予約待ち6カ月の卵「しゅりたま」をもう一度 森の中に放し飼い養鶏場を作ります!

人気の最中、野生動物たちによって鶏さんたちが被害を受け廃業に。あれから5年、「しゅりたま」完全復活に向けて動きはじめました。今度は、「森の中に放し飼い養鶏場」をつくります。食の安全が求められている今こそ!本当に安心できるたまごを子どもたちに届けるため、新たなチャレンジに挑戦します。

現在の支援総額

1,982,500

198%

目標金額は1,000,000円

支援者数

171

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/03/02に募集を開始し、 171人の支援により 1,982,500円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

予約待ち6カ月の卵「しゅりたま」をもう一度 森の中に放し飼い養鶏場を作ります!

現在の支援総額

1,982,500

198%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数171

このプロジェクトは、2024/03/02に募集を開始し、 171人の支援により 1,982,500円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

人気の最中、野生動物たちによって鶏さんたちが被害を受け廃業に。あれから5年、「しゅりたま」完全復活に向けて動きはじめました。今度は、「森の中に放し飼い養鶏場」をつくります。食の安全が求められている今こそ!本当に安心できるたまごを子どもたちに届けるため、新たなチャレンジに挑戦します。

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〜泥だらけの山中で、自分に言い聞かせること〜みなさん、おはようございます!今日も、湧き水から開拓地の貯水タンクへ繋ぐ、長くて地味~な配管作業を続けています。先人たちが守ってきた山の聖域に身を置いていると、自分がこれまで歩んできた道のりが、走馬灯のようにフラッシュバックして。探し当てた水源から、清らかな水が湧き出すように、不思議と「感謝の念」が、とめどなく溢れてくるのです。私は決して、「強靭な心」を持つ特別な人間ではありません。泥臭く、ただひたすらに「つるはし」や「鉈(なた)」を振るってきた、一人の、弱いちっぽけな人間にすぎません。私の開拓の原点は、1991年にさかのぼります。青年海外協力隊員として赴任した、南米パラグアイ。灼熱の太陽の下、泥だらけになって掘った井戸が幾度も枯れ、途方に暮れたあの日。深い絶望の中で学んだのは、「形になるまで、愚直にやり続ける」ということでした。その後、2002年に高知県三原村の消滅集落に移り住み、ゼロから放し飼い養鶏を立ち上げました。しかし、ようやく軌道に乗り始めた矢先。苛烈な獣害と、容赦なく襲い掛かる度重なる台風によって、私は農場も、希望も、すべてを失い、廃業に追い込まれました。「南米時代からの経験を活かし、必ず農場を復活させる!」そう心に誓い、2019年、再び開拓のつるはしを握りました。しかし、現実は想像以上に過酷でした。頼りにしていた「過去の経験」など、次々と押し寄せる自然の脅威の前では、全く通用しなかったのです。先の見えない絶望の淵で、「もう楽になればいいじゃないか」という強烈な誘惑に負け、開拓の手を止めそうになったことは、一度や二度ではありません。「形になるまでやり続けるしかない」と頭では分かっていても、私一人の意志や根性だけでは、到底たどり着けませんでした。もし私一人であったなら、とっくに全てを投げ出していたでしょう。いや……間違いなく逃げ出していたはずです。(思い出すだけで、今でも涙がこぼれそうになります)それでも私が歩みを止めず、再び立ち上がることができたのは、どんな時も私を信じ、底なしの絶望から救い出してくれた、**「妻の存在」**があったからです。そして、農場の完全復活へ向けて「しゅりたま復活実行委員会」を立ち上げ、共に奔走してくれた三木さん、谷井さん、松田さんをはじめとする、かけがえのない仲間、そして恩人たち。彼らの熱意を通じて繋がり、私を信じて温かいご支援やメッセージを届けてくださる「みなさん」。かつてこの地を拓いた先人たちや、芳井集落の方々の温かな眼差しも、常に私の心の支えでした。孤独な作業の中で、ふと立ち止まるとき。探し当てた水源の、透き通るような水の響きとともに、この地を守り続けてきた「山の神さま」と、道を切り拓いてきた「先人の方々」からのメッセージが、心に響いてきます。「山を、森を、里を、命を、次世代へ繋げ!」 と。その「声」と、みなさんの「祈り」に背中を押されなければ、今の私は間違いなく、ここに立っていません!竹と笹が鬱蒼と茂る小学校跡地を、命あふれる「しゅりの森」として蘇らせるための開拓。毎日毎日毎日毎日毎日毎日、ジャングルのような草木を払い、重い石をどかしていく。1日、1ヶ月、1年という短い時間軸では、風景が劇的に変わることはありません。でも、「ほんの数センチでも、確実に前へ進んでいる!」。今日振った鉈の分だけ、明日の光は必ず森に差し込みます。その小さな、けれど確かな手応えを、みなさんと分かち合いたい!!その想いだけが、私を突き動かしています。私はスーパーマンでもなく、完璧な人間でもありません。常に挫け、右往左往しては迷い悩む、弱い人間です。だからこそ、心が折れそうになるとき、自分自身に強く、強く言い聞かせるのです。「お前は決して一人ではないぞ!」 と。支えてくださる「みなさん」という存在があってこそ、私は前を向く強い力をもらっています。この泥臭く地道な一歩一歩が、いつか振り返ったときに、私と、大切な人たちを包み込む「美しく壮大な風景」に繋がっている。そう信じて。ただひたすらに、深い感謝を申し上げます。みなさん、本当に、本当にありがとうございます!!先人と大自然への敬意と、みなさんへの感謝を胸に!今日も、山へ向かいます!!もう少しだ! アイサイ橋が見えてきたぞ!!未来への風景が見えてきたぞ!!!


みなさん、おはようございます!昨日は冷たい雨が降り続き、開拓小屋の屋根を絶え間なく叩いていました。外に出ることも叶わず、薪ストーブの前で丸くなりながら、煙る窓の向こうをうらめしく見つめておりました。灰色の景色の中で、今年も咲き始めた桜の薄紅色だけが、やけに鮮やかに目に飛び込んできます。心は、焦りともどかしさで、かき乱されていました。「今日も配管作業が進まない!5月に迎える鶏さんたちの準備、本当に間に合うのだろうか……」作業着を着たまま、薄暗い小屋の中で足踏みをしているような感覚。刻一刻と過ぎゆく時間に胸が締め付けられ、雨が「恵み」であると分かっているはずなのに。自分の都合ばかりを優先しては、思わず深い、深いため息をついてしまいました。「自然を相手に生きると決めたのに、なんて自分勝手なんだろう」そうやって俯きかけた時です。ふと窓の外の桜に目を向けると、雨に打たれ、風に揺られながらも、驚くほど凛と、真っ直ぐに咲き誇る桜が目に留まりました。その姿は、まるで私に優しく語りかけてくれているようでした。「見てごらんなさい。この雨が山を潤し、あなたが引こうとしている『生命の水』を豊かにしているのですよ。そんなに急いで、どこへ行くのですか?すべてには、ふさわしい時があります。今日の雨は、あなたが迎える鶏さんたちのための『準備のしずく』。ここで足を止めている時間さえも、大きな自然の営みの一部なのです。今はただ、雨の音に耳を澄ませていればいいのですよ。――それよりも、少しは私を『きれい』って褒めてくれたら?」その瞬間、ふっと心のこわばりが解け、思わずクスっと笑ってしまいました。桜が教えてくれたのは、「待つこともまた、大切な準備のひとつ」だということ。この雨は、焦りの中で見落としそうになっていた「自然への敬意」を、もう一度思い出すための慈雨だったのかもしれません。「あなたが拓いた場所は、いつかここを走る子供たちの足元を照らしますか?」そんな桜の問いかけに、今なら胸を張って答えられます。先人たちが守り抜いてくださったこの水を再び巡らせ、美しい里の姿を次世代へ手渡したい。それが、今この地で生きる私の、何にも代えがたい喜びであり、使命なのだと。桜の花から滴るしずくを眺めながら、大きく、力強く深呼吸をしました。やっぱり、大自然のペースには到底かないませんね!ならば、「雨の日には雨の日の過ごし方」を、あるがままに受け入れるとしよう。焦りも、もどかしさも、全部ひっくるめて私の原動力に変えよう。5月にやってくる新しい命を、最高の状態で迎えるその日まで!一歩ずつ、一歩ずつ。今日も歩んでいくだけだ!!


今日も私は、いつものように山の神さまと先人たちに手を合わせ、静かな水源の森の奥で、水を引き込むための配管作業をしています。ご存知の方も多いと思いますが、私は「突発性難聴」によって、音の多くを失いました。最初はやはり、深い喪失感の中にいました。でも、毎日こうして山に入り、自らの手で土を掘り、湧き水を探して管を繋ぐ日々を過ごしていると、不思議な感覚に包まれます。外側の騒音がふっと消え去った代わりに、心の内側に、それまで気づかなかった「別の声」が静かに響くようになったのです。無心になって山の木々や土と向き合っていると、深い沈黙の中から、切実なメッセージが語りかけてくるような気がします。それは、この山を見守る「山の神さま」のつぶやきであり、命懸けでこの地の水と土を受け継ぎ、村を守ってきた「先人たち」の悲しみに似たため息です。現代を生きる私たちに向けられた、少し厳しくも、深い愛情に満ちたその「お声」を、今日はみなさんにおすそ分けさせてください。◆ 国連が警告する「水破産」と、足元で鳴る静かなSOS現在、ニュースでも水不足が叫ばれ、ついに国連が「水破産」を警告する時代になりました。私たちはその言葉を聞くたび、雨が降らないと空を見上げ、テレビに映るダムの貯水率という「数字」に一喜一憂しがちです。けれど、人が離れ、少しずつ手入れされなくなっていく山の中で土に触れていると、その「水破産」の本当の足音が、もっと深いところから響いてくるのを感じます。「天候ばかりを責めないでおくれ。みんなが当たり前のように使ってきた『水の貯金』が、もう底をつきそうなんだよ。これは決して遠い国の話じゃない。足元の大地が、水を蓄える力を失っていく静かなSOSなんだ」本当の危機は、雨が降らないことだけではありません。降った雨を、ふかふかの土が受け止められなくなっていること。命の循環が途切れてしまう未来を、山は静かに見つめています。◆ 忘れ去られた「緑の水」という貯金箱山の神さまは、怒りというより、とても寂しそうにこうおっしゃいます。「目に見えるインフラの『青い水』ばかりを気にして、大地が呼吸する『緑の水』という貯金箱のことを忘れてしまっていないかい?」蛇口をひねれば水が出る。便利な生活の中で、私たちは水がどこで、どんなふうに育まれているのかを、つい忘れてしまいがちです。森を手入れし、豊かな土を守るという一番大切なことを後回しにしてしまえば、どんなに技術が進んでも、いつか本当に地球全体が渇ききってしまう日が来るのかもしれません。◆ 茶色い川に流れる「先人たちの涙」大雨が降るたびに山が崩れ、川が茶色く濁ることが増えました。その光景は、山と共に生きた先人たちにとって、自分の身を切られるほど辛いものです。「あの濁流を見てごらん。あれは、私たちが何代もかけて汗を流して育てた『命の土』が、削り取られて流れていく姿なんだよ」自ら森という貯金箱を傷つけておきながら、「想定外の災害だ」と驚く私たち。その姿は、先人たちの目に、自然との悲しい「すれ違い」として映っているようです。◆ 結び:一滴に込められた「祈り」を感じてかつて、人は山の守り手であり、自然と共に生きるパートナーでした。「水は、ただそこにあるものじゃない。土を耕し、山の神さまと対話しながら紡いできた『手間と祈り』の結晶なんだよ」山の奥深くから湧き出る一滴の雫。それを泥まみれになって集めながら、その重みと温かさをいつも肌で感じています。毎日当たり前のように使う水には、途方もない自然の営みと、未来の子どもたちへ豊かな土を残そうとした先人たちの想いが宿っています。そのありがたさを思い出すことこそが、現代の私たちの「心の渇き」を潤す第一歩なのかもしれません。今、水源の森で響くこの声は、私たちへの最後の、そして優しい警告です。社会を大きく変えようとする前に、まずは自然に向き合う私たち自身の「心」を少しだけ見つめ直してみませんか?山は今日も静寂の中で、私たちがどう応えるかを、あたたかく見守ってくれています。


~水源から開拓地までの「生命の路」~みなさん、おはようございます!まだ唄い慣れないウグイスの声やタラの芽に、ようやく春の気配を感じる今日この頃。しかし、山の中はまだ冷たい風が吹き抜けています。いよいよ5月16日。この開拓地に300羽の新しい家族、鶏さんたちがやってきます!現在私は「何よりも優先」して、山から開拓地へと水を引く「残り1.4㎞の配管作業」に、毎日追われています。新鮮な水は、彼らが健やかに育つための大切な「生命線」であり、まさに「生命の路」だからです。みなさんに教えていただいたGPSアプリを頼りに、標高や地形を読み解き、理想のルートを調整しています。現代のテクノロジーのおかげで、作業の道筋は確かに見えやすくなりました。しかし……重いパイプを肩に担ぎ、ぬかるんだ急斜面を上り下りする過酷さは、かつて荒野を切り拓いた先人たちの時代から何一つ変わっていません。つい先日も冷たい雨に降られ、指先がかじかむような厳しい時間を過ごしました。そんな泥だらけの作業から戻った私を優しく包んでくれるのが、薪ストーブの炎と、薪で沸かしたお風呂です!!パチパチとはぜる音を聞きながら温かな湯船にゆっくり浸かり、凍りついた身体が解けていくのを感じる時……「この温もりがなかったら、とっくに心が折れていたかもしれない」と、心底ホッとしています。水源から開拓地までの総延長2kmの配管ただ効率だけを求めるなら、もっと楽な方法はいくらでもあったはずです。それでも急斜面を縫うようにパイプを這わせるのは、私が育てたいのが、ただの「鶏」ではないからです。山の豊かな恵みを飲み、この森の中で育つ、本来の生き物としての「鶏さん」子どもたちに安心して手渡せるような命の糧を育て、この豊かな森の環境ごと、未来へ繋いでいきたい。そう思うからこそ、ここは決して妥協できない「命の路」なのです。お迎えまで、あと2ヶ月!雨に濡れた記憶も、薪の温もりも、すべては新しい命を迎えるための大切な過程です。彼らが元気に、先人が山の神さまと共に育んで下さった生命の水を飲む姿を想像しながら、今日もまた一本、管を繋いできます。みなさんは、春の準備として何か新しいことを始めていらっしゃいますか?ぜひコメント欄で教えてくださいね!


〜開拓小屋、夜明けの第一歩〜みなさん、おはようございます!昨日は日曜日。外では、冷たい雨が深い森をすっぽりと包み込むように静かに降り続いていました。この雨こそが、私にとって「完全オフ」の絶対的な免罪符・・・いや、合図です。雨を認識した瞬間、それまで私を突き動かしていた張り詰めた緊張感が、まるで森の霧の中にスゥーッと溶け去るように消えていきます。心身のスイッチが全て「オフモード」に切り替わった途端、これまで感じないふりをしていた日頃の疲れが、重い鎖のように一気に全身へのしかかってきました。体中の節々が、まるで油の切れた古いゼンマイのようにギシギシと軋み、「あいたたた…」と情けない悲鳴を上げ始めるのです。現代を生きる私たちは、天候に関わらず時計の針に急かされ、雨が降ろうが休むことすら「怠惰」と錯覚してしまいがちです。しかし、かつてこの険しい山々に道を切り拓き、自らの手で荒れ地を耕してきた偉大なる先人たちは、果たしてそんな生き方をしたでしょうか?いや、絶対に違うはずです。彼らは自然の呼吸に寄り添い、「お、今日は雨か。じゃあ寝るべ!」と、自然には決して抗わず、来るべき過酷な労働に備えて命の底から豪快に休んでいたに決まっています。だからこそ、こんなオフの日は、時計も見ず、カレンダーも見ず、ひたすらに眠りに沈む。深い、深い、泥のような眠りの中に……。お分かりでしょうか。私のこの泥のような眠りも、決して単なる怠慢やサボりではありません。現代の悪しき習慣に抗い、明日再び力強く立ち上がるために先人たちが実践してきた「自然の摂理」を忠実に守り抜くための、心と体をいたわる壮大で神聖な儀式。ええ、そうですとも。私は先人を深くリスペクトしているだけなのです(笑)と・・・まあ、立派な言い訳を胸に抱き、心ゆくまで休息を貪った今日。再び、現実が始まります。それは、この深い森の領域へ切り込んでいく、果てしなき「残り1.4㎞の配管作業」この霧深い森こそが私の戦場であり、開拓小屋は、その最前線の拠点です。十分に先人の教え(という名の爆睡)を実践し、エネルギーをチャージした今。夜明けと共に霧が晴れゆく中、私は再び重い腰を上げ、一歩を踏み出します!よし やるべ!!


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