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16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

現在の支援総額

3,096,500

206%

目標金額は1,500,000円

支援者数

322

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,096,500

206%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数322

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

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かめやキッチンさんに行ってきました今日はコネクトさんのミャンマー食堂に行ってきました。板橋の大山駅。賑やかな商店街を見ながら歩いていくと、かめやキッチンがあります。今日はラカインモッティ。お魚の出汁ですが、臭みもなく、優しい味でした。油っぽいミャンマー料理がちょっと苦手な方や、年配の方にも良いメニューでした。私はパクチー&唐辛子大好きなので、ピリッと辛目にしてみました。厚揚げにキャベツとニンニクを挟んだものも、シンプルだけど、美味しかったです。(これはちょっと自分でも作れそうです)WARTさんの一コマ漫画をラミネートしてランチョンマットに使っていて、それぞれの団体の方の工夫が勉強になりました!ミャンマーを知るきっかけをたくさん作っていくミャンマーでは今の時期だけ食べられるという「タマネ」という餅米のお菓子も購入して帰りました。12時過ぎにはお店は満員。道ゆく人々がミャンマー料理に関心を持って、お店の前にたくさん集まっていました。関心の入り口はなんでも良くて「楽しい」「美味しい」という関心から、ミャンマーの人々の現状や思いを知ることにつながっていくといいな、と思います。かるたのチラシを置いていただいたのですが、すっかりお客として楽しんで過ごしました。4月、新年を迎える頃には、かるたと食のコラボイベントもできたらいいなと思っています。出演、放送のお知らせです□NHKラジオ・1月30日(日)午後3時5分から55分の特集番組 出演「ミャンマー軍事クーデターから1年 〜未来に向かうZ世代〜」※らじるらじるでは、一定期間聴ける「聴き逃し」サービスもあります。□NHKテレビ・1月31日(月)のニュースウォッチ9(21時からの放送です)“ヤンゴンかるたプロジェクト”がご紹介される予定。(ただ、難民認定されたミャンマー人サッカー選手“ピエリアンアウンさん”の話が中心。かるたの紹介はわずかとなる予定。)・2月1日(火)首都圏ネットワーク(18時10分からの放送です)5分ほど取り上げられる予定。関東地方での放送。※NHK+に登録すると、どちらの番組も1週間視聴できます。※いずれの番組も、大きな事件事故・災害がありますと急遽番組内容は変更になります。□読売新聞・2月1日夕刊 掲載予定クーデターから1年となる2月1日。様々な方法で、ミャンマーに少しでも関心を持ってくださる方を増やしたいです。どうぞ、最後までよろしくお願いします。


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私たちには、軍事政権下の暮らしを想像することは難しいです。写真家の亀山仁さんから、写真と経験談を頂きました。私がミャンマーへ行き始めた2005年は「軍事政権下」だった。そして2011年ごろから軍の傀儡政権による「民主化プログラム」が始まり、海外投資を呼び込むためアウンサンスーチー氏の軟禁を解き、政治参画を認め民主化は順調に進んでいるように見えていたが10年が経ち、現実はご存知のとおりだ。そのような状況で、私は前の軍事政権下で見聞きし感じたことを思い出している。私はジャーナリストでも研究者でもなく、ミャンマーで暮らした経験も無く年に1度か2度訪れて写真を撮っているだけで、あくまで私個人の記憶と体験ということで読んでいただければ幸いである。 そのころ、友人から聞いたこと。「街中でアウンサンスーチーさんのことを話したり、名前も口にしないでください」軍が軟禁しているくらいだから、そうなんだろうなと納得。「飛行場や駅、役所、軍や警察関係の施設ではカメラはしまってください」これもよく言われる話だ。「国内線のフライトは1時間半前には空港へ行きます」これは理由が分からず聞くと「軍のお偉いさんが乗ると、定刻前でも出発してしまうからです。彼らは並ばずに乗るのでそんなに早く来ることは稀ですが、30分くらい早くなることは何度かありました。だから余裕見て空港へ行く必要があります。」その話をした方は、月に数回国内線にのるので、40分くらい早く行ってしまい、乗り遅れた経験があると話していた。「携帯を真っ当な方法で持とうとすると3,000〜5,000米ドルかかります。」当時、日本では3Gが普及し、殆どの人たちが携帯電話を持っていた。1988年の民主化デモなどの経験から軍政は人々が集まり徒党を組むことを極度に嫌うため、一般の人たちの通信手段を制限していた。「パスポートを真っ当に取ろうとすると膨大な書類と5,000米ドルくらいかかります」若い人が海外へ出て学び、働こうと思うことすら出来ない。「真っ当な方法」と書いたのはそうではない方法が有ったそうだが、詳しいことは分からない。 「私は出生もあいまいで少数民族の出だから一生懸命、陸軍で働いてきたが出世できず、恩給も暮らせるほど貰えない。ビルマ族の若いやつがどんどん出世していったが、俺の働きはあいつらより悪いことは無かったと自信を持って言える」インレー湖のファウダウンパゴダで軍服を着たマンダレーから来たという初老の男性が英語で話しかけてきたときの言葉。このころ、お寺や食堂などで軍関係の人がいることは珍しく無かったし、男の子に将来の夢を聞くと「(国軍の)軍人」と答えることが多く、“憧れの職業”だっだ印象がある。ミャンマーへ行き始めたころは、ヤンゴンの街でもインレー湖の村でも、市場や店に行くと商品はあるし、学校からは子どもたちの声が聞こえるし、道ですれ違うときに控えめに笑顔をみせてくれるし、軍事政権と言われてもビザ取るのが少々面倒なくらいで現地でそれを意識したことは殆どなかったが、写真を撮りながら話を聞くなかで「軍事政権」の実態を少しずつ知ることになった。ある日インレー湖の友人(ホテルやレストランを経営していた)たちとピンダヤへ行ったとき、日帰りの予定が泊まろうとなり、友人がホテルへ英語で電話をしていた。電話を終えたときに私は「ホテルの知り合いは外国人ですか?」と聞いたら「彼女はミャンマー人だよ」との答え。「いつも英語で話すの?」と私。少し間をおいて「電話は誰が聞いているか分からないから、英語の通じる相手とは英語で話をすることが多い」ということだった。このころミャンマーでは携帯電話の普及は程遠く、街中に公衆電話は殆ど無かったため電話は雑貨屋などの店先に置いてあり、それを借りて通話が終わると料金を払うシステムになっていた。私も時々利用していたが、話していると誰かの話声や、何かを切り替えるようなブツブツという音が聞こえた記憶がある。ホテルに着くと友人は当時のミャンマーについて私に話をしてくれた。電話だけでなく私達は常に誰かに監視されている。ホテル経営を続けるために役人やその上の軍に気を使いお金を使わないとならない。ホテルの部屋を1つ増やすための許可を得るため何度も役所に行くし突然役人がホテルに来て宿泊費を払わずに泊まっていくこともあると。賄賂に関しては2016年に同じ地域の村のリーダーに話を聞いたとき、軍政時代にくらべ賄賂はほぼ無くなり役所の対応も良くなったと話していた。仮にも民主化に国が変わり始めた結果なのだろうと、その時は素直に受け止めていた。翌日、帰る途中に寄った小学校で子どもたちは校庭を走り回っていたが、私達を見ると我々が通る道を作って両側に並んだ。友人が一言二言話すと子どもたちは各々遊びに戻った。校舎に入り通された部屋の壁にはアウンサン将軍(スーチーさんの父親)の肖像画があった。 少し驚いたが、校長先生は「軍の言う教育では子どもたちの未来は無い。私はできるだけのことは子どもたちに教えたい」と熱く語っていた。さっき子どもたちが整列したのは理由も分かった。役人や軍が来ると全校生徒で校庭に道を作るように両側に立ち出迎える決まりで、子どもたちは見知らぬ大人が来た時点で条件反射のように動いたとのことだった。教科書を見ながら先生たちの話を聞くと、全科目暗記詰め込み、言われたとおり覚えさせる教育で自らの考えを意見したり議論は無い教育だと知った。加えて、日本の音楽や図工、家庭科、道徳などに相当する科目は無い。自分が子どもの頃、これらの科目の重要性、必要性を意識したこと無かったが、ミャンマーへ行くようになり、必要な科目だと考えるようになった。軍事政権下の暮らしは旅行者が観光地を巡りホテルに泊まりレストランで食事をしている限りでは普通に見えると思う。私にも最初そう見えていた。しかし監視社会による不信感と警察や軍による恐怖が人々の心に重くのしかかり続ける支配に自由は無い。それでも2011年に始まった民主化、2015年の選挙でアウンサンスーチーさん率いる政党が大勝し政権についたころは人々の心が開放され街を歩く人々の表情も明るくなった印象を持っていた。私は軍政から民主化へ変化するミャンマーの人たちを撮影することを通して人として大切なことなど多くを学び得てきた。今ミャンマーの人たちは多くの犠牲を払い、賊軍を排除し民主主義を取り戻そうとしている。私はミャンマーの仲間たちが望む社会の実現を日本から出来ることで応援していきたいと思っている。(文・写真:亀山 仁氏)


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距離を超えてつながる今日は福島・茨城・ヤンゴンの小学校6年生を対象に、かるたイベントをしました。コロナ禍、長い間、対面での授業ができなかったのはとても辛いことでしたが、こうして物理的な距離を超えてつながり、学びの場を広げていくことができます。どんな時も「今日が一番新しい日だ」と改めて感じます。今回は、これまでのヤンゴンかるたのイベントとは違い、クーデターについて一切触れませんでした。ミャンマーの人口や国土面積、お米の生産量などについての基礎知識をクイズで確認した後、ヤンゴンの説明やご当地クイズを交えながら、ヤンゴンかるたの早押しオンライン対戦をしました。写真は亀山仁さんからいただきましたヤンゴンの生徒さんに、ミャンマー語の挨拶や食べ物を教えてもらったり、それぞれの学校や地域、特産物を教えてもらうなど、とても楽しい時間を過ごしました。特に、茨城の特産品が栗ということや、福島の希望の桜については初めて知りました。私も福島と茨城に行って、実際に皆さんにお会いしたいな、と思いました。私たちみんなで未来をつくる結構盛り上がりました今日一緒にオンラインを通して交流した12歳の生徒さんは、ミャンマーという国をきっと身近に感じていると思います。今日知ったことを、お友達やご両親にお話ししたり、ミャンマー料理を食べてみたり、その連続が日本とミャンマーの未来をつくっていきます。ふとしたときに、今日のことを思い出してくれたら嬉しいです。クーデターでいま苦しんでいる人々のことを伝えることは大事ですが、学校現場では、年齢や公立私立によって、政治的な話は難しい場合もあります。クーデターの話を直接伝えなくても、平和な日常を知ることで、ニュースで伝えられる現在のミャンマーの状況について、考えるきっかけになってほしいと願って、今日小学生の皆さんにお話をしました。これからも、学校や地域のイベントを継続していきたいです。クラファンもあと3日となりました。1人でも多くの方にクーデターのことを知って欲しいので、シェアのご支援を引き続きよろしくお願い致します!(野中優那)


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クラウドファンディングが始まるより少し前に、「Yangonかるた」プロジェクトの内容や、始めるに至った経緯など聞いたとき感銘を受け、その返礼品に、私の写真集を選んでもらえたことはとても嬉しく思っています。写真集「Myanmar 2005-2017」は、タイトルの示す通り、2005年から撮影を続けてきた、シャン州のインレー湖周辺とヤンゴンの写真で構成しています。2013年に1冊目のミャンマー写真集「Thanaka」を出版したころ、ミャンマーが民主化し、各国の経済制裁が解かれ、訪れる度に新しいホテルやショッピングモールが建ち、発展するヤンゴンと、それを様々な思いで見ていた、シャン州インレー湖の人たちを対比しながら、変わりゆく街と変わらないミャンマーの人たちの穏やかな気質を伝えよう、と作り始めた写真集でした。もう軍事政権に戻ることはなく、少数民族問題など抱えながらも、国が発展していくと信じて疑いませんでした。 2014年から2017年ごろは、撮影しながらインレー湖やヤンゴンで、多くの人に自身の将来や国の未来についてインタビューもしていました。写真は、インレー湖で学校帰りの少女3人(当時9才)で、好きな科目と、将来に何になりたいか聞きました。 左の娘は歴史の勉強が好きで政府の役人、真ん中は国語で学校の先生、右は数学で学校の先生になりたいと話していました。まだまだ社会との接点が少ない子供が、身近な大人に憧れるのは自分の経験からも理解できました。このころ男の子に聞くと「軍人」と「学校の先生」が多かったことは、今のミャンマーからすると考えられませんが、軍がどのように思われていたかが窺い知れます。 こちらの彼女は、インレー湖の店で機織りをしながら暮らしています。この店に来た経緯や店との関係を聞くと、互い納得のうえで協業していると知り、安心しました。少数民族である彼女たちは以前、独自の言語を話し、公用語であるミャンマー語を話すのは稀だった印象ですが、若い世代から学校教育が広がり始め、公用語であるミャンマー語を話していました。 それに対して大人たちに、子供達にどのような大人になって欲しいか聞くと、自分たちが育った頃を思い出すように「しっかり教育を受けて欲しい」や「賢く、礼儀正しくなって欲しい」「正直で良い人に育って欲しい」など、子供達に過度な期待はせず、彼ららしい答えだと私は感じました。今は軍のクーデターにより、国の将来を担う子供たちが、満足な教育を受けられない状況に置かれていると聞きます。私は日本から、ミャンマーの人たちが望む社会を実現できるように、写真展などを通して、多くの人たちがミャンマーに関心を持ち続けてもらえるよう活動しています。その一つとして「ヤンゴンかるた」プロジェクトも私に出来ることを考えながら応援していきます。(亀山仁 氏)亀山仁さんの写真展「日常のミャンマー2」が、3月4日から東京都中野区で開催されます。詳細が分かり次第、ヤンゴンかるたのFacebookやTwitterでお知らせします!


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ニュースでしかミャンマーを知らなかった人たちに1月22日に、ICU高校でかるたイベントをする機会をいただきました。今回はかるたプロジェクトとしてのイベントではなく、ミャンマーに縁のあるICU在校生のイベントという位置付けでした。「クーデターを政治的な側面で見るより、市民の生活を知ることでその影響をより理解できると感じた。」「ミャンマーのことを初めて知ったのは、クーデターが起き、ニュースで流れた時でした。今後ニュースを見た時に、今日学んだ文化やZOOMで直接お話したミャンマーの方のことを思い出し、今までよりも自分ごととして捉えられると思います。」など、たくさんの感想をいただきました。かるたでミャンマーの文化や暮らしを知ることで、クーデターによって奪われた日常が、より鮮明に伝わりました。そして何より、ヤンゴンで暮らす人とつながり、直接お話したことで、今実際に世界で起きていることだと、実感できたと思います。協力していただいた方々には、心から感謝しています。それでも幸せになる私の考える平和とは何か。民主化、人権、武力による支配を受けないことなど、さまざまな思いが巡ります。でも一言で表すのは、とても難しいです。今は、私自身がミャンマーを伝える活動をしているということもあり、ミャンマーの平和という局所的なところを考えてしまいます。でも今回のイベントを通して、自分自身が色々なことから一旦離れて、私が求める平和とは何か考えてみました。私は、平和とは「誰もが武力などに支配されることなく自由に表現し、自分の人生を選択できる状態」ではないかと思います。ミャンマーのクーデターで、さまざまなものを失った人たちがいます。一方で、なにも失っていない人もいます。命を落とした人、そして今もミャンマーで戦っている人を絶対に忘れてはいけないと思います。一方で、生きている私たちは、自分から幸せになる努力をするべきだと思います。小さな幸せを追い求めて、ポジティブになる。幸せな人が増えれば増えるほど、平和になることにつながります。かるたのイベントは、最終的にはポジティブになれるように、企画していきたいです。知る、そして対話するシャン州の僧院で、子どもたちと対話するこれからも、たくさんの方をゲストに招いてイベントをしていきたいです。日本の若者は「ミャンマーといえばロヒンギャ」のイメージが強いので、ロヒンギャの方をお招きしてイベントをすることも考えています。さまざまな方とコラボして、かるたのイベントが、中高生たちが色々な話を聞く機会にしたいです。私たちはまだ、何も知りません。世界で起きていることについて、まず知る必要があります。今批判されているODAについても、知識がなければ批判することもできません。なので、これからODAについて学ぶ機会も作りたいと思います。学ぶことは、評価したり、全肯定したりすることではありません。きっと多様な意見を持つ人がいます。知った上で、批判的な視点で考え、さまざまな立場の人と対話する力を身につけていきたいです。これからも、知らないことを知り、そして若者同士で対話するきっかけを作るようなチャレンジをしていきます。どうか見守っていただけると嬉しいです。明日の朝8時台に、NHKラジオ「三宅民夫のマイあさ!」にて、1月30日に出演する「行動するミャンマーのZ世代」の予告があります!ぜひ聞いてください。(野中優那)