社会人大学院に関する本の出版と研究会の立ち上げ

本プロジェクトの目的は、本の出版および研究会の立ち上げになります。2023年3月に神戸大学から博士(法学)を授与されましたが、その過程で経験したことを抽象化・普遍化し、学び直しに意欲のある社会人のために参考となる情報を提供したいと思います。そのため、本の出版と研究会の立ち上げを企画いたしました。

現在の支援総額

709,500

88%

目標金額は800,000円

支援者数

42

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/05/27に募集を開始し、 42人の支援により 709,500円の資金を集め、 2023/06/30に募集を終了しました

社会人大学院に関する本の出版と研究会の立ち上げ

現在の支援総額

709,500

88%達成

終了

目標金額800,000

支援者数42

このプロジェクトは、2023/05/27に募集を開始し、 42人の支援により 709,500円の資金を集め、 2023/06/30に募集を終了しました

本プロジェクトの目的は、本の出版および研究会の立ち上げになります。2023年3月に神戸大学から博士(法学)を授与されましたが、その過程で経験したことを抽象化・普遍化し、学び直しに意欲のある社会人のために参考となる情報を提供したいと思います。そのため、本の出版と研究会の立ち上げを企画いたしました。

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本の表紙がおおむね出来上がりました。イラストも入りソフトな感じで、堅いイメージはないカバーになります。そろそろ作業も最終段階に来ています。ところで、今日は終戦記念日ですね。前回の続きです。初等教育や中等教育については、何もできないものの、高等教育で何か貢献できるかもしれないと思っています。ただし、思い込みかもしれません。私が社会人大学院に期待するのは、あらゆる物事について批判的な考え方ができるような「場」であるということです。残念ながら初等教育や中等教育ではそれができません。日野田直彦『東大よりも世界に近い学校』(TAC出版、2023年)によると、今の学校は、思想をチェックしたり、校則を厳しくしたりして、先生のいうことを良く聞く、忠犬ハチ公のような「犬」、すなわち労働者を生産するシステムであるといいます。過激な表現ですが、あながち間違っていません。そのまま会社に入れば、理不尽な上司の指示に従い、目標達成まで突き進む、立派なビジネスマンになります。ほとんど軍人教育と変わらないです。本当は、大学4年間で批判的思考を身につけるチャンスなのですが、前回申し上げたように日本の多くの大学生は受験で燃え尽きて勉強をしません。そう考えると、小中高そして大学と、日本の教育システムはうまくつられています。意図してつくったのかわかりませんが、忠犬ハチ公の量産システムです。それは、自分の3人の子どもたちをみていてもわかります。学校に行くようになって、子育てが少し楽になったと油断すると、しっかりと従順な「日本人」ができあがっていました。わが家の子どもたちは、妻がフランス人なので多少はフランスの影響もあり、批判的精神は身につけているだろうと思っていました。たとえば、今年のフランスのバカロレアという高校卒業試験では、次の哲学の問題が出題されています。「平和を望むということは、正義を望むということなのでしょうか。」"Vouloir la paix, est-ce vouloir la justice?"これを4時間で回答する必要があります。日本の高校生は答えられますかね。求められているものが違うようです。そう考えると、100%日本人の子どもよりは、少し違う視点を持っているのかと思いました。しかし、そうではありませんでした。100%日本人に仕上がっています。それだけ、日本の教育システムはパワフルなのです。久しぶりに、高校時代の教科書、村上堅太郎ほか『詳説 世界史〔改訂版〕』(山川出版社、1985年)を開いて近代史を確認しました。アメリカ軍は、広島と長崎に原爆を投下し、日本は御前会議でポツダム宣言受諾を決定したとあるだけでした。今の子どもたちの教科書も確認したら同じようなものです。そこから、原爆投下前に日本は降伏することをアメリカに打診していたのではないのかとか、あるいは、終戦のために原爆投下が必要だったのか、仮に広島への原爆投下が必要だったとして、どうして二発目を長崎に落とす必要があったのかという問いは出てきません。きっとそんな問題提起をする教師は、歴史修正主義者として、上司や同僚、そして保護者から痛烈な批判をされるのでしょう。怖くて何もできません。よって、初等教育や中等教育は最も重要であるにもかかわらず、切り込むことが困難なのです。しかし、高等教育は違い、自由が確保されています。だから「学問の自由」は重要で、幸いそれは日本国憲法でも保証されています。特に経済的に自立した社会人は、次に精神的にも自律するチャンスなのだと思います。社会人大学院で論文を書くというのは、批判的考え方を涵養するのに最適な営みになります。よって、この研究会の社会的な意義もこの辺にあるように思われます。ある意味で、忠犬ハチ公ではなく、たまには飼い主にも吠える犬になってみるということでしょうか。本日は終戦記念日に絡めた話題にしてみました。


本日、校正ゲラを出版社に戻しました。順調に作業は進んでおります。珍しく夏バテなのか、集中力がなく、エネルギーも枯渇している感じがします。エンジンが付いていないので、自力走行できない「だるま船」というのがありますが、無理せずに、だるま船状態で少し流されてみようと思います。考えてみると、研究会を立ち上げたのも事前に計画していたわけではありません。実は成り行きです。書籍を出版する費用を確保するために、クラウドファンディングを活用しましたが、その流れでコミュニティもということになりました。しかし後付けですが、自分に合った研究会だと思います。亡き父は小学校の教員で、札幌市教育委員会にも勤務したこともある初等教育の専門家でした。父は私に教員になれとは言ったことはありません。ただ子どもの頃、自分は何となく教員になるのだろうなと勝手に思い教育大学に行くつもりでいました。ところがその後、自分は違う道が良いと思うようになり、教育大学は受験しないことになりました。大学では教職課程すら取らなかったのですから、教員というのは、まったく選択肢になかったのです。そんな父は、実はがっかりしていたようです。長男に期待していたのでしょうね。そう考えると、今ここにきて教育が大切だと思うようになったのもご縁かもしれません。本来は、高等教育以上に初等教育や中等教育は重要だと思っています。しかし、規制も厳しく、今の自分には手の出しようがありません。一方、社会人大学院であれば、自らの経験で何かできます。日本の大学生は受験で燃え尽きて勉強をしません。それも問題ですが、これ以上プレッシャーをかけて壊れてもいけないので、4年間大いに遊んでもらいましょう。ただ、社会に出て、4、5年もすると仕事で自分の専門分野を確立できます。そうしたら転職も容易な時代です。大胆に行動ができるようになるので、自分の意思で、自分のお金で大学院に行くという判断も可能になるでしょう。その点、社会人大学院というのは、実はリスクのない挑戦のはずです。そこに気づいてもらうという意味で、研究会の意義はあると思います。この続きは、エネルギー不足なので、無理せずに次回の活動報告に回します。


本の出版作業は順調に進んでいます。著者校正もおおむね完了し、最終のゲラの作成に入っている段階だと思います。研究会も試験的運用段階で、いろいろうまくいかないこともありますが、徐々に質を上げていこうと思いますので、長い目でお付き合いください。ところで、研究会は、日本の大学院を対象としており、海外を対象外にしています。私が相談を受ければ、特に文系の場合、日本語で論文を書いた方が良いと思うので、日本をおすすめすると思います。それは、母語の運用能力が高ければ、必然的に論文もより深い内容のものが書けることと、研究成果を日本社会に還元することを考えた場合、やはり日本語が良いと思うからです。藤原正彦氏は、『祖国とは国語』(新潮文庫、2003年)において、国語は、思考の結果を表現する手段であるばかりか、国語を用いて思考しているので、思考そのものであり、十分な語彙と共に考察しないと、深い検証ができないといいます。施光恒氏も『英語化は愚民化』(集英社新書、2015年)において、新しく何かを作り出す時、必ず、新しい「ひらめき」や「カン」、「既存のものへの違和感」といった漠然とした感覚(暗黙知)を、試行錯誤的に言語化していくプロセスが求められ、そのプロセスを土着語(母語)以外の言語で円滑に進めるのは不可能であると断言します。よって、より深く掘り下げた、内容の濃い論文にしたければ、やはり母語の方が望ましいと思うのです。また、知を社会に還元するという視点では、近代以降の哲学が参考になります。デカルトの『方法序説』は、土着語のフランス語で書かれています。それまで哲学者は、ラテン語や古代ギリシャ語を使用していたそうですが、土着語を使用した『方法序説』のおかげで、ラテン語を理解しない庶民が高度な知識を身につける機会を獲得したそうです。その後、ドイツやイギリスなど各国において土着語で文献が執筆されるようになり、多くの人々が高度な学問に触れることができるようになっています。このように考えると、日本語を母語とする人が、その土着語である日本語で論文を執筆することが当然のように思えるのです。もちろん、外国語の重要性は認識しています。私も過去に外国資本の二社に勤務しました。上司はイギリス人、アメリカ人、シンガポール人、オーストラリア人といましたが、サラリーマン人生で、日本人も含めて最も相性の良かった上司はオーストラリア人だったかもしれません。そう考えると、英語ができなければ、その職が務まらなかったわけなので、誰よりも外国語の有り難さはわかります。それでも、もう外国で学ばなければならない必然性は減っていると思います。日本でも外国のことを学べる時代です。また、日本の失われた30年も、アメリカのルールに沿ってビジネスを始めたから日本が衰退したという仮説もあり得ると思います。コミュニケーションは英語、契約書も英文で、秘密保持契約など30年前はほとんど存在しませんでした。今は膨大な時間をかけて文言を詰めて契約しています。法務部やコンプライアンス部などが権限を振りかざして現場に介入し、仕事はますます混乱し増えるばかりです。このグローバリゼーションなのか何かわかりませんが、30年という歳月を奪ったものは、まさしくこれではないでしょうか。研究会における当面の対象は日本の大学院とし、もし海外の大学院の情報もという需要が出てきた場合は、また考えたいと思います。


現在、キャンプファイヤーのコミュニティを申請中です。そして、「働きながら社会人大学院で学ぶ研究会」もスタートしました。また今回、非公開グループに1年間ご招待の方には、このまま私の中で顧問になっていただこうと思います。報酬はありませんが、せめて以後の会費はなしで。今回、支援者になっていただいたことは、私にとっては、priceless ですし、今後それなりに力をお借りしなければならない場面もあると思います。もし間違って爆発的に発展したら、当然報酬もありです。そんな突飛な夢も見ておこうと思います(笑)。それこそ夢見るのはタダですから。名称を決めた経緯は前回お伝えしたように、「社会人大学院研究会」が存在していたためですが、すでに、今から20年以上前に、山内祐平=中原淳編著・社会人大学院研究会著『社会人大学院へ行こう』(NHK出版、2003年)が出版されておりました。当時、社会人大学院がブームだったのかもしれませんが、その後、盛り上がるこもなく今日まできています。それだけ、このテーマは日本社会において浸透しにくいのかもしれません。なおさら、みなさんのパワーをいただこうと思いました。当該研究会は、2002年4月に結成されており、目的は次のとおりとあります。(1)社会人大学院の学習や生活実態を明らかにすること(2)今後の社会人大学院のあり方を模索すること何だか、これからやろうとしていることとほぼ一緒のことが20年以上前に行われていたということです。古書で取り寄せ20頁ほどしか読んでいませんが、内容も古びていないし、今書かれたのではないかと思うものです。しかも主要メンバーの山内氏と中原氏は、研究者で学習環境をデザインする情報教育の専門家。そのような方々が取り組んでいるにもかかわらず、それほど盛り上がった形跡はなく、その後、当該研究会が存続しているのかどうかも不明です。20年以上前であれば、私も第一子が生まれて、子育ての方が数倍楽しく、研究や学びなど気にしていなかったので、このような社会人大学院を研究する団体があること知らなかったのかもしれません。いずれにしても、それなりの力が必要なテーマなのでしょう。しかし、時代には流れというものがありますし、前例の事実をもって、「働きながら社会人大学院で学ぶ研究会」 がうまくいかないとか、価値がないということに繋がるわけではありません。とにかく、楽しみながら淡々と進めてみようと思います。


今回のリターンで、非公開グループに1年間ご招待を選択されている支援者の皆様全員にメールで研究会への案内を送信させていただきました。研究会の運営については、アメージング出版様にも手伝っていただきます。機能が使い切れるか、これから試行錯誤ということになりますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。研究会の名称は、すでに「社会人大学院研究会」というのが存在していましたので、「働きながら社会人大学院で学ぶ研究会」といたしました。当面の目標は、『働きながら社会人大学院で学ぶⅠ』、『働きながら社会人大学院で学ぶⅡ』、『働きながら社会人大学院で学ぶⅢ』の出版を目指そうと思います。シリーズで書籍出版などできるのかと思えますが、本研究会を分散型ネットワークにすると実現できるだろうと考えました。その理由は、最近読んだ安富歩『満洲暴走 隠された構造』(角川新書、2015年)にあります。安富氏によると、正規軍はゲリラに負けるといいます。たとえば、日本のような先進国といわれる国々では、国があって、県があって、村があってという構造がしっかりしています。よって、国が負ければ、県も村も負けて決着がつきます。この点で満洲も同じく先進国型の構造だったそうです。ところが、先進国ではない場合、ネットワーク的に人々が生きています。ですから、ここで負けたらあっちへ行く、あるいは、あそこが負けても私は戦うとなり、いつまでも戦うことになります。そして、ここに実現可能性が見出せるわけです。組織力ではなく、分散型ネットワーク力ですね。私が疲れているときに、Aさんに主導権を取ってもらう、Aさんが疲れたら、Bさんに代わる、というように持続します。ちなみに、安富氏の書籍によると、満洲は中国では珍しく、ネットワーク性が低くて、ピラミッド型の県城経済システムが支配の構造だったので、関東軍が乗り込んで、ピラミッドの頂点から下に支配すれば、簡単に制圧できたそうです。県城というのは、古代中国の県の役所を守るための城のことになります。それに対して中国本土は、分散型ネットワーク社会だったので、県城と鉄道を支配してもどうにもならない。ゲリラはどんどん村に引っ込んで、延々と戦い続けるわけです。いずれ正規の日本軍も疲弊し、消耗して音を上げるわけです。何だか、これからの組織のあり方や働き方へのヒントがあるように思えたので、皆様と共有しておこうと思いました。


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