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「北九州平和資料館」閉館…「戦争」を知り、「平和」を感じ、考える場所を残したい

北九州市若松区にある「北九州平和資料館」は、戦時遺品などの展示物を手に取って見られる私設資料館。戦争の加害者にも被害者にもならないようにと、両面からの展示をしている。そんな資料館の閉館決定後、ウクライナで戦争が始まった。同時に軍備増強に向かう国の動き…。戦争の真実を知り、考える場所を残さなければ!

現在の支援総額

3,037,500

75%

目標金額は4,000,000円

支援者数

204

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/09/01に募集を開始し、 204人の支援により 3,037,500円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

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「北九州平和資料館」閉館…「戦争」を知り、「平和」を感じ、考える場所を残したい

現在の支援総額

3,037,500

75%達成

終了

目標金額4,000,000

支援者数204

このプロジェクトは、2022/09/01に募集を開始し、 204人の支援により 3,037,500円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

北九州市若松区にある「北九州平和資料館」は、戦時遺品などの展示物を手に取って見られる私設資料館。戦争の加害者にも被害者にもならないようにと、両面からの展示をしている。そんな資料館の閉館決定後、ウクライナで戦争が始まった。同時に軍備増強に向かう国の動き…。戦争の真実を知り、考える場所を残さなければ!

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2023/03/19 12:59
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3月18日土曜日。午前中は、毎月一回楽しみにしている「平野塾~八文字カフェ」(八幡空襲を語り継ぐ会。空襲体験者の方だけでなく、様々な方が参加されています。参加自由・予約なしでオッケーです。八幡東区の平野市民センターで行われています。)に参加しました。午後は資料室の壁塗り。壁塗りしながら、八文字カフェで聴いたFさんのお話が、私の頭の中でぐるぐる回っていました。Fさんのお話とは…Fさんは、八文字カフェに初めて参加されたそうです。そのFさんが語ったのは、家族(特に弟さん)の話でした。Fさんのお父さまは、弟さんがお母さまのお腹の中に居る時に出征されたそうです。弟さんが誕生して、会えることをとても楽しみにしていたお父さま。叶わぬ思いを残して出征したというわけです。そんなお父さまも、戦地で誕生の知らせを聞き、戦地から弟さんに名前をプレゼントされたそうです。日本に帰り、家族で暮らすことを望んでいたであろうお父さまですが、残念ながら戦地(中国)で病死され、二度と故郷の土を踏むことはありませんでした。Fさんは、お父さまの訃報を受け取った時のお母様の様子を覚えておられました。「母は、弟の足を洗ってあげていました。『お父さんが死んだぁ・・・。どうしようかぁ・・・。』そう言って弟の足を洗っている姿を覚えています。」「女一人で育ててくれました。貧乏しましたよ。父は、『子どもには学問をさせてやらんな。』と言っていましたが、そんな余裕はありませんでした。父が死んだので、みんな、無学です。でも、私たち兄弟は親孝行に育ちました。『お母さんの愛情いっぱいやったけね。』と、私たちは言っています。」それからFさんは弟さんの話を始めたのです。「弟は、『中支(中国中部)に学校を建ててほしい。』と、コツコツ働いて貯めたお金と退職金を寄付しました。」「学校が開校する時には招待されて、兄弟みんな行きましたよ。旗やら太鼓やら、それはもう、すごかったです。」と言って、その時の写真を見せてくださいました。「弟は、普段は質素な生活をしていました。控えめな人でした。山が好きでカトマンズとかの山に登っていました。」「すばらしい人間でした。」私はお話を聴きながら、「どうして大好きなお父さまが戦った中国の子ども達のために、学校を。と、考えたのだろう?』と、ずっと考えていました。カフェが終わって、帰る準備をされているFさんに、私は思い切って尋ねました。「今日は、お話をありがとうございました。一つお聞きしたいのですが、・・・弟さんはどうして中国に学校を建てようと思われたのでしょうか?大好きなお父さまが戦った相手。そして亡くなられた『中国』は、憎いという気持ちがなかったのでしょうか。」Fさんは、おっしゃいました。「どうしてかしらねぇ。昔から、『中国に学校を建てたい』って言っていたんですよ。その思いを叶えることができて死ねたから、うれしかったと思います。」私は考えました。「子ども達に学問を。」と言っていたお父さまの思いが、弟さんの心の中に生きていたのでしょうか。亡くなられたお父さまの眠っている土地で、お父さまの願いを叶えたかったのでしょうか。弟さんに会ってお話したかったなぁ。と思いました。真実は分かりませんが、私には、人間のすごさを改めて考える機会になりました。常に『戦争はどうやったらなくせるのか』と考えている(笑)私には、「心」「愛情」とかそういう目に見えないものが、「平和的行動」を産むのではないかと思えました。憎しみを越えて同じ人間として相手を大事に思う心を私たち人間は持つことができる、ブレることなく、価値あるものを見極める能力を持つことができる。それが人間のすごさではないか。と、思います。「心」「愛情」があるがゆえに、「破壊的行動」が生まれることもある。・・・とも考えました。(自分のことを振り返っても、よろしくない行動をしてしまう(してしまった)ことがあります。難しいものです(笑)。)戦争を起こすのも、止めるのも、やめるのも、無くすのも人間。「心」のある人間。「平和的行動の土台になる「心」を耕せる資料室にしたいなぁ。」と、強く思いながら、暗くなるまでかかって壁塗りを終えました。ーーー


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3月16日。毎週木曜日にお手伝いに来てくれる友人に加え、トイレの水道工事をしてくれる予定のMさんが、突然、来てくれました!サプラ~イズ!!友人とご夫婦で手伝ってくださったので、展示室のパテ埋めと図書コーナーの棚のクロス貼りが一度に終わりました!3月も半分過ぎ、焦っている心が少し軽くなりました。いつも作業でいっぱいっぱいで、花の世話ができないでいましたが、今日は、草を抜くことができました。去年の秋、「春の資料室に花がほしいなぁ。」と、2袋百円で花の種を購入。小さな小さな種が、ほんのちょこっと入ってるのに苦笑いしながら、種を蒔きました。大事に大事に、消えないように願いながら、寒い冬を越しました。暖かくなって、小さくて消えそうだった苗が、太陽の光をしっかりと受けて、気が付けばしっかりとした苗に育っていました。そして今日、草を抜いてあげました。見ると、花が一輪!寒い冬を耐え、たくましく、そして美しく咲いてくれました。実は今日の午後は、平尾台の子どもの村中学の中学生が来るようになっていました。思えば、去年の4月。「今年度の学習テーマを決めるために来ました。」と、旧北九州平和資料館に来館。それから1ヶ月ほどして、「今年の学習テーマを『戦争と平和』にすることにしました。」と、連絡がありました。(詳しくは、資料館ホームページで…)一学期が終わって、調べ学習をまとめ、考えたことなどを綴った物を「お礼」と、持ってきてくれました。会った頃と違う「力強さ」を感じたことを覚えています。「二学期も続けて学習して、卒業前に本にまとめます!」と、自分達の計画を教えてくれました。立派な本ができていました。わざわざ渡しに来てくれたのでした!(残念ながら2人は、インフルエンザで来られませんでしたが。)まだ読んでないのですが、「目次」を見るだけで、どんなことを学び、考えたのか、早く読みたくなります!資料室用に3冊いただきましたので、開設したら、ぜひ!「焼き芋を焼いて卒業祝い(笑)をしよう」と、午後は作業をお休みする予定だったのですが…「ごめんね。開設したら、みんなできてね。」5人とも、未来に希望を持ち、北九州市から羽ばたきます。私にとっての希望です。こうやって、主体的に学び、多面的に事実を知って考える若者が、きっと、平和な世界を築いてくれると信じています。それまで、何とか踏ん張りたいと思っています。多くの人と繋がりたいです。


戦跡ツアー(後編)
2023/03/12 16:25
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3月12日。午後は、小倉の陸軍の第十二師団跡、そして山田弾薬庫跡へ。山田弾薬庫跡は、山田緑地内にあります。家族連れが、自然の中でのんびりと過ごしていました。そんな中に、いくつもの弾薬庫が残っています。小倉の陸軍造兵廠(兵器工場)で作られた砲弾に詰める弾薬が置かれていたのです。「どこで火薬は作られていたのだろう?」疑問に思って、ガイドの市原さんに尋ねてみました。「どこでしょうねぇ?浅川ですかねぇ?」なるほど!そういうことか!浅川にある、「そこだけ開発から逃れ続けている場所」が、「火薬が作られていた場所」だったのです。浅川…。平和資料室のことをずっと前から応援してくださっている、平和活動家のYさん(私の命名)のことを思い出しました。Yさんのお父さんが、浅川のその会社で働いていたこと、炭鉱労働者がいた浅川での幼少期の経験のこと、原爆のこと…ここでは詳しく伝えることはできませんが、浅川が、Yさんの平和を願う強い気持ちをつくっていることは、間違いありません。「戦争」というものは、世代を越えて、長く影響を与えるものだと改めて思いました。企画する側ではなく、参加する側としての「戦跡ツアー」。とても勉強になりました。「ただ、知る」のではなく、「知って、戦争を憎む気持ちを持つ」ようにするには、どうすればいいのだろう…?やはり、考えてしまいました。きっと、戦跡に立った時に、私の頭に浮かんだことが、ヒントになるような気がしています。展示に生かしたいです…


戦跡ツアー(前編)
2023/03/12 14:30
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3月12日。北九州平和ミュージアム主催の戦跡ツアーに参加しました。午前中は門司区。200万人もの兵士が出征したと言われる門司港。私は、旧北九州平和資料館で、フィリピン戦に従軍した体験を話してくださった中村さんのことを思っていました。「門司港に兵士が出征したことを印した所があってね、毎年必ず行っていたんですよ。」「それがね、ある年行くと、なくなっていたから、役所に問い合わせたんですよ。そしたら、『もう、出征した人は居なくなったので』と言うんですよ。まだココに居るのに!」穏やかな中村さんが、声を荒げて話してくださいました。「立派な碑ができていますよ。」中村さんに語り掛けました。中村さんは、この地から輸送船に乗り込み、戦地へと向かったのです。15歳でした。その後、バシー海峡(台湾とフィリピンの間辺り)で乗っていた船が撃沈され、大海原に投げ出され…助けられた中村さんは、フィリピン戦に従軍し、何度も死にそうな目に会いながらも、何とか命を繋ぎ、気付けばたった一人でジャングルをさまようことに。終戦後もフィリピンのジャングルの中に一人で潜んでいました…そんな方が、今の日本に、自分と同じように生きていらっしゃるのです。…戦争がどんなものなのか、知らなければならない。想像しながら、知らなければならない。そこに生きた人たちに思いを馳せなければならない。そして、国家権力の暴走により、二度と同じ過ちを繰り返すことのないように、行動することが、国民のしなければならないことだと思う。必死で戦争の時代を生きた人たちを悲しませたくない。改めて、強くそう思いました。


うれしいな
2023/03/10 11:19
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今週は毎日、「うれしいこと」が続いています。一つ目。図書コーナーの一面の壁塗りをようやく終え、カウンターを仕上げて、少しですが部屋らしくなってきました。ちょっと、うれしいです。DVDを見られるように、小さいですが、モニターを設置しました。ぴったりです!うれしいなぁ~。そして、二つ目のうれしいこと。月曜日。友人の高校を卒業したばかりの息子さんが、手伝いに来てくれました。ラガーマンで、ラグビー推薦で大学進学も決まっています。「トレーニング変わりに。」と、駐車場にする予定の整備を3日間もしてくれました。砕いたコンクリート片の混じる土をほぐして、凹みに運んで埋めたり、地中にはびこる「根」を掘り上げたり・・・。黙々と仕事を姿を見ながら、「こんな夢を持って真面目に生きている青年たちに平和を繋がなきゃ。戦争の練習をしなくてはならないような日本にしてはいけない!」と、改めて強い気持ちを抱きました!月曜日は、電気工事に来てくださっているIさん、旧資料館時代から展示や企画などについていろいろと相談に乗ってもらっているNさんも来てくださいました。お昼は、薪ストーブで作ったシチューをみんなで食べました!午後。私はNさんの手を借りながら、「固まる」作業をしていたのですが、突然「知らない」来室者が! 福岡市から。わざわざ探して来てくださったのでした。「『ぼくにもできることがないかなぁ。』と思っていて・・・。」と、とても謙虚に話し始め、「実は、床を貼る仕事をしているんです。ぼくでよかったら、床貼りをさせていただけませんか?」「えぇ~!まじですかぁ~!!」と、思わず叫んで、お願いしました。(あつかましい・・・安く上げるためにペンキを塗ろうと考えていたので、有難くて有難くて。)後から振り返り、語彙力のない自分が恥ずかしくなります(笑)ということで、しゃべりながら涙するほど、めちゃくちゃうれしかったです。そして、三つ目のうれしいこと。水曜日。床を貼ってくださるSさんが、わざわざ打ち合わせに来てくださっている時に、友人からLINEが入ってました。「私の友人の夫さんが、電気工事や水道工事ができるようです。」思えば、私たちにはがんばってもできないことが2つありました。●電気工事●水道工事(トイレと手洗い場の設置)電気工事はIさんが助けてくださいました。そしてそして、水道工事はMさんが助けてくれることになりました!我が家の玄関に、もう3か月も置いてある「トイレ」と「手洗い」の入った段ボール。・・・心がとても軽なりました。うれしいです。手伝いに来てくれる人が困らないようにと、一番に「トイレ」のことを考えて取り掛かった資料室リフォーム。そのために「水(井戸掘り)」と「浄化槽」工事を一番にしたのでした。しかし、いろいろあって、計画通りには行かず、トイレは最後に!!でもでも、その結果、「助けたい」「自分も平和のために何かしたい」という方々の強い思いと出会うことができました。最後に、四つ目のうれしいこと。木曜日は、毎週手伝いに来てくれる友人が、本棚の底に貼る「残った壁紙」が、足りなくて困っていると、「うちにあるから使って~」と、持ってきてくれました。うれしくて、うれしくて…。「暖かくなったら『人の』動きが活発になるから急がないと・・・」と、冬の間ドキドキしながら作業していたのですが、転がり込んでくるようなプラスの動きを予想していなかったのでとてもとてもうれしいです。では、マイナスの動きとは?…「いつ開館するんですか?」「4月末辺り、伺いたいのですが・・・。」という「焦らせる」問い合わせのこと。いやいや。これは、失礼なことを。「マイナス」の動きではないですね。「平和」への関心の高さを示しているプラスの動きです!作業が進まない私の心にとっては、マイナスの動きというだけです。(笑)これからも、これまで通り、がんばるのみです。「うれしいな。」を力に。