昨日(10月19日)は、若松区の戦争犠牲者追悼式に行った。かねてから訪ね、慰霊したいと思っていた、高塔山にある「忠霊塔」(名前が気になる…)の中に入ることができた。N先生が生前、「空襲で命を奪われた子ども達の名前を見らんないけんよ!」と、おっしゃっていた。中に入ると、2000柱あまりの名前が、亡くなった日と年齢とともに書かれてあった。私は、探した。子どもたちを。悲しいことに、たくさん見つけてしまった。ここにいる4人は、姓が同じ。きょうだいか?あるいはいとこか?8月8日の空襲だけでなく前年6月の空襲犠牲者もいた。親子ではないか? 兄弟ではないか?怪我をして、しばらくして亡くなったのではないか?…名前と亡くなった日付を見ながら、いろいろなことを想像した。 「生きたかったよね…。同じ思いをする子どもたちを出さないように、がんばるね。」 強く心に誓った。 「私たちは、もう80を越えてますよ。私たちがおらんくなったら、ここの世話をしてくれる人がおらんのよ…」来られていた年長者の声が、私の耳に残っている。
今朝、庭の草抜きをするために、物置を開けました。目に入った段ボール箱。「あ。N先生の資料。これも整理しないといけないなぁ。」と、ふたを開けました。「朝鮮人炭鉱労働」と書いてある紙が載っています。手に取り開くと、なんと!蜑住の地図が!!赤い所が「新しい平和資料室」です。緑の所が日炭高松の坑道(入口?)があったようです。前にも書いたと思いますが、私が記憶している場所とほぼ一致します。ゾワッとしました。「『蜑住』で土地を見つけたのには、大きな意味があるのかも・・・」昨日、八幡の空襲を語り継ぐ活動をしている平野塾の「八文字カフェ」に参加させていただきました。(八幡空襲の体験者が集う、大変貴重な「場」です。)昨日の参加者のKさんが、「捕虜」の話をされていました。戦時中、アメリカ人捕虜、オランダ人捕虜の収容所が北九州にはありました。ある日、水巻にあった高松炭鉱で働かされていた捕虜の一人が脱走。捕虜が描いた水巻町の日炭高松第2坑結局、八幡西区の皇后崎の辺りで捕まり、今の共立大の辺りで「見せしめ」のために処刑されたというのです。捕虜が描いた絵高松炭鉱で働かされていた捕虜は、十分な食事を与えられず、ガリガリに痩せた状態で過酷な労働に従事させられていたそうです。Kさんが教えてくださいました。「この時に、折尾に住んでいた方が、『捕虜の方がかわいそう』と言って、差し入れをしたことがあったそうです。」人間性を失わせる「戦争」の中でも、人間らしく生きることができるんだと、改めて思いました。そのためには、学び、考え続けることが大事!と、自分に言い聞かせました。前に書いた、働かされた「朝鮮人」のことも含め、しっかり調べて、展示しようと思います。八文字カフェからの帰り際。Dさんから声をかけられました。「あったことをなかったことにされないように!!」と。「蜑住」の地でやるべきことが一つはっきりしてきました。※資料は、林えいだい「にっぽん 俘虜収容所」より
<現在(10月14日)の支援状況>支援総額 3,148,500円(目標4,000,000円)支援者数 221人(目標500人)木曜日。かねてから「お手伝いできることがあれば。」と声をかけてくださっていたFさんが、来室。なにせ、トイレがまだ使えません。「お手伝いの下見」の短時間の予定で来てくださったのですが・・・。「この木に、こうやって・・・」と、はんだごてを取り出して、「実は、私はココしかやってない。ツレがやってくれていて、このはんだごてを見つけて、・・・あ~だ、こ~だ、・・・」としゃべっているうちに、つい、「やってみますか?」と、娘さんに進めてしまいました。始めはためらっていた娘さんも、「自分のだったら!」と、やる気になり・・・あとは、私がFさんとおしゃべりしている間に、気付けばでき上がっていました!帰られた時間から計算すると、作るのに1時間かかっていません。おそらく40分くらいかな?お礼のメールが届きました。「居心地がよくて、豊かさを感じられる空間に娘と共にエネルギーをもらって帰りました。」と。資料が押し込められた倉庫のような小さな部屋です。でも、「自慢の」自然が包んでくれています!!だからかは分かりませんが、こんな風に感じてもらえたことが、サイコーの喜びです!「木札への平和のメッセージ、自分で作りたいなぁ~。」と思われる方は、「メッセージ」でお知らせください。作らずに取っておきますので(笑)。娘さんのメッセージ。~『愛あるいきもの』~人間はそこにつきる! 「人間」として生きたい!!改めてそう思いました。ありがとう。
これは、いつも私が平和資料室に行く時に持って行くカバンのポケットに入っている硬貨の束です。「北九州平和資料館」が閉館する直前に、資料館に来てくれた小学生が、「これを使ってください。」と、私にくれた支援金です。その子は、私の説明を大変熱心に聴いてくれました。一つ一つの遺品に触れて、丁寧に記録をしていました。途中で他の来館者の対応のため、すべての説明をすることはできなかったのですが、帰る時にその子がわざわざ私の所にやって来て、差し出したのが、このお金でした。---自分で働いて稼いでいる訳ではない子どもから寄付を頂くことは・・・と、一瞬ためらいました。でも、自分がもし子どもだったら…子どもなりの真剣な気持ちを受け取りたいと思いました。「大切に使わせてもらいます。」そこには、「大人」とか「子ども」とか関係のない「平和であってほしい」「平和のために力になりたい」という気持ちがあると思うのです。今、私の中に小さな悩みがあります。それは、クラウドファンディングの画面の「支援者数」に、反映されていない「見えない支援者」を反映させられないか・・・ということ。実は、クラウドファンディングで支援してくださる方の中に、「子どもの名前や気持ち」もいっしょに記入してくださる方がいます。でも、その「数」は、反映されていません。また、クラウドファンディングが分からないからと、わざわざ銀行口座に振り込んでくださる方もいます。当然ですが、その「数」も、反映されません。平和を守るには、平和の思いを集めることが大切だと思っています。単純に、「数が増えると、何だか気持ちが盛り上がるし、元気が出るよなぁ~。」とも思います。そこで考えつきました。(めっちゃアナログですが)「活動報告」に載せよう!と。現在の支援総額3,063,500円(目標4,000,000円) 支援者数202人(目標500人)です!振り返ると、受け継ぐ決意をして、クラウドファンディングの準備を始めた頃、「そんなに支援金が集まるものだろうか…」と、不安でしかありませんでした。それが、始めてみると、多くの方々が私の知らない所で協力してくださり、気が付くとこんなに!支援者の皆さんが、クラウドファンディングの操作に大変な時間を費やしている姿、銀行まで足を運ぶ姿・・・。そんな姿を思い浮かべると、目の辺りがツ~ンとしてきます。「『平和のために何かしたい!』って、みんな思ってるんだ!」と、元気が湧いてきます。がんばるぞ!支援者数が増えるといいな。と思っています。「備考欄」に記入して頂けたら、「数」に入れさせていただきます。よろしくお願いします。
閉館した「北九州平和資料館」で心残りなことが一つあります。それは、小田山霊園(若松区深町)にある朝鮮人遭難者墓地についての展示を作るまでに至らなかったこと。新しい資料室では、北九州で働いていた朝鮮人労働者のことも伝えたいと思っています。(実は、新しい資料室のある場所辺りも、もとは石炭を掘っていました!)昨日は、展示資料を作るための勉強として、慰霊碑などを巡り、学んできました。小田山墓地には、戦争が終わって、故郷に帰る途中で船が転覆。海に投げ出され、流れ着いた方々が眠っています。土の下に眠る方々の声が聞こえるような気がしました…門司区の城山霊園内には、韓国・朝鮮人 の炭鉱で働いていて犠牲になった方などの遺骨を納めている場所もありました。高台にひっそりと建つ美しい建物の中には、「不明」と書かれた遺骨も。同じ一人の人間としてこの世に生を受けたというのに・・・心が痛みました。戦争当時のことを学ぶと、「二度とこの様な悲しいことにならないように」という強い思いになります。「そのためにどうして行けばいいのか」と、具体的に考えることもできます。そんな資料館にしたいと改めて思った一日でした。