〜泥だらけの山中で、自分に言い聞かせること〜みなさん、おはようございます!今日も、湧き水から開拓地の貯水タンクへ繋ぐ、長くて地味~な配管作業を続けています。先人たちが守ってきた山の聖域に身を置いていると、自分がこれまで歩んできた道のりが、走馬灯のようにフラッシュバックして。探し当てた水源から、清らかな水が湧き出すように、不思議と「感謝の念」が、とめどなく溢れてくるのです。私は決して、「強靭な心」を持つ特別な人間ではありません。泥臭く、ただひたすらに「つるはし」や「鉈(なた)」を振るってきた、一人の、弱いちっぽけな人間にすぎません。私の開拓の原点は、1991年にさかのぼります。青年海外協力隊員として赴任した、南米パラグアイ。灼熱の太陽の下、泥だらけになって掘った井戸が幾度も枯れ、途方に暮れたあの日。深い絶望の中で学んだのは、「形になるまで、愚直にやり続ける」ということでした。その後、2002年に高知県三原村の消滅集落に移り住み、ゼロから放し飼い養鶏を立ち上げました。しかし、ようやく軌道に乗り始めた矢先。苛烈な獣害と、容赦なく襲い掛かる度重なる台風によって、私は農場も、希望も、すべてを失い、廃業に追い込まれました。「南米時代からの経験を活かし、必ず農場を復活させる!」そう心に誓い、2019年、再び開拓のつるはしを握りました。しかし、現実は想像以上に過酷でした。頼りにしていた「過去の経験」など、次々と押し寄せる自然の脅威の前では、全く通用しなかったのです。先の見えない絶望の淵で、「もう楽になればいいじゃないか」という強烈な誘惑に負け、開拓の手を止めそうになったことは、一度や二度ではありません。「形になるまでやり続けるしかない」と頭では分かっていても、私一人の意志や根性だけでは、到底たどり着けませんでした。もし私一人であったなら、とっくに全てを投げ出していたでしょう。いや……間違いなく逃げ出していたはずです。(思い出すだけで、今でも涙がこぼれそうになります)それでも私が歩みを止めず、再び立ち上がることができたのは、どんな時も私を信じ、底なしの絶望から救い出してくれた、**「妻の存在」**があったからです。そして、農場の完全復活へ向けて「しゅりたま復活実行委員会」を立ち上げ、共に奔走してくれた三木さん、谷井さん、松田さんをはじめとする、かけがえのない仲間、そして恩人たち。彼らの熱意を通じて繋がり、私を信じて温かいご支援やメッセージを届けてくださる「みなさん」。かつてこの地を拓いた先人たちや、芳井集落の方々の温かな眼差しも、常に私の心の支えでした。孤独な作業の中で、ふと立ち止まるとき。探し当てた水源の、透き通るような水の響きとともに、この地を守り続けてきた「山の神さま」と、道を切り拓いてきた「先人の方々」からのメッセージが、心に響いてきます。「山を、森を、里を、命を、次世代へ繋げ!」 と。その「声」と、みなさんの「祈り」に背中を押されなければ、今の私は間違いなく、ここに立っていません!竹と笹が鬱蒼と茂る小学校跡地を、命あふれる「しゅりの森」として蘇らせるための開拓。毎日毎日毎日毎日毎日毎日、ジャングルのような草木を払い、重い石をどかしていく。1日、1ヶ月、1年という短い時間軸では、風景が劇的に変わることはありません。でも、「ほんの数センチでも、確実に前へ進んでいる!」。今日振った鉈の分だけ、明日の光は必ず森に差し込みます。その小さな、けれど確かな手応えを、みなさんと分かち合いたい!!その想いだけが、私を突き動かしています。私はスーパーマンでもなく、完璧な人間でもありません。常に挫け、右往左往しては迷い悩む、弱い人間です。だからこそ、心が折れそうになるとき、自分自身に強く、強く言い聞かせるのです。「お前は決して一人ではないぞ!」 と。支えてくださる「みなさん」という存在があってこそ、私は前を向く強い力をもらっています。この泥臭く地道な一歩一歩が、いつか振り返ったときに、私と、大切な人たちを包み込む「美しく壮大な風景」に繋がっている。そう信じて。ただひたすらに、深い感謝を申し上げます。みなさん、本当に、本当にありがとうございます!!先人と大自然への敬意と、みなさんへの感謝を胸に!今日も、山へ向かいます!!もう少しだ! アイサイ橋が見えてきたぞ!!未来への風景が見えてきたぞ!!!





