予約待ち6カ月の卵「しゅりたま」をもう一度 森の中に放し飼い養鶏場を作ります!

人気の最中、野生動物たちによって鶏さんたちが被害を受け廃業に。あれから5年、「しゅりたま」完全復活に向けて動きはじめました。今度は、「森の中に放し飼い養鶏場」をつくります。食の安全が求められている今こそ!本当に安心できるたまごを子どもたちに届けるため、新たなチャレンジに挑戦します。

現在の支援総額

1,982,500

198%

目標金額は1,000,000円

支援者数

171

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/03/02に募集を開始し、 171人の支援により 1,982,500円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

予約待ち6カ月の卵「しゅりたま」をもう一度 森の中に放し飼い養鶏場を作ります!

現在の支援総額

1,982,500

198%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数171

このプロジェクトは、2024/03/02に募集を開始し、 171人の支援により 1,982,500円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

人気の最中、野生動物たちによって鶏さんたちが被害を受け廃業に。あれから5年、「しゅりたま」完全復活に向けて動きはじめました。今度は、「森の中に放し飼い養鶏場」をつくります。食の安全が求められている今こそ!本当に安心できるたまごを子どもたちに届けるため、新たなチャレンジに挑戦します。

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みなさん おはようございます!雨の吹き込みを防ぐために設置した鶏舎南北に設置した面格子が予想以上に効果があり、東西箇所にも設置していくことにしました。台風対策と野生動物の侵入防止にもなりますからね♪ということで、第2開拓地の竹林へ!前回竹を伐り出した時もそうだったのですが、密集した竹や立ち枯れた竹が引っかかり倒れません・・・。密植した竹を伐っては、抱えて下まで引っ張り倒し・・・1本伐れば、2本の枯れた竹を伐り倒し・・・株元に敷いていくことで、土壌流出を防ぎ竹林の適度な樹間スペースを保つようにしていきます。それを繰り返すことで、だんだん伐り出しもしやすくなりやがて、竹林の整備にもつながっていきます。とはいえ、広大な長年放置された竹林・・・竹を1本伐り出すにしてもなかなか骨が折れる作業ですが、里山の環境を守るにはやるしかない!しゅり(守里)の基本理念ですね。今回伐り出して、開拓地まで持ち帰った竹は20本足らずハア・・・1日頑張ってもこれだけか・・・鶏舎東西に必要な資材本数には、全然足りません!どんどん竹を有効利用し、同時に整備していくことで、健全な竹林に育てていこうと思っています。竹林整備を、いっぺんにやろうとすれば途方もなく感じますが必要なものを活用しながらであれば、「一石二鳥」です。


みなさん おはようございます!昨日は、所管の家畜保健衛生所へ行ってきました。養鶏業として復活・再開していくには、届出が必要です!主に2つあります。① 鶏さんを飼養するための届け出家畜伝染病の予防とまん延防止のため、家畜・家きんを飼養するすべての事業者や個人の対象者が、飼養している家畜・家きんの頭羽数や、衛生状況などを家畜の所在する都道府県に定期的に提出する義務があります。規模や目的によって、必要な許可や届出が異なりますし、数羽の家庭飼育であれば届出は不要なこともありますが、一定の規模で行う事業として開始する以上、都道府県知事などの許可や届出が必要となります。また、また、飼養・収容施設の許可や構造設備などの基準もそれぞれの地域によって異なってきますので事業を開始する前の事前相談は必須!衛生的な飼養管理を家畜保健衛生所のご指導の下伝染病の予防とまん延防止に努めていくことは生産者として最低限の責務です!② 卵を販売するための届け出食品衛生法等の一部を改正する法律により、営業届出制度が創設され、営業を営もうとする者は、営業所の名称、所在地および営業の種類等を都道府県知事等に届け出ることになっています。以前は営業許可業種ではなく、許可・届出は不要でしたが、令和3年6月1日から届け出が必要となっています。卵も当然食品ですから、衛生的な施設を構えるのはもちろん!保健所のご指導の下、衛生管理の徹底を行なっていくことはみなさんに安心して召し上がっていただくために必須です!それぞれ「家畜保健衛生所」や「保健所」「地方自治体の担当部署」などの窓口は異なりますので、ひとつひとつクリアしていきたいと思います。農場復活のための第1歩(^^♪


みなさん おはようございます!昨日はオフの日でしたが、三原村では防災訓練の日私の集落 芳井地区でも、朝9時にけたたましいサイレンと共に、防災訓練が行われました。芳井集落は、村内で最も深刻な過疎化の進む限界集落集落の全員10人が、集会所に集合~!!参加した方々 みんな真剣そのもの!!過去には芳井集落も、大雨による土砂災害によって数か月間孤立したということが、村史に記録されています。何か起こってからでは何もできませんので、常日頃の準備や気構えはとっても大事ですよね!私も集落の「若い衆」として、お役に立てることはドンドン参加していきたいと思っています。三原村の歴史が記されています2001年09月06日(2001年9月6日未明から午前中にかけて、高知県西南地域では、秋雨前線に伴う集中豪雨に見舞われた。村内では、広野、亀ノ川、下切の3集落の雨量が700ミリを超え下長谷の土屋橋付近では下ノ加江川の水位が村道皆尾線を越え久繁の民家に流れ込んだため、大正9年の豪雨に匹敵した。西部地区では県道の決壊や河川の護岸流失、山腹の崩壊も多数激甚災害地の指定を受けた。1975年8月17日土佐沖を北上した台風5号は宿毛市付近に上陸し、北上して周防灘から日本海方面に抜けた。三原村では午前9時頃から風雨が強まり、強風で役場庁舎は全滅隣接の中央公民館を仮役場とした。被害は負傷者3人、住家の全壊54戸、半壊81戸、一部損壊805戸非住家の全壊93棟、半壊268棟、一部損壊359棟のほか、農林業施設、被害額は31億3,506万円余に及んだ。1920年08月15日大洪水が発生し、三原村は有史以来の大災害を受けた。被害は死者19人、負傷者15人、牛馬の圧死4頭、流失2頭、住家の流失13戸、埋没・破壊60戸、半潰80戸、浸水100戸、非住家の全潰100戸、半潰30戸、流失30戸、浸水400戸、山林崩壊1万箇所、田地の流失・埋没114町5反歩、10年以上荒地免租地66町9反歩、畑地の荒廃13町歩余、その他至る所で道路が流失・埋没、堤防が決壊・流失、一望荒原が連続した。1886年08月21日1886年8月21日より9月24日まで、数回の暴風雨により、諸作物は損傷し、中でも稲作は皆無となった。家屋の倒壊・半潰は無数であり、倒壊は免れても屋根を剥ぎ取られない家は皆無といってよいほどであった。また、降雨が激甚であったために、各所に無数の山崩れ、川沿いの田地では表土の流失、深渕化し、堰、堤防の決壊・破損は甚大であった。そのため、作物は田畑とも極端な凶作に陥り、山ではツワブキの茎と葉を採り、野ではホゼ(曼殊沙華)の球茎を掘り起こしたほどであった。1886年08月20日暴風雨がひどく、強風で立木は倒し尽くされ、住家の全半壊また、降雨も激しく、山崩れも多く発生し、田畑堤防の決壊甚大農作物も凶作で、山野草を食べ尽くした。


みなさん おはようございます!開拓地の森は今、ツワブキの黄色い花がたくさん咲いてます。花言葉は、「困難に負けない」これは、他の花が少なくなる寒い季節に、日陰でも力強く咲くその姿に由来しているそうです。そんなツワブキの花に誘われて、アサギマダラがやって来てくれました!!アサギマダラは「旅する蝶」として知られ、飛行ルートは、春は北東方向へ、秋は南西方向へ移動します。これから台湾・中国大陸まで2000kmを超える旅の真っ最中!そんな旅の道すがら、ツワブキの花の蜜に誘われてちょっと羽休めしていました蜜をたっぷり吸って 良い旅を!そして 春になったら帰って来てね!


開拓地の風景
2025/11/08 06:13

みなさん おはようございます!昨日は、前日までに搬入した資材を元に南 御神木側の面格子づくりを行ないました。台風到来時の風を受ける南側ということもあり、開口部すべてを強固に、そして吹き込みを防ぐためにも全面を保護する長さ 2メートル つまり、3メートルの高さからの作業で、脚立は必須当然ながら、山の斜面ですから足場の安定には要注意!!板幅は3センチ台風到来時、猛烈な風が予想される場合防風シートを取り付けられるようにしていきます。用意した竹の板を1本1本脚立に上っては下り踏み台昇降運動の連続作業です。朝は、Tシャツ・フリースの上にジャンバー&手袋お日様が上がってくるにしたがって、1枚脱ぎ、また1枚お昼ごろにはTシャツ1枚!ネコたちも、み~んな 日向ぼっこ「おまえら少しは手伝え~!」なんて言いながら作業は続きお昼過ぎたら、1枚また1枚と着て夕方には朝の格好に戻ってる(笑)あれ? ネコたちはもうおうちの中か~しかも湯たんぽ付き!!寒暖差の激しい この時期ならではですねえ♪まあ・・・そんなこんなで、無事、南 御神木側の面格子づくりが完了しましたよ!


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