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現在の支援総額

18,000

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目標金額は1,000,000円

支援者数

4

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/04/05に募集を開始し、 4人の支援により 18,000円の資金を集め、 2021/06/04に募集を終了しました

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■私たちが私たちのまま、今、香港で暮らしていたなら必ずや『国家安全維持法』に反対する。いいえ。それ以前の『行政府による被選挙権の制限』や『逃亡犯引き渡し条例』にも反対して街頭に出る。香港の大規模デモはここから始まった。私たちが私たちのままに生きられないなら黙っては居られない。花南も陽大も大輔も健太も出る。それだけでは無い。クラスのみんなにも呼び掛けて一人でも多くなるようにして出る。ヘルメットや部厚いマスクは欠かせない。ゴーグルも。もっと頑丈な防御も考えなくては…。催涙ガスは強烈。機動隊が振り下ろす棍棒は暴力そのもの。 私たちは投石するのか、火炎瓶を機動隊に投げつけるかは分からない。私と花南が石や火炎瓶を投げても遠くに届かないし威力も無い。陽大・大輔・健太は違う。特に健太は野球少年。それもピッチャーだ。力強い球を放る。石も火炎瓶も力強く遠くまで届く。そして狙った処を外さない。 機動隊が出動してくると街頭は危険が一杯。その他にも群衆に紛れ込んだ私服警官が眼を光らせている。石と火炎瓶を投げた者たちを捕まえようと懸命だ。街頭に出る前には打ち合わせが大事だ。何処まで何をやるのか決めておかないとダメだ。デモでは大人しくしていても逮捕される。やり過ぎても逮捕。ボヤッとしていたら間違いなく逮捕される。逃げ方も決めなくては…。 香港には被選挙権が無い。行政府が認めた者にしか与えられない。一国二制度は終わったのだ。中国本土と同様の自由と平等しか与えられないのだ。中国共産党の一党支配が始まったのだ。香港の行政府は中国共産党の傀儡に過ぎない。香港は此処まで来てしまった。 街頭に出ても何も変わらない。  でもこの事態をNOと叫ばすにはいられない。 私たちが私たちで居る為に叫ばずにはいられない。 香港には自由と民主主義が根付いているのだ。私たちの誰かが理不尽に逮捕されたら身体を張って何としてても取り戻す。これがみんなの合意。投石と火炎瓶はひと先ず保留。デモ用の衣装をホームセンターで買い揃えた。みんなが黒の繋ぎ。白の塗料で背中と胸に『NO』を書いた。 日本でも街頭が戦場と化した時代も在った。                                 その時でも日本には自由が在った。その時に日本から自由が無くなるとみんなが認識していたら街頭はまさしく戦場となり収束しなかったと思う。 今の香港とは本質が違う。 私は街頭から戻ると香港からの脱出を考えるだろう。 私が私のまま暮らしてゆける場所を求め探す。 今の香港の若者の多くは、求め、探しているに違いない。母国を捨てる覚悟。 それ以外は中国共産党に屈服する他ないのだ。 中国本土の民主化運動は挫折した。 1976年の天安門事件。 当時の中国共産党指導部は一枚岩では無かった。指導部は権力闘争を繰り広げていた。その間隙を学生たちが突いた。学生たちは民主化を叫んで躍動した。 天安門広場の戦車の前に両手を広げて立ちはだかった一人の若者。 戦車は一瞬ためらいつつも容赦なく轢き殺した。 この映像が世界中に流れた。 学生たちへの弾圧が開始された。指導部内では強権勢力が民主化勢力を駆逐した。以降、指導部は一党支配を強め今に至る。 中国共産党指導部は自信を持っている。中国人は餓えさえしなければその時々の権力に従うと。それが指導部の支え。 当時の中国本土の民主化運動は学生が中心。 学生は外国からの支配と餓えを体験していない。 理念と自由が何よりも大切。 中国国民の多数とは違ったのだ。国民の多数は理念と自由よりも餓えと外国の支配からの解放だった。香港でも親世代は中国共産党には適わないと思っている。語り継がれた天安門以降の強権支配の恐ろしさを知っているからだ。「ある日突然理由も告げられないままに連行され拷問を受ける。気づいたら不具者になり、誰にも知られないままに抹殺される」  これが中国本土における強権弾圧の内実。 香港でもこれが始まろうとしているのだ。 今の香港は独裁に対する自由と民主主義の戦い。冷戦の終了で独裁は否と決着がついたと思っていた。しかし中国が国力を増し、アメリカとの覇権争いに語らずとも名乗りを挙げた。事実上の独裁を二〇年以上も続けているプーチン。しかしロシアはアメリカとの覇権争いに名乗りを挙げるほどかつての勢いはない。冷戦終了後にソヴィエトに組み込まれていた地方が数多く独立したのが大きい。国力が乏しくなった。今はクリミアの武力支配へのアメリカなどからの経済制裁が効いている。北朝鮮は論外。しかし独裁が揺らがない。餓死者が出るとその国の体制が変わる要因。歴史では暴力的な体制の変化が起きている。それは革命。フランス革命もロシア革命も「パンをよこせ」から始まった。北朝鮮では数多くの餓死者が出ている様子。しかし北朝鮮からの報道は無い。外国人記者の観測報道。報道の自由が無い国家ならではの国内の不都合隠蔽。 私は歴史好きでは無い。なにしろ年号の暗記が義務付けられている。それが                                楽しくない。だから歴史が動く、変わる、要因や要件を考えてしまう。北朝鮮が餓死者を出しながらも現体制を維持しつつ核とミサイル開発を進めているのは驚きを超える。これは全否定の驚き。現体制が維持できていることへの驚き。中国は上手くいっている。世界の工場は全世界が認めるところ。十四億人を超える人口の消費行動はどの企業にとっても魅力的。そして個人の年収も右肩上がり。アメリカのGDPを超える秒読みは直に始まる。 その中国には表現の自由が無い。人権思想も無い。中国に私が私のままに暮らした時には誰も気づかないまま姿を消す。それだけは確かだ。香港に住む私たちはそれを恐れている。もう少し時間が経てば香港からも私は消されてしまうのだ。それはイヤだ。私は台湾に住むのか。いや台湾も安心できない。中国は台湾を国家として認めていない。ふたつの中国は在り得ないが共産党指導部の方針。二〇〇四年から決して妥協しない『核心的利益』と云う文言を使い始めた。台湾はひとつの中国の領土と七〇年以上も主張している指導部。 デラシネの私は日本の永住権を取ろうとするのだろうか。やはり日本は住み易い。自由と民主主義を叫んでも命を奪われる危険が無い。他の選択肢はアメリカかイギリス。アメリカは嫌いで無いけれど今の大統領の下品さが許せない。アメリカよりもイギリスの可能性が高い。民主主義の発祥の地だし上品な女王陛下が今も君臨している。君臨と云っても象徴のような存在。現行憲法で天皇が象徴と規定されたのはイギリスのモデルを借りたと常々思っている私。それとブリテッシュイングリッシュは早口でも発音が聴き取れる。英会話の先生の授業でそれを体験した。先生はイングランンドの出身だった。 今の私がイギリスに行って永住権を取得するには先ずは留学。どうせ留学するのならオックスフォードかケンブリッジ。ならば私はオックスフォード。なにせ大学の中に街が在る。人文・社会科学が強く多くの著名な政治家を排出している。一方ケンブリッジは自然科学が強味。私はオックスフォードで必死になって政治学や国際関係論を勉強する。「よし。これで勉強を終えた」と思えるまで頑張る。それから私は何時か香港に戻る。生まれ育った故郷に戻る。 香港は中国から独立しなければならない。独立して自由と民主主義を大切にする香港を築きたい。独裁が国家運営に上手く機能し、強い権力基盤の下で豊かになる国家よりも、自由と民主主義がもたらす多様性に満ち、誰もが政治に参画する、そして女が活躍できる社会構造を創り上げたい。 今の香港は豊かだ。豊かさを維持し中国共産党が認める自由しか与えられないのなら貧しくなっても良い。これが香港人に問われているのではないか…■※4/12にリターンを見直しました。4/12の活動報告をクリックして下さい。


 呼吸を止めて読み終えた美子。息を大きく吸い込んだ。吐き出すと美子の眸から涙が溢れ出た。ふた筋となって両頬に零れ落ちた。 陽大が読み手を意識して書き始めたなら少し恐い。 だって私は陽大のように書けないから。  西南戦争を花南が読んだらどうなるのだろう。想像できない。間違いないのは私と同じ落涙。それからが分からない。けれど私と同じく決心する。 何かを決心する。それは分からない。                                 今は分からなくとも花南の傍らに居るのなら何時か分かる。 私が生まれる七ケ月前のクリスマスイヴの夜に陽大は捨てられた。名前を告げられないまま施設の玄関に置かれて居たんだ。クリスマスイヴは辛い。辛過ぎる。手掛かりは十二月二四日で生後二週間。母親は会津生まれ。これしか無い。これだけで陽大の出生を知るのは難しい。今は個人情報保護が周知徹底されているから園長先生が調べた時よりも難しくなっている。陽大を施設の玄関に置いて立ち去るのは保護責任者遺棄罪に該当する。法定刑は懲役五年以下。公訴時効は三年。既に時効が成立している。しかし陽大を生んだ母親は存在している。父親も居るはずだ。時効が成立していても警察がその気になれば調べられるはずだ。十二月十・十一・十二日に出された札幌市への出生届から目星を付けられるのではないか。生まれた子どもを追跡すれば追跡不能者が出てくる。それが目星。しかし出生届を出していなければお手上げ。十七年前の十二月上旬、それも一〇日に出産予定日の母子手帳の控えを調べ挙げたならこれも目星を付けられそうだ。しかし母子手帳を取得していないかも知れない。そうであるならばこれもお手上げ。陽大の母親に辿り着くのは本当に困難。病院での出産であれば記録が残っている。それもお手上げになってしまうのが母親単独での出産。今では考えられないが不可能では無い。…やはり陽大には私の応援が必要だ。評伝を読み進め、榊長左衛門さんの稿に入ってからは陽大のルーツを調べ挙げようと思い始めた。園長先生の処では、私なら調べられると思った。そう思っても調べる術が見つからない… 美子は途方に暮れた。陽大の孤独感が迫って来た。諦めてはダメ。何時か調べ挙げるチャンスが巡ってくる。それまで力を蓄えて待つ。これは私の、私だけの、私にしか出来ない陽大への応援。 美子は誓った。 何時か必ず私が母親を探し出す。陽大と云う存在は事実。陽大を産んだ母親の存在も事実。陽大が生まれた年月日も事実として今に残る。それが隠されているだけだ。隠されている事実はやがて明らかになる。それが歴史の必然。 美子の両頬の涙は渇いていた。 高二の書き込みはきっと花南を意識する。意識すると何かが変わる。陽大の意識は必ず花南をヒットする。もの凄いことが起こりそう。けれど花南をヒットしても陽大の母親を探し出すには結びつかない。花南には時間が余り無い。八方塞がりの中から一点の突破口を見つけるには消費する時間と労力が膨大。徒労に終わるかも知れないのだ。そうした無駄を孕むリスクを花南が取るとは思えない。もし花南が母親を見つけ出す決心を固めたなら二人で手分けして追及しよう。その方が見つけ出す確率が高くなる。 でもこれは私だけでトライしたいなぁ~。花南の陰に置かれた自分を意識しなくて済むから。でも余計なお節介はイヤだ。陽大は母親を知る。母親に会う。それを望んでいるのだろうか。……望まない子どもは居ないと思う。よほどひねくれていない限り、知りたい、会いたいと思うはず。これは本能のひとつ。陽大はひねくれていない。伸び伸びとした感性と知性の持ち主。おまけに努力                                家。間違いなく望んでいる。 西南戦争を超える書き込みは無かった。 それは致し方ないのだ。自分のルーツと向き合う評伝は唯一無二なのだ。 気に懸かったのが『今、香港が騒がしい』と『地球温暖化』のふたつ。『今、香港が騒がしい』は見出しだけ。 書き込みが無かった。書こうとすれば幾らでも書けるのにどうして…。 美子は陽大になったつもりで『今、香港が騒がしい』の空白を考え始めた。 メモ用紙に使っているA4を半分に切った用紙に書き込んだ。 書き上げたら花南の教科書に清書して書き移すつもり。『地球温暖化』は「俺たちが取り組まなければならないのはコレだ」とだけ。『地球温暖化』は香港の後。ふたつを同時に考えられない。■4/12にリターンを見直しました。活動報告の4/12を開いて下さい。


 花南に頼み込んで他の教科書を見せてもらった。 花南が積み上げてくれた教科書を、片っ端から捲り。書き込みを見つけると図書館のコピー機に向かった。かなりの数だった。日本史と世界史は書き込みが多く、そして文字が小さく、コピーを拡大する必要が在った。拡大するとA4に収まらない。その調整と手間が面倒だった。 美子は部屋に戻るとA4のコピー用紙と向き合った。 陽大の書き込みは教科書の(注)よりも面白かった。教科書の(注)はテストに出される確率が高い。見逃せないのが(注)。陽大の書き込みはテストにまず出ない。面白いのは陽大の興味と好奇心が赤裸々に表現されているからだ。授業での先生の話よりも面白い。陽大は自分で考えている。ひきかえ先生の話は毎年繰り返しているマニュアル。だから退屈して眠くなる。 美子はどの書き込みにも惹き込まれそうになった。 惹き込まれそうな度合いを計り整理した。 強烈が(五)。 かなり面白いが(四)。 まあまあが(三)。 おやっ。ナニコレは★。 へぇ~は(二)。 な~るほどは(一)。 気に懸かった書き込みは盛り沢山。『現国の(日本のかたち)司馬遼太郎』『漢文の片隅に日本の古代文字(漢字到来以前の文字。弥生時代の硯が発見された)』『日本史の西南戦争』『生物の人類の系譜(ホモサピエンス誕生以前の人類)』『地理の地球温暖化』『地理と地誌の違い』『数学の微分積分は何の為に在るのか。他にもΣ・λ・log・sign・cosine・tangentの意味と目的」。ちょっと変わっているのが複素数』『物理の福島原発の原子炉内の燃料デブリは取り出せるのか。取り出したとしてデブリをどうするのか』『公民のスーパーのポリ袋有料化はプラゴミの削減に寄与するのだろうか』『世界史の、今、香港が騒がしい』などなど。  良いな。花南は。陽大に包み込まれている。羨ましいな。でも花南は教科書と格闘していて書き込みに注目していない。教科書をひと通りやっつけてからと考えている。もったない。書き込みには陽大が活きているのに。花南に先回りして私が陽大と対話する。反則かなぁ~。いいえ。違う。これは陽大と私が                                心を通わせる最初の儀式なんだ。『西南戦争』は圧巻だった。 日本史の教科書の巻末の余白に細かい文字でビッシリ。 余白が足りなくなって巻頭に続きを書いていた。―新政府の要職に就き日本の近代化(中央集権化)を推し進める中心者で在った西郷が鹿児島の士族の不満に呼応して挙兵したのは新政府内の腐敗と征韓論に敗れたのが直接の因であった―が陽大の書き出し。…これは教科書の定番。誰もがそう理解している…―西郷の征韓論に反対する者たちとは明治四年に不平等条約改正を目的として欧米に向かった外交使節団のメンバーだった。岩倉具視・木戸孝允・大久保利通・伊藤博文。何れも新政府の重鎮。西郷は留守政府を預かった。幕末に威臨丸でアメリカに渡った勝海舟。福沢諭吉も随員として参加。通訳はジョン万次郎であった。帰国後の勝海舟の不戦の政治的スタンスはアメリカで決定された。福沢諭吉が帰国後任官せずに市井において学問と教育の途を追及したのもアメリカの体験(多様性)に相違ない。ペリーとの交渉で幕臣にスパイ呼ばわりされたジョン万次郎は通訳に徹していた。余談であるが榎本武揚はジョン万次郎の私塾に通い英語を習得している。榎本はジョン万次郎を『間諜』と呼ばずに『先生』と呼んだ。外交使節団のメンバーの政治的スタンスも欧米で決定された。不平等条約改正どころでは無かった。 異国に渡った日本人たちの眼に焼き付いたのは同じ景色だった。幕臣たちも新政府の重鎮たちも圧倒的なスケールと技術で近代化を支える国家の姿を見た。日本が追いつくには遠い。遠過ぎる。何年かかるのだろう。要するに打ちのめされたのだ。国内で争っている場合では無い。先ずは急ぎ中央集権を確立しなければならぬ。西郷が欧米の近代化の生の姿を一見していたならば征韓論を唱えなかったであろうし挙兵も無かった。北海道に馴染みの深い島義勇も欧米を観ていない。下野した後に江藤新平らと佐賀の乱を起こし首を刎ねられている。これも特権を剥奪された士族の反乱。反乱は鎮圧されるのが常― …ここまでだったら『な~るほど』或いは『へぇ~』止まり…―西南戦争が始まる以前に新政府は全国に通信網の整備を終えている。 明治八年。長崎経由で上海と繋がった。上海からは欧米とも。反して薩摩軍の通信手段は馬による伝令と狼煙が主。これだけでも戦さの帰趨は決する。 通信網の整備を推進したのが榎本武揚。彼のオランダ滞在は三年半。彼はオランダから開陽丸の他にも様々を持ち帰った。そのひとつが通信網の整備。 ヨーロッパの近代化と帝国主義を知った榎本が何故箱館まで新政府軍と戦ったのかは謎である。『どこの馬の骨と分からぬ薩長土肥をからかってみた』との晩年の酒席での逸話が残されている。榎本には開陽丸が在った。『この軍艦が在れば勝てる』が榎本を支えていたのは間違いの無い処。                                 榎本は通信機をブレゲ式からモールス式に替えた。ブレゲ式は一度に送る量が限られているが送る側の操作も送られた方の解読も容易だった。モールス式は一度に送れる量が圧倒的に多い。しかし送り手も送られた側の解読もどちらにも高い専門性が求められた。その技術者が日本には居なかった。これが新政府がブレゲ式を採用した理由。これが中央集権を急ぎ成し遂げようとする日本の近代化の現状であった。榎本は技術者の養成に着手。 明治一〇年の西南戦争の時には松並木をも活用し九州全土に電線が張り巡らされ、東京とモールス式で繋がり政府軍の情報収集能力はリアルタイム―          …これで『おやっ。ナニコレは★』にひとつ昇格…―山鼻屯田兵は西南戦争に出兵した。 明治九年の入村から一年後。 開拓の目途が立たない時期だった。 巨木を切り倒しても根起こしもままならぬ時期だった。 開拓長官黒田清隆の命による出兵。 新政府軍は戦意旺盛の薩摩軍の肉弾戦に苦しんでいた。 全国の警察からも抜刀隊を組織して送り込んでいる。 山鼻屯田兵には会津出身者が多い。 そこに黒田が注目した。 薩摩軍と互角以上の戦意を期待した。 抜刀隊にも会津出身者が多かった。 期待に違わず会津の者たちは奮戦した。『戊辰の仇』が合言葉だった。 時には薩摩軍の戦意を上回った。 夜襲では数々の成果を挙げている。 黒田が組織した屯田第一大隊は入村者の二四〇名。 この二四〇名に将校と下士官は含まれていない。 二四〇名が屯田第一大隊の主力である。 戦死者一名。負傷者二〇名。 俺の高祖父は会津出身の山鼻屯田兵。 榊長左衛門。 俺は五代目。 爺さんから長左衛門の戊辰と西南戦争を聞かされていた。 爺さんは命のやり取りを省いていた。 鶴ケ城から何度も出撃して戦った。剣の達人だった。藩の序列では二番目。副指南役を務めていた。白虎隊が鶴ケ城が燃え、堕ちたと、遠くから観て錯覚。自害したのを惜しみ悔やんでいた。薩摩の剣は剛力で頑丈な剣だったと。ふたつの戦さも生き延びた。剣が長左衛門の命を繋いだ。開墾がひと段落すると子どもたちに剣道の道場を開いた。ワシもその門下の一人。今でも忘れないのは剣を握った時の眼光。子ども心に残っている。あれは殺気だ。村に語り継がれているのが冬眠前の気が高ぶっている雄の羆の首を一刀で切り落とした。これ                                は伝説になっている。一刀で首を刎ねないと羆の反撃にあって殺られる。その羆の毛皮が記念館に飾られている。入村者にとって怖いのが狼と羆。開拓とはそんな怖さが身近に在る。陽が落ちたら子どもは絶対に外に出られない」― 山鼻屯田兵が西南戦争に出陣したのは知っていた。小五の課外授業で山鼻屯田記念館に行った。記念館は学校の隣に在った。その時に知った。 屯田兵全員が一枚の写真に写っていた。二四〇名の集合写真では顔が識別できない。小樽から船に乗る前の山鼻での記念の集合写真。 その中に榊長左衛門さんが居たんだ。大きさが三メートルもある羆の毛皮が在ったのを覚えている。それが榊長左衛門さんが一刀で両断した毛皮。 西南戦争は遠い時代の歴史のひとコマ。それも北海道から最も離れた鹿児島での内戦だった。私が住んでいる山鼻は屯田兵が拓いた地域。これも遠い時代の出来事。私の今からはかけ離れている。それが陽大の書き込みで近づいてきた。陽大は身近な自分のこととして記憶。今も語り継いでいる。 これが知識では無い血の通った歴史なんだ。…『まあまあ』を超えてふたつ昇格の『かなり面白い』に…―俺は爺さんの語りを聞く度に不思議な気分に包まれた。 爺さんにはルーツを記憶している誇りが在った。 高祖父の榊長左衛門と俺は血が繋がっていない。 爺さんとも繋がっていない。 榊家のルーツは俺のルーツでは無い。 俺は俺のルーツを知らない。 知らなくとも今は榊家の長男として大切に育てられている。 榊家のルーツに接する度に俺のルーツを知りたくなる。 それは叶わない。 俺にはルーツと結びついたIdentityが欠落している。 だからどうだって言うんだ。 過去よりも今だ。 今が無ければ未来は無い。 ルーツを知らなくても生きてゆける。 けれど何かが欠落している。 その欠落が妙な不思議感になる。 こんな感覚を誰にも伝えられない。 爺さんにも婆ちゃんにも父さんにも母さんにも。 みんなを不安にさせてしまう。                                俺は吉岡園長を訪ねた。「今日来たことは家族に内緒にして欲しい。俺が捨て子だったと小っちゃい頃から気づいていた。両親を指導員の先生や職員に尋ねても誰も知らないからだ。園長先生が俺と養子縁組してくれて俺には戸籍ができた。そして今は榊家の長男になった。何ひとつ不自由が無い生活を送っている。大切にされている。時として捨て子だったことを忘れてしまう。でも時折何かの拍子で思い出す。だから今日園長先生に会いに来た。俺は何処でどのようにして捨てられていたのか…。捨てた両親は誰なのか…。それを知りたい。教えて下さい」「家族に内緒は心得た。陽大が何時か訪ねて来ると思っていた。尤もな疑問だ。陽大にとっての過去は小三までとそれ以降でしかない。問題は小三以前だ。それも出生の時だ。両親の存在は本当に誰も知らないんだ。陽大はこの施設の玄関に置かれていたんだ。クリスマスイヴの夜に置かれていた。母親が書き残したと思われるメモが籠の中に在った。『この子をお願いします。生後二週間です。申し訳ありません。私は会津出身者です』。 施設には沢山の大人が居る。陽大をしっかりと育てようと大人たちは誓った。今と違って監視カメラが備えられていなかった時代だ。映像に記録されているものは何ひとつ無い。手掛かりは会津だけ。これだけでは追跡できない。母子手帳の控え。出生届も職権で調べた。会津出身者の戸籍も可能な限り当たった。しかし何も出て来なかった。せめて名前だけでも判明していれば…。実は私も会津出身者の子孫。君のお母さんは私が会津出身者と知っていたと思う。それを頼りにした。私を会津出身者と知っている知人縁者友人を片っ端に当った。その中に出産した女性は居なかった。そして会津の縁が在って榊さんと出会った。私が陽大に伝えられるのはこれがすべてなんだ」「そうですか。クリスマスイヴの夜だったんだ。俺の誕生日は十二月一〇日。それが不思議だった。それが今日分かった。園長先生。ありがとうございます。来て良かった。爺さんが榊家のルーツを俺に語った意味も分かりました。俺も会津と無縁では無かったんだ。骨を折ってくれたんですね。感謝します」「榊家とは古い付き合いなんだ。私は山鼻屯田兵の四代目。もう一四〇年以上の付き合いだ。安心して榊さんにお任せできるから…」「婆ちゃんから…過去を恨んだり、呪ったりしてはイケナイ。恨んだり、呪ったりしたなら、それだけの人生しか送れない。前を向けなくなる…と言われています。俺はそれを座右の銘に据えています。だから俺は大丈夫」― これは教科書への書き込みでは無い。陽大の評伝だ。陽大の文は流れが良い。淀みがないから読み易い。読み易いと内容に惹きつけられる。でもこの書き込みは読み手を意識していない。自分だけに自分に向けて書いている。 書き出しの西南戦争から何と云う展開。…『強烈』を超えてしまった。想定していなかった『圧巻』…


 陽大から譲り受けた高一の教科書を花南が見せてくれた。 処々に書き込みが在った。「書き込みには興味津々。でも教科書をやっつけてから対話する」と花南。 美子の予測通りだった。花南ならそうする。花南は目的を見喪わない。書き込みに興味を持っても寄り道しない。今は高一の教科書をやっつけるのにまっしぐら。やっつけると花南は書き込みと対話する。それはそう遠くない。                                 すべての教科書に書き込みが在った。 …花南には悪いけれどひと足先に陽大と対話させてもらう…  陽大の教科書の書き込みは最初と最後のページが多い。最初と最後はどの教科書も余白が多い。真っ白が一ページ以上も在る。美子は花南に断りを入れて数Ⅰの教科書を開いた。見開きの余白に書き込みが在った。『円周率が3.5よりも小さいことを証明せよ』  ―偶然、東大の数学の入試問題にこの設問を発見した。東大も面白い問題を出すものだ。要するに考える力試し問題だ。ここでの力試しとは背理法を用いた演繹。背理法は証明問題には欠かせないが授業ではまだ触れられていない― 陽大の書き込みはこれだけだった。解いていない。  「花南。あんた。この『円周率3.5』の設問を解いたの…」「まだ高一の教科書は半分くらい。最後まで眼を通していない」「そうなんだ。面白いよ。学内の定期テストには絶対に出ない。花南。『円周率が3.5よりも小さいことを証明せよ』だよ」「円周率って円周の距離を測定する時の数式でしょう。円の直径×3.14。しかしこれは無理数で終わりが無い。何処までも続く。1÷3と同じ。それで3.14でOKになっている。でもそれでは証明したことにはならない」 「面白そうだから私やってみる。陽大は解いていない。解けたら自慢できるかも…。花南はどうする」   「教科書の最後まで辿り着いたら考えてみる」 美子は証明方法を考え始めた。 陽大は背理法を用いると書いている。背理法って3.5が正しい仮定する。ここから追及して正しくない結果を明らかにすれば3.5よりも大きいか、小さいかを証明できる。直径10センチ・高さ10センチの円柱の筒を作る。3.5が正しければ10×3.5×10で筒の体積が判明する。350CCが筒のキャパ。3.5が正しければ計量カップに入れた350CCの水が全部入る勘定になる。実際に用意した350CCの水は全部入らない。零れる。よって円周率は3.5よりも小さい。この証明の最後は円筒を作っての水入れの実験。これで完璧。「花南。できた。ごめんね。勉強の邪魔して」 明日は陽大を学校中探して自慢すると決めた。 美子は別棟の二年生の陽大のクラスに出向いた。陽大は居なかった。 陽大は「二年生になったら陸上部に入る」と。 トレーニング室を覗いた。 陽大はバーベルと向き合っていた。 美子は陸上部のトレーニングを知った。陸上部は重いのを避ける。重くない、と云っても三〇キロから四〇キロを両肩に載せてスクワット。三〇キロでも美子にとっては限界の重量。それをジャンプして前後開脚を交互に。これも一〇回で一セット。それを三セット。 陽大は涼しい顔でこなしている。                                 陽大と眼が合った。「おう。美子。もう直ぐ終わる」「うん。待っている。今日は自慢したくて来たんだ」 陽大は無言でバランスボールに乗って体幹を鍛えている。 陸上部に入ったばかりの時は六〇秒丁度のタイム。四百のハードラーよりも五秒も遅い。陽大は「ひと月で一秒縮める」と宣言。目標は五〇秒。インターハイの地区予選を突破するには五〇秒を切らなくては次に進めないらしい。 この時から放課後に陽大の練習を人目につかぬよう見守るのが美子の日課に。…本当に一ケ月で一秒も縮められるのだろうか。それも毎月一秒。分からないから練習するんだ。縮めたいからキツイ練習を繰り返すんだ。私にはできない。陸上部に入ってマネージャーしようかな。ただ見ているだけではつまらないもの。陽大を応援するには見ているだけでは足りない。トレーナー兼マネジャーはどうだろう。マネジャーは難しくない。今直ぐにでもできる。トレーナーは整体を勉強して実践の技を身につけなくてはダメだ… 美子はトレーナー養成の教室を探した。 探せば在るものだ。 サッポロ市のカルチャー教室に在った。受講料が半年で二万四千円と格安。開校は六月。間に合う。ここを修了すれば来年の四月から陸上部に入れる。「美子の自慢はナニ」 陽大がタオルで頭と顔の汗をぬぐっている。「トレーニングの邪魔したみたい」「大丈夫。決めたスケジュールはしっかりと消化した」「花南にプレゼントした高一の教科書を花南に見せてもらった。そしたら数Ⅰの教科書の巻頭の書き込みに『円周率が3.5よりも小さいことを証明せよ』が在った。東大の入試問題と書かれていた。『東大も面白い問題を出すものだ』とも書いていた。けれどそれだけ。解いていなかった。だから解いてみた。それを伝えたくてさ」「へ~え。そうか。思い出した。確かにそう書いた。それで美子の答えは…」 美子は「直径10センチ。3.5。高さ10センチの筒をボール紙で造る。これに350CCの水を入れる。すると水が零れる。これで自慢できるかな…」。「そう云うアプローチも在りだな」「陽大の解き方は…。教えて」「俺は直径10センチだと円周は35センチになるから35センチの伸縮しない細い銅線を用意した。それを直径10センチの厚紙で作った円筒に合わせた。すると余りが出た。これが俺の背理法を用いた解き方」「な~んだ。陽大も解いていたんだ。私。馬鹿みたい。全然自慢できない」「そんなことない。自慢して良い。零れる水の方がドラマチックで面白い。俺の解き方は面白くも何ともない」「でもさ。陽大の解き方はシンプル。手間がかからない。Simple is Best」 美子はこの時に陽大の懐の深さを実感した。                                 これみよがしに解いた答えを書き込んでいない。私なら書き込んでしまう。陽大は解いたならば書き込む必要なしと考えている。それに陽大は脳味噌までを筋肉にしてタイムを縮めようとしていない。脳をフル活用して筋肉に指令を発している。速く走る為に学んだ彼是を活かそうとしている。筋トレもそのひ                                とつ。速くるためのメニューも自分で考案。   『円周率3.5』から美子は陽大の書き込みの全貌を知りたくなった。■4/12にリターンを見直しました。活動報告の4/12をクリックして下さい。 


 金曜日。三人は『ペペロンチーノ』に集合した。 早川瑞希が先に着いていた。 美子と花南は待ち合わせの時間通りに着いた。 美子と早川瑞希が眼を丸くした。「初めまして。仲美子です。早川さんもベリーショートなんですね」「早川瑞希です。初めまして。三人とも同じ。これって凄い」「わたしも美子に勧められてベリーショートになってしまった」「花南。あんた。知っていたんだ」「うん。美子と瑞希さんを驚かせたかったんだ」 予約した席に座ると三人を先ず注目したのがウェイターだった。 それからは通りかかる客のすべてがチラッチラッと三人を観た。「何か。芸能人になったみたい」と美子。 頷く花南。「ホントね。これってちょっとイイ気分」と早川瑞希が微笑んだ。 美子は早川瑞希の微笑みに惹き込まれた。…これが花南が言っていた「こんな素敵な女の人を見たことが無い」… 憂いの在る眸と瞳が柔らかい。 時折、眸と瞳が開き、無邪気に、楽しそうに私を見つめる。 見つめて何かを語りかけてくる。 見つめられると雑念が消えてしまいそう。 見つめられると素直になってしまう。 心を覗く視線では無い。 今の一瞬の楽しさを共にしている悦びが伝わってくる。 何も語らずとも饒舌、そして優しい。…良いな。こんな大人に成りたいな… 身体つきが大人。比べると私と花南はボールペン。 私たちも三〇歳になったらこんな成熟した女になれるのだろうか。「早川さん。矢野先生にお世話になりました。五〇万円で示談してくれました。                                おまけに花南のマブダチだからと云って二割の報酬を一割に値引き」 美子は…私も矢野先生との不倫を知っています…と言ったつもり。「花南から聞きました。矢野ぴーは才気ある頑張る子どもが好きなの。知らずうちに応援している。面倒見が良い。そんな処に私は魅かれた」…そうなんだ。私にも不倫を隠さないんだ。花南の友達だからなんだ… 美子は「これからどうするの」を尋ねたかったけれど、シアワセそうな早川瑞希の眸と瞳に見つめられると、無粋に思ってしまった。無粋を承知で尋ねても「なるようにしかならない。私は今シアワセなの。今のシアワセが大切」と潤んだ眸と瞳で応えるに違いない。…やっぱり。特別な人… それだけが美子の脳裏に刻まれた。  花南が早川瑞希から教わったヴイキングの料理の取り方を美子に伝授。「少しずつ取ると色んな料理に触れられる」 美子は花南に従った。「この店の売りのひとつが店の名前と同じペペロンチーノ。でも昼休みには絶対食べられない。ニンニク臭が気になって。今日は花南も私もお休み。美子はニンニクは大丈夫かな。これって女子会みたい」 早川瑞希が、眼球をクルクル回して、微笑み、美子を見つめた…彼女の微笑みには癒しが在る。どうしてなんだろう…「花南のお陰で美子とトモダチになれた。時々女子会しましょう」「花南も私も子どもですが女子会大賛成。花南は…」「大賛成に決まっている」 女子会は月初めの金曜日に決まった。 彼女にそっと見つめられるとシアワセに誘われる。私も花南も何時も肩に力が入っているみたい。彼女の誘いとは脱力。いいえ。違う。リラックス。力みが抜けて在りがままの自分で居られる。落ち着きが在って物静かな美人。それに今を楽しんでいる。今が充実して居るからだ。周囲を和ませ、シアワセに誘う潤んだ眸と瞳。花南が言った通り本当に素敵な大人。 美子は、今夜、一歩だけ大人の階段を上った。■4/12にリターンを見直しました。活動報告の4/12をクリックして下さい。