いよいよ、ジュネーブ出発まであと4日!国連で審査委員の方にお渡しする予定のカード!できました。カードのQRコードを読み込むと、クラウドファンディングの本文に書いた、私のこれまでの経験が英語で読めます。審査委員の方に受け取ってもらえますように。





現在の支援総額
1,381,500円
目標金額は430,000円
支援者数
154人
募集終了まで残り
終了
このプロジェクトは、2022/07/14に募集を開始し、 154人の支援により 1,381,500円の資金を集め、 2022/08/14に募集を終了しました





現在の支援総額
1,381,500円
321%達成
目標金額430,000円
支援者数154人
このプロジェクトは、2022/07/14に募集を開始し、 154人の支援により 1,381,500円の資金を集め、 2022/08/14に募集を終了しました
いよいよ、ジュネーブ出発まであと4日!国連で審査委員の方にお渡しする予定のカード!できました。カードのQRコードを読み込むと、クラウドファンディングの本文に書いた、私のこれまでの経験が英語で読めます。審査委員の方に受け取ってもらえますように。
「インクルーシブ教育がインクルーシブ社会をつくる」頭では分かっているつもりだったが、じゃあ、障害のある私が普通学校に通ったことで、インクルーシブ社会に近づいたのか疑問に思っていた。もちろん、少なくとも中学時代まで、私が受けたのは統合教育で、そもそもインクルーシブ教育ではないのだが。 そんな私の考え方が変わったのは、今年に入り、高校時代の友人である間々田久渚が代表を務めるLGBTQ支援団体『ハレルワ』のオンラインイベントに参加した時のこと。その時、私の近くに介助者はいなく、ハレルワのイベントにも初めて参加したため、私が話しても誰も聞き取れないと思い、黙ってイベントを聞くだけにしようと思っていた。しかし、フリートークの時間になり、しばらくすると、「かわばっちも何か話してよ」という間々田の声がした。不意に高校時代のあだ名で呼ばれ、びくっとしたが、渋々、「今、介助者がいないから、通訳できないんだよ」と彼に言うと、「分かった」と一言。これで話さなくて済むと安心したのも束の間、次の瞬間、なんと彼は他の参加者に私のことを紹介しだした。「川端さんは私の高校の同級生で、脳性麻痺という障害があります。言語障害もありますが、何回か聞き直せば、聞き取れるので大丈夫です。」 私の紹介をし終えると、「…ということで、かわばっちも何か話してよ」と再び間々田の声。 「これは逃げられないな」と思い、私は渋々、自分の声で話し始めた。間々田は私の話に相づちを打ちながら、時々、他の参加者に私の話を通訳する。高校卒業後、10年以上会っていなかったことが嘘のように、彼は私の話を聞きとった。 専門知識はないのに、私の障害のことを何の躊躇なく他の人に説明してしまえること。言語障害を気にして話さない私に、余計な気を遣わずに「話してよ」と言ってしまえること。もし私が高校時代、特別支援学校に通い、間々田と同じ教室で過ごしてなかったら、私と彼が友人になることもなく、彼が言語障害のある人と当たり前に話せるようにはならなかったかもしれない。 海老原さんの言っていた「インクルーシブ教育はインクルーシブ社会をつくる」とは、こういうことだったのか。初めて、その言葉が自分の中でストンと落ちた気がした。そのことを真っ先に伝えたいと思った人は、その時はもうこの世界にはいなかったが。 海老原さんが伝えてくれたこと、今度は私が誰かに伝えられるかな。頼りなくてヒヤヒヤさせてしまうかもしれないけれど、笑顔で見守っていてくれると嬉しいなあ。
いよいよ、クラウドファンディング終了まであと4日、ジュネーブ出発まであと6日になりました。皆様のご協力のおかげで、昨日の時点で、127人の方々から111万円のご支援をいただきました。開始する前は、権利を主張することがなぜか良くないことに思われがちな日本で、「どんな障害があっても普通学校に通う権利がある」と言ったら、批判されることもあるかもしれない、介助者1人分の渡航費が集まればいいかなと思っていたのですが、始めてみると、予想を遥かに超える方々からご支援をいただき、私が伝えようと思っていることは間違いではないと改めて確信すると同時に、こんなたくさんの人が賛同してくださっている想いを、きちんと国連の審査委員の方々に伝え、どんな障害があっても普通学校に通うことが当たり前の日本になるために、ジュネーブから帰国後も、私のできることをやり続けなければと、身の引き締まる想いです。当初の目標だった介助者2人分の渡航費は、お陰さまですでに達成いたしましたが、介助者2人と私自身の渡航費を含めた129万円まで、あと18万円です。挑戦終了まであと4日。これまでの皆様のご協力に感謝するとともに、今一度、お知り合いへの情報拡散のご協力、よろしくお願いいたします。
「インクルーシブ教育がインクルーシブ社会をつくる」海老原さんがいつも言っていた言葉だ。大人になって、街中で障害者に会ったとき必要以上に戸惑ったり、「障害者はいない方がいい」と思ってしまうのは、子どもの頃に障害のある友達と関わった経験がないからだという。 頭ではその通りだと分かっていた。大学卒業後、初めてほにゃらの事務所に行った時、私自身が他の障害者とどう関わっていいか分からなかったのは、子ども時代に自分以外の障害者と話す経験が全くなかったからだ。もし、どんな障害があっても普通学校・普通学級に行くのが当たり前で、同じ学校に私以外にも色んな障害のある生徒が、障害のない生徒と混ざり合っている環境だったら、普通学校でも自分以外の障害のある子どもに会うことができ、「自分以外にも障害のある人が近くにいて当たり前」という意識が、ずっと普通学校で過ごしてきた私の中にもできただろう。(続く)
海老原さんと一緒に活動する中で、中学時代の自分が介助員から虐待を受けたのは、自分が普通学校に通ったからではなく、障害児の支援を、当時大学を卒業したばかりだった介助員1人に任せ、介助員が障害児との関係に悩んでいても、誰にも相談できない環境や、障害児が毎日、学校の階段から転がり落ちていても、誰一人、教員が異変に気づかない環境が悪かったからだと気づいた私は、自分の過去と向き合うことにした。そうすることで、同じ経験をする障害児が出てくるのを防げるのではないかと思った。 でも、そのときの私は、中学時代の介助員や担任のことを気にするあまり、当時の経験を公にしてもいいのか迷っていた。TIPの他の仲間からは「自分を傷つけた人のことをなぜそこまで気にするのか」と叱られたこともあったが、海老原さんは何も言わずにただ見守ってくれた。 そして昨年夏ごろから、偶然、色んな機会が重なり、私は中学時代に受けた虐待について、色んな所で話すようになった。(海老原さんが亡くなってから聞いた話によると、私が中学時代の虐待について話すようになった1つのきっかけを作ったのは、まさかの海老原さんだったらしいが。恐るべき策士(笑) もう自分の経験を全て公にし、もう二度と同じ経験をする障害児が出てこないようにするために、自分の経験を活かしていこうと決意し、そのことをFacebookで書いたとき、海老原さんから「よく生きてきた。舞ちゃん、大好き」というコメントをもらった。短いコメントだったが、とても嬉しかった。 これからはもっとインクルーシブ教育について深い話を海老原さんとできるといいなと思っていた矢先に、海老原さんの訃報が届いた。(続く)