人生という長旅においては、どちらの道を行けばよいのか迷うことは、多々あると思います。そんな際に必要なのは、まずは「目標」です。どちらの方向に進めばよいのか?北か南か、東が西か?歩む方向すら分かっていなければトンチンカンな方向に進んでしまい、気づけば後戻りができない所にまで来てしまっていることになるかもしれません。そんな過ちを未然に防ぐためにも自分が目指す方向はしっかりと決めておく必要があるのです。だからこそ、一番最初に必要なのは「目標」なのです。道を極めるために! 道を迷わぬ判断基準とは?わたしは、はるか彼方に見える「目標」にたいして、ただひたすら、まっすぐ歩んでいきました。けれども、最短距離のはずが、結果的には、もっとも困難な道ばかりでした。それならば!ということで、「右の道」を行くべきか、それとも、「左の道」を行くべきか、そんな風に決断しなければならない場面に遭遇するでしょう。どちらの道も目標に通じている。けれども進む過程が違う道がある。どちらの道を行っても同じ目標にたどり着くかもしれない。ただその過程において得られるものが違う複数の道があるのです。そんな際に、どのようにして進むべき道を決めるでしょうか?感覚ですか? 勘ですか? 人に聞きますか? 参考にすべきものはいくつかありますが、最終的な決断は自分自身でしなければなりません。つまり、自分自身なりの「判断基準」が必要なのです。迷った際に進む方向を決める基準。悩んだ際に歩む方向を決める基準。立ち止まった際に歩き出すための基準。間違えた際に再び向かうための基準。そんな基準です。私にとっての判断基準は、私自身が「魅力的な人間になれるか」「そうでないか」です。「どちらの道を行けば、より魅力的な人間になれるだろうか?」「より多くの人に影響を与えられる人間になれるだろうか?」「その時の決断が後世の人に勇気をもたらすだろうか?」「自分の信念に反していないだろうか?」それが私の判断基準です。この判断基準に沿って決断し、日々を過ごすことで魅力的な人間へと近づき、その結果として道を極められると、信じています。これからも応援・ご支援 よろしくお願いします。https://camp-fire.jp/projects/view/727450
人間の一生は短いものです。短い一生の中で、時間は限られています。すぐに達成できる もしくは、自分一代で達成できるものもあるとは思いますが、何代か先の子孫のためにとなれば、できないことも、あると思います。この「時間軸」というものは、どれくらい長い目線で、しかも継続して、物事を考えて行動するかにかかっています。一見、無駄なことをと思えるものでも、がむしゃらに取り組む人や、自分が決めたことをやり遂げる人には、周りの評価は気になりません。そういう人たちは、その本人が亡きあとに燦然と輝いてくるものだと思っています。今でも私たちが身近に触れることができる伝統や文化を通して私たちはその価値を享受することができています。今、私たちが恩恵を受けることのほとんどは最初にそれをはじめた人がいたからです。たとえ 周囲に認められなくとも、その人が信念で切り拓いた道の後に切り拓かれた道によって、幸せや豊かさをいつまでもいただくことができるはずです。今、名が遺る歴史の偉人たちはみなそうやって自分一代だけに囚われず、本来の自己の使命を追求し、精進をして何よりも信念に生きた人だったように思います。しかし実際には、人間は信念を維持することが難しいものです。自分一代の栄耀栄華に囚われ、他と比較して贅沢や裕福になりたいと願い、周りが持っているものは持っていたい、周囲に評価されたい、安定して安心できる日々を手に入れたいと、様々な欲求を優先して信念が消失していきます。求める力もまた同時に減退してきて、生活に流されているうちに、その生涯を終えることがほとんどのように思います。物事の本質や天命や使命は変わることはなく不易です。しかし、時代の流れの中で恵まれた生活を送りたいと誰しもが思うものです。「楽をしたい、安定したい」と思うこともまた人間の願望でそれ自体は自然なことです。しかしながら 大切なのは、どれくらい長い目で取り組んでいくことか、どれだけ真実に忠実に取り組むかということこそが、 まさしく 藤田 守の 本当の価値を定めるように思うのです。「本流を貫き、本質を維持する」つまりは不易というものは自分の信念に従うことと深い関係があります。物事をそこまで本気で追求しようとする求める心は、自分の天命や使命に生きたいという信念と共に育つと信じています。最近・・・「私自身の没後でもいいかな?」 って、最近 思うようになりました。誰がどう言おうが他人からどのように評価されようが・・・自分の中の信念を感じながら、道を達していけるように精進していきたいと思います。たとえ 何年かかろうとも!I believe that I can only establish the ultimate ultimatepastured chicken farm.https://camp-fire.jp/projects/view/727450
クラウドファンディング残すところ あと1週間となりました。これまで何度あきらめかけたことかこれまで何度くじけそうになったかそんな時、たくさんの方々の応援や激励時には厳しいお言葉を頂いて何度も窮地を救って頂きました。私の本来歩む道へと導いて頂きました。本当に本当に長い長い道のりでした。この場を借りまして深く御礼申し上げます。ありがとうございます!今回のクラウドファンディングの成否によってしゅりの森自然農園として本当のスタートラインに立てるかどうかが決まります。どうかみなさん よろしくお願いします。シェア拡散もお願いします!https://camp-fire.jp/projects/view/727450
誰だってもっと情熱ある人生を生きたいと願っているはずです。充実した人生を送るには、それが不可欠であると感じているはずです。ほとんどの人は自分の夢を忘れてしまっています。小さい頃、ずっと熱中していたことや思い描いていたことがあったはずです。成功するかどうかなんて結果に過ぎません。大事なのは今です。毎日情熱を持って過ごせているかどうかです。「自分はどんな人間なのか」という思い込みが行動に絶大な影響を与えるはずです。この世で情熱なしに達成された偉大なことなどないと確信します!だからこそ、つねに情熱の炎を燃やし続けるのです。めげず・くじけず・へこたれず! 常に前を向いて ただ一心に挑戦し続けるのです!https://camp-fire.jp/projects/view/727450
人は、心からやりたいことを やってるのであれば、心から愉快・痛快で、終日歩んでも嫌になることは 決してありません。しかしながら・・・人は、イヤなこと・押しつけられたことを やってるならば、ほんの些細なことでも、心からイヤで行動したいとすら思いません!人生の行路もこれと同様で、人は常に明るく愉快な心をもって人生の行路を歩まねばいけないと思います。「今 何をすべきなのか?」 心の中でわかっています。「究極の放し飼い養鶏の確立!」「過疎地域の活性化!」「世界の貧困地域における 生活の向上!」現状・・・思うようにいかないのであれば、それを打破していかなければなりません!!時間は限られています。だからこそ、無駄に過ごしてはいけないはずです!常識や柔軟性を欠く信条にとらわれるべきではないのです。それは、少なくとも他人の考えた結果なのだから・・・。「人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。」 by 福沢諭吉誰もが経験する 死。みじめな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、いやな出来事や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはそれは、とても不幸なことだと思うのです。だからこそ私は!!!「思うように やりたいように 生きたいのです!」まあ・・・。いろいろ考えたって・・・人生 むずかしく解釈するから 分からなくなります。夢中で日を過ごしていれば、いつかはわかる時が来るはずです。とにかく、一歩 「前へ歩む」のみです。私に、後退は ありえません!「未来」とは、 「今」ですから・・・!https://camp-fire.jp/projects/view/727450