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【カンヌ映画祭2018初選出】パルムドール受賞に向けて中田監督を応援しよう!

カンヌ映画祭ショートフィルムコーナー2018に選出された「Goodbye my son」の監督、 中田雄一郎がカンヌ映画祭に参加し今後日本から世界へ飛躍する映画監督として成長するための 渡航費、広告PR制作費用を調達することで世界に届く1本でも多くの自主映画を送り出すためのプロジェクトです。

現在の支援総額

599,500

149%

目標金額は400,000円

支援者数

59

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/04/18に募集を開始し、 59人の支援により 599,500円の資金を集め、 2018/05/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

599,500

149%達成

終了

目標金額400,000

支援者数59

このプロジェクトは、2018/04/18に募集を開始し、 59人の支援により 599,500円の資金を集め、 2018/05/30に募集を終了しました

カンヌ映画祭ショートフィルムコーナー2018に選出された「Goodbye my son」の監督、 中田雄一郎がカンヌ映画祭に参加し今後日本から世界へ飛躍する映画監督として成長するための 渡航費、広告PR制作費用を調達することで世界に届く1本でも多くの自主映画を送り出すためのプロジェクトです。

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カンヌ4日目   さすがに4日目ともなると映画祭の流れにも慣れてきます。 とはいえこの日は自作の上映がある日でやや緊張しておりました。 朝早く会場につき、各会場に上映日時の書いたポストカードを設置。 その後、マーケットブースで今回の上映のための会見を行いました。 またCinéfondation Selectionの回に赴きました。その後、末長監督の「冷たい床」を鑑賞。この作品は27分の中短編ですが制作に約3年近くかけたらしいです。古いコテージハウスで起こる密室ホラー劇ですがとにかく音、美術、演技など一つ一つのデテェールへのこだわりが素晴らしいです。まさにかつての中田秀夫監督の「リング」にあるようなJホラー的な空気感を思い起こさせました。とにかく怖いので夏の夜に一人で見ることはお勧めしません。ここで知り合ったサウンドデザイナーの生水さんによるとなんと音声だけで1年近く編集に時間をかけていたそうです。蝉の声や山の音、それに声も別どりして無意識に働きかける異常な感覚をパルス単位で処理していたそうで、まさに細部に神は宿るのだなと実感。当然のごとくニース国際映画祭でも各賞を総なめにしたそうです。   その後は取材用に黒服でパビリオンやビーチレッドカーペットを散策し収録をしていました。写真はすぐ上げらるのですがビデオのほ編集に時間が必要のため時間のある際に後程アップします。   収録後、今度は「On the road to feature」というトークに参加。ここでは前日と別のスピーカーで短編から長編へのアドバイスを語っています。いくつかはいろいろとオーバーラップしてましたが、メモ書きを残していたとこを確認すると、企画書のシノプシス(あらすじのようなもの)を書く際に企画意図を書くことが重要と述べていました。どのような作品で、あなたがどのような監督で、なぜ今その作品をとりたいのかという監督自身のプロフィールに関わる部分と背景をつけてあると印象が良いようです。(もちろん何がベスト化は人によりまちまちで正解はないのですが)。またとある女性監督は長編のために資金をいろんなところに申請しては拒否されていたようでしたが、そのたびになぜ拒否されたのかという理由を相手にメールして確認していたようです。そうするうちに企画書自体も完成度が上がっていったようです。   そのトークの後は上映前最後のハッピーアワーということもあり最後の呼び込みをかけました。シネフィルパスを持ったフランス人に話しかけると日本映画のファンだとのこと。特に黒澤明、北野武や三池崇などをよく見るとのことを話していました。(正直、これに小津を入れたほかの監督はあまり海外ではあまり知られていないのでは、あとは是枝、河瀬、黒沢清、塚本監督か、アニメも入れると宮崎監督も)上映案内を書いたポストカードを渡し、その後、スイスから来た哲学専攻の学生に「Are you a film maker?」と話しかけられる。今回は鑑賞のみの参加とのことで哲学の話題になったが自分はあまりその分野に詳しくなく返答にしどろもどろした。哲学はなかなかハードなどと話していて、私が物理専攻との旨を話すと、「物理をやっていて哲学がハードなわけないでしょう」と言われ確かにそうかもしれないと妙に納得する。話を映画に戻し上映のことを伝えていると、その連れの子が来る。彼女のほうは監督で母と5歳の娘の和解をテーマにした作品を制作したそうです。宮崎アニメの影響も取り入れているそうで、ジブリの影響力の波及は世界的だなと感じました。今回僕が制作した映画も、父と息子の家族に関わるテーマで共通している部分があり、今夜この後すぐ上映がある旨を告げると見に来てくれることになりました。   そんなこんなでハッピーアワーが終わるや否や上映会に向かいました。会場にはロンドンから来たという映画関係の学生がすでに待っていました。何でもポストカードを見てきてくれたそうで、上映を楽しみにしていたそうです。それに続き、末長監督とサンドデザイナーの生水さんも来てくれました。直前に誘ったスイス人の女性2人も後から合流し、あとはルームメイトのブレンダンを含め、のべ6名ほどが上映に来てくれました。上映中はなぜか妙に緊張していたような気がします。終わった後、末長監督と生水さんと30分近くも映画に関して議論していました。音に関してやや問題はあったのですが、評判はおおむね良好な感じであったように思います。         上映が終わると急にこれまでのマラソンを走り終えていたような感覚が消え、ようやく自分は映画祭というお祭りそして南仏のリゾート地のカンヌに来たのだという実感を感じることができました。その後カンヌ市内で監督たちと杯を交わし、また映画の話を飽きることなく何時間も話すという映画人にとっては至福の時間を過ごしました。     確かその夜だったか、いやその前の夜だったか帰りの電車で一駅おり間違て、カンヌ市街地行きの電車をプラットフォームで待っていると、駅に新聞を読み込む紳士がいました。もう終電近い時間でまだ電車があるかと聞くと、彼はこれから会場に向かうとのことで次来る電車に一緒に乗ればいいよと教えてくれました。電車が来て一駅降りるまでの15分。彼と話をすると、彼は映画祭の夜勤でした。なんでも会場ではお客が帰ったと朝にかけてスクリーニングのテストをプロデューサーなどを交えて朝までするそうです。なんだか映画祭の裏側を覗いたような感覚になりつかの間の会話の後、私は彼に別れを告げて家路につきました。まさに映画祭の間はカンヌは不夜城のようです。   最後に今回ファンド頂いた資金は、今回の映画祭での経験を存分に生かし次回作の制作に回していきますので、残り数時間となりましたがあともう一押しお願いします。 どうぞよろしくお願いします。    



カンヌ3日目   3日目は前日に引き続き、Cinéfondation Selectionの回に赴きましたが、その日はいくつか面白いアニメーション作品はあったものの、残念ながら前日ほどの面白い作品はありませんでした。 昼くらいまで、俳優の河合さんと街中を散歩しました。カンヌ会場の各国のパビリオンの裏にはビーチなどもあり喧騒やまない映画祭のなかゆったりできます。 そこにあった出店で自分と河合さんはパニーニにというイタリア式サンドイッチを食べました。午後の日差しは刺すような日差しでしたが、心地の良い午後の昼下がりでした。 午後からはhelping hand worksopに参加。その中の「shot to feature(短編から長編)」という議題のワークショップに参加しました。講師はフランスの映画会社のプロデューサーでした。今回のワークショップは予約制で僕のテーブルには他に台湾人とギリシア人の女性監督がいました。台湾の監督は、すでに長編の本を書いており、今回のショートフィルムコーナーはその短編を上映し、プレスキットなども用意して現地のマーケティングブースでミーティングを行っているようでした。話としては、長編を作る際にはやはり企画書でストーリーの内容が簡潔にまとめられていることと自分の映画に会った企画を受け入れてくれる会社やスポンサーをターゲットを絞り込んで探すこと、またプロジェクトに適任でコミュニケーションのきちんととれ最後まで寄り添ってくれるプロデューサーを見つけることが大事だと話していました。特に自主の場合は監督とプロデューサーは予算や人数の関係で1人で兼任することが普通のように思いましたが、監督はやはり演出と脚本に集中すべきで役割はきちんと分けることが重要とのことでした。また当たり前ですが予算を考えた上で企画書を練ることが大事です。特に最初の長編においては、監督が過去に成功例や経験が少ないとなると出資側も資金を提供しづらくなります。そのためあまり予算が膨らみ過ぎないように現実的なラインで、処女作としてまず小さな成功例を作り、その上である程度大規模な予算を含めた長編やとりたい作品をタイミングを見据えて出していく戦略に関しても話しておりました。また長編の場合は特にその企画に何年も関わることになるので当然ながら自分のパッションの持ち続けられる作品に取り組むことです。このように映画祭の中で単に上映してセレモニーや授賞式をやるだけでなく、まだ下のほうにいる後世を将来のレッドカーペット候補の人材として見てきちんと育てていく無償の教育を提供しているのをみると流石カンヌなだなと感じました。 その後は、映画配給に関するトークに途中参加。vimeoやyoutubeで映画を無料配信することは良いのか悪いのかがなどが議題でした。基本的には映画祭などではコンテンツを外で配信しないようにしているルールを設けえいるとこも多いですが、YouTube、vimeoには、配給にかからないかなり高品質な映画も数多くあります。 実際にプロデューサーやバイヤーや映画祭のプログラマーも見ていたりするのでむしろのせておいたほうがチャンスが広がるのではという意見もあります。このトークは途中で抜けて、明日の上映に向けて河合さんとマーケットブースで自分の映画のポストカードを置きに回ったりしました。 そしてまたハッピーアワーになるころに、会場に戻りました。翌日に上映を控えていたこともあり、持参していたDVD70枚とポストカードを置けるとこすべてにおきました。なお気合をいれて作ったポスターは規約が昔と変わったらしく、残念ながらどこにも貼れませんでした。 その日は5分のホラー映画を撮影したスイス人の監督やトルコ人の監督と知り合いになりました。その日は他にもいろんな人に話しかけました。こういう場でポストカードを渡すと、たいていの人はみな見に行くよと いうのですが、ほとんどの人は自身の作品の売込みが中心で他人の作品を見に行こうとしないのが実情でもあります。実際に忙しくていけないというのもあるのですが、そのあたり話したら来てくれる日本人の律儀さには頭が下がるなと思ってしまいます。その日の夜はスターウォーズのハンソロのプレミアで外から覗きました。タキシード姿の男性や派手なドレスをまとった女性が奥の方にぞろぞろと並んでいるのが見えました。とある話によるとレッドカーペットにいる仮装したストームトルーパーは、中身は警官で階段上からテロ防止の護衛として立っているそうです。たしかに周りを見渡すと、ライフル銃を持った警官がごろごろいてここは戦地かと思うほどの厳戒態勢でした。実際に毎回会場に出入りするたびに飛行機のチェックインのような身体・荷物チェックをされました。緊迫はしていましたが、外からプレミア自体はなかなか圧巻でした。レッドカーペットの上では監督も俳優もそこを歩く一般の人やまだ駆け出しの映画人も皆、対等になる瞬間だと聞きました。カンヌ映画祭側も今は有名でなくても何年か後に有名になって同じ立場として戻ってくることを期待しているのだとか。そこがこの映画祭がベニスやベルリンにも勝る地位を保っている理由の一つでもあるようです。 夕食は現地で知り合った末長監督とケバブをたべました。とてつもないプレートサイズでしたが、なんとか完食しました。氏は、梶岡監督とも知り合いだそうで映画の世界はやはり国境を越えても狭いなと実感。インディーで数々の映画祭に毎年出しているそうで、事実は小説より奇ではないですが映画以上にストーリーのあるものすごいパワフルな監督です。   その夜は電車でゆっくりと帰途に就きホテルに戻り、またブレンダンとで夜中まで語らってたように思います。というか興奮状態で寝れなかったかと。 最後に次回作に関してですが、来月過ぎから企画書を本格的に練っていきます。一つ頭にあるのは以前書いた長編を短編にするもの。もう一つは、今回のパーソナルなものとは別の短編です。まだ掘り下げていく最中なので具体的なことはこれからですが、ちょっとずつですが前進をしていきますので最後まで応援お願いします。  


カンヌでの初洗礼を受けた翌日。 午前中は映画監督の催すマスタークラスに参加。 講師は「イブサンローラン」などを監督した Bertrand Bonelloと最新版「ブレードランナー」や「メッセージ」の監督、Denis Villeneuveでした。2人とも短編からキャリアを積み重ねて世界的な監督になっています。確かここでだったか「短編は長編と比べ予算が少ない分、実験的なことを試すのに適している。それに仮に失敗したとしても取り返しがつく」というようなことを話していたように思います。後は演出に関しては、撮る前にシナリオは書くがそれはあくまで現場で撮るための下書きで、映画自体で現場での空気管を大事にしているようなことを話していたかと思います(記憶が正しければ。。。) その日はニース国際映画祭の後にカンヌに立ち寄っていたイギリス在住の日本人監督の梶岡さんと昼に再会。 さすが俳優だけありkoshino michikoオリジナル仕立ての真っ白なタキシードにサングラスで数年ぶりでカンヌの群衆の中、1発でわかりました。今回は3年くらい前に日本とニューヨークとロンドンで撮影した杉原千畝のドキュメンタリー短編をニース国際映画祭(カンヌ映画祭の前半にやっている)で上映したとのことで、東京チームでロケから音声、撮影、スチールなど技術でかかわった作品が世に出たと聞き嬉しかったです。カンヌは海辺の町でボートが港にたくさん停泊しています。多くは金持ちのバカンス用のものらしいですが、各国のパビリオンが貸し切りでパーティしたり、パパラッチに狙われないようにセレブがひそかに忍んでいるとの話も。雲一つない乾いた青空の中、旧市街方面に向かい歩きました。ニースでの話、映画祭の政治的なパワーゲームの話、日本の映画界の影などの裏話もしながら、また共に一緒に作ろうという話をしました。梶岡監督は今は夏目漱石のドキュメンタリーを撮り終え(僕も一部都内でインタビュー収録でかかわっている)編集を始めるとこのようです。俳優としても監督としても力のある方なのでいろいろと学ばせてもらっています。   その後は、急ぎ足で会場に戻り、Cinéfondation Selectionの回に赴きました。 これは学生映画部門のコンペです。この映画の部門を知ったのは去年のアジアのショートショートフィルムフェスティバルがきっかけでした。ここで上映されるのは、映画学校や映画学科の学生の作品ですが、学生なんてとんでもない。すぐにプロのバイヤーが買い付けてもおかしくないくらい位の内容、技術の質の高さで日本のプロも顔負けの作品ぞろいです。2時間で6本近く上映され、そのうちの最後の中国の作品、「DONG WU XIONG MENG(The Storms in Our Blood)」SHEN Di監督 Shanghai Theater Academy所属が非常にユニークで面白かったです。細かい映画評は書きませんが内容としては、22歳のアフリカの黒人女性が中国の北東部の田舎にある村に父親を捜しにくる話です。黒人など村に1人にいるかいないかのような共産主義時代の雰囲気が残る農村に突如、「あなたの子です」と認知しに来るとういうコメディです。すごい才能が中国にもいるんだなと思っていたら、なんと全世界の学生映画で2位に選出されたようです。今年は残念ながら日本人はおりませんでしたが、世界のレベルの高さを思い知る事件でした。このレベルが学生で撮れたら、もうすぐにプロとして長編で世界的映画祭の賞を狙えるのだろうなとお世辞なしに感じさせるものでした。http://sub.festival-cannes.fr/SfcCatalogue/MovieDetail/9e918009-820f-4df4-84bd-568798d8e8fdhttps://www.festival-cannes.com/en/festival/films/dong-wu-xiong-meng その後も短編から長編へという題でのトークでした。サンダンス映画祭のプログラマーや映画会社からプロヂューサーを交えての対談でした。一般の方にはあまりなじみがないかもしれないですが、実は長編のダイジェスト版として予算獲得とプロモーションのために短編をとる監督はかなり多く、今回もそのように短編の監督からどのようにしたら長編に繋げていけるのかというのが題材でした。今回僕はマーケットで各国の映画会社のセールスやバイヤーにも売り込みをかけましたが、そこで感じたのは長編をとっていないとやはり監督としてどこか認めてもらえてないなと感じたことです。もちろん短編映画の市場が非常に狭く買い手は少ないというのが世界的な事実ではあるのですが。そこで、先にあった小さな失敗を短編で多くしてできるだけ失敗するとダメージの大きい長編での完成度を高くするというのが戦略の一つだというようなことを話していたかと思います(たしか2週間前の記憶をたどると。。。)また詳しい理由は忘れましたが同じジャンルに絞り作品を撮り続けていくのが大事だとも確か話していました。そのほうが依頼する側として、こういう傾向の作品を作る人と指名しやすくなるのと、平均的に全ジャンルをカバーするよりも一つと得意分野で突き出ることが差をつけるうえで大事であることもおそらくその理由でないかと思います。 その夜もハッピーアワーに参加しました。しかし情報過多でどうも何をだれと話したかあまり記憶にありません。河合さんもブレンダンさんもこういうのは苦手と置き去りにされてしまい。さてどうしたものかと思いきや、確か神戸からいらした垂水劇団のご一同と挨拶をしニューヨーク在住のセールス・買い付けの方などと知り合いになりました。あと河合さんの引き合いで48HFP Best shortの日本人監督とお話しさせていただき、いかにして2日で短編撮影したかの秘話も聞きました。 その夜は、会場外を軽く散歩し、早めに引き上げたと思います。ホテル近くのピザ屋でブレンダンとピザを買い、遅くまで河合さんも交えて色々映画の話を話していたと思います。 書いているとどんどん記憶が掘り起こされてきますが、今日はこの辺で。  


サポーターの皆様へ   本日より活動報告記します。(不定期) 本当は毎日現地から報告したかったのですが、1週間が1年のような中で忙しすぎて叶わず。   まずカンヌ初日ですが、とにかく怒涛の如く過ぎた1日でした。フランスの文化や裏話など全てを記そうとすると1日で10ページ近くは軽くレポートできますがここでは簡略に記します。   初日は朝から出かけパスを取得しに行きました。電車は満員でカンヌ現地は人、人、人の波でした。カンヌは招待制のためバッジなしでは会場に入れません。そこで出国審査場のようなとこでバッジ取得しました。 その後アルゼンチンのショートフィルムなど見たり、 48時間で映画を作る企画のThe Best short film 48HFPや マーケットを選ぶうえでの戦略を説いたトークなどに参加しました。 その後、毎夜5時からあるHappy hourに参加しました。   これがなかなか大変でした。誤解している人が多いのですが私が出品したショートフィルムコーナーはいわゆるベストを選ぶオフィシャルコンペティションではなく、作品を出品し映画祭のプログラマーや配給業者に売り込んだり、他国の映画人とミングルする場なのです。元よりひっこみ思案な私はいつもこの手の立ち飲みパーティではウォールフラワーになることが多いのですが、今回は映画をアピールする目的があったのでとにかく積極的に話しかけるようにしていきました。(徐々に)その中で今年で3年連続で参加されている日本人の映画監督の方や、アメリカの大学で映画を教えていて生徒を連れてきている教員や米国パビリオンで働いている職員の女性、日本の引きこもりを題材にした映画を作ったオーストリア人の監督などと知り合いになりました。初っ端から皆とにかく必死で自分も喝を入れられました。特に私も含め、今回、自分の映画をカンヌのショートフィルムコーナーで上映をする予定の人は自分で客を呼び込まなければいけないので、皆、片手にビールと映画の上映日時を載せたポストカードを配りながらひたすらアピールをしていました。そんなこんなで初日はいろんな方から先制攻撃の連続ジャブを浴びまして、翌日以降はこちらから先制していこうと誓った夜でした。 その後米国のパビリオンのテントでパーティ交流会のようなものに顔を出しましたが、その日は知り合った職員に挨拶だけして、帰途につきました。 そんなこんなでホテルに帰っても、あまりの刺激に異様に興奮して寝付けず、俳優の河合さんと今回ルームシェアをすることになったカナダ人のブレンダンさんと夜な夜な興奮して色々話していたように思います。