「北九州平和資料館」閉館…「戦争」を知り、「平和」を感じ、考える場所を残したい

北九州市若松区にある「北九州平和資料館」は、戦時遺品などの展示物を手に取って見られる私設資料館。戦争の加害者にも被害者にもならないようにと、両面からの展示をしている。そんな資料館の閉館決定後、ウクライナで戦争が始まった。同時に軍備増強に向かう国の動き…。戦争の真実を知り、考える場所を残さなければ!

現在の支援総額

3,037,500

75%

目標金額は4,000,000円

支援者数

204

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/09/01に募集を開始し、 204人の支援により 3,037,500円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

「北九州平和資料館」閉館…「戦争」を知り、「平和」を感じ、考える場所を残したい

現在の支援総額

3,037,500

75%達成

終了

目標金額4,000,000

支援者数204

このプロジェクトは、2022/09/01に募集を開始し、 204人の支援により 3,037,500円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

北九州市若松区にある「北九州平和資料館」は、戦時遺品などの展示物を手に取って見られる私設資料館。戦争の加害者にも被害者にもならないようにと、両面からの展示をしている。そんな資料館の閉館決定後、ウクライナで戦争が始まった。同時に軍備増強に向かう国の動き…。戦争の真実を知り、考える場所を残さなければ!

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落ち着く場所
2024/01/15 12:39

新年明けて本格始動の日に来ていただいた大学の先生からのメール。「相変わらず、居心地のよいスペースでした!」とても嬉しいことばでした。言われてみれば、来室した学生さん達が、「あ~!おばあちゃんの家みたい~!!」と、口々に言っていました(笑)「戦争」という悲惨なことを学ぶ場であり、「平和」の心地よさを感じる場所になれば…という願いをもって作ってきた私にとっては、サイコーのほめ言葉です!!次の日(1月14日)は、またまた嬉しいことが!!TICO PLACEをリフォームする時に作った『小窓』(下の写真は、リフォーム中のもの)が、役に立ったんです!!それも、私が思い描いていた「握手をする(心をつなぐ)」役割を。その日は、終戦当時小学校の低学年だったお父さん(現在85歳)をTICO PLACEに連れてきた下さった娘さんとそのお孫さん、3名の来館者がありました。5歳のお孫さんを見て、場所が場所だけに、「怖がったらいけないなぁ~。」と、考えた私。「よく来たね。ハイ!これに何か書いてね。」と、TICOの付箋をプレゼントしました。すぐに明るい顔になったので、「こっちで書いていいよ~。」と、図書コーナーへ。絵を描いたり、折り紙を折ったり、ブロックで何か作ったり、本を見たり、・・・最後は紙芝居を出してきました!!(安心できる場所になったことが、行動で分かりました!)楽しそうに遊んでいる間、おばあちゃんと私は楽しくおしゃべりを。戦争の話からイノシシの話まで(笑)、いろんなお話をしました。(鹿児島の知覧特攻祈念館の近くに住んでいるらしく、「私は、自分と重ねるというより、我が子と重ねて考えてしまって、胸が詰まって全部見れなくなるんです。ーーー息子を戦争に行かせるなんて、絶対にイヤです!!」と、強い口調でおっしゃっていたのが、印象的でした。)途中で、飲み物を出したのですが、かわいい来館者には、ここからジュースを選んでもらいました。嬉しそうにジュースを受け取るその表情が、たまりませんでした~!!幸せ(*^-^*)今年は、小さなお子さん連れで、来られる方が増えるといいなぁ。広報をがんばりま~す!!


「劇の練習中に自分たちも感動して泣いてしまうくらい思いを込めたので、ぜひ、お客さんには『平和』というものが果たして何なのか。山本幡男はなぜ、希望を持ち続けたのか。考えながらこの作品を見てほしい。」~生徒の言葉より~12月16日(土)。平尾台にある子どもの村小・中学校に、子ども達が創ったという劇を観に行った。実は、今からちょうど一か月前の11月16日(木)。子どもの村から子ども達(劇作りに参加している中学1~3年生)が戦争のことを学びに来た。 シベリヤ抑留のことを劇にすると聞いていたが、自主的に学ぶ子ども達である。私が知っているシベリヤ抑留の知識を話したところで、何の役にも立たない気がして、少々困っていた。せっかく劇をするのなら、その一点だけを見るのではなく、「広く」「長く」見てほしいと思った。「どうして『シベリヤ抑留』のような悲しく辛い出来事が起きることになったのか」を考えてほしいと思ったのである。そこで、大雑把だが、明治からの歴史と日本が他国にしたことを話した。その後、自由に展示を見る時間を設定。個別に話をしていると、ふと、私の脳裏を過った。「劇で、軍服を使ってもらえないだろうか―――。」思えば9月。夏の疲れもあり、資料室を休館し、館内の整理をしていた時のこと。門司在住の方から、たくさんの軍服を寄贈して頂いた。3日間ほど干して、製造場所や年式、大きさを記録して、 収納場所が無いので、衣料用の圧縮袋に入れて、屋外に・・・ その時に、「飾っていても仕方がない。学校などで使ってもらえるようにしよう!」そう、思ったのだった。まさか、こんなに早く願いが叶うとは!その衣装を試しにほかの子が着た時、言葉ではうまく表せないが、ただ服を着ている感じではなく、何となくオーラのようなものを感じた。不思議な気分だった。当時の人から「頑張ってね。」 と言われているような。考えすぎ なだけだろうか。~生徒の言葉より~劇が始まった。 軍服を着た子ども達を見た瞬間、私の中で何かが起きた。体が熱く、目の奥の方がツーンと痛くなり、話の内容とは異なるものが次々と頭の中を巡る。戦争当時、この軍服を着ていた人。シベリヤだけでなく、従軍したすべての場所で、この軍服を着て何を経験し、何を感じ、何を考えていたのか。今を生きる私たちに対して、何を言いたいのか。戦後80年近くもこの軍服を捨てきらずにとっていた人の思い。平和のために、こうして活用してもらえていることをきっと喜んでくれていると思う。でも、一方で、今も無くならない戦争、当然のように軍拡を推し進める日本の権力者たち、報道の自由を奪われているのか?国の一大事を進んで報道しないメディア、無関心にさせられた国民、自ら調べ、考えようとしない、噂や偏見、同調圧力に弱い国民・・・でも、一方で、目の前で演じる子ども達は、全く異なる。自ら調べ、自ら考えている。自分たちで話し合って、どんな劇をするか、だれがどの役をするかを決めた。自分の思うようにいかないこともある。でも、他者の意見を聴き、自分の意見を伝え、その上で考える。時には我慢する。自分を見つめ直すこともある。生徒が作った本~劇を創る過程が見えます~そんな、『時間のかかる』経験が、人間として、大切な『力』を育てるのだと思う。それは、目には見えない。数字でも形でも表すことができない。『自分を信じる力』だと思う。そしてその『力』が育っていれば、自分を大切にして生きることができる。『自分を大切にする』とは、自分を甘やかすことではない。『自分が生きたい、自分が目指す姿』を大事に、生きるということだ。だから、どんな場所で生きることになっても、どんな状況で生きることになっても、自分を大事に生きることができる。周りに流されることなどない。置かれた場所で咲くことができるのである。そして、自分を大切に生きる人は、他人も大切に生きることができる。『教育』が変われば、世界から戦争がなくなる。私はそう考えている。劇後半。子ども達の心のこもった白熱の演技に、私はもう、涙をこらえることができなかった。子ども達の姿に、『希望』をもらった一日となった。「今の日本を、今の世界を、なんとかしたい!なんとかしたい!!」この気持ちから逃げたくない。諦めないこと!希望を持つこと!自分と向き合う一日となった。生徒が作った本~劇を創る過程が見えます~


開戦を決めた日
2023/12/01 15:35

12月になりました。「あっという間の一年間!でも、中身の濃い一年だったなぁ~。」と、振り返りたいところですが、その前に、12月にしなくてはならないことがあります。12月は、語り尽くすことのできない悲惨な出来事を生んだ、‟あの”太平洋戦争を日本が始めた月。(もちろん、それまでの10年間でも日本が始めた戦争によって、多くの方々を苦しめていますが。)特に、今日12月1日は、開戦を決定する御前会議が開かれた日です。昭和16年(1941年)12月1日(月)午後2時に「対英米蘭開戦の件」を議題とした御前会議が開かれました。 これまで行ってきた対米交渉がうまくいかず、「御前会議決定案(対米英蘭開戦)」を準備して、開かれたのでした。 そして、以上のように「決定」したのでした。 上は、その際の東条英機内閣総理大臣の説明案です。アメリカとの外交交渉を続けてきたが、相手が一歩も譲らない。それだけでなく、中国から撤退することや「日独伊三国条約の死文化」を要求してくる。「自存自衛を全うする為」、開戦せざるを得ない。簡単に言うとこういうことです。この日までにも、陸軍、海軍含め大臣など首脳陣での会議は行われていましたが、開戦を決定したのは、12月1日でした。中国からの撤退や日独伊三国同盟からの脱退が為されていれば…と思わずにはいられません。「戦争しない」という勇気ある決断をするためには、一つ、「その現実を知る」ことが必要であると私は考えます。「自存自衛」と「いのち」・・・。国民が元気に健康に生きることができていなければ、自存自衛は成し得ない。そう、私は思います。あらためて、戦争によって命を奪われた、世界中の方々のご冥福をお祈りするとともに、懸命に命を繋いでくださった方々に感謝の気持ちを捧げたいと思います。そして、国際平和のために生きることを誓います


戦争をつくる心
2023/11/27 10:58

戦争中に国民学校(小学校)で使われていた教科書です。これを読んで、どのように思いますか?「歌」にまでなっていたということは、このことを子ども達に浸潤させようとした国の意図が見える気がします。私は、来館した子ども(高学年~)に、どう感じるかをよく尋ねます。「『神の国』というのは変な感じです。」「『えらい国』というのがよく分かりません?」さすが!現在の教育の真価が伺えます。きちんとした教育を受ければ、子ども達は「おかしさ」に気付くことができるようになるんですね。この「おかしさ」に気付く目が、「差別する心」を許さない力を生んでいくのだと私は考えています。(差別する心が、戦争をつくります。平たく言えば、「あんな国なら、奪ってもいいんだ。あんな人々なら、殺したっていいんだ。」ということ。この心は、正義の戦争をつくり出すことさえあります。)そして、その「差別する心」を「相手を認める心」に変えることができるようになった時、真の平和が築かれるようになると、私は考えています。さて。昨日(11月26日)は、TICO PLACE を臨時休館させていただき、福岡市の西南学院大学での講演会に参加してきました。体が熱くなり、涙が込み上げるのを感じながらの3時間。あっという間でした。参加者のたくさんの質問に答えながら、様々な事実をお話してくださるので、歴史の事実を再確認することもでき、大変有意義でした。長い時間をかけ、調査・研究を積み重ねてきたからこそ掴むことができた真実による憤り、ブレない姿勢を感じ、心が震えました。特に、最後の質問に対するツジモトさんのお話の時は、気付けば涙が溢れ出ていました。その質問は、この日のテーマになっている来民出身(被差別部落の近隣在住)の方からのものでした。「私は、戦後生まれです。学校で部落差別に関する学習を受けた記憶がない。そんな中、ずっと、来民の被差別部落の方に対する差別を見聞きしてきました。ずっと、差別があるんです。今もあるんです。」「どうやったら、『差別』というものがなくなると考えられますか?」ツジモトさんは、ひと言でその答えを述べることはありませんでした。ご自身が来民開拓団のことを調査し、そのことを新聞の記事として載せる時の出来事を事細かにお話してくださいました。私が受け取った「答え」は、一人一人の一般市民が、真実を学び、差別を許さない心を養うことが、「差別をなくす道」をつくるということでした。TICO PLACE の理念と同じ!気持ちが引き締まる思いでした。同時に、「真実」を知って、流されずに行動しようとする多くの方々の姿に力をいただきました。


11月4日のイベントから早2週間。岡山からの大学生の調査研究の付き添い、立命館大学の先生の来館、母校での講話(ただただ反省(r-_-;))、子どもの村中学校の子ども達の来館(シベリア抑留をテーマにした劇創りのために学びに)。と、自分の無能さを突き付けられ、「資料室を受け継いでよかったのだろうか…」と、マイナス思考に陥ることも。正直、「学ぶ時間がほしい!」「考える時間がほしい!」と思う日々です。そうやって迎えた11月17日(金)。韓国からのお客様、許さんをお迎えするようになっていました。2020年。元北九州平和資料館館長の小野さんのお手伝いで、小倉陸軍造兵廠跡地を案内しました。「来年、仲間を連れてきますね。」と、許さんと別れたのですが、世界中がコロナで大変なことになり、ご無沙汰していました。今回は、造兵廠の地下道跡(試射室跡)を見学する算段が付き、この日、案内することができました。実は、韓国仁川(インチョン)にも陸軍造兵廠があるというのです。今もそのまま建物が残っているのですが、「壊して公園にしよう」という動きが出ているそうです。許さんたちは、歴史を伝えるものとして、何とか残せないかと考えているということでした。許さんたちは、戦争遺跡の調査と同時に、日本が朝鮮を植民地にしていた時代に日本で働いていた朝鮮人炭砿労働者のことも調査しています。今回の来日は、後者の調査を中心としていました。そこで、その日は、北九州平和のまちミュージアムを見学後、小倉炭鉱で亡くなった方々を慰霊する慰霊碑に行きました。広寿山福聚寺にあります。小倉炭鉱があったこと、私は、資料館に関わるまで、全く知りませんでした。戦前、小倉炭鉱でも朝鮮人の方がたくさん働いていたそうです。昭和15年、落盤事故と海水侵入で40名の方が亡くなったといわれています。犠牲者の多くが朝鮮人の方(26名という証言もあり)だったそうです。(いただいた資料より)北九州の発展が、このような方々の犠牲や努力、苦難の歴史のもとにあること。朝鮮人の方々が、危険な場所で働かされていたということ。私たちは知らなくてはならないと、改めて思いました。実は、平和ミュージアムに行った時に、案内役をされていた在日韓国人の方が「『はっぱ』に感想を書いたよ。」(感想を書くコーナー)とおっしゃるので、見ると、ハングル語で書かれています。私には読めないので、何と書かれたのかを尋ねると、「ここには朝鮮人はいないのですね。」と書いたと教えてくださいました。とても悲しくなりました。・・・私は、北九州市が平和資料館を作ることが決まった時に開かれた、市民への説明会のことを思い出しました。その時、私は、勇気を出して発言しました。「韓国や中国、いろんな国の方が北九州市には来られます。もし、戦争中に北九州市で働いていた人、あるいは、働いていた方のご子息がこの資料館に行った時に、自分の存在を消されたようで、自分だったら、悲しくなります。嫌な気持ちになると思います。」やはり・・・そんな思いをさせてしまったことをホントに申し訳なく思います。そういう私も、TICO PLACEに、炭鉱で働かされていた方のことを展示しようと考えていたものの、まだ、達成できていません。「もっと勉強して、実現させないと!!」強く思いました。次の日(土曜日)は、午前中は八幡大空襲を語り継ぐ会が開いている「八文字カフェ」に、いっしょに参加させていただき、午後は、宮若市にある貝島炭砿の跡を巡るフィールドワークに同行させていただきました。この二日間で学んだことがたくさんあります。皆さんにも私が知ったこと、経験したことをお伝えしたいと思い、箇条書きにしてみました。よかったら、読んでください。<八文字カフェにて>●八幡空襲の体験者…子どもの頃、朝鮮人の友達と仲よく遊んでいた。現在の八幡中央高校の近くにあった防空壕に避難した時に、「アイゴー、アイゴー」という、子どもの泣き声を聞いた。●韓国の学校では、日本に植民地にされる前後の歴史をどのように教えているか尋ねると、受験に出題されることがないので、あまり教えられないとのこと。その代わり、家庭などその他の場所で、植民地時代の苦労を聴いて育つ。●参加者の中に、「これから、憲法9条を持つ国としての日本を語れなくなるのではないか。」と危惧されている方の声があったので、徴兵制度がある韓国の様子を尋ねた。「国を守るために、徴兵は義務だと思っているから、入隊して訓練を受けるのは当然だと思っている。疑問は感じない。」中には、『人を殺す技術』を教えることに疑問を感じる政党もある。仮に、徴兵を拒否すると裁判にかけられ、懲役を科せられる。そして、懲役を受けた後、入隊しなくてはならない。●94歳の海軍少年志願兵だった方「日本の戦争当時は、徴兵がイヤな人の中は、銃の引き金を握る右手の人差し指を負傷させて、徴兵検査に合格しないようにした者が居た。」●韓国には、『語り部』の集会はない。辛い思い出を語りたくないから。また、生存者がいなくなっている。戦争であったことを残すために、証言者への聴き取りを残したり、「物」を残したりすることを考えている。<宮若市のフィールドワークにて>●宮若市(旧:宮田町)の仏厳寺は、日本で亡くなった朝鮮人の炭鉱労働者の無縁仏を大切に安置していた。●宮若市役所前に建つ「謝恩碑」。当時働かされていた朝鮮人が感謝の気持ちでお金を出し合って建てたといわれるものだが、実は「欺瞞の碑」。「炭鉱で働かされた人が、『働かせてもらってありがとうございます。」と、言わされ、作らされたと見るべきもの。」と、地域の歴史研究家の話。 ●貝島炭鉱第七坑では、石炭の露天掘りがされていた。露天掘りは、校内での採掘に比べて、天候が直接労働に関係する。暑い日は直射日光を浴びながら、寒い日は寒風の中で掘らなければならなかった。また、校内での採掘には「はっぱ」をかける時間があるが露天掘りではそれが無いので、休む暇がなかった。第七坑で働いていた者の7割が朝鮮人。3割が日本人だったと言われる。3割の日本人は、罪人だったらしい。そのくらい、厳しい労働を強いられた場所。 最後に朝鮮人の方の墓地に行きました。林の中にある三角形の石は、恐らく亡くなった乳飲み子を葬った場所でしょう。ということでした。みなさんと手を合わせました。いろいろと回って、お疲れだろうに、TICO PLACEに寄ってくださいました。感謝、感謝。このTICO PLACEから歩いて5分ほどの所に、日炭高松の竪坑の坑口があった所があります。若松区には、戦争が終わって、故郷に帰る途中で遭難して亡くなった朝鮮人の方が眠る場所(小田山墓地)もあります。ちゃんと歴史の『事実』を展示できるように頑張ろうと思います。


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