3月2日。今日も1時間半もかけて、Iさんが電気工事に来てくださいました。新築の建物の電気工事ではないので、大変です。壁に新しいコンセントをつけてもらうのに、ほとんど無い(笑)天井裏に潜り込んで、見えない穴を探し、埋め込み…とにかく大変な作業です。もう、感謝の気持ちでいっぱいです。Iさんが帰られた後、壁に今風の漆喰を塗りました。コテで壁を塗るのは生まれて初めてでした。少しずつですが、コテの使い方に慣れてきました。一度で仕上げるのは無理だということ、まわりに付かないように養生すること。が分かりました(笑)明日は作業できないので、明後日、またがんばります!
資料室の前の空き地に、オオイヌノフグリやホトケノザ、タンポポがかわいい花を咲かせています。ウクライナ侵攻から一年。戦争は、決して始めてはならない。戦争は、始まる(武力行使する)前に、全力で止めなければならない。私たちが学ぶべきことだと思う。今日、2月25日。福岡市にあるありらん資料室の月一回行われる学習会に参加しました。今日は、長崎で被爆した山口みよ子さんがお話をしてくださいました。山口さんは、現在92才。学徒動員で三菱造船所で図面を描く仕事を「一生懸命」していたという山口さん。当時14才でした。被爆時、運良く机の下にはまって助かった山口さん。一ヶ月ほどして「原爆症」の症状が出て、寝込んでしまいます。高熱が出て、髪が抜けたそうです。首から胸にかけて、青黒い斑点が出たそうです。同じ症状で寝込んでいたお父さんは、お世話をしてくださる近所の方に、「棺桶を作ってください。」とお願いして作ってもらいます。「私は、棺桶の横で寝ていたんです。」お父さんは、発症して一週間ほどで亡くなったそうです。近所の人は、「遺体を運ぶのに車を出してもらえるのは一回だけ」だからと、お父さんの遺体を運ばずに、山口さんが死ぬのを待っていました。山口さんは、病床で苦しみながら、周りの人の「自分の死を待つ声」を聞いていたというわけです…「私は、生かされました。何か責務があるのだと思います。私を平和のために利用してください。」山口さんは、何度もそう言いました。今と変わらない、友達とおしゃべりに花を咲かせ、異性に胸をときめかせる青春時代を送っていた山口さん。「亡くなった友達のことを思うと涙が出ます。」「学校に来ない友達のことが気にはなるんだけど、みんな、話題にしないの…」「生きていることが申し訳なくて…」こんな思いをする人を生んではいけない!山口さんに平和資料室TICO PLACEでも、お話をしていただきたいと思いました。平和のために、「戦争」を忘れてはいけない。ウクライナとロシアの戦争のことに、慣れてしまっていないかと、自戒を込めて…
今日、2月21日。図書コーナーの内壁を貼りました。こんな感じです。石膏ボードを使ったのは、初めてでした。YouTube(私の先生)で予習しての本番。思うようにいかないこともいっぱいありましたが、なんとかできました。この後、漆喰(今風の)を塗って仕上げます。この調子で、展示室もがんばります。為せば成る!
「春一番」到来。風が強くて、木の粉やコンクリ粉(!)が舞い上がって、壁のない資料室の中は、大変なことになっています。2月に入ってずっと、図書コーナーの棚作りをやっています。元からあるものや廃材を使って、がんばっているのですが・・・昨日は、失敗ばかりでした。おまけに花粉症がひどくなって、早目に上がりました。さて。先週金曜日。河伯洞で、以前から気になっていた本を読みました。気になっていたのは、「科学者たちの太平洋戦争」。書かれてある通り、すばらしい能力を持っている人達が「人を殺したり、物を破壊したりする」兵器の開発に携わったのです。携わらなければならなかったのです。それが、戦争・・・。私が、この本の「科学者たちの太平洋戦争」に目を引かれたのは、上の記事が引っかかっていたからです。「学術会議」の問題だけではありません。今の日本は、戦前の日本に、近付いていっているように思います。いえ。明らかに「国を守るため」「国民を守るため」ともっともらしいことを言って、平和のために戦争できる国にしようとしています。私は、間違っていると思っています。たくさんの戦争体験者の怒りや悲しみが聞こえるようで、胸が苦しくなります。こんな「戦争のために開発された技術」が、現在の平和な世の中で使われています。ここで問題です。この本に出てくる「殺人光線」は、現在何に使われているでしょう?ヒント:今ではほとんどの家庭で使われている電化製品です。さて。何でしょう?答えは下に。人間の英知をどう使うのか。「人間には、武力による脅しなんかに頼らずに、世界を平和にする力がある!」と信じてがんばります!
今朝は早朝パートはお休み。でも、早く目が覚めたので、貯まった新聞(笑)をじっくり読みました。「その通りだ!武装することが国民の安全を守ることじゃない!むしろ、国民を危険にさらす!!」「『食』は命だ!」そんなことを心の中で叫びながら読んでいました。違う記事に、北海道の酪農家の声が載っていました。「多くの子牛(オス)が母牛の乳を一口も飲まないうちに生産者・母牛の目の前で殺処分されています。」声を震わせながら訴えていた。というその記事のことが、新聞を片付けてからも、私の頭の中でぐるんぐるん回って、離れません。飼料や燃料費・・・生産資材の高騰などで、離農・廃業が広がっている現状。搾乳するだけ赤字になるという話はだいぶ前から聞いてはいましたが、子牛の命が人間の都合で奪われている現実を考えると、苦しくなってきました。酪農家の方の苦悩はどれほどのものだろう・・・。今まで自分自身、真剣に考えてはいなかったのだと、情けなくなりました。一人でも多くの人に知ってほしいです。