリムのジーンズにマイケルジョーダンの白いトレーナー。何時ものナイキのバスケットシューズ。余りにもラフ。そんな悠長な場合ではなかった。表情が消えた志乃に気押されてしまった。海彦はプレジデントに乗った。車に乗り込む寸前、海之進が「海太郎を頼むぞ」。背中で海之進に応えた。静が縋るように手を振っている。 助手席に座る制服は「報道官」と名乗った。「これから塩釜の海保にお連れします。そこで待機しているヘリに乗ってもらい旭川に向かいます。一時間一〇分で旭川医科大学付属病院のヘリポートに着きます」と言った後に無線で「只今瀧上一等保安正の奥様志乃様と長男海彦君を車にお連れしました。庁舎到着までおよそ十五分。どうぞ」。無線特有のザザァ~の雑音の向こうから「了解」。                                —『ゆうぎり』は根室海峡を北上。知床半島の先端を廻りオホーツク海に出た。レーダーが不審船を捉えた。網走沖北北東七五キロ。此処は日本の排他的経済水域。不審船は動いていない。恐らく密漁。この海域は毛ガニの漁場。他にもヒラメや水蛸の好漁場。今は毛ガニの漁期ではない。漁期ならば多くの漁船がレーダーに映る。一隻の場合の多くは密漁、二隻ならば瀬取りの密輸。『ゆうぎり』は全速で接近。視認。『ゆうぎり』の接近に気づいた不審船は急ぎ網を巻き上げていた。底引き網。一五〇トン程度の中型漁船だった。船長の双眼鏡にはその在り様が写っていた。不審船は国籍を隠していた。日本国籍の船では                               無い。日本の漁船なら船体に船名を記している。この時点で不審船は国籍不明船に。『ゆうぎり』は英語・ロシア語・中国語・ハングル語で国籍を明らかにするよう警告。そして                                  「網を捨て退去」をスピーカ-を通して命じた。国籍不明船は応じない。網を巻き上げている。再度の警告と命令にも応じる気配がない。瀧上一等保安正は船長から放水の命を受け部下二名を従えて船首の甲板に出た。放水開始。国籍不明船までの距離は約五〇M。強烈な放水が網を巻き上げている三名に命中。放水の威力は屈強な男をも弾き飛ばす。三名は甲板に伏せた。その時に船室の窓から発砲。連射。機関銃だった。瀧上一等保安正が二人に伏せと怒鳴った。一瞬遅かった。放水ハンドルを握っていた者の側頭部を打ち抜き、瀧上一等保安正の右胸を貫通。もう一人は伏せて銃弾から逃れた—「これが事件の概要です」と報道官が海彦と志乃に言った。 海彦はヘリコプターからの景色を見つめ聞いていた。仙台の市街地と田園。石巻の湊。リアス式海岸。岩手山の上空に差しかかると下北半島が遠くに見えた。真下は津軽平野の東。空は快晴。下界の出来事は嘘のよう。 海彦は報道官の説明をひとつ残らず記憶した。「何時かこんな時が来ると。お父さんが海上保安庁に任官した時から覚悟していました」 志乃は海彦に語りかけるのではなく、微笑みを浮かべ、独り言のように言った。 海彦は志乃の左手を握った。手は冷たくも志乃の微笑みは美しかった。 津軽海峡が少しずつ南に動いていた。ヘリコプターは苫小牧から東南に延びる海岸に近づく。海岸線を一台の車が東南に走っていた。快晴の穏やかな景色。静かだった。 海彦は志乃の「こんな時」と「覚悟」を反芻した。親父も任官した時から命を賭して日本の海を護ると腹を決めていたんだ。俺は何ひとつ知らずに育てられ生きてきたんだ。 夕張山地の上空。頂上付近には雪が残っていた。「間もなく旭川です」とパイロット。 大雪山連邦の頂きが近づいて来た。まだまだ雪が深い。里は桜が散った北国の春。 ヘリコプターは徐々に速度を落とし高度を下げ始めた。 盆地の中の旭川。仙台と似ている佇まい。人々が暮らす市街地と田園。違いは海と碁盤の目の広い道路。海彦は屋上に立ち手旗を振っているヘリポートへの誘導員を見た。 親父が死んでも戦死ではない。殉死。戦い、撃たれた親父は死んでも殉死。戦死と殉死では意味が違う。何故殉死なんだ。多くの場合、訓練中とか不慮の事故での死を意味する。                                   警察官が暴漢に襲われ命を落とした時も殉死。PKOで南スーダンの戦闘地域に派兵された自衛官が撃たれ亡くなった時でも殉死。自衛隊では戦死は在り得ないのだ。                               親父は日本の排他的経済水域を守ろうとして戦った。親父は勇敢に戦う。腹を据えて、覚悟を決めて、戦う。親父は怯まない。これだけが真実。「日本人相手とは違う。相手は銃火器で武装している。必ず生きて帰る」 親父は出航の前日に俺に言ったのに。…死ぬな。親父… 排他的経済水域は日本の領海内では無い。けれど日本の一部だ。そこに外国の漁船が勝手に侵入して密漁。その現場を発見したら『ゆうぎり』は黙っていない。その先頭に立って親父は戦った。そして外国人に撃たれた。部下の一人は即死。万がイチ、親父が死んだ時、親父の死が、殉死と、呼ばれ、扱われるなら、親父は、死んでも、死にきれない。 親父は、日本の国益を、守ろうとして、戦った、紛れもない、戦死なのだ。 ヘリコプターは『旭川医科大学付属病院』屋上のヘリポートに着陸。出迎えた一人の制服が海彦と志乃を屋内に導いた。報道官も降りた。三人が降りたのを確認するとヘリコプターは離陸。上昇開始。飛び去った。その途中で二回、機体を左右に振った。翼が無くとも翼を振った。海彦はそれを見届けた。ヘリコプターも親父の生還を祈っている。  集中治療室から医師が出て来た。海彦と志乃は名乗り集中治療室に入った。 海太郎は眠っていた。酸素マスクを装着。点滴が二本。輸血が一本。輸血の管は止まっていた。意識が無い海太郎。全身麻酔で眠っている様子に似ていた。苦しそうな表情では無い。かと云って何時もの海太郎では無い。まったく表情が無いのだ。 死相が現れている。海彦にはそう写った。ベットの横に置かれた心電図が海太郎の心音の波形を刻んでいた。これだけが海太郎生存の証し。心電図の波形が横に真直ぐに延びた時が死。海太郎を見つめた。ただただ見つめた。「今夜が峠です。手は尽くしました。生還を祈りましょう。状態を説明します」 医師は心電図の前に立ち海彦と志乃に正対した。「搬入された時は正直ダメかも知れないと思いました。直ぐに何とかなるかもと思い直しました。いや。何とかなるのではない。何とかしなければ。絶対助けなくてはと。ひとつは銃弾の貫通。ふたつ目は止血の正確さと素早さ。それとヘリの中での輸血。この三つが今の命を繋いでいます。さすが海上保安庁です。人間は血液を三〇%程度を流出すると命                                   の危険に晒されます。瀧上海太郎氏は弾丸に肺の静脈を傷つけられ大量の血液を喪ったのです。私は静脈を繋ぎ合わせました。危険な手術でした。成功しました。繋ぎ合わさなけ                                    れば何時までも出血が続く。助かる命も助からない。救護班は出血の量を見定めての輸血。瀧上海太郎氏は流失した血液と闘っています。生命力に期待しましょう」 医師の説明の最中に志乃は海彦の手を握った。指先が温かかった。「夫の手を握っても良いでしょうか」                 「かまいません。それが一番の良薬になります。御主人の通常時の血圧が分かりますか」 志乃は白い毛布カバーの横から両手を忍ばせ海太郎の右手を握った。「はい。一三〇から一四〇の間です。低い方は八〇から九〇です」「現在は一一〇と六五前後です。脈拍はほぼ五〇で安定しています。意識を喪ったのは銃弾が貫通した時の衝撃の強さと大量輸血による貧血。問題は遅発性の副作用。輸血から二十四時間後に現れます。発熱が心配なのです。発熱は合併症を引き起こします。黄疸は免れません。発熱が肝臓に悪影響を及ぼさないか注視しなければなりません」 海彦は海太郎に語りかけた。「親父。決して海で死ぬな。生き恥を晒して生きろ」 海彦はこの世から親父が居なくなると一度も考えたことがなかった。想いもしなかった。 俺も腹を括らなければ…。覚悟しなければ…。親父が生還できなかった時には俺がみんなを護ってゆかなければ…。親父がやってきたように…。■『アンダルシアの木洩れ日』の抜粋はその15で終了です。明日からは『スパニッシュダ ンス』の抜粋を、このプロジェクトの終了日まで、掲載します。楽しんで頂けるなら嬉し い限り。■4/12にリターンを見直しました。活動報告の4/12を開いて検討下さい。