こんばんわ。毎日この時間帯に家で窓を開けて夜風に涼みながら書いている安達です。いよいよ、やっと、朝晩涼しくなりましたね!秋です!ついにサイクリングシーズンです!!ということで夏がほぼ(日中はまだ陽射しが強いですね~)終わったので秋へのワクワク感を起こしつつ夏を振り返りたいと思います。今年の夏、改めて気が付いたことがあるんです。何年も前から地球温暖化の影響で夏がますます暑くなるばかりで、夏と言えば開放的なアウトドアシーズン!なのに、水辺のマリンスポーツや標高が高いから涼しい山はともかく、サイクリングには適さないくらいの暑さになってしまって夏の自転車は楽しめないのではないかという危機感を持っていました。実際、真夏の平地で本格的に自転車をこぎ続けることは猛暑の屋外で断続的にスポーツを行うことであり、熱中症の危険性が高いです。しかしそれはスポーツとしてサイクリングをする場合であり、「観光サイクリング」のようなゆったりスピードで街なかや少し外れて川や湖沿いの道を木陰探しつつ走る分には、むしろ歩くより全然快適だということを、体感も実感もしました。「ひこちゃり」は7月19日にプレオープンしたのですが、以来積極的にひこちゃりのレンタル車体を使ってまちなかのお店さんにご挨拶に行ったり鳥人間コンテストの現場を見に行ったりとにかく市内でのちょっとした用事には自転車を使いました。乗り心地を試すのが主目的でしたが、結果的に真夏にかけて街乗りサイクリングを試してみたことにもなり、これが案外快適でした。そしてその間見かけた光景―多くの観光客が駅から降りて彦根城に向かって歩いて行っては暑すぎてどこにも寄らずまっすぐ帰ってくるだけ―を見ては、「ひこちゃりに気づいて!」「歩くより自転車の方が全然いいのに!」「歩くと暑さしか感じないから彦根城だけ見てさっさと帰りたくなる―もったいない!」と、とても思っていました。暑い→汗がとまらない→喉が渇く→徒歩で数分歩くのも辛い→不快感→観光楽しめない→早く涼しいところに避難したい…と、こうなっていたと思います。ところが自転車をゲットすると、暑いけど自分で風をつくれる→涼風ではないけど汗をとばしてくれる→喉が渇いたら自転車漕いでサッと自販機のあるところやカフェに立ち寄って喉を潤すことが出来る→たまらなく美味しく感じる→自転車があるからまだもう少し行ってみようと思える→観光を満喫できる と、いろいろプラスだと思うんです。もちろん走っているときは風を作れて汗を飛ばすことが出来ても立ち止まったらドバっと出ます。でもだらだら歩いても出るので、そこまでの過程の気分の良さを比べたら絶対自転車じゃない!?と私は思うんですよね。そして彦根で更にラッキーなのは駅から琵琶湖まで自転車で7分で着いてしまうのでライドアンドスイム、湖水浴だってすぐ出来ちゃうということです。実際にこの夏、滋賀大学在学時代に彦根に住んでいてよく琵琶湖で遊んだというお父さんが小学校低学年くらいの息子さんを連れてこのライドアンドスイムプランを満喫されていました!レンタルの電動アシスト自転車のかごに水遊びグッズ一式入れてアシストの力でスイスイ、息子くんもピッタリのキッズバイクでスイスイ♪最後は松原水泳場に隣接する亀の井ホテルの日帰り温泉で入浴もして来られたそうです。ビーチ周辺にはコンビニもカフェもレストランもあるのでお昼や休憩にも困りません。是非みなさんも真似して来年の夏トライしてみてください♪夏に彦根の観光するなら、暑さをしのぎ観光を満喫するためのツールとして、自転車がベストです☆
はい、五環生活の安達です。私は、もちろんサイクリング大好き自転車乗りです。学生時代にMTBをゲットして以来どこに行くにも自転車。ふつうなら電車で移動するような長距離にも挑戦してきたし、旅チャリツーリングも楽しんだし、地元に落ち着いてからは琵琶湖沿いよりは山の中の林道を行く方を楽しんでいました。とくに山の中にひっそりと佇む小さな神社を見つけるのが好きになってしまって、それは静かで厳かで山の自然の神と調和融合している感じに惹かれ虜になってしまっていました。20代前半の頃です。彦根に拠点を移す直前に開拓したのがこの写真にある山奥の廃村「男鬼集落」でした。彦根と言えば彦根城と城下町という印象でしかない方は驚かれると思いますが、ここも彦根なんです。私も当時多賀だと思い込んでいて信じられませんでした。もちろん隣の廃村集落はもうエリア的に多賀だったりして繋がりはあるのですが、男鬼そしてそのまた奥の武奈の集落はかつて人の暮らしがあった時代にやはり彦根と繋がりがあった、彦根に降りてきて物資調達・交換していた、そしていよいよ山奥での村の暮らしが成り立たなくなって山を降りて里の住みかとしたのは彦根だった。彦根には、男鬼や武奈集落出身の人々がいるのです。男鬼・武奈には自転車で何度も行きましたが、何度言っても奥深さに感嘆すると同時に、ぐねぐね上り坂のせいでかなり遠くに来たような気がしてしまうのですが実はやっぱり市内だなと思える近さを実感するのは下り始めると市街地まで降りて来るのがあっという間だからです。要は標高が高いんですね。すぐそこは霊仙山ですし。電波ないし(笑)。この少しの距離で、完全に異世界。琵琶湖もすぐそこ(のぼってたら琵琶湖が眺望できるポイントあります)。山も城も湖も全部近くて、自転車乗りにとってはかなり楽しめる地形です。近い近いと言いましたがお城から山や琵琶湖という横向きのことであって、彦根の湖岸を愛知川から松原まで縦に走って行くのはとても長いです。南から愛知川を越えて「彦根市」という看板を見て彦根に着いたと思ったらなかなか着きません。このときの「彦根」は「彦根城付近」という頭になっているからなんですが、走っても走ってもまだまだ彦根、お城の姿が全然見えない(泣)となるのです。彦根は、広い。ということで、まちなか路地裏探索サイクリングとは離れた話になりましたが、つまりまちなかを外れても彦根はまだまだ走るところ、見るべきところがたくさんあるということです。その延長に湖東エリアの魅力があります。それについてはまた次の機会に紹介させていただきます。▼彦根市鳥居本町にある「比婆神社」(男鬼集落へ向かう林道の途中からアクセスできる山の上の神社)への道しるべ(2019年撮影)▼その先のこんな林道の登り道を延々行きます▼比婆神社への参道のはじまり。下の鳥居。ここからがまた更に登る▼比婆山標高669m。のぼるわけですよね・・・
昨日、7月29日に発行されたばかりの『喫茶スイス1972-2022』をついにゲットしました。どこかのお気に入りの喫茶店で改めてゆっくり大事に読もうかな、と思っていたのですが、夜に開封してしまい、一気に読んでしまいました。読んだと言っても半分は写真ですが。もともとよそもの(長浜市出身)の私ですが、20年前から彦根に住んで、この喫茶スイスにも時折行きました。周りのみんなが知っている、地元からも観光客からも老若男女問わず誰からも愛されリピートされる、確かに名店でした。何よりもその飛び抜けて目立ってユニークな蔦に覆われた三角屋根の外観が彦根市街地大通り「ベルロード」に面して車からでも目に留まらないわけがなく、彦根城方面から来ると芹川に架かる池洲橋からの下り坂の途中にあって自転車だと勢いのついている頃なのですがブレーキをかけて止まりたいレストランだということが(自転車でしか来れない学生さんたちがよく来られたという文脈で)本文中のオーナーご夫妻へのインタビューの中でも触れられています。寄稿文で描かれているスイスの中の雰囲気やメニューなどについては、もうあのにおいが漂ってくるかのようでした。たしかにこうやって写真とともに本にしていただいたことで、今はもう跡形もなくなってしまった「喫茶スイス」に再開することが出来、貴重な回顧録・写真集だと思いました。この本と喫茶スイスの解体は、私にまた大学時代の都市開発論の先生の「まちは変わるものだ」という言葉を思い出させました。当時、レポートで自分が生まれ育ったまちが観光化ばかりしていく動きについて、住民としての複雑な心境を書いたら優秀賞をもらいました。何故このことを思い出したかというと、喫茶スイスの解体が、私が高校時代から通い続けた長浜の「マスカット珈琲店」が閉店し解体されたことが重なって思い出されたからです。オーナーの高齢化、後継者がいない、建物の老朽化-これらが重なってしまうと解体しかなくなってしまうのはわかります。その店の歴史に終わりが訪れ、建物が壊されるとき、そこは町の一部であり、街の風景の一部であり、あたりで暮らす人の生活の一部でもあったと実感し、喪失感を味わいます。「マスカット珈琲店」がなくなってしまったとき、長浜のまちは相変わらず「進化」し変わり続けていた。そのギャップを埋めてくれるものを見つけることが出来ないまま、私は長浜を離れることになってしまいました。そして、埋めてくれたのが彦根のまちだったんじゃないかと今思っています。「夢京橋キャッスルロード」のような観光ストリートがある一方で、すぐ隣にそこそこ広大な範囲で素朴な商店街が残っている。シャッターがおりている店もあるけれど、開けて営業している店も多い。何より、商店街の構造や個々のお店の構えはそのまま残して活かして中のリノベーションのみで新しい商売を始める外からの若い個人経営者を歓迎しサポートする動きがあるところがとても好印象で嬉しかった。観光客が好むものを入れたり、どこの観光地でも見るようなショップを誘致するのではなくて、彦根の地を好みチャレンジしてみたいという個人を応援し迎え入れて、いろんな形のそういった個々の商店の集まりが結局まちを盛り上げていくんだということをわかって期待している雰囲気が私には心地良いポイントでした。「まちは変わるもの」。変わってこそまちとして維持発展していくもの。だけどまちは基本的には住み営んでいる人のもの。そこを大事にした変わり方であってほしいと、私は願っています。そして、自転車が一番、まちのいろんな顔を見て巡ってワクワクしやすく愛着がわきやすいツールだと、信じています。▼『喫茶スイス1972-2022』をゲットした古本屋「半月舎」のある「山の湯」をバックに。(「山の湯」が銭湯として閉店しても解体されず古本屋とレコード屋として再生されているのは私にとって救いのストーリー。)
こんばんわ。五環生活の安達です。昨日は「震災と自転車」というタイトルで記事を書きました。簡単に言うと自転車って災害時に強いよね、パンク修理できる技術とキットがあれば最強だよねという話です。関する話として、今日はひこちゃりでの自転車修理について。何故ひこちゃりがレンタサイクルだけでなく自転車修理サービスも行うのか。それは、求められることを知っているからです。ひこちゃりのある彦根駅前エリアにはかつて土川昭自転車商会という老舗の自転車店がありました。周辺住民のご用達であり、学生の多い彦根では通学自転車の対応もよくされていました。大変頼りにされていたし、なんなら私たちも前身「めぐりんこ」の自転車車体や部品は土川さんから調達していました。「めぐりんこ」も同じアルプラザ彦根1Fのガラス張り店舗だったので自転車が並んでいるのを見て自転車店と思って来店された方々に、度々土川さんを紹介していました。そんな「地域の自転車店」土川さんでしたが、2022年の12月末に閉店されてしまいました。近年、個人経営のローカル自転車店はどんどん少なくなっています。自転車は、一定の人には生活必需品ですが、一度買えばしばらくは間に合うし、パンクもそうそうするものじゃありません。でも、ひとたび、壊れた、パンクした、となると、結構困りますよね。自転車ありきでまわっている生活リズムが崩れます。学生さんは通学手段に困る。車を運転できない/手放したお年寄りは買い物等移動手段に困る。駐車スペースが無い/限られているから出来る限り徒歩か自転車で来園来校を求められる子どもの送迎がやりにくい。毎日の行動がとてもやりにくくなります。だから自転車店が近くにあったらとてもラッキーです。押して持って行ったり車で運搬しなくていい距離だと。小さなローカル自転車店がなくなるほど、修理対応可能な店が限られ、距離も復帰までの時間も伸びてしまい不便です。土川さんが閉店され、五環生活が改めてレンタサイクルを同じ場所でやると決めたとき、一旦自転車店空白エリアになってしまったこの界隈の地域のみなさんのお役に立てればと思い、自転車修理サービスも始めることにしました。サービス始動してから今のところ3件承りました。いずれも地域の年配の方の普段使いのママチャリでした。「車は乗られへんから自転車がないと困るし助かったわ」と言っていただけました。自転車で巡ると楽しくて効率がいい彦根のまちは、その小路・路地裏が多いせいで、逆に市民の方には自転車がないと不便だとも言えます。だから、彦根の市民の方には自転車生活を続けてほしい。安心で快適な自転車生活であってほしい。その手助けを、五環生活がひこちゃりを通してやっていきたいなと思います。(ただし、即時対応が出来ません。そのあたり使い勝手が悪いのですが、Webサイトをご確認いただき、ご理解のほどお願いいたします。)▼おまけ:かつて彦根駅前すぐの佐和町にあった土川昭自転車商会(2022年6月頃撮影)。昭和の自転車店という感じが満載で、その構えだけでも好きな人は好きだっただろうと思われます。閉店後建物も解体され今は駐車場になっています。
こんばんわ。五環生活の安達です。今日は防災の日。関東大震災の日から101年の日です。私の世代は、大きな震災を二度味わっています。1995年の阪神淡路大震災と、2011年の東日本大震災。そして、自転車と関連付けたとき、自転車は震災直後の人々の足や必要最低限の物資輸送に重宝されたという印象が、阪神淡路大震災の頃よりありました。震災が発生すると、道路が寸断されたり電気ガス水道などライフラインが途絶えて電気の力やガソリンの力で動くものに頼るわけにはいかなくなります。一方で、生活必需品が一瞬にしてなくなってしまうのであるところまで入手しに行ったり、行方不明になった家族友人を探しに行ったり、それぞれの情報をいち早く広く拡散したりということがなるはやで必要になってきます。車も電車も動かず被災者の携帯も壊れたり間もなく充電も切れたりすると、もう自力でマンパワーでどうにか動くしかなくなる。歩くスピードでは手遅れになることも多々ある中、ちゃんと走れる自転車を見つけることが出来たら、かなりの希望を感じるのではないでしょうか。歩く走るよりはるかに速く移動でき行動範囲が広がります。おまけに燃料が尽きて動かなくなるということはない。人力なので。シンプルでスマートで子どもからお年寄りまで扱うことの出来る乗り物、自転車。非常時にはこれほど助けになる乗り物はないだろうなと思われます。その価値が見出され、被災地に自転車を送ろう、というプロジェクトも起こりました。台風からの水害で水没してしまうと泥だらけの自転車はどうにも役に立たないかなと思いましたが、しかしパンクはしてなくて基本構造が残っているのであれば泥を洗い流しさえすればまた間に合わせで使うことが出来そうです。そのあたり車だとそうはいかない。最後は、結局人の力。シンプルイズベストが残って力を発揮するものだなと思います。ここまで書いて、非常時防災バックに、コンパクトなパンク修理キットも入れておいた方がいいかもしれないなと思いました。自転車、大事にしましょう。