2021年3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。昨年は帰還困難区域を除くすべての避難指示が解除され、東日本大震災・原子力災害伝承館の開館、三陸鉄道の二度目の全線復旧など、東日本大震災からの復興を象徴するような出来事も多く見られました。その上で、復興庁の設置期間は2031年3月末まで10年間の延長が決定。21年度以降、地震・津波被災地では産業復興などに取り組み、特に東京電力福島第一原発事故の被災地では生活環境整備や被災地への帰還などに重点を置く方針で、各地の復興はこれからも続いていきます。震災から10年が経った今日の課題を通じて、被災地の未来を考えます。
改めて振り返る、東日本大震災の被害規模
2011年3月11日(金)14時46分、三陸沖に起きたマグニチュード Mw 9.0、最大震度7の大地震。この地震につづけて15時過ぎから16時ごろにかけて、大きな津波が起こり、東日本の太平洋側の地域が大きな被害を受けました。
9m以上の高さの津波が街を飲み込み、建物の5階まで浸水した地域もありました。東日本大震災の死者のほとんどが津波による被害とされ、現在も行方不明である2,527人の方の捜索活動は、いまもなお続けられています。
また、この震災によって避難した人は最大で約47万人。現在も4万1,241人の方が本来の自宅以外の地域や仮設住宅などで暮らしています。
故郷に戻れない、現在進行形で続いている福島第一原発事故被害
福島では現在、3万6,192人が避難生活を余儀なくされており、そのうち2万8,959人が県外で暮らしています (※) 。また、復興庁や福島県、各町が令和2年に行った「住民帰還意向調査」によると、双葉町、大熊町、富岡町、浪江町では元住民の約半数近くが「戻らない」と回答するなど、長い避難生活を経て、「もう故郷に戻らない」「戻れない」元住民も多くなっています。被害を受けた人にとって、より良い選択はどちらなのか、問題はいまも続いています。
2011年3月11日の地震と津波によって、福島第一原子力発電所が停電し、高温になった核燃料を冷やすのに必要な電源を喪失し、燃料が露出して融解をおこすメルトダウンが起きました。大量に発生した水素が爆発して建物が大破したこの事故は、国際原子力事象評価尺度において「レベル7(深刻な事故)」という最も危険性が高い事故とみなされる非常に大きな事故でした。放射性物質も大気、土壌などへ放出され、震災直後は、15万4,000人もの人が避難を余儀なくされました。
11年目を迎える復興、いま被災地が向き合う課題
地震・津波被災地域での生活インフラの復旧はほとんど完了、防災集団移転や災害公営住宅の建設が進むなど、ハード面での復興は大きく進んできました。しかし一方では、新しく再建されていく地区で暮らすひとびとのコミュニティ形成や心身のケアなどのソフト面での支援は継続的に必要です。
原子力災害被災地域では、避難指示が解除された地域での生活の再建が始まった一方、帰還困難区域の避難指示解除や、廃炉・汚染水対策については、長い年月が要することが見込まれ、復興・創生期間後も中長期的な対応が続いていきます。
東日本大震災の発生から11年目の復興を迎えた今もなお、非常に多くの方が避難生活を余儀なくされており、心身のケアや廃炉・汚染水対策だけではなく、産業の復興などの課題もあります。
GoodMorning はまだ終わっていない復興へ、一緒に取り組む姿勢を持ち続けたいと考えています。
※:ふくしま復興ステーション『平成23年東北地方太平洋沖地震による被害状況即報 (令和3年2月) 』
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/432470.pdf