4月1日。数名のボランティアの中に、平尾台の子どもの村小学校・中学校のTさんがいました。いつも子ども達(参考までに→https://kitakyushu-heiwa.com/wp-admin/post.php?post=3063&action=edit)を引率して来てくださっていた先生です。年度末&年度初めのお忙しい時に、わざわざ来てくださったことに恐縮していると、「これですね。・・・」と、Tさんが手提げから取り出して、話し始めました。「卒業式の日に、保護者や来賓の方に、本を買っていただいたんですが、そのお金を子ども達が資料室に寄付したいと言っていましてね。」以前お伝えした、例の「本」です。読みました。すばらしい本です!!「戦争」を、その歴史的背景から実態まで、くわしく調べてまとめています。私が感心したことは、●多面的に戦争の事実を知ろうとしていること。歴史の流れの中で。被害、加害の両面から。世界情勢から。立場の違いから。・・・●調べる方法が多岐ににわたること本、インターネット、体験者への聴き取り、いくつもの資料館での調べ学習、実際にやってみる。●自分が感じたこと、考えたことを記録していること。一つ調べる毎に、必ず自分の考えたことが書いてあります。●5人で話し合っていること多くを知って、『戦争』と『平和』についてテーマを決めて5人の考えをぶつけ合っています。そして、「今」の自分たちなりの考えをまとめています。Tさんからの話を聴きながら、本を読んだ時の感動が甦ってきました。「寄付」に、子ども達の平和を願う思いが詰まっていることを感じました。涙がこみ上げてきました。 ーーー今も、思い出すと、目頭が熱くなります。どうして、そんなにうれしいのか。改めて考えました。「平和を守りたい、つなぎたい」という思いを持ち、本気で考え、行動している若い仲間がいることが、私はうれしいんだと思います。「難しい」「分からない」「どうせ声は届かない」・・・ではなくて、純粋な気持ちで知ろうとし、考え、行動していることが、うれしいのです。「社会に関心を持ち続け、自分に関係のあることと捉えて目を向ける。自分の声を上げる。」一年かけて子ども達が見つけた結論を、私たち大人は真摯に受け止めなければならないと思います。忙しくても世界情勢や自分の国の動向(政治)に関心を持たなければ、「民主主義」は正常に機能しなくなります。気が付いたら、こんなことになっていた・・・とならないようにしなければいけないと思っています。そうすることが、私たち大人の責任。TICO PLACEを、「知り、考える」場所に 。そして、みんなでつながり、平和を守る力に・・・力を合わせれば、板も全部塗り終えられました!ホッとしたのか、今日は軽いぎっくり腰・・・(笑)。ちょっと休憩。お陰で TICO PLACE の未来を思い描くことができました~
4月1日、2日。ボランティアの方々で、資料室がいつもより賑わいました。1日目。午前中は、旧平和資料館での親子学習会に参加してくれていた親子さんが手伝いに来てくれました。この日は、夏のような日差しで、かなり暑かったのですが、黙々と作業をしてくださいました。(私は、壁の作業をしていて、うっかり写真を撮るのを忘れてしまいました。残念!)ちょうどお昼を回った所で、塗料も無くなったので、作業終了。「無心になれて、よかったです~。」「北九州におる感じじゃない(旅行に来ているみたい)です~。」と、気を遣ってか、うれしいお言葉までいただきました。「中においでぇ~!」元の資料室に何度も来ていただいていたこともあり、子どもさんとも仲よし。(と、勝手に思っている)簡単に片付けをして(刷毛を寄付してくださいました)、 図書コーナーに案内しました。お母さん達にも入ってもらいました。「いい感じですねぇ~。」「一日のんびり過ごせる感じですねぇ~。」と、またまたうれしいお言葉を。「そう感じてもらえてうれしいです!ここで、子ども達が本を読んで、その間、大人が隣の学習室でお話をしていても、小窓から顔が見えるから安心して過ごせるかな。と思ってて。展示室の方は、戦争の怖い写真も展示しますけどね。」と、いろいろ話しました。「『学校に行けない』『学校に行きたくない』・・・そんな子ども達に来てもらってもいいなぁ~。」なんて、そんな話も。戦争のことを知ることは、「人間」というものを考えることになる。(考えさせることができる。)そして、「自分の生き方」を考えることになる。(考えさせることができる。)ーーー私自身の経験、私の教職経験からーーー自然の中に身を置くことで、心が落ち着く。(心を落ち着かせることができる。)生きる力が湧いてくる。(自分の命を感じることができる。)「北九州平和資料室 TICO PLACE」が、自分を見つめ、自分らしく希望をもって生きて行く力を、ほんの少しでも与えられる場所になったらいいなぁ~。と、夢を膨らませました。午後は、門司から親子のボランティア。二人で、これまた黙々と、塗ってくださいました。「暑いし、疲れたでしょう。」と、声をかけると、「気付いたら、こんなに時間がたっていて、びっくりしました。あと一束も塗ってしまいたいくらいです!」と、すてきな笑顔で返ってきました。元気をたくさんもらえた一日でした。ありがとうございます。
3月26日~28日の3日間。親方と娘が、サッシ付けと壁の作り方を教えに来てくれました。これが最後のお手伝いとなります。(お仕事の合間を縫って来てくれているので仕方ないのですが、心細いです…)板張りはこれからですが、サッシと下地を付けていただき、「壁」が少し見えてきました。(感激!)この間、何度かお手伝いに来てくださっていた方々が同時に資料室に来られることがあり、いつもより賑やかな資料室でした。そんな中、お手伝い初参加の新社会人Kさん。娘の子どもの頃からの友人ですが、「手伝いたかったんです!」と、わざわざ遠くから来てくれました。本格的にスポーツをしているKさんは、「トレーニングになるから。」と、力仕事を進んでしてくれました。資料室に入る道路も、若者たちの力で、砂利でキレイに整えられました。「アルバイトをしてもらったお金です。使ってください。」と寄付までいただきました。(泣)お伝えするのを忘れていたのですが、ぽつぽつと追加のご支援をいただき、また、親方に材料代をだいぶ勉強して頂き、大方、皆さまのご支援金でなんとか賄えるのではないかと思えるところまできました。しかしながら、足が出ないようにと、人力で進めていることもあり、時間がかかり、また、疲労も溜まってきています。そこでお願いです。外壁に貼る板に防腐剤を塗る作業を手伝っていただけないでしょうか。日時:4月1日(土)と2日(日) 10:00~16:00場所:若松区蜑住245ー3持ってくるもの:水分・軍手やビニル手袋(手を汚さないため。なくても・・・)・刷毛(小さいものは資料室に数本あります)・タオル(手を拭くため)注意事項●汚れてもよい服装でお願いします。(エプロンなどでもオッケー)●事前にご連絡お願いします。(☎090-4514-2365 SMSでもオッケー。駐車場が広くないため、時間帯の調整をさせて頂きます。)●まだ、トイレがありません。(車で5分ほどの所にJAやコンビニがあります。)●子どもさんも大歓迎!!(車で10分ほどの所にグリーンパークがあります。桜やさまざまなお花が咲いていてキレイ。遊び場もたくさんです。板一枚塗って、遊びに行きませんか?(笑))水性の防腐剤を塗ります!⤵ この長さなら、10分ほどで塗れると思います。ご連絡お待ちしています。どうぞよろしくお願いします。
3月23日(木)。駐車場の話。根っこを取ってもらった後、防草シートを敷き、その上にバラスをまく計画で進めてきました。いよいよ、バラスが運ばれてきました。駐車場をどのようにするかの相談に乗ってくださったのは、井戸を掘ってくださったS開発さん。バラスを運ぶのも引き受けてくださいました。感謝!!狭い農道もなんのその!切り返しすることなく、一発でバックで入って来たトラックに思わず拍手!!狭い入口もギリギリで通過~!どんなお仕事にもすごい技の持ち主がいるものだと、感心。ザ~ッと気持ちよくトラックの荷台から流れ落ちたバラス達?。その後は、人力で山を壊していきます。ひと山目は、途中まで頑張りましたが、すぐに限界がやってきました。汗だく~。腰が・・・結局二山目は、ラガーマンに来てもらい、相方と二人で広げてもらいました。あとひと山は、ぼちぼち広げていこうと思います。身体が資本。無理は禁物!!(笑)実は、この場所で平和資料室を受け継ごうと決めた時からずっと、心配していることが一つ。それは、「地域の方々に迷惑をかけないだろうか。」ということ。自然環境に恵まれている代わりに、道路(農道)が狭いです。公共の交通機関で来るには不便なのでどうしても自家用車の利用が多くなると考えられます。農道から田畑に落ちたり、離合でのトラブルが起きたりしないだろうか・・・。そんなことになったら、地域の方から厳しい声が…最悪、開設したものの、存続が難しくなるというようなことになり兼ねない…考えていると、心配で押しつぶされそうになります。ーーーいやいや。こんなことで諦めるわけにはいきません。まずは、ご支援いただいた方々に、このことを知っていただき、地域に迷惑がかからないように協力して頂くしかありません。そして、少しずつ地域の方に安心、信頼して頂けるように、実績を残すしかありません。(区長さんと農事委員長さんには挨拶に行ってはいます。)建物にめどが立ったら、運営の仕方をじっくりと考えてお知らせしたいと思っています。とりあえず、このような現状にあることをみなさんに知っておいていただきたいと思っています。「平和」を築くには、「思いやり」が必要だと思っています。まずは身近な所から。どうぞよろしくお願いします。日曜日。いよいよ!親方さんが来てくださいます。建物とトイレの入口になるサッシを取り付けに。そして、ついに「壁」が付きます。(と言っても、「つけ方」を教授してくださり、作業は自分達で。)そうなると、ようやく「トイレ(便器)」が設置される!?あ~。楽しみです。まだまだですが、うっすらとゴールが見えてきた気がします。(その先、重要な「展示」作業が待っていますが・・・)がんばるのみ!です。
3月18日土曜日。午前中は、毎月一回楽しみにしている「平野塾~八文字カフェ」(八幡空襲を語り継ぐ会。空襲体験者の方だけでなく、様々な方が参加されています。参加自由・予約なしでオッケーです。八幡東区の平野市民センターで行われています。)に参加しました。午後は資料室の壁塗り。壁塗りしながら、八文字カフェで聴いたFさんのお話が、私の頭の中でぐるぐる回っていました。Fさんのお話とは…Fさんは、八文字カフェに初めて参加されたそうです。そのFさんが語ったのは、家族(特に弟さん)の話でした。Fさんのお父さまは、弟さんがお母さまのお腹の中に居る時に出征されたそうです。弟さんが誕生して、会えることをとても楽しみにしていたお父さま。叶わぬ思いを残して出征したというわけです。そんなお父さまも、戦地で誕生の知らせを聞き、戦地から弟さんに名前をプレゼントされたそうです。日本に帰り、家族で暮らすことを望んでいたであろうお父さまですが、残念ながら戦地(中国)で病死され、二度と故郷の土を踏むことはありませんでした。Fさんは、お父さまの訃報を受け取った時のお母様の様子を覚えておられました。「母は、弟の足を洗ってあげていました。『お父さんが死んだぁ・・・。どうしようかぁ・・・。』そう言って弟の足を洗っている姿を覚えています。」「女一人で育ててくれました。貧乏しましたよ。父は、『子どもには学問をさせてやらんな。』と言っていましたが、そんな余裕はありませんでした。父が死んだので、みんな、無学です。でも、私たち兄弟は親孝行に育ちました。『お母さんの愛情いっぱいやったけね。』と、私たちは言っています。」それからFさんは弟さんの話を始めたのです。「弟は、『中支(中国中部)に学校を建ててほしい。』と、コツコツ働いて貯めたお金と退職金を寄付しました。」「学校が開校する時には招待されて、兄弟みんな行きましたよ。旗やら太鼓やら、それはもう、すごかったです。」と言って、その時の写真を見せてくださいました。「弟は、普段は質素な生活をしていました。控えめな人でした。山が好きでカトマンズとかの山に登っていました。」「すばらしい人間でした。」私はお話を聴きながら、「どうして大好きなお父さまが戦った中国の子ども達のために、学校を。と、考えたのだろう?』と、ずっと考えていました。カフェが終わって、帰る準備をされているFさんに、私は思い切って尋ねました。「今日は、お話をありがとうございました。一つお聞きしたいのですが、・・・弟さんはどうして中国に学校を建てようと思われたのでしょうか?大好きなお父さまが戦った相手。そして亡くなられた『中国』は、憎いという気持ちがなかったのでしょうか。」Fさんは、おっしゃいました。「どうしてかしらねぇ。昔から、『中国に学校を建てたい』って言っていたんですよ。その思いを叶えることができて死ねたから、うれしかったと思います。」私は考えました。「子ども達に学問を。」と言っていたお父さまの思いが、弟さんの心の中に生きていたのでしょうか。亡くなられたお父さまの眠っている土地で、お父さまの願いを叶えたかったのでしょうか。弟さんに会ってお話したかったなぁ。と思いました。真実は分かりませんが、私には、人間のすごさを改めて考える機会になりました。常に『戦争はどうやったらなくせるのか』と考えている(笑)私には、「心」「愛情」とかそういう目に見えないものが、「平和的行動」を産むのではないかと思えました。憎しみを越えて同じ人間として相手を大事に思う心を私たち人間は持つことができる、ブレることなく、価値あるものを見極める能力を持つことができる。それが人間のすごさではないか。と、思います。「心」「愛情」があるがゆえに、「破壊的行動」が生まれることもある。・・・とも考えました。(自分のことを振り返っても、よろしくない行動をしてしまう(してしまった)ことがあります。難しいものです(笑)。)戦争を起こすのも、止めるのも、やめるのも、無くすのも人間。「心」のある人間。「平和的行動の土台になる「心」を耕せる資料室にしたいなぁ。」と、強く思いながら、暗くなるまでかかって壁塗りを終えました。ーーー