Check our Terms and Privacy Policy.

“天空の駅”近く築95年の旧医院をみんなの交流カフェとして蘇らせたい

“天空の駅”と呼ばれた旧JR三江線・宇都井駅の側に、廃業した旧服部医院がある。95年前に地元の人たちが木や柱、労力を出し合って建てた。地域の人たちと一緒に、建物を復活させ、外からのお客さんも含めた交流の場となるカフェとして再活用したい!

現在の支援総額

3,373,000

134%

目標金額は2,500,000円

支援者数

256

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/07/12に募集を開始し、 256人の支援により 3,373,000円の資金を集め、 2019/09/02に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

“天空の駅”近く築95年の旧医院をみんなの交流カフェとして蘇らせたい

現在の支援総額

3,373,000

134%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数256

このプロジェクトは、2019/07/12に募集を開始し、 256人の支援により 3,373,000円の資金を集め、 2019/09/02に募集を終了しました

“天空の駅”と呼ばれた旧JR三江線・宇都井駅の側に、廃業した旧服部医院がある。95年前に地元の人たちが木や柱、労力を出し合って建てた。地域の人たちと一緒に、建物を復活させ、外からのお客さんも含めた交流の場となるカフェとして再活用したい!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

8月6日、原爆の日です。ここ4年は、島根県邑南町で迎えました。式典中継のテレビ放送時間も、広島とは比べものにならないくらい短く、町の空気感も違うように感じます。   4年前に、「歩こう広島まで」というイベントに参加しました。広島で被爆した邑南町の人が、避難のために地元まで歩いて戻ったことを追体験しよう、という趣旨です。逆コースにはなりますが、邑南町から原爆ドームまで、70キロあまりを歩きます。毎年8月4日に出発して、5日が到着です。(現在は、原爆ドームを出発するコースに変わりました。)   その時は中学生から70代の人まで、60人が参加しました。とても一人だけで歩ける距離ではありません。しかし、知り合いではないものの、仲間がいるから不思議と足が前に進みます。人と人との、見えない繋がりを感じました。   ゴール間近、原爆ドームが遠くに見えた時、何百回となく目にした建物なのに、不覚にも涙が溢れました。歩ききったという喜びと併せて、邑南町民の一員になれたような気がしたからです。   今回のクラウドファンディング、そして旧服部医院の改修。それらをやりきった時、本当の意味で、私は宇都井地区の住民になれるのだと思います。


【達成率は71%です】 皆さんの支援のおかげで、70%を超えました。 ありがとうございます。 残り30%です。応援をよろしくお願いします。   以前から、私にとって驚きでした。 故 服部世津子さんが、宇都井で開業されたのは95年前、 1924年(大正14年)でした。 当時、女医さんというのは相当珍しい存在だったのでは、と想像します。 世津子さんは東京女子医専、現在の東京女子医大の卒業です。   その辺りを娘さんの智恵子さんに聞いてみました。   女性のお医者さんということで、最初は信頼してくれない人もいたそうです。 当時はほとんど研修もない時代だったので、新しい症状に対する度に、患者さんに悟られないよう、医学書を調べながら、診察に当たっていました。 母の記憶は、家事よりも、いつも医学書を読んでいる姿だそうです。   病院の建物を地元の人たちの手で建ててもらった恩から、往診料は受け取らなかった、とのこと。   そのような努力の積み重ねで、徐々に地域の人の信頼を得られたのだろう、と智恵子さんは語っていらっしゃいました。   智恵子さんがお母さんの話をされる時は、いつも穏やかな表情で嬉しそうに話されるのが印象的です。


thumbnail

達成率が68%となりました。まずは70%を目指して、引き続き応援をよろしくお願いします。   夕べは三次に居ました。三次市立十日市小学校の同級生の集まりがありました。 私は1960年に三次市三次町で生まれ、小学校に上がる前まで、そこで育ちました。(その後は12歳まで隣りの十日市町在住。)   当時の我が家には、自家用車がありませんでした。祖父母がいる宇都井へ行くために、三江線の尾関山駅から乗って宇都井駅へ・・・と言いたいところですが、その頃、宇都井駅はまだできていませんでした。   私が乗っていたのは、三江南線と呼ばれる路線で、宇都井駅の二駅手前、口羽駅が終点でした。そこからはタクシーに乗って、祖父母の家へ行っていました。(江津から浜原駅までは三江北線。)   三江線が全通し、天空の駅、宇都井駅が完成するのは、昭和50年、1975年のことです。時代はすでに、車社会となっていて、宇都井駅を利用する人の数は、初めから多いとは言えない状況でした。   宇都井駅がもっと早くできていたら、子どもの頃、祖父母の家へ遊びに行くのが楽だったのに、と思うことがありました。   しかし、今となって考えると、宇都井駅を改修することなく、鉄道公園として活用できるのは、建造物として、まだ新しいからです。改修費用に大きな予算が必要となれば、 邑南町は取得をためらい、 JR西によって解体されていた可能性があります。   三江線の全通に時間が掛かったために、宇都井駅は取り壊されなくて済んだ、と言えます。   そんな歴史を抱える天空の駅を、ぜひ一度見に来てください。     小学校の同級生が、昨日、同窓会の前に、 宇都井駅を訪れてくれました。  


【達成率は66%です。】 実施期間が残り1カ月となりました。 応援、よろしくお願いします!   先日、故 服部世津子さんの娘さんとそのご主人、 お孫さんが、宇都井に里帰りされていました。 娘さんのお名前は智恵子さん、ご主人は良治さん、 お孫さんはまなみさんです。 皆さん、現在は大阪府高槻市にお住まいです。   智恵子さんに、お母さんの思い出を聞きました。 「私が子どもの頃は、往診が当たり前の時代。 母は、夜はいつでも出られるように、 外出着を身につけて寝ていました。 私が夜中に目が覚めると、 隣りに寝ているはずの母が居なくて、 とても淋しいを思いをしました。 そのせいでしょうか、すごく優しい人でした。」   まなみさんは世津子さんに、 よく「資格を持つように」と言われたそうです。 その言葉の影響もあって、 今は薬剤師になられています。   世津子さんには、3人のお孫さんがいらっしゃいます。 まなみさんの他に、男性が二人。 共にお医者さんになられています。 夏休みなど、長期の休みは宇都井で過ごしたそうです。 その時に見た世津子さんの姿に影響されて、 いまの道を選んだとおっしゃっています。   世津子さんのご親族は、旧服部医院の改修に、 快く賛同をしてくださいました。 家賃免除の他、全面的に支援をいただいています。   ※写真は左から、智恵子さん、まなみさん、良治さん。


【達成率は64%】 8月に入り、CFの残り期間は32日となりました。 122人に応援をしていただきました。 本当にありがとうございます。 まだまだゴールは見えません。 改めてまして、支援&シェアをお願いいたします。   真夏のメディア出演マラソン大会(笑) 今日も生放送があります。   FMちゅーピー「広島すまいるカフェ」。 12:30過ぎから出ます。 放送エリアは広島市全域と廿日市市ですが、 インターネットを通じて、どこでも聴くことができます。   実は、昨日もマラソン大会に出場していました。 邑南町にあるCATV、 おおなんケーブルテレビでのインタビュー収録です。 1時間15分にわたり話をしました。   最近のテレビでは、短い一言で明快に、 ズバッとものを言う人が重宝されます。 テリー伊藤さんのような人です。 小泉純一郎元首相の頃から、その傾向が強まりました。   しかし、世の中、 単純に一言で片づけられないことは多い、と思います。   どうして旧服部医院の再活用をしようと思ったのですか? どうして放送局を辞めて、お酒造りの道に入ろうと思ったのですか? これらの質問を、よく受けます。   様々な人生の課題、悩み、出会い、運命・・・ 自分の目の前に表れる小さな要素について それぞれに考えを巡らしている間に、 ある日、一つに収れんして、 自分の中に下りてきた、というのが正直な感覚です。 とても一言で表現できるものではありません。   テレビはテレビの、ラジオはラジオの良さがあります。 しかし、今の私の気持ちを伝えるのは、 ラジオの方がしっくりしています。 (CATVはラジオに近いメディアです。)   まだまだマラソン大会が控えていますが、 できる限り言葉を尽くして、 プロジェクトの想いを電波に乗せていきます。