8月6日、原爆の日です。ここ4年は、島根県邑南町で迎えました。式典中継のテレビ放送時間も、広島とは比べものにならないくらい短く、町の空気感も違うように感じます。 4年前に、「歩こう広島まで」というイベントに参加しました。広島で被爆した邑南町の人が、避難のために地元まで歩いて戻ったことを追体験しよう、という趣旨です。逆コースにはなりますが、邑南町から原爆ドームまで、70キロあまりを歩きます。毎年8月4日に出発して、5日が到着です。(現在は、原爆ドームを出発するコースに変わりました。) その時は中学生から70代の人まで、60人が参加しました。とても一人だけで歩ける距離ではありません。しかし、知り合いではないものの、仲間がいるから不思議と足が前に進みます。人と人との、見えない繋がりを感じました。 ゴール間近、原爆ドームが遠くに見えた時、何百回となく目にした建物なのに、不覚にも涙が溢れました。歩ききったという喜びと併せて、邑南町民の一員になれたような気がしたからです。 今回のクラウドファンディング、そして旧服部医院の改修。それらをやりきった時、本当の意味で、私は宇都井地区の住民になれるのだと思います。
【達成率は71%です】 皆さんの支援のおかげで、70%を超えました。 ありがとうございます。 残り30%です。応援をよろしくお願いします。 以前から、私にとって驚きでした。 故 服部世津子さんが、宇都井で開業されたのは95年前、 1924年(大正14年)でした。 当時、女医さんというのは相当珍しい存在だったのでは、と想像します。 世津子さんは東京女子医専、現在の東京女子医大の卒業です。 その辺りを娘さんの智恵子さんに聞いてみました。 女性のお医者さんということで、最初は信頼してくれない人もいたそうです。 当時はほとんど研修もない時代だったので、新しい症状に対する度に、患者さんに悟られないよう、医学書を調べながら、診察に当たっていました。 母の記憶は、家事よりも、いつも医学書を読んでいる姿だそうです。 病院の建物を地元の人たちの手で建ててもらった恩から、往診料は受け取らなかった、とのこと。 そのような努力の積み重ねで、徐々に地域の人の信頼を得られたのだろう、と智恵子さんは語っていらっしゃいました。 智恵子さんがお母さんの話をされる時は、いつも穏やかな表情で嬉しそうに話されるのが印象的です。
達成率が68%となりました。まずは70%を目指して、引き続き応援をよろしくお願いします。 夕べは三次に居ました。三次市立十日市小学校の同級生の集まりがありました。 私は1960年に三次市三次町で生まれ、小学校に上がる前まで、そこで育ちました。(その後は12歳まで隣りの十日市町在住。) 当時の我が家には、自家用車がありませんでした。祖父母がいる宇都井へ行くために、三江線の尾関山駅から乗って宇都井駅へ・・・と言いたいところですが、その頃、宇都井駅はまだできていませんでした。 私が乗っていたのは、三江南線と呼ばれる路線で、宇都井駅の二駅手前、口羽駅が終点でした。そこからはタクシーに乗って、祖父母の家へ行っていました。(江津から浜原駅までは三江北線。) 三江線が全通し、天空の駅、宇都井駅が完成するのは、昭和50年、1975年のことです。時代はすでに、車社会となっていて、宇都井駅を利用する人の数は、初めから多いとは言えない状況でした。 宇都井駅がもっと早くできていたら、子どもの頃、祖父母の家へ遊びに行くのが楽だったのに、と思うことがありました。 しかし、今となって考えると、宇都井駅を改修することなく、鉄道公園として活用できるのは、建造物として、まだ新しいからです。改修費用に大きな予算が必要となれば、 邑南町は取得をためらい、 JR西によって解体されていた可能性があります。 三江線の全通に時間が掛かったために、宇都井駅は取り壊されなくて済んだ、と言えます。 そんな歴史を抱える天空の駅を、ぜひ一度見に来てください。 小学校の同級生が、昨日、同窓会の前に、 宇都井駅を訪れてくれました。
【達成率は66%です。】 実施期間が残り1カ月となりました。 応援、よろしくお願いします! 先日、故 服部世津子さんの娘さんとそのご主人、 お孫さんが、宇都井に里帰りされていました。 娘さんのお名前は智恵子さん、ご主人は良治さん、 お孫さんはまなみさんです。 皆さん、現在は大阪府高槻市にお住まいです。 智恵子さんに、お母さんの思い出を聞きました。 「私が子どもの頃は、往診が当たり前の時代。 母は、夜はいつでも出られるように、 外出着を身につけて寝ていました。 私が夜中に目が覚めると、 隣りに寝ているはずの母が居なくて、 とても淋しいを思いをしました。 そのせいでしょうか、すごく優しい人でした。」 まなみさんは世津子さんに、 よく「資格を持つように」と言われたそうです。 その言葉の影響もあって、 今は薬剤師になられています。 世津子さんには、3人のお孫さんがいらっしゃいます。 まなみさんの他に、男性が二人。 共にお医者さんになられています。 夏休みなど、長期の休みは宇都井で過ごしたそうです。 その時に見た世津子さんの姿に影響されて、 いまの道を選んだとおっしゃっています。 世津子さんのご親族は、旧服部医院の改修に、 快く賛同をしてくださいました。 家賃免除の他、全面的に支援をいただいています。 ※写真は左から、智恵子さん、まなみさん、良治さん。
【達成率は64%】 8月に入り、CFの残り期間は32日となりました。 122人に応援をしていただきました。 本当にありがとうございます。 まだまだゴールは見えません。 改めてまして、支援&シェアをお願いいたします。 真夏のメディア出演マラソン大会(笑) 今日も生放送があります。 FMちゅーピー「広島すまいるカフェ」。 12:30過ぎから出ます。 放送エリアは広島市全域と廿日市市ですが、 インターネットを通じて、どこでも聴くことができます。 実は、昨日もマラソン大会に出場していました。 邑南町にあるCATV、 おおなんケーブルテレビでのインタビュー収録です。 1時間15分にわたり話をしました。 最近のテレビでは、短い一言で明快に、 ズバッとものを言う人が重宝されます。 テリー伊藤さんのような人です。 小泉純一郎元首相の頃から、その傾向が強まりました。 しかし、世の中、 単純に一言で片づけられないことは多い、と思います。 どうして旧服部医院の再活用をしようと思ったのですか? どうして放送局を辞めて、お酒造りの道に入ろうと思ったのですか? これらの質問を、よく受けます。 様々な人生の課題、悩み、出会い、運命・・・ 自分の目の前に表れる小さな要素について それぞれに考えを巡らしている間に、 ある日、一つに収れんして、 自分の中に下りてきた、というのが正直な感覚です。 とても一言で表現できるものではありません。 テレビはテレビの、ラジオはラジオの良さがあります。 しかし、今の私の気持ちを伝えるのは、 ラジオの方がしっくりしています。 (CATVはラジオに近いメディアです。) まだまだマラソン大会が控えていますが、 できる限り言葉を尽くして、 プロジェクトの想いを電波に乗せていきます。