みなさん、おはようございます!今朝も、心地よい静寂の中で森の清々しい空気を吸い込んでいます。効率やスピードばかりがもてはやされ、最短距離で結果を出すことこそが「正解」とされる今の時代。そんな中、私が「あえて非効率とも思える手間」を毎日かけ続けているのには、どうしても譲れない、深い理由があります。2019年1月、更地になったかつての農園を目の前に立ち尽くし・・・あの日、吹き抜ける風の冷たさと、心に空いた底なしの穴の深さを、私は一生忘れることはないでしょう。2002年から走り続け、私のすべてを懸けてきた場所。たくさんの生命と向き合い、汗と泥にまみれて築き上げてきた景色。それが、文字通り「ゼロ」になった瞬間でした。建物の影もなくなり、ただ平らな土だけが広がるその風景は、まるで私自身の空っぽになった心の中をありのまま映し出しているようでした。かつての私は、数字や効率、成果といった「目に見えるもの」だけに心を奪われていました。「唯物論者」の極みだったと言っていいかもしれません。合理性だけを追い求めるあまり、人の心や、目には見えない大切なものを次々と切り捨て……結果としてすべてを失うという、身を切られるような大きな挫折。「これから、どう生きていけばいいのか」前に進むことすらできず、ただ立ち尽くすしかなかったあの頃の暗い闇の冷たさを、私は今でも鮮明に覚えています。しかし、今振り返れば。あの何もない「更地」こそが、私にとって本当の意味での「スタートライン」でした。すべてを失い、丸裸になったからこそ、もう一度、私自身の魂と深く向き合うことができたのです。かつてのちっぽけなプライドも、間違った執着も、すべてがあの更地に埋もれました。そして2019年2月、舞台をこの静かな旧芳井小学校跡地に移し、空っぽの手で私が相棒に選んだのは、轟音を上げる巨大な重機ではなく、一本の「つるはし」でした。「お金がなかったから」——それは紛れもない事実です。資金的な問題は山積みで、「ないものは作れ!あるものは最大限に活用する!」という必死の思いがありました。でも、あの果てしない時間を共にする相棒としてつるはしを選んだのには、もっと深い理由があったのです。燃料を喰い、ただ効率よく一瞬で大地を削っていく重機は、かつての私が追い求めていた「数字と効率の象徴」そのものに見えました。だからこそ、あえてそれに頼らず、己の肉体のみで大地と向き合うことを選んだのです。固い岩盤を前に、一日中つるはしを振り下ろす作業は、気の遠くなるような重労働でした。手のひらはマメが潰れて血がにじみ、全身の筋肉は毎日悲鳴を上げます。周りからは「非効率の極みだ」「馬鹿げている」と呆れられました。それでも、私は決してその手を止めませんでした。ガツン、ゴツンと。それはまるで、数字と効率を求めすぎてすべてを失った過去への「贖罪」のようでした。一打一打、自分の手で大地を砕き、土にまみれるたびに。不思議なことに、過去の挫折の痛みが大地に吸い込まれ、固まっていた心のしこりが解けていくのを感じました。その地味で不格好で、泥臭い営みの中にこそ。失いかけていた「本当の自分」を取り戻す、確かな時間があったのです。そんな血の滲むような日々を過ごすうちに、やがて先人たちからの「無言のアドバイス」が聞こえ始めました。もし重機を入れていたら、一瞬で壊していたであろう、先人たちが遺した数々の美しい遺構。もし重機を入れていたら、無残に踏み潰していたであろう、絶滅危惧種のガンゼキランの小さな生命。途方もない時間をかけて築き上げられた石垣にそっと触れるたび、先人たちからこう教えられている気がしました。「結果を急ぐな。手間暇をかけたプロセスの中にこそ、本当の生命が宿る」と。すべてを失った再出発だったからこそ、もう急ぐ必要などなかった。自分の手で確かめながら、這いつくばって一歩ずつ進んだからこそ、かつては見過ごしていた、豊かで美しい景色に出会うことができたのです。過酷にも思える7年の開拓生活でしたが、不思議と孤独ではありませんでした。石垣の冷たさに触れ、土の匂いを深く吸い込み、木々のざわめきに耳を澄ませる日々。それはまるで、先人たちや山の神さまから、生きていく上で本当に大切なことを一つひとつ教わる「個人授業」を受けているかのようでした。絶望の底から這い上がるためのあの日々は、私の生きる姿勢そのものを変えてくれました。だからこそ、今、この森を自由に駆け回る娘たち(鶏)への向き合い方も、かつての私とはまったく違います。結果や数字、産卵効率を急いで押し付けることは絶対にしません。その子たちが歩むプロセスをじっくりと見守り、本来持っている「生命の輝き」に心から寄り添っていく。かつての自分がどうしても気づけなかったその温もりを、これからは何よりも大切にしていきたいのです。……そうやって毎日、一羽一羽と真剣に向き合っているうちに。今では彼女たちが何と言っているのか、少しずつ「鶏語」が分かるようになってきました(笑)。これも、あの7年間の個人授業のおかげかもしれません。農業(agriculture)は、アグリのあとに「カルチャー(文化)」がつくようにまさしく「文化」です。大自然と先人の知恵に深く学び、この美しい生命のバトンを未来へ繋ぐために。私はこれからも、この場所であえて「手間」をかけ続けていきます。今、もし何かに深く挫折し、目の前の景色がすべて更地のように見えてしまっている方がいるなら。どうか、ご自身を責めすぎないでください。更地は、人生の終わりではありません!それは、過去のしがらみから解放され、あなたが本当に歩むべき道をもう一度ゼロから描き直すための「真っ白なキャンバス」なのです。不器用かもしれないこの歩みが、今、同じように暗闇の中で立ち上がろうとしている誰かの魂に、少しでも優しく響くことを願って。今日も一日、生命と真剣に向き合ってきます!いつも見守り、応援してくださるみなさん。みなさんの存在が、私の大きな原動力です。本当にありがとうございます。#しゅりの森自然農園 #農業は文化 #森林放し飼い養鶏 #あえて手間をかける#ゼロからの出発 #再生の物語 #真っ白なキャンバス #アニマルウェルフェア #三原村




