クラウドファンディングの文章は、一旦、自分で書いたあと、ほにゃらの仲間や介助者に読んでもらい、「ちょっと長いかな」「タイトルはもう少し分かりやすく」など、アドバイスをもらい、何度か書き直したので、自分でもなかなかの力作だと思っています。その文章をただ今、英語に訳しています。私は言語障害もあり、ほとんど英語が話せないため、特に自分の今までの経験を英語に訳した文章を、国連の審査委員の方々に手渡しできれば、自分の想いを届けられるかなと考えています。ただ問題は、自分の英作文に自信がないこと。8年前、ボストンに留学していたときは、そこそこ得意だったのに、今は全く自信がない。誰か、私の英作文、添削してくれないかな~と思い、Facebookで呟いたところ、すぐに数人の方から「添削してもいいよ」と連絡をいただきました。ありがたい限りです。ぜひ、お言葉に甘えさせていただきます。たくさんの人との出会いで、自分はここまで来れ、たくさんの人のご協力で国連に行けることに改めて感謝しながら、精一杯ジュネーブで、伝えるべきことは伝え、たくさんのことを吸収して帰ってきます。ブログの英文を全部印刷するのは長いので、英文はホームページに公開し、QRコードを印刷したカードを審査委員の方々にお渡ししようか、検討中です。また完成したら、ご報告します。
昨日に引き続き、カナダのインクルーシブ教育事情を聞いた感想をつらつらと書きます。池野さんは、カナダのインクルーシブ教育の研究者シェリー・ムーアのYoutubeチャンネル「Five Moore Minutes」を引用しながら、インクルージョンという概念を改めて考えることを提案してくれました。インクルージョンというと、マイノリティの人たちをいわゆる「マジョリティ」と呼ばれる人たちから分離することなく、混ざり合って存在することという意味が強いですが、では、「マジョリティ」とは誰のことなのでしょうと。 それを聞いて、私はハッとしました。高校時代、学校の中ではっきりとした障害のある生徒は私1人だけで、自分の障害ゆえの悩みは誰とも共有することはできないと思っていました。しかし、今考えれば、現に同じクラスにトランスジェンダーの友人がいたし、もしかしたら同じ学校の中にLGBTQの当事者がもっといたかもしれない。障害のある家族がいたり、自分のルーツが外国にあったりして、誰にも言えない悩みを抱えている同級生もいたかもしれない。そう考えていくと、完全にマジョリティに属している人は実は1人もいなくて、みんな、それぞれの背景や悩みを抱えながら、同じ学校に通っていたのかもしれないと思いました。数え切れない多様性を持ち合わせた子どもたち一人ひとりが、同じ教室で自分らしくいられるように、学校の環境や支援体制を整えていくことが、インクルーシブ教育をつくることかもしれないと感じました。
先週末は、東京インクルーシブ教育プロジェクト(TIP)の仲間と一緒に、元TIP運営委員の池野絵美さんから、カナダのインクルーシブ教育事情についてお話をお聞きしました。池野さんは2年半前まで関東圏で教員として働いていましたが、インクルーシブ教育を学ぶため、今はカナダのバンクーバーに留学しています。バンクーバーでは、公立学校には特別支援学校や特別支援学級はなく、どんな障害があっても、他の生徒と同じクラスの一員として、学習に参加することが基本になっているそうです。支援が必要な子どもには、大学や教育委員会の養成コースを修了した専門の支援員が配置されます。池野さんのお話を聞いて、バンクーバーの学校の特徴で一番印象に残ったのは、学校の中で子どもたちに関わる大人が先生以外にもたくさんいることです。支援員はもちろん支援が必要な子に付きますが、その子の周りにいる同級生たちにも気を配り、困っていそうな生徒がいれば、特に障害がない生徒であってもサポートします。必要に応じて、理学療法士や言語聴覚士など様々な専門職が学校に来て、子どもたちと関わることもあるそうです。先生は授業を教えることが仕事であるため、休み時間などの子どもたちの見守りは教員以外のサポートスタッフに任せます。日本でインクルーシブ教育を進めようと考えると、学校の先生たちの負担が増えると思われがちですが、様々な障害のある子に対応するために、様々な専門職を学校に入れて、障害のある子だけでなく、すべての子どもたちを多様な大人がそれぞれの立場で支援していく形なら、インクルーシブ教育を進めていくことが学校の先生たちの負担軽減にもつながり、もっと余裕をもって子どもたちに関われるようになるのかなと思いました。
「普通学校」という言葉に違和感を持つ人もいらっしゃると思います。特別支援学校に通っている子どもたちにとっては、特別支援学校が「普通」だという考え方もあることも理解できます。市町村に1つもなく、他の市町村の学校に通う場合もある特別支援学校に比べ、それぞれの地域にある小中学校は「地域の学校」と呼んだ方が正確なのでしょう。しかし、私自身の子ども時代の中では「普通学校」と言うことが多かったたため、クラウドファンディングの中では「普通学校」と呼ばせていたきました。そして、日本の多くの地域では、障害のない子にとっては、家の近くの小中学校に就学するのが「普通」「一般的」で、学区の広い私立の小中学校に通わせるほうが「特別」だとみなされると思います。この場合の「特別」は、一般の小中学校とはひと味違う、その家庭の教育方針に合致したり、本人の興味関心に特化した学びを提供するという意味であり、いい意味の「特別」だと思います。障害児は特別支援学校に通うのが「普通」だと思ってしまうのは、本当は家から近い小中学校に行きたいのに、「受け入れてもらえない」とか「必要な支援が受けられない」という理由で、仕方なく家から遠い特別支援学校を選ばざるを得ない状況や、そもそも「障害があっても、家の近くの小中学校に通う権利がある」と教えてもらえないからではないでしょうか。どんな障害児も、障害のない子どもと同様に、家の近くの小中学校に通い、小中学校の中で必要な支援を受けられるのが「普通」で、家庭の教育方針や本人の興味関心に特化した特別な教育を受けさせたいから、わざわざ家から遠い特別支援学校に通わせるという認識になれば、特別支援学校の「特別」もプラスの意味に捉えられるのではないでしょうか。「なぜ障害があるのに、地域の小中学校に行くの?」ではなく、「家の近くの小中学校でも必要な支援は受けられるのに、なぜわざわざ家から遠い特別支援学校に行くの?」と聞かれる社会を作りたいです。
な、なんと、プロジェクト開始10日にして、当初の目標だった介助者2人分の渡航費86万円を達成いたしました。そして本日までにちょうど100人の方々からご支援をいただきました。本当は、おひとり、おひとりにお礼のメッセージをお送りしたいのですが、ジュネーブ出発の準備や事前勉強のために、なかなか直接お礼を伝える時間がとれず、申し訳ありません。ご期待に添えるご報告ができるように、頑張ります。正直、私は数年前まで、普通学校に通う障害児を応援したいと思いつつ、自分の子どもの頃の辛かった記憶を思い出すのが怖く、まっすぐインクルーシブ教育と向き合うことから逃げていました。でも、障害の有無に関わらず、思いを共にするたくさんの仲間のおかげで、ゆっくりゆっくり、自分の過去と向き合うことができ、普通学校に通う障害児が自分のような辛い経験をしないように、必要な支援を受けながら、障害のない同級生と同じ教室で過ごすことが当たり前になるように、自分のできることを探し続けたいと思うようになりました。今も時々、昔の傷跡がヒリヒリすることがあるけれど、その傷跡のおかげで、「必要な支援や教室環境の調整をせずに、ただ障害児を普通学級に入れるだけでは、インクルーシブ教育とは決して言えないのだ」と、自戒することができています。今回、これだけ多くの方からご支援をいただき、ジュネーブから帰国した後も、普通学校に通う障害児や親御さんが置かれている現実をまっすぐ見つめ、インクルーシブ教育の権利を保障するためには、普通学級の環境や支援体制を整える必要があるのだと、社会に伝え続けていく覚悟が改めてできました。このクラウドファンディングの最終目標は、どんな障害があっても普通学校に通うことは国連が認めた権利であり、日本がその権利を保障しているか、この夏、国連が審査することを多くの人に知ってもらうことです。そのため、当初の目標金額である介助者2人分の渡航費費は達成しましたが、次の目標を私の渡航費も含めた129万円とし、プロジェクトを継続させていただきます。引き続き、情報拡散にご協力よろしくお願いいたします。